
日本代表の“キレイなロッカー”はプレーに好影響? 心理学で立証される“感謝”の効果
いよいよコパ・アメリカの初戦を迎えるサッカー日本代表。若き日本代表の活躍に注目が集まるのはもちろんだが、世界から注目を集めているのが、きれいに片付けられた試合後の日本代表のロッカールームだ。
ロシアワールドカップ、アジアカップでも大きな話題を呼んだ日本代表のロッカールーム。世界はその「マナーの良さ」を評価し、「お手本にすべき」とこれに倣う例も出始めている。
実は「ロッカールームをきれいにして会場やスタッフに感謝を示すこと」には、心理学の観点からある可能性が秘められているという。
(文=大塚一樹、写真=Getty Images)
世界中で話題になった「来たときよりも美しいロッカールーム」
「日本には、『来たときよりも美しく』という言葉がある」
2018年に行われたサッカー・ワールドカップロシア大会の第2戦、セネガル戦の前日会見で、日本代表の吉田麻也が海外メディアからの質問に答えてこんなことを発言した。
質問したのはイギリスのメディア。質問内容は、日本のサポーターはなぜ試合後にゴミ拾いをするのか? というものだった。
「あなたもロッカールームを片付けるのか?」
関連質問に吉田は「おそらく僕たちのロッカーは試合後、イングランドのプレミアリーグのロッカーと比較すると非常にきれいかなと思います」とユーモアを交えて答えた。
これが布石になり、決勝トーナメントに進んだ日本代表が1回戦でベルギーに敗れたあとのロッカールームがまるで未使用かのように片付いていたことが大きな話題を呼んだ。テーブルには『СПАСИБО』(スパシーバ)とロシア語で感謝を表すメッセージカードが置かれていたことが大会スタッフによって発信されると、世界中から賞賛の声が集まった。
2019年2月にUAEで行われたアジアカップ決勝の際も、アジアカップ公式Twitterが試合後の日本代表のロッカールームの画像を投稿、ホワイトボードにはアラビア語、英語、日本語で「ありがとう」という言葉が書かれていた。
海外のメディアが「日本代表はなぜロッカールームをきれいにするのか?」という報道を盛んに行っている。近藤麻理恵さんによる「ときめく」片付け術が北米をはじめとする世界を席巻していることも、「日本=きれい好き」というイメージに拍車をかけているのかもしれない。
海外の報道を逆輸入記事として紹介した日本のメディアもあったため、ここまでの情報をご存知の方も多いだろう。
海外メディアの多くは、敗れたあともロッカールームを整理整頓し、ゴミ一つ落とさずに掃除する日本代表とそのスタッフを「素晴らしいマナー」「お手本にすべき」と賞賛した。そしてその後、CONCACAFチャンピオンズリーグを戦ったエルサルバドルのアリアンサFCやイタリアのアマチュアクラブ、ルバネーゼ、中国のクラブなどが日本代表に倣い試合後にロッカールームの清掃を行い感謝のメッセージを残すなど、この“善行”は世界中に広まりつつある。
中国のケースでは、「話題作りのために表面だけ真似をしてもその精神を取り入れなければ意味がない」との批判もあったようだが、日本代表の行いが世界のサッカー界に何らかの影響を与えているのは間違いない。
ロッカールームを片付けるとサッカーのパフォーマンスがアップする?
多くの日本人にとっては当たり前の「必要以上に散らかさない」「自分で使ったものは自分で片付ける」というマナー以前の常識が、国が変われば極めて不思議な行為に映る。「プロサッカー選手は競技に集中するために余計なことはしなくていい」、「日本代表のロッカールームを掃除をしているのはスタッフだ」という声もあるが、今回は、日本代表が示した「感謝」の気持ちがパフォーマンスにもたらす影響について言及したい。
心理学先進国、アメリカでは、『ポジティブ心理学』が新たな潮流をつくっている。『ポジティブ心理学』と聞くと、日本ではポジティブ思考をイメージしがちだが、ペンシルバニア大学のマーティン・セリグマン教授らが提唱した『ポジティブ心理学』は、何でもかんでもポジティブに考えようという学問ではない。
従来の心理学は、心を病んでしまった人の治療や回復のために発展してきたという側面がある。アメリカで心理学が急速に発達する契機になったのは、ベトナム戦争だと言われている。帰還兵の心理的障がいを改善するために精神医学、臨床心理学が必要だったというわけだ。『ポジティブ心理学』はこれまでの心理学とは違い、人間の「幸福」に目を向け、ポジティブな感情を引き出すためのメカニズムを解き明かそうとしている新しい心理学だ。
心理学と日本代表のロッカールームの話にどんな関係性があるのか? いぶかる読者もいるだろう。実は、『ポジティブ心理学』のある実験で、サッカーの日本代表が示したような「他者への感謝」は、人間の幸福感を高め、パフォーマンスを上げる効果があるという研究結果が出ているのだ。
2005年にセリグマン教授らが行った研究はこうだ。
被験者は日常生活でお世話になりながら感謝を伝えていない人に手紙を書く。その手紙を持参して本人の目の前で読み上げる。『感謝の訪問(gratitude visit)』と呼ばれるこの実験では、訪問を行ったグループの幸福度が増加し、しかもその効果は人によってばらつきがあるものの、1~3カ月持続したという。
「幸福度をどうやって計測するのか?」という疑問には、セリグマンらが確立した
・Positive emotion(ポジティブ感情)
・Engagement(物事への積極的な関わり)
・Relationships(他者とのよい関係)
・Meaning(人生の意味や意義の自覚)
・Accomplishments(達成感)
の5つの要素からなる『PERMAモデル』によって計測されたこと、「訪問」を行ったグループと行っていないグループとでは数値の変動に明確な有意差が見られたこと、「訪問」の効果を確認できたグループも、6カ月後の計測では幸福度が元の水準に戻っていたことをエビデンスとすることで解としたい。
コパでも注目? 感謝に溢れた日本のロッカールームは世界のお手本
筆者がこの実験結果と「感謝」、スポーツのパフォーマンス、特にサッカーとの関連性を調べたのは、すべての子どもたちに自分で考えるサッカーを提供することを目指した保護者向けWEBメディア『サカイク』の著書『自分で考えて決められる賢い子供 究極の育て方』の構成を務めたことがきっかけになっている。
サカイクの提唱する「サッカーで身につく5つのライフスキル」のうち、お父さん、お母さんが大切だと思いながら、サッカーや人生を生き抜くために必要だと説得力をもって子どもたちに伝えられないという声が多かったのが、「感謝する力」という項目だった。
セリグマンの研究や実験結果は、洋の東西、環境を問わず、人間は感謝することで幸福感を得られることを物語っている。幸福感はスポーツの世界では「ゾーン」として有名な超集中状態「フロー」につながる、人間がその能力を発揮するためのキーファクターでもある。
厳密にいうと、ゾーンとフローはまったく同じ状態を指す言葉ではないが、日本代表の選手たちが、自分たちがプレーできる喜び、代表選手としてピッチに立つ誇りを多くの人たちへの「感謝」と認識し、その思いが試合中、試合後の「汚さない」「片付ける」という行動に結びついていたとしたら……。わずかかもしれないがその感謝がピッチ上のパフォーマンスの後押しになっている可能性がある。
18日、日本代表はコパ・アメリカの初戦、チリ戦を迎える。ロッカールームばかりに注目が集まるのは本意ではないだろうが、おそらく日本のロッカールームは三度、話題になるだろう。
教育的観点から言えば、未来の日本代表を目指す子どもたちに、胸を張って日本代表の真似をしようと言えるのもありがたい。「片付け」と「サッカー」を「感謝」でつなぐと、大人も根拠と自信を持って子どもたちに日本代表の善行について伝えることができる。
まだ代表レベルで日本代表に倣うチームは出てきていないが、サッカーのパフォーマンスに寄与する美しき習慣は、世界に誇れる日本発のメッセージでもある。
<了>
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