
なぜセクハラはなくならないのか? MLBの対策事例と、根源的解決が難しい背景
近年、日本のスポーツ界でさまざまな不祥事が相次いで起こっている。その中でも、女子選手に対する監督、コーチからのセクシャル・ハラスメントは、昔から指摘されていながらも根源的な解決につながっていない問題の一つだ。だが、セクシャル・ハラスメントそのものは、“就活セクハラ”に代表されるように、決してスポーツ界だけの問題ではない。自覚の有無にかかわらず、誰もが当事者になりうる深刻な人権侵害だ。
なぜセクシャル・ハラスメントはなくならないのか――。
日本に比べて対策が進んでいるといわれるアメリカだが、MLB(メジャーリーグベースボール)の対策事例を見ながら、あらためてセクシャル・ハラスメントの背景にある問題を考えてみたい。
(文=谷口輝世子、写真=Getty Images)
MLBで示されている「ハラスメントと差別に関する行動規範」
ハラスメントや差別は許されないことと、多くの人が理解し、そういった言動をしないように生きている。しかし、多種多様な人と共に生きる社会では、どこからどこまでがハラスメントなのかよく分からないこともある。ちょっとしたジョークのつもりが相手にとってはいやがらせになってしまうなど、「そんなつもりではなかった」という事例も少なくないようだ。
「知らなかった」「そんなつもりではなかった」。そのようなことで相手を傷つけたり、傷つけられたりするのならば、場所と時間を共にする人たちがあらかじめ“ハラスメントとは何か”という定義を決めておき、何をするべきでないかを知ることで、無用なトラブルを避けることができるのではないか。“ハラスメントとは何か”が定義されていれば、そのような言動を慎むことで、ちょっとしたジョークのつもりが、という不幸は避けることができる。
MLB(メジャーリーグベースボール)の球場にはこのような掲示物がある。
――職場における行動規範:ハラスメントと差別
MLB選手会とMLB機構のロゴがあり、選手会と機構が共同で作成した文書であることがわかる。これらは選手だけでなく、コーチや監督、トレーナーや用具係などのスタッフ、フロントにも適用され、報道関係者にも適用される。
タイトルの下には「MLBは人種、性別、肌の色、宗教、出身国、年齢、障がい、祖先、性自認、兵役の身分、性的指向をもとにしたハラスメントや差別に対してゼロ・トレランス方式(※)を採る」と記述されている。
(※明確な罰則規定を定めた行動規範を示し、規律違反には軽微であっても寛容せず、厳しく罰することで、より重大な違反を未然に防ごうとする)
次に
――WHAT IS HARASSMENT OR DISCRIMINATION?
とあり、どのようなことがハラスメントや差別に相当するのか説明している。
以下にその内容を引用する。
●中傷、侮辱、または、ジョーク
人種、性別、肌の色、宗教、出身国、年齢、障がい、先祖、性自認、兵役の身分、性指向についての屈辱的なコメント。侮辱的な名前やフレーズを含む。●いじめ
人種、性別、肌の色、宗教、出身国、性指向、ジェンダー規範に基づく虐待的、威圧的なふるまい。●歓迎されない身体接触
求められない接触、キス、脅し、求められない性的接触のシミュレーション。●ポルノグラフィー
掲示板、ロッカー、職場やロッカールームのいかなる場所にもポルノグラフィーを掲示すること、また、同僚、選手らに郵便、電子メール、テキスト、ソーシャルメディアやその他の方法で送ることは受け入れられない。
これらの行動規範でも、具体的なことを事細かく示しているわけではないため、挨拶としてのハグが「求められない接触」にカテゴライズされるのはどのようなケースか、などのグレーゾーンはあるだろう。それでも、これをMLBで働く全ての人に対して告知していることで、「知らなかった」という事態はある程度は防ぐことができる。誰かが一方的に堅苦しさを押し付けられるのではなく、そこで働く全ての人が不快な思いを強いられないようするためのものであることがポイントだろう。
つい最近まで“ホモソーシャル”な職場だったMLB
スポーツは身体的な違いから男女に分かれて競い合う。人種、出身国の違いという壁を破ってきたMLBでさえ、まだ、女性の選手は誕生していない。
前述したような規範を持つMLBは、つい最近までは男ばかりで構成された「ホモソーシャル」な職場だった。「ホモソーシャル」とは同性間の結びつきや関係性を意味する用語で、例えば“男同士の絆”などで表現される関係性だ。男の友情はかっこいいものだが、「ホモソーシャル」は女性蔑視と男性の同性愛者嫌悪も含んでいる。
例えば、男性ばかりの集団になると(女性ばかりの集団にも当てはまるだろうが)、性的な話題、いわゆる下ネタや猥談になることがある。かつては、男性しかいないロッカールームの内輪でのやりとりとしてそんな会話をすることがあったのだろう。これまでプロスポーツでは、同性愛者であることを公表するのは難しいとされていたが、これも「ホモソーシャル集団」は、同性愛者を嫌悪するからだと思われる。
けれども、今、MLBのロッカールームは男性ばかりの職場ではなくなった。アスレチックトレーナーや球団職員にも女性がいるし、我々のような報道関係者にも女性がいる。多様な人間の職場になったことで、猥談で女性や同性愛者をからかうことや、ロッカーにポルノ写真を張ることは許容できない言動になった。
(今も、ロッカールームは着替えの場所であることに変わりはない。選手の男性の家族、息子などは入室できても、選手の女性の家族である妻や母は入室できない。スタッフやメディアが性別に関係なく入室しているのは、性別に関係なく仕事を遂行するためである)
また、MLBでは新人の通過儀礼として、先輩選手たちがルーキーに仮装をさせてきたが、人種や性別を揶揄するものは禁止された。例えば、新人選手に女装を強要することはできなくなった。お楽しみが奪われたか、というとそうではない。選手たちはスーパーヒーローなどハラスメントや差別に抵触しない仮装をうまく選ぶという賢さで対応した。
セクハラの根底には、権力を背景にしたパワハラがある
セクシャル・ハラスメントの被害に遭うのは、より立場の低い女性、低給与の女性ほど多いというデータがある。セクシャル・ハラスメントといっても、地位の上下を背景にしたパワー・ハラスメントであり、ハラスメントのやり口が性的ないやがらせであるということだろう。
最近では、カリフォルニア大のアメリカンフットボール部で、メディカルスタッフのインターンとして働いていた女性が、コーチの一人に「性交渉を持たなければ、解雇する」と言われたとして告発した。
米国では、選手とコーチ間でセクシャル・ハラスメントが起こった場合には、競技団体の管理者に、学校であればアスレチック・デパートメントに通報することが一般的だ。スポーツ施設には通報先の電話番号やメールアドレスも掲示されている。調査後、悪質なものはコーチに対して除籍処分を科したり、再教育プログラムを受けるよう求めている。被害者が訴訟を起こし、裁判で決着をつけているものもある。
調査といっても、密室での言葉やふるまいを証明することは難しい。通報しても、権力のある側を守ろうとする力が働くこともある。あるいは、告発したとしても、日本でも米国でも、ハラスメントされた側の思い過ごしとされたり、性的暴行のような明らかな犯罪でない場合は、騒ぎ立てるべきではないと考えたりする人たちもいる。
前述したMLB機構では、セクシャル・ハラスメントに対して、ゼロ・トレランス方式を採り、軽微な起違反であっても、厳しく罰するとしている。ただし、テキサス大学アーリントン校のクイック博士は、対応次第ではゼロ・トレランス方式が裏目に出るリスクがあるともしている。
なぜなら、ハラスメントした側が調査のやり方が公平ではないと感じることや、被害に遭った人が加害者の失職という厳罰までは望んでいないことで、報告を控える可能性があるからだという。“両者の言い分を丁寧に聞かなければいけない”としているが、現実的には、とても難しいプロセスだとも思う。
米国の心理学者、クリス・キルマーティンは、効果的なのはカルチャーを変えていくことだとしている。全ての従業員、職員を尊重する文化を築くことにより、権力を使い他人をコントロールしようとする問題をなくしていこうと説き、性的なハラスメントだけでなく、パワー・ハラスメントや差別全般の防止を目指している。スポーツにおける体罰も、セクシャル・ハラスメントも、時間はかかってもカルチャーを変えていくことが必要なのだろう。
追伸
米国は日本に比べてセクシャル・ハラスメントの対策が進んでいると思う。しかし、飲食店の地下室で行われている18歳以下禁止のライブのコメディショーでは、裏舞台も垣間見えた。そこでは、ちょっとした猥談や下ネタがされているのだ。「どこからどこまでがセクシャル・ハラスメントか」、演者と客の合意により、職場や学校、スポーツの場とは違う線引きがなされているようだった。
<了>
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