周囲の思いと笑顔が「前に進む力」に 早川史哉が今つなぎたい、スポーツが持つ力と可能性

Opinion
2020.06.01

新型コロナウイルスの影響にさらされている日本に対し、アスリートたちがそれぞれにできることを考え、応援やサポートのためのアクションを次々と起こす姿が多くの人へパワーを与えてくれている今。普段、応援される立場であるアスリートたちは、競技ができない状況の中で自分たちの存在意義を見つめ直しながら、どのような想いを抱いて行動を起こしているのだろうか。自らも急性白血病を乗り越えた経験から、病や医療従事者への想いを人一倍強く持っているJリーガー・早川史哉が、スポーツの持つ力や「つながり」について、自身の経験を振り返りながら語ってくれた。

(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、写真提供=UDN SPORTS、Getty Images)

「病気がわかって、ほっとした」

――今回の「#つなぐ」プロジェクト(編集部注:株式会社UDN SPORTS契約アスリート75名が話し合い実現した、新型コロナウイルスによる多大な影響を受けている日本において、全国の学童や医療従事者向けにマスク20万枚を配布するなど支援活動を行うプロジェクト)において、早川選手はどういう気持ちで携わったのですか?

早川:現状において直接ファン・サポーターやスポンサー、他チームの選手たちなど、いろんな人たちと直接つながることができない中でどういうつながり方ができるのか、という気持ちがありました。サッカー選手として「つなぐ」というコンセプトをもとにどういうことができるのかというのは、とても考えさせられている部分でもあるので、自分たちが先頭に立って、スポーツが持つつながりをうまく生かしながら、いいアクションというのをどんどん広められたらいいのかなという思いで活動をしています。

――UDN SPORTS所属選手75人が同じ方向を向いてやるというのは簡単なことではないと思うんですけど、選手間ではどういうコミュニケーションを取りながら進めていったのですか?

早川:まず海外にいる選手が、この危機的状況を何とかしなきゃいけないということでUDNさんと話し合っていた中で、僕も含めて国内の選手も個々の活動を通して何かプラスのアクションをしていきたいという思いを持っていました。僕はアルビレックス新潟の矢村(健)選手や秋山(裕紀)選手たちとも「どういう活動ができるんだろうね」というような話をしていたので。そういった個々の考えのもとに、UDNさんのサポートを借りながら活動動画をあげたり、お世話になった方たちへマスクを提供するなど、そういうことをやってみようという話になりました。

――早川選手はこれまでも積極的にいろいろな活動や発信をしていますよね。

早川:僕自身、自分が急性白血病を患ったという背景を生かしつつスポーツ界の方々の力をいただきながら、献血が減少していて骨髄バンクの登録者数が減っている深刻な状況の中、少しでもそれを必要としている人たちの助けになればいいなと思い、啓蒙活動や発信をさせてもらっています。そういう意味で、スポーツ界の発信力や拡散力にものすごく助けられているし、世の中に対して非常にポジティブな発信をさせていただいてるなと思います。

――プロデビュー直後に急性白血病という難病にかかってしまった時のことを改めて振り返ってみて、当時はどのような思いでしたか?

早川:その時は「何で動けなくなっているんだろう」とか、「何ですぐに息が上がってチームの勝利に貢献できなくなってるんだろう」という自分の不甲斐なさや、自分自身を疑うことの辛さをものすごく感じていた中での病気の宣告だったので、そういう意味ではすごくほっとした部分もありましたし、自分のせいじゃなかったんだなというのはありましたね。

ただ、そうした中で自分が勇気をもって公表したことで新潟のファン・サポーターだけでなく、サッカーファミリーというかJリーグに関わる多くの方々に支えてもらって、応援していただきながら進むことができたというのは、やはり僕にとってはものすごく大きな力になっていたなと思います。

――普通の人だったら、病気を宣告されたらまずショックを受けると思うのですが、体調の変化による自分の不甲斐なさの原因がわかってほっとしたんですね。

早川:はい。

――その考え方、すごいなと思います。もともと責任感が強い性格だったのですか?

早川:そうですね。自分で言うのもどうかとは思いますが、ただやっぱり「チームの力になりたい」という思いも強かったですし、ましてや僕は新潟でプロになりたいという思いがものすごく強くて。やっとその夢をつかんで試合に出られたのに、本当に毎試合歯がゆい思いをずっとしていました。なので、「その原因が自分じゃなかったんだな」という意味では、ものすごく気持ち的にはほっとしたというのが一番です。

――そこから長い治療とリハビリを経て、再びプロとしてピッチに戻った時の気持ちってなかなか言葉で言い表せることじゃないと思うんですけど、どのようなものでしたか?

早川:まず、リハビリ中は「正直、復帰できるのかな」「もしかしたらサッカー選手として戻れないんじゃないか」という恐怖がありました。一方で「戻ったらどんな世界が待っているんだろう」「どんな楽しみが待ってるんだろうな」というポジティブな部分もあり、その葛藤を常に抱えていましたし、目標(の回復レベル)に近づくにつれて「まだ出れない」といったジレンマを抱えながら進んでいましたね。

そうした中でやっと試合に出ることができた時に、自分が病気になった当初の「サッカーが好きだから、もう一度プロサッカー選手を目指すんだ」という思いがピッチからの景色を見て込み上げてきて、「やっぱり本当にサッカーって素晴らしくて、本当に楽しいものなんだな」というのを改めて感じました。

――病気になる前後では、見える景色は全然違いましたか?

早川:もちろん「サッカーは楽しい」ということに変わりはないんですけど、その中でチームメートと寄り添いながら前に進める素晴らしさであったり、勝利の喜び、負けた時の悔しさとかいろんなものを経験できるというのは、やはり病院の中では絶対できないことです。そのありがたみも含め、普段何気なく過ごしている日常が当たり前ではないことをものすごく感じました。そういう意味では、それぞれの瞬間の楽しさや、いろんな経験をさせてもらえる幸せというのは今ものすごく感じます。

サッカーを通じたこれまでの経験が、今の自分自身を作り上げている

――現在コンディション的には、自身ではどれくらい戻ったと感じていますか?

早川:コンディションとしては、正直まだまだ万全ではないなという思いはあるんですけど。ただそれが果たして、今の限界がここなのか、まだその先に可能性があるのかというのは自分でも正直わからないところなので、「もしかしたらこれが限界なのかもしれない」という思いもあります。ただ自分の中では、毎日やれることをやって、いい準備をして進みながら少しずつよくなっていっている実感もあるので、この先の自分の可能性を信じたいですし、その可能性に向かって取り組んでいけば後悔はないと思ってやっています。

――このようなメンタリティは、病気になる前から?

早川:これまでもポジティブ思考なほうだったので、たぶん小さい頃からサッカーを通じていろんな人と関わる中で育んできた自分自身の財産でもあると思います。そういう意味では、本当にサッカーを通じていろんな経験をさせてもらった結果が、今の自分自身を作り上げているのかなと思っています。

――今回の闘病、リハビリ生活を通じては、ファン・サポーターやチームメートなどの周りの人からどのようなことを得たと感じていますか?

早川:一言で言えば「前に進む力」。これが一番なのかなと。もちろん自分自身も前進したいと思いながらも、やっぱりその時々で辛い瞬間があったり、ちょっと足踏みしてしまったり気持ちが沈んでしまう時もあったんですけど。そうした中でサポートしていただいたり、常に寄り添ってくれる人の思いや笑顔というのが、僕自身を少しでも前に突き動かしてくれる大きな原動力になっていたと今改めて思います。

――今回の「#つなぐ」プロジェクトもそうですが、難病の再生不良性貧血を発症し骨髄移植を必要としているガンバ大阪ジュニアユースの多田吾郎くんの支援活動にも、積極的な呼びかけをしていますよね。そういった行動も、自分自身を周りで支えてくれた人たちの力があるからこそなんですかね。

早川:はい。今回のプロジェクトにもある「#つなぐ」というのは、僕自身のコンセプトでもあるなと思うので、ものすごく共鳴する部分があって。僕が誰かからもらった温かい優しさや、大きな力をいろんな人につなげて、またその人たちがそれぞれにできることをアクションすることでつないでいってほしいなという思いがあります。やっぱり僕としては、自分に関わるいろんな背景を生かしながら、そういうものをつないでいけるような行動をしていきたいなと思ってます。

――サッカーに限らず、プロアスリートはプレー面だけでなくさまざまな部分での経験なども武器になると思います。今回の病気の経験は、今の早川選手にとって武器になっているという感覚はありますか?

早川:そうですね。もちろんプロサッカー選手として突き詰めなきゃいけない部分も大切ですけど、突き詰めすぎてパンクしそうになる時でも、生きていれば何とかなるというか、気持ちの余裕というのが視野を広げてくれますし。そういう考え方の部分では、今までの自分になかったものをもたらしてくれたなと感じます。

――病気になる前のキャリアの中では、壁や挫折を味わった経験などはありましたか?

早川:挫折という挫折はあまりなかったと思います、キャリア的には。ただ例えば大学に入った時に、自分のレベルがまだ低くて、関東の大学リーグでプレーするには至ってない部分をものすごく感じたり。その時々で挫折に似たような感覚を味わいましたけど、その中で自分自身のポジティブな面に目を向けて、じゃあどうしていくのかということを考えながらやり続けてこれたというのが、もしかしたら大きな挫折を味わわずにこれた理由なのかなと思います。

――困難があっても挫折というふうに思わない思考回路なのかもしれないですね。

早川:そうかもしれません。でももしかしたら、大きなチャレンジをしていないということかもしれないので、そこは何ともいえないですけど。なので、もっといろんなチャレンジをしていく中で、逆に失敗して何か新しいもの見つけたいなと思います。

スポーツが持つ「つながり」と「可能性」を生かして……

――「#つなぐ」プロジェクトでは、全国の子どもたちや医療従事者へマスク20万枚を配布する活動などをされていますが、早川選手の経験の中で、医療に対する意識にはどのような変化がありましたか?

早川:自分自身が急性白血病になる前は正直、無縁のものだと思っていてあまり関心がなかったんですよね。そうした中で、看護師さんや栄養士さん、リハビリに携わってくださる方など、本当にいろんな方が自分自身に携わってくれて。医療従事者といってもいろんな職業の方がいらっしゃることを感じましたし、夜勤の方は僕が寝ている間でも見に来てくださって。さまざまな方のおかげで自分が今こうやって病気を治して元気でいるんだなと実感しているので、よりそういう人たちの仕事を現実として理解できるようなことが増えたと思います。

――今回のプロジェクトで、早川選手のつながりではどこにマスクを配布しましたか?

早川:まずは、今までお世話になったクラブや地域に何か手助けになることができればと思って、新潟のアカデミーや、地元の小針レオレオサッカー少年団というチームにマスクを届けさせてもらいました。

――病気を乗り越えて、よりアルビレックス新潟が特別なクラブになったのでは?

早川:はい。ずっと温かく支えてくれたので、自分にとってはすごく特別なクラブですし、このクラブやクラブを支えてくれている新潟という地域のために何か少しでもプラスな活動ができればいいなと常に思っています。

――今、医療従事者や新型コロナウイルス感染者に対する差別や偏見が問題になっていますが、医療と深く携わった立場としてどのように思いますか?

早川:たぶん、差別などが起きるというのは、その現状であったり、どういう思いでその人たちが働いてくださっているかというのを実際に感じることができないから、正直難しい部分もあると思うんですよね。だからまずは、どういう思いで皆さんが活動されていて、どういう状況にあるのかというのをしっかりと伝えていくことが必要だと思います。例えば医療従事者の方も発信してますけど、僕たちもスポーツのつながりによる拡散力を信じて発信していくことが必要かなと。

今後その差別がさらに深刻化するようであれば、僕自身も何か少しでも力になれるように、例えばオンラインなどでディスカッションを立ち上げることでいろいろな人がそれぞれの考えを持ったり、言葉というものに対して責任をもって発してくれるようになるんじゃないかなと思います。

――今回の新型コロナウイルスで、やっぱりアスリートの発信というのは世の中の流れをつくるくらい、すごく影響力があると感じました。

早川:「#つなぐ」プロジェクトもそうですけど、例えば僕たちのリフティング動画を見て子どもたちが真似して「面白そう」と思ったら、また別の子どもたちへつないでいくなど、この活動に共鳴してもらった人に何かアクションを起こしてもらうというのもすごく大切なことだなと、実際に活動を通じて感じています。

多田くんのことについても、僕が発信することによって、例えばラグビー選手の稲垣(啓太)さんがツイートをしてくださったりとか、競技を超えて温かい支援をいただけるというのは本当にスポーツが持つ素晴らしさだなと思います。そういう部分を生かしていきたいですし、やっぱり発信する者として責任ある行動というのを常に取り続けて、いいアクションを続けていきたいです。

――稲垣選手とは面識はあったのですか?

早川:一度お会いしたことがあります。同じ新潟出身ですし。

――競技を超えてつながっていくというのは、すごくいいですよね。

早川:そうですね。スポーツのよさというか、サッカーに限らずスポーツ界のアットホーム感を感じますし、それによって僕の発信だけでは届かない人たちにも届くし、スポーツが持つつながりがどれだけの人たちを巻き込めるかという可能性をものすごく感じるので。

サッカー選手同士ではもちろん、さらにいろんな競技の人たちと、それぞれの想いや行動を話し合っていけたら、こういう有事な状況に陥った時にスポーツの力でより大きなアクションを起こせるんじゃないかなと。そういう意味ではUDN Foundation、「#つなぐ」プロジェクトというのは、ものすごく価値のある活動のスタート地点なのかなと思ってます。

――まさに「#つなぐ」プロジェクトも、一過性ではなく今後も継続していくというコンセプトを掲げていますよね。

早川:そうですね。マスクを配って終わりではなく、この「#つなぐ」というテーマのもと、常にさまざまな人たちがいろいろなことをつないで広げていって、より大きく温かなアクションというのが多くの人に届いてくれるといいなと思います。

幼い頃に見ていた、満員のビッグスワンでプレーしたい

――早川選手自身は、Jリーグ再開に向けて練習も再開して、また新たなスタートに向かっているところだと思いますが、今の気持ちを教えてください。

早川:まず一つは、この自粛期間中に(メディアなどで)「サッカーのある日常」を思い返すような内容が取り上げられているのを見て、スタジアムでたくさんのファン・サポーターのもと戦えることがどれだけ幸せなのかというのを改めて感じて。その喜びや、戦うことの意味というのを、この中断期間が明けた後にしっかり表現できるような選手にならなきゃいけないなと思いました。そういう意味では、再開した練習には高いモチベーションでポジティブに取り組めていると思ってます。

――自身の目標としては、どこに置いているのですか?

早川:正直、病気になってからあまり個人的な目標というものはなくて。そうした中でも、常に今自分ができる最善の取り組みや、サッカーの楽しさというのを表現しながらピッチでしっかりと戦うという思いを持ち続けられればきっといろんなものが見えてくると信じてやっています。強いて言うなら、ピッチ内ではもちろんピッチ外でも、僕の愛するアルビレックス新潟というクラブが少しでも上のカテゴリーに上がっていい成績を収められるようにという思いを持って取り組んでいます。

――昇格争いを制して、超満員のデンカビックスワンスタジアムでプレーできる日が来たら最高ですよね。

早川:そうですね。僕自身が小さい頃には4万人が集まるスタジアムを見ているので、1万人後半程度という現状を見て、やはり満員のピッチでプレーしたいという思いも強いです。やはりあの時のビッグスワンの熱さをもう一度実現したいです。

<了>

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PROFILE
早川史哉(はやかわ・ふみや)
1994年1月12日生まれ、新潟県出身。アルビレックス新潟所属。アルビレックス新潟ジュニアユース、ユース出身。高校3年の2011年にはトップチームに2種登録され、2011 FIFA U-17ワールドカップでは日本代表として3得点を挙げる活躍を見せた。筑波大学へ進学後、蹴球部キャプテンとして関東大学リーグ1部への返り咲きに貢献し、2016年シーズンよりアルビレックス新潟へ加入。2016年J1開幕戦で先発フル出場デビューを果たし、開幕戦を含めリーグ戦3試合とJリーグヤマザキナビスコカップ(現・JリーグYBCルヴァンカップ)1試合に先発フル出場を果たしたが、同年4月24日のJ1第8節・名古屋戦後に急性白血病と診断された。2016年11月に骨髄移植手術を行い、治療に専念するため2017年から新潟との選手契約を一旦凍結となったが、2018年よりトップチームの練習に参加し、契約の凍結解除が発表された。2019年J2第28節・岡山戦でベンチ入りし3年ぶりに復帰、J2第35節・鹿児島戦で先発メンバーとして1287日ぶりに公式戦出場を果たした。

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