
スポーツ通訳・佐々木真理絵はなぜ競技の垣根を越えたのか? 多様な現場で育んだ“信頼の築き方”
バスケットボール、バレーボール、ラグビー、スキー、モータースポーツ……と、複数のスポーツにおけるさまざまなカテゴリーの現場で通訳として活動してきた佐々木真理絵さん。専門性の高さが求められる通訳という職業において、なぜ一つの競技にとどまらず、多様なフィールドでキャリアを重ねてきたのか。背景には、現場で見たスポーツ界の構造や、それぞれのチームとの信頼関係を築く中で得た気づきがあった。競技を越えて経験を積むことで見えた景色と、スポーツ通訳という仕事において求められる本質について語ってもらった。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=佐々木真理絵)
現場で広げた柔軟な視点「知らないことをそのままにしない」
――通訳やマネージャー業は専門性が求められる分野で、一つの競技に特化してキャリアを積む選択肢もあったと思いますが、なぜ佐々木さんは複数の競技に関わってこられたのでしょうか?
佐々木:実は、「違う競技で成長したい」といった明確な意思があったわけではありません。その都度ご縁をいただいて、自然と流れに身を任せるような形で進んできました。一つのチームに長く関わる選択肢もありましたが、当時はあまり深く意識していなかったと思います。
ただ、複数の競技を経験して強く感じたのは、それぞれのスポーツが持つ独自の文化やルールの存在でした。「こちらの競技では効率的に機能していることが、別の競技では以前の習慣のまま運用されている」といったギャップに気づいたことで、自分にとって働きやすい環境とは何か、自然と考えるようになりました。
――競技によって、業界の閉鎖性のようなものを感じることがあったのでしょうか。
佐々木:そうです。一つの業界の中で長く過ごしていると、そのチームやコミュニティのやり方が当たり前に思えてしまうこともあると思います。でも、複数の競技を経験して比較できたことで、それぞれに良さがある一方で、「なぜこの方法なんだろう?」と考えるきっかけにもなりました。そういう意味では、自分なりに視野を広げることができたと思います。
――チームスポーツだからこそ、選手やスタッフとの信頼関係が重要だと思います。特に意識してきたことはありますか?
佐々木:大事にしていたのは、「分からないことをそのままにしない」ことです。その競技の専門用語など、聞き慣れない言葉が出てきた時には「今の言葉の意味を教えてもらえますか?」と率直に尋ねたり、必ず後で調べて確認するようにしていました。
私は常に外国籍のコーチや選手の近くにいたので、「今日の練習、どう思った?」とか、「さっきのプレーに対して怒っていたのはどうして?」など、日常的に対話を重ねるように心がけていました。そういう積み重ねが、信頼にもつながっていったと思います。
――緊張感のある現場では、「知らない」と言い出しにくい雰囲気もありますよね。
佐々木:確かに、そういう空気はあります。ただ、そこで知ったかぶりをするのは一番危険だと感じていたので、「分からないことは聞く」というスタンスはずっと変えていません。特に、現在関わっているラグビーはルールがとても複雑なので、知らない単語が出てきたらすぐに聞くか調べるかして確認するようにしています。一つひとつ丁寧に積み重ねていくしかないんですよね。
ピッチ外でのサポートも、通訳の大切な仕事
――言葉の選び方が、試合の勝敗に関わるような場面もありますよね。
佐々木:そうですね。特に、バレーボールで過ごした2年間はそういう場面が多かったです。優勝がかかった試合でもベンチに入らせていただいていましたし、重要な試合の週の練習では、チーム全体に独特の緊張感が漂っていたのを覚えています。
個人的には、その空気にのまれそうになることもありましたが、外には出さないようにして、いつも通りの姿勢でいることを意識していました。自分が平常心を保つことで、少しでもチームの安心感につながればいいな、と思っていました。
――通訳者にも、メンタルの強さや、チームワーク能力が必要なのでしょうか。
佐々木:これは他の競技やスタッフも同じだと思いますが、チームの中で常に一緒に行動するからこそ、周囲との関係性はとても大切です。もし自分のことしか考えていない人がいると、どうしても輪が乱れてしまいます。だからこそ、明るく接したり、互いにサポートし合おうという姿勢がとても重要です。トレーナーさんやメディカルチームであれば、時に厳しさを持って接することも必要になる。通訳である私も、そういった一員として、周囲に良い影響を与えられる関係づくりを心がけていました。
もちろん、それは時間をかけて築くものです。練習や試合を重ねる中で「この選手はこういうところが得意なんだ」とか、「この場面ではこの選手を信用できる」と感じることがあるように、スタッフ同士も「この人に相談すれば、ちゃんと対応してくれる」「話してみよう」と思える。日々の小さなことから、そういう信頼関係を築いていくことが大切だと思っています。
――ピッチ外の行動も含めて、意識していたのですね。
佐々木:はい。特にスタッフが選手とコミュニケーションを取るのは、主に練習外の時間になります。そのタイミングでどれぐらいサポートできるかは、とても重要だと思います。
――マネージャー業で、選手の身の回りのサポートもしていた経験は生きたのでは?
佐々木:チームや競技によって、選手への対応方針が大きく異なることがあり、そこは難しさでもありました。ヘッドコーチによって考え方も様々なので、これまでの経験や知識が役立つ場面もある一方で、「前のチームと違う」という戸惑いを感じることもあります。だからこそ、その都度現場に合わせて柔軟に対応する姿勢が求められました。
競技が違っても、根本は変わらない
――幅広い競技の現場に立ってこられた中で、共通点のようなものはありましたか?
佐々木:プロスポーツの現場では、選手が大切にしている基本的な習慣に共通点があると感じます。例えば、試合後の食事やシャワーのタイミングなどは、競技が違ってもあまり変わりません。私もそれに合わせて準備したり、細かい違いに気づいたりする中で、他競技での経験が生きる場面は多くありました。
――プロ・アマ問わず、さまざまなカテゴリーで活動されていますが、特に印象に残っている現場は?
佐々木:学生スポーツの現場ですね。プロや代表チームでは「勝利」が明確な目的になりますが、学生はスポーツを通じた人間的な成長や感情の変化も重視されます。プロ選手とは違う反応の純粋さがとても新鮮でしたし、中には、私との関わりをきっかけに英語に興味を持ってくれる子もいました。多感な年齢だからこそこちらも感じるものがあり、また違ったやりがいを感じられました。
――試合後の記者会見では、例えば長い回答をどうやって記憶して訳しているのでしょうか。
佐々木:バレーボールのチームにいた頃は、最初は大変でした。でも、毎日外国人コーチや選手と過ごしていると、彼らの言葉の使い方や思考の傾向が自然とわかってきます。記者の質問を聞いて、「こう返すだろうな」と想像できるので、落ち着いて訳すことができるようになりました。長く一緒にいる中で信頼関係が築かれ、話の途中で自然に区切ってくれるなど、通訳しやすいように配慮してくれることも多かったです。餅つきのように、「呼吸が合う」という感じです。
組織を離れて見えた現場のリアル
――逆に、難しさを感じるのはどんな時ですか?
佐々木:フリーランスになってからは、国際大会で初めて会う監督や選手の記者会見を任されることもあります。その方の話し方や考え方を事前に知る機会がない中で、アクセントや話すスピードにも対応しなければならず、緊張感は大きいです。
――組織に属する選択肢もある中で、フリーランスを選んだ理由は?
佐々木:バレーボールチームとの契約が終わったタイミングで、業界内での葛藤もあって一度立ち止まりました。決して業界を否定するわけではありませんが、当時はプレッシャーや価値観の違いに戸惑うこともあり、スポーツに限らず他の世界も見てみたいという気持ちが芽生えたんです。その結果、自然な流れでフリーランスとしての活動を始めることになりました。
――活動を始めてからの1年目はどうでしたか?
佐々木:正直、最初の1年は仕事が少なく、家でゴロゴロしている時間がほとんどでした(笑)。当初は「休める」ことに喜びを感じていたのですが、休みが続くと不安になってきて……。ちょうどコロナ禍とも重なり、仕事の依頼もなかなかきませんでした。最近は「フリーランスでスポーツ通訳を目指したい」という相談も増えていて、やりがいのある仕事ですが、それなりの覚悟も必要だと感じます。
通訳を目指す世代へ伝えたい語学の可能性と「続ける力」
――現在は通訳以外の仕事もされているのですね。
佐々木:はい。現在はラグビー男子代表でヘッドコーチのアシスタントをしています。スケジューリングなどのマネジメント業務が主で、モータースポーツでも通訳以外に国際大会運営などの業務に関わっています。人にすごく恵まれているので、やりがいを感じていますし、通訳を依頼する側の立場にもなり、より広い視点で仕事を捉えられるようになりました。長く現場に関わるなら、通訳として働く組織の動きや仕組みも理解した上で仕事をすることは、とても重要だと感じています。
――実際に視野が広がったと実感したエピソードはありますか?
佐々木:先日、自転車イベントの通訳を担当した時、運営側の苦労を知ってから現場に入ると、準備してくれた人の存在が自然と見えてきたんです。会見場のセッティングや資料作成の裏側に、どれだけの労力がかかっているかを想像するようになり、「自分が通訳として現場に立つ時間をどう価値あるものにするか」を真剣に考え、さらに熱意を持って仕事ができるようになりました。そうした視点を得られたことは、自分にとって大きな変化でした。
――これからスポーツ通訳を志す人に、伝えたいことがあればお願いします。
佐々木:私は帰国子女でもないし、英語も学校教育と1年の留学経験だけです。でも、夢を持って努力を重ねれば、道は開ける可能性もあるというメッセージは伝えたいです。ただ、語学に関しては準備不足のままでは現実的に厳しい部分もありますし、壁にもぶつかると思います。語学の習得は短期間でできることではなく、10年単位で向き合っていく必要があります。ただ、語学力が身につけば、通訳に限らずスポーツ業界で関われるチャンスは大きく広がります。だからこそ、少しでも早いうちから本気で取り組んで頑張ってくれる人が増えたら私もうれしいです。
【連載前編】「語学だけに頼らない」スキルで切り拓いた、スポーツ通訳。留学1年で築いた異色のキャリアの裏側
<了>
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[PROFILE]
佐々木真理絵(ささき・まりえ)
1987年生まれ、京都府出身。スポーツ通訳。学生時代にサッカー日韓ワールドカップで見たフローラン・ダバディ氏の姿に憧れ、スポーツ通訳の道を志す。大学卒業後、英会話スクール勤務を経て、2013年に日本プロバスケットボールリーグ「大阪エヴェッサ」に通訳兼マネージャーとして加入。バスケットボール、バレーボール、ラグビーなど多競技の現場で経験を積み、女子バスケットボール日本代表チームのマネージャーも務めた。現在はフリーランスとしてラグビー日本代表のエディー・ジョーンズ ヘッドコーチのアシスタントを務めているほか、モータースポーツの大会運営にも携わる。言葉の壁を越え、現場の信頼関係を築く通訳として活動している。
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