須﨑優衣、レスリング世界女王の強さを築いた家族との原体験。「子供達との時間を一番大事にした」父の記憶
パリ五輪でメダルが期待されるトップアスリートたち。過去にもメダリストを多く出している女子レスリングは、今大会は「全階級でメダルを狙える」と期待されている。その中でも、2大会連続の「金」という偉業に挑むのが、レスリング女子50kg級の須﨑優衣(株式会社キッツ所属)だ。強力なライバルとの代表争いを経て出場した東京大会では、開会式で日本選手団の旗手を担当。4試合すべてで1ポイントも失うことなく、テクニカルフォール勝ちの圧倒的な強さで頂点に上り詰めた。相手を寄せ付けないその攻撃的なレスリングのルーツを辿ると、自身も選手だった父・康弘さんと過ごした幼少期にいきつく。康弘さんは娘の成長をどのように支え、母・和代さんはどのように見守ったのだろうか。25歳の女王をもっとも近くでサポートしてきた4歳年上の姉・麻衣さんにも話を聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=須﨑家)
相撲がきっかけでレスリングの道へ「家族で仲良く楽しみたい」
――須﨑優衣選手はお姉さんの麻衣さんと、康弘さんがコーチを務める地元の松戸ジュニアレスリングクラブでレスリングを始められたそうですが、2人をレスリングの道に導いたきっかけは何だったのですか?
康弘:私がコーチをやっていたこともあり、子どもが生まれたらレスリングをやらせたいな、という希望がありました。それで、姉の麻衣が幼稚園の時に一度レスリングクラブに連れて行ったんですが、その後、私の仕事の関係で一時期、離れたんです。それからまたしばらくして、家族で海水浴に行った際に、知り合いの学校の先生の家族にばったり会ったんです。その先生はレスリング仲間だったので、同学年の子どもたちと海辺でお相撲をとらせてみたら、なかなかいい動きをしていて。それで、友人の先生が「優衣ちゃんレスリングをやればいいんじゃない?」と言われたんです。本人もその気になったみたいで、「私もレスリングに行ってみたい」と言ってくれたので、お姉ちゃんと一緒に連れて行ったのが最初でした。
――優衣さんは今は大相撲が大好きで、東京五輪後に金メダルのご褒美として、土俵近くの砂かぶり席で大相撲を見たそうですね。小さい頃から家族で見に行く機会があったのですか?
康弘:そうなんです。中央大学の相撲部の監督をやっていた羽瀬重幸さんという方とたまたま知り合いで、その方が武蔵川部屋と懇意にされていたので、餅つき大会の時に子どもたちを招待してくれて、それが相撲が好きになったきっかけです。その後に、両国国技館で大相撲があると何度か連れて行きました。
――麻衣さんも大相撲を見るのは好きだったんですか?
麻衣:そうですね。お相撲を見に行った時に、国技館でご飯を食べたり、力士の方たちを近くで見ることができたので、非日常の感じがすごく楽しかったのを覚えています。
4歳差の姉の背中を追って、物おじしない性格に
――康弘さんと和代さんから見て、麻衣さんと優衣さんの性格の違いはどんなふうに捉えていたのですか?
康弘:麻衣は、優衣と比べてどちらかというとおっとりしている感じです。優衣が4歳下だったので、小さい頃は麻衣が幼稚園で遠足などに行くときも一緒について行って、いつも年上の子たちと一緒に遊んでいて、優衣は何事にも物おじしない子でした。お相撲の餅つき大会に行っても、麻衣は裸のお相撲さんと一緒に餅つきするのをちょっと恥ずかしがったんですけど、優衣の方は全然気にすることなく一緒に餅つきをやったり、お相撲さんと遊んだりしていましたね。
和代:常に4つ上の姉とその友達とかと遊んでいたので、知らず知らずのうちに、対等に一生懸命、ついていこうとしていたんだと思います。
――レスリングの他にピアノや水泳も習っていたそうですね。麻衣さんも一緒に習っていたのですか?
麻衣:はい、一緒に習っていました。私はどちらかといえば水泳の方が好きでしたけど、優衣は本当にレスリングが好きで、夢中でしたね。私は、レスリングの練習をどうやって休むかを考えたりしていたんですけど(笑)。優衣は休まず練習に行っていましたし、負けず嫌いなので、ずっとスパーリングに入っていた記憶があります。
――麻衣さんは、どのようなモチベーションでレスリングに取り組んでいたんですか?
麻衣:土日に練習に行っていたんですが、日曜日の練習終わりがちょうどお昼頃になるんです。それで、練習が終わった後に家族でお寿司を食べに行くのが本当に楽しくて、そのために練習に行ってたと言っても過言ではなかったです。「おいしいお寿司が食べれるから頑張ろうかな」みたいな。優衣も最初はそれが結構大きかったかもしれないですね。今でも、そのお寿司屋さんには通っています。
――家族の時間を今も大切にしているんですね。姉妹喧嘩はほとんどしなかったんですか?
麻衣:小さい頃は多分本当にしょうもないことで喧嘩したこともあるんですけど(苦笑)、優衣が中学校に入ってくらいからは、ほぼしていないと思います。私自身が妹のことを尊敬していますし、お互いに尊重できている部分は大きいと思います。
――和代さんから見て、須﨑家の仲の良さの秘訣は、何だと思いますか?
和代:挙げるとすれば、頑張っている優衣の存在はやっぱり大きいんじゃないかと思います。
小学生時代の指導が攻めのレスリングの原点に
――優衣さんと麻衣さんの運動神経の良さは、和代さんと康弘さんから引き継いだ部分もあるんでしょうか。
康弘:僕は割と運動神経は良いほうでしたけど、お母さんはどうだった?
和代:私は悪くはなかったのですが、クラスや学年でちょっと足が速いほうとか、そんなレベルで、トップレベルでやっていたわけではないです。2人に関しては後から身につけたものも大きいと思います。
――小さい頃からレスリングをやることで、子どもたちの運動神経や成長にもいい影響があるのですか?
康弘:ありますよ。子どもの頃は神経系が発達するので、筋力トレーニングをするよりは、マット運動とかランニング、縄跳びなど、あらゆる運動に共通するような全体的な体の動きを鍛えることができるので、レスリングをやめてから他の競技に移るにしても、非常にいい基礎運動ができると思います。
――全身運動で動きのバランスが良くなるのですね。優衣さんは最初から競技志向だったのですか?
康弘:最初は違いました。子どもたちの中には全国チャンピオンや千葉県のチャンピオンを目指す子もいたんですが、麻衣と優衣に関しては「家族で仲良くレスリングを楽しめたらいいな」という感じで教えていたので、遊びの延長で続けて、本人が好きになれば本格的に教えていこうかな、というぐらいに考えていました。
――スピードに乗ったタックルや投げ技、寝技など、多彩で攻撃的なレスリングの基礎もその頃に培われたのでしょうか?
康弘:優衣は、腕や足がもともと細かったんですが、体幹はかなり強くてしっかりしていたので、基本的な腕立てや腹筋、背筋はしっかりやらせていました。普段は練習で厳しいことはあまり言わなかったですし、自分から前に出ていく試合は負けても勝っても褒めていたんですが、後ろに下がって逃げるような試合をした時は少し叱りましたね。それが、今のレスリングにつながっている部分はあるかなと思います。
――和代さんはレスリングに真剣に取り組む優衣選手をどんなふうに見ていたんですか?
和代:レスリングは体力作りにいいと思っていましたが、オリンピックに出させる選手にしようとか、出てほしいとかはまったく、考えたこともなかったです。小学校1、2年生の頃は男女一緒に組まれることが多く、その頃はほとんど勝ったことがなかったですね。3年生からは女子の部になるんですけど、そこから試合もできるようになって、勝てるようになっていくのを頼もしく見ていましたね。
「子どもたちとの時間を大切に」。“勝負飯”は餃子と天ぷら
――康弘さんは会社を経営しながら子どもたちの指導もする中で、麻衣さんと優衣さんと向き合う時間はどのぐらいあったのですか?
康弘:いつも、子どもたちとの時間を一番大事にしていたので、仕事にも支障が出ないように調整しながら、仕事は後回しという感じで、子どもたちとの時間を作っていました。
――和代さんはどんなふうに2人をサポートしていたのですか?
和代:そうですね。私も子どもたちを最優先にしていたので、レスリングへの送迎とか、ご飯を作ったりしていました。送迎は車で、片道30分くらいの往復でした。どの家庭でも普通にやっていたことを普通にやっていただけなので、サポートというほどではないんですけれどね。
――積み重なれば大変なことだと思います。レスリングの時に必ず食べるメニューはあったんですか?
和代:外の食事だとお寿司が好きでしたけど、家庭の食事で本人からよくリクエストされるのは、餃子とさつまいもの天ぷらでした。
――エネルギーがつきそうですね! 麻衣さんも早稲田大学レスリング部出身ですが、優衣さんが体づくりのことなどを本格的に意識するようになったのはいつ頃だったんですか?
麻衣:体を大きくしようと意識し始めたのは、高校生の時にシニアの階級に出るようになってからだと思います。当時は48キロ級だったんですが、初めて出た時はやっぱりどうしても周りと比べたら体が小さくて細かったので、「筋力をつけなきゃ戦えない」ということで、次の大会では一回り大きくなって臨んでいた記憶があります。
【連載後編】レスリング女王・須﨑優衣「一番へのこだわり」と勝負強さの原点。家族とともに乗り越えた“最大の逆境”と五輪連覇への道
<了>
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[PROFILE]
須﨑優衣(すさき・ゆい)
1999年6月30日生まれ、千葉県出身。女子レスリング選手(50kg級)。株式会社キッツ所属。早稲田大レスリング部だった父の影響で、小学校1年生の時にレスリングを始め、小学3年生の時には全国少年少女選手権で優勝。2014年(中学3年生)の国際デビュー以来、これまで海外選手に94戦無敗、国際大会は24大会連続優勝と、勝利を続けている。リオデジャネイロ五輪金メダリストの登坂絵莉など強力なライバルとの代表争いを経て出場した東京大会では、八村塁とともに日本選手団の旗手を担当。4試合すべてで1ポイントも失うことなくテクニカルフォール勝ちをし、金メダルを獲得した。UWW(世界レスリング連合)世界ランキングは1位(2024年7月現在)で、パリ五輪では連覇に期待がかかる。
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