アスリートを襲う破産の危機。横領問題で再燃した資金管理問題。「お金の勉強」で未来が変わる?
2024年3月、ロサンゼルスドジャース・大谷翔平選手の元専属通訳だった水原一平氏による違法賭博関与や大谷選手の銀行口座から不正送金した疑いが発覚し、球団からの解雇が発表された事件は世界中に大きな衝撃を与えた。同時に、アスリートの「お金の管理」に対する問題も改めて大きく取り上げられることになる。アスリートの資金管理問題について、専門家はどのように考え、どうやってこのような問題と向き合おうとしているのか?
(文=大塚一樹、写真=Los Angeles Dodgers/UPI/アフロ)
大谷翔平元通訳の横領問題で再燃したアスリートの資金管理問題
本塁打と打点の二冠王、54本塁打を放ち59盗塁を奪う規格外の活躍で遠い昔のことのように感じる、MLB、ロサンゼルスドジャースの大谷翔平選手の元通訳、水谷一平被告による巨額の横領事件は、日本だけでなくアメリカでも大きな話題になった。約62億円もの損失を出した違法賭博、そして大谷選手の口座から約24億円もの送金が行われていたという事実は、プロアスリートのお金の管理の重要性を改めて浮き彫りにした。
同時に聞かれたのが、「世界最高峰の数十億を稼ぐ選手の資金管理がこれほどにも緩いのか?」という疑問の声だ。
規模は違えど、横領や詐欺、金銭トラブルに巻き込まれるアスリートは後を絶たない。高額な年俸を稼ぐアスリートにすり寄り、利用したり、騙す方が悪いのだが、アスリート側の「金銭面、資金管理への無頓着」という側面も被害を助長している可能性がある。
事実として、海外、特にアメリカでは、プロアスリートの破産が深刻な問題になっている。
ボクシングのマイク・タイソン、NFL(アメリカンフットボール)のビンス・ヤング、テレル・オーウェンス、MLBのジャック・クラーク、NBA(バスケットボール)のデリック・コールマン、アントワン・ウォーカーなど現役時代に数十億円を稼いだであろうトップアスリートが、引退後に自己破産の憂き目を見ている。
少し古い資料だが、2009年のスポーツ・イラストレイテッド誌によると、NFL選手の78%が引退後2年以内に破産または深刻な経済的苦境に陥っているとされている。NBA(バスケットボール)選手も60%が引退後5年以内に破産しているというデータもある。
トップアスリートの光と影、今そこにある破産危機
複数のプロアスリートの税務顧問を担当し、近年ではアスリート有志による「お金の勉強会」の講師を務めている税理士法人プレアスの税理士の小池俊氏は、ビッグ・マネーを手にしたトップアスリートの破産についてこう解説する。
「一般的には『もう一生分稼いだはず』と思うかもしれませんが、規格外に稼ぐ選手は使う金額も規格外です。引退しても現役時代と同じ生活レベルを維持しようとする。収入が10分の1になっても経費を下げられない。そういった状況に陥ってしまうんです」
こうした状況は、トップアスリートに限ったことではない。むしろお金のことをほとんど考えず競技に集中している平均的なアスリートも含めた「すべてのアスリート」が直面する問題とも言えるのだという。
「たとえば、私が関わることの多いサッカー選手で言えば、プロサッカーリーグ、Jリーグ誕生から30年以上が経過しているにもかかわらず、多くのプロサッカー選手は『確定申告って何ですか? 売上って何ですか?』というところからのスタートです。本来であれば、アスリートは、自分という商品を扱う経営者のはずなのに、その自覚がある人は少ないのが現状です」
競技だけに集中し、資産形成や税務申告について学ぶ機会が少ないアスリートは、税金やお金の仕組みについて十分に理解しないまま現役を終えることも少なくない。例えば、税理士に確定申告を任せきりで、具体的にどのような経費が認められているか、どのように確定申告がなされているのかを把握していないことが多いのだという。
「税理士と直接顔を合わせることすらなく、領収書の提出や確定申告の処理を任せているだけというのが一般的ですが、税理士を確定申告だけをする“確定申告屋さん”として見てしまうと、資産形成や税金対策に関する有益なアドバイスが得られず、将来的に損をしてしまうことになります」
活躍するタイミングも不調もケガも予測できないからこそ
「Jリーグの平均年俸は約2000万円。仮に10年間現役を続けた場合、単純計算で2億円の収入となります。一方、日本人の平均的な生涯収入は、退職金を入れて約2億7500万円と言われています」
一見すると、10年で2億円を稼ぐJリーガーの方が稼いでいるように見えるが、Jリーガーの平均引退年齢は25~26歳。平均寿命が男女ともに80歳を超えていることを考えると、40年以上の長期にわたって安定的に収入が得られるビジネスパーソンに利がある面も多い。
「引退が見えてきて、セカンドキャリアの準備を真剣に考えるようになってから将来に不安を覚えるアスリートも多いのですが、現役時代に稼いだ収入をどう管理し、引退後の生活に備えるためにはできるだけ早く計画的に進める必要があります」
それまで出場機会を得られなかった選手が、トレーニングに励んだ結果、定位置を確保。爆発的な躍進を果たした。年俸も急激に上がり努力が報われたが、2年後にケガが原因で再びベンチを温めることになった。レギュラーから外れた翌年、収入が激減する中で多額の税金を支払うことになってしまった・・・・・・。
いつ活躍できるか、またいつ不調や負傷で稼げなくなるかも予測できないのがアスリートの資産管理の難しさだ。
「だからこそ、長い人生を見据えた資産形成が必要になるのです」
税理士がサッカー選手にコミットする理由
税理士である小池氏がアスリートの“確定申告屋さん“にとどまらず、キャリアサポートに力を入れるのには明確な理由がある。
中学3年の冬。自らもサッカーをプレーしていた小池少年は、全国高校サッカー選手権の決勝戦を観戦していた。
「高校受験を目前に控えた時期で、通っていた塾の先生に『この試合だけは行かせてください』と直訴して国立競技場に行ったんです。決勝のカードは前年まで2年連続優勝していて3連覇を目指していた国見と、多くのスター選手を抱える市立船橋。千葉生まれの私にとって、特に“イチフナ”は憧れの的でした」
歴史を見ても高校サッカーが注目を浴び、“選手権熱”が高かった時代。いても立ってもいられず駆けつけた国立競技場周辺は、当日券を求める人の列でごった返していた。
「当日券を買って、国立の中に入れたのは後半開始からだいぶ経ってからでした。ちょうど階段を上っていたときに、満員の大観衆がどよめいたんです」
市立船橋の先制点、選手権史上にも残る小川佳純選手の豪快なミドルシュートがネットを揺らした瞬間だった。
「あの瞬間を目撃できたことで、自分のサッカーへの思いはさらに特別なものになりましたし、優勝の瞬間は涙が出るほど感動しました」
高校までサッカーを続けた小池さんのプロサッカー選手という夢は断たれたが、税理士の職に就いた後も社会人サッカーチームの立ち上げや税理士会サッカー部に所属するなど、サッカーへの思い、プロサッカー選手への尊敬の念は消えることはなかった。
“衝撃ミドル”を放った憧れの選手との出会い
「税理士は、依頼人の税金相談だけでなく人生設計まで幅広くサポートできる存在。自分の職能をサッカー選手、アスリートのために使えるんじゃないかと思ったのです」
そう考えていたとき、とあるフットサルコミュニティで同じようにアスリートのキャリアサポートを志す保険代理店経営者に出会う。
「その人物から『兄がプロサッカー選手をしている』と聞かされました。なんとそれが、あの決勝でゴールを決めた小川佳純さんだったのです」
兄と同じくプロサッカー選手を目指していた小川直純氏は、「兄がいいものさしになった」と自身で語るように、大学在学中にプロサッカー選手への道を断念した。外資系生保会社、保険代理店勤務を経て、自身で保険の面からさまざまな人のライフプランをサポートする保険のエキスパートとして起業していた。
「小川さんとの出会いは、運命を感じました。まさか自分が憧れていた選手と、こんな形でつながるとは思ってもみませんでした」
兄である佳純選手は、当時すでにキャリア終盤を迎えていたが、法人化すべきかどうかなど、財政面に課題感を持っていた。
「直純さんの紹介で佳純選手にお会いできたときは『税理士になって良かった』と心から思えました。それと同時に、名古屋(グランパス)で10年近く主力として活躍した選手でも、法人化するかどうかというところで悩んでいるのかという驚きもありました」
年俸360万円のサッカー選手は年収300万円の会社員より手取りが少ない
アスリートにリサーチしてわかったのは、経費の分類についてもよくわからないまま確定申告だけをしているケースが多いということだ。
「豪快にお金を使って何でも経費にしているかというと、今の選手たちはそんなこともない。自分たちが個人事業主である意識がないため、自分のお金を守ったり、増やしたりという意識も薄いんです」
小池氏のシミュレーションによると年俸360万円のサッカー選手と年収300万円の新卒会社員を比較した場合、収入から必要経費、社会保険料、所得税・住民税を引いたサッカー選手の手取額より、社会保険額、所得税・住民税を引かれる会社員の方が手取額が多くなる場合がある。
サッカー選手の必要経費はお金を使った分だけ控除の対象となるのに対し、会社員の給与所得控除は、お金を使わなくても控除される(経費になる)ためである。
サッカー選手の年俸360万円は少ないと感じる人も多いかもしれないが、先日引き上げられた2026年から適用されるJリーグの選手最低年俸は、J1で480万円、J2がこの360万円、J3では240万円となっている。
「お金の勉強」でアスリートの未来が変わる?
こうした現実を踏まえ、小池氏と小川直純氏、それぞれ税務と保険の専門家である2人は、アスリートを顧客に持つ他に、アスリートの「お金」に対する意識を変え、現役時代から自分の一生を考えたライフプランを考えるきっかけ作りが必要だと考えた。
「お金の勉強会」は、この出会いから生まれ、少人数の集まりながら「実は不安に思っていた」「知らなすぎて怖いと思っていた」という切実な危機感を持つアスリートの口コミで徐々に輪が広がっていった。
「私にとって憧れの存在であるサッカー選手たちに『四六時中お金のことを考えろ』とか『トレーニングやコンディショニングの時間を削って将来の準備をしろ』と頭ごなしに言うつもりはまったくないんです。競技以外の1%でいい。空いている時間にお金のことを考えてほしいんです。その1%の質を高めていくことで、スタジアムで輝いていたそのままの輝きを次のキャリア、将来につなげることができる。すごい人たちにはすごいまま、キラキラしたままでいてほしいんです」
日本では、「アスリートは競技に集中すべき」との考えが根強く、現役中にビジネスを始めたり、経済的な活動を行うと批判の対象になる傾向が未だにある。しかし、プレイヤーとしての年俸だけで一生安泰という選手は一握りで、その一握りの選手も高所得者ゆえの落とし穴に落ちてしまうことは、すでにあげたとおりだ。
小池氏や小川氏のような専門家がサポートに回り、アスリート自身が自分のお金に対して主体性を持って関わるようになれば、引退後のキャリアに対する不安を取り除くことができ、それがパフォーマンスの向上につながる可能性もある。
「サッカーはもう世界に出ていくのが当たり前の時代。MLBやNBAでプレーする日本人選手も増え、海外の税制も理解する必要があります。また、怪しいもの含めて投資商品が乱立して資産形成を取り巻く環境は複雑化しています。国内でもプロリーグが数多く誕生していますが、新しいリーグは、契約面の整備が追いついていない可能性もあります。プロ選手やそれを目指す学生、ご両親も含めて、人生設計を考えなければいけない時代になっていると思います」
「プロになること」ではなく、「プロで活躍すること」を目標にせよというゴール設定のアップデートの必要性はよく聞かれるようになったが、プロアスリートとしてのキャリアより引退後の人生の方がずっと長いことを考えれば「プロキャリアを終えた後の活躍」を見据えるのは当然なのかもしれない。
<了>
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