性的虐待が深刻化する米国スポーツ 未成年含む150人以上への犯罪はなぜ防げなかったか?

Education
2019.06.12

2018年1月、米国スポーツ界を震撼させた非道な犯罪者に、最長で175年の禁錮刑を言い渡された。米国体操連盟の元ドクター、ラリー・ナサールが未成年を含む150人以上に対して性的虐待を加え、米国で大々的に報じられたこのスキャンダルは、なぜ防ぐことができなかったのか? なぜもっと早く見つけることができなかったのか? 日本スポーツ界にとっても決して対岸の火事ではないこの問題について考察したい。

(文=谷口輝世子、写真=Getty Images)

米国体操連盟の元ドクターによる類を見ない非道なスキャンダル

米国体操連盟の元ドクター、ラリー・ナサールが、長年にわたって多くの選手たちに性的虐待を繰り返してきた事件は、米スポーツ史に大きな汚点を残す衝撃的なスキャンダルだった。昨年1月の裁判では被害に遭った150人以上が証言。ラサールは40年から175年の禁錮刑が言い渡された。

ナサールはミシガン州立大学にも勤務しており、この大学の体操部員らに対しても、ドクターという立場を利用して、性的虐待を犯してきた。ミシガン州立大学で被害に遭った学生の一人は、体操部のコーチに報告。しかし、体操部のコーチは、学生側の勘違いではないかとして適切な対応をしていなかった。別の学生は、運動部のメディカルスタッフに性的虐待を訴えたが、これも学内で定められていた手順を踏んでおらず、報告がなされていなかった。2005年に大学長に就任したルー・アナ・サイモンは、2018年に辞任。現在は、警察の捜査に対して偽証した罪で起訴されている。大学は何度もナサールの罪を問う機会がありながら、毅然とした姿勢を貫くことができなかった。ミシガン州立大学は300人を超える被害者に5億ドル(約550億円)を支払うことなどで和解した。

なぜ性的虐待は見つけるのが難しいのか?

小児性愛者で性的虐待をする人は「良い人」の顔をしているのが特徴だという。ナサールは優れたドクターでとても「良い人」という評判だった。子どもや若い人の信頼を得ることからはじめ、手なずける。ターゲットにした子どもや若い選手だけでなく、組織、コミュニティー全体から信頼を得られるように仮面を被っている。

ナサールはいったん信頼を勝ち取ると、性的虐待を虐待であると疑わせずに、治療の一環であると信じ込ませるような手口も使っていた。治療と称して女子選手の膣に指を挿入していたが、たとえ、保護者が同席している時であっても、保護者からは直接的に見えないようにしながらも、同じ行為をしたという。性行為の経験が全くなく、知識もない小学生ならば、虐待をされているとうまく言葉にできないまま、おかしいと感じる自分がおかしいのだ、と考えてしまうかもしれない。

ただでさえ、性的虐待を外から見つけるのは難しい。家庭内で起こる虐待は外から見えにくく、介入が困難だとされている。近年では、医療従事者や学校の教員、近くの住民に疑わしいと感じたら通報を、と呼び掛けている。保護者から暴力を受けていて、体にあざがある、尋常でなく泣き叫ぶ声が聞こえる。食事を与えられずに、極端に痩せている、というようなことならば、家族以外の医療、教育、近所の人にも見つけようがある。しかし、家庭内の性的虐待は見えにくい。被害に遭っている本人が気付いて、外の誰かに訴えない限り、難しい。

スポーツでは、チームを家族、ファミリーに例えること、チームメートを兄弟、姉妹のようなものと表現することがある。結びつきや助け合いを示す素晴らしいイメージとして使われるが、家族のようなつながりが常にポジティブに働くとは限らない。見知らぬ不審者に性器を触られたと訴えることよりも、家族のように慕っているコーチやスタッフからの性的虐待を訴えるほうが、年若い子どもや選手たちにとってはより難しい。

さらにやっかいなのは、誰かに訴えたとしても、その誰かも大きな家族の一員、つまりスポーツ組織の一員であるということだ。前述したように組織内で多くの子どもや若い人に性的虐待をする犯罪者は人心掌握に優れており、その組織やコミュニティーの多くの人たちからすでに信頼を勝ち取ることに成功している。「ファミリー」のなかで力を持つ人間の悪事を、もみ消したり、黙認したりしようとする力が働く。ナサールの悪事が発覚したときのように、被害者たちが束にならないと、組織の外の人々にまでSOSは届かない。

ラリー・ナサールが長年にわたり、多くの体操選手に性的虐待をしていたことは、一人の極悪非道者の犯罪と思いたい。しかし、現実はそうではない。

体操界だけではない 夢を“人質”に悪用するシステマティックな問題

昨年4月、性的虐待された元エリートアスリートが米国上院小委員会で、ナサールだけでなく、他のスポーツの場でも性的虐待が起こっていると強く訴えた。体操の元米国五輪代表選手だったジョーディン・ウィーバーは「ようやく人々は私たちの話に耳を傾けるようになった。これは単にナサールだけの問題ではなく、もっと大きな問題なのです。システマティックな問題なのです」と言った。元フィギアスケートのクレイグ・マウリッチは、コーチに虐待をされていると通報したのは1990年代半ばのことだったにもかかわらず、そのコーチが指導停止処分になるまで20年を要したと発言した。

2017年11月17日のワシントンポスト電子版が報じたところによると、1982年から2017年までに、米オリンピックに関わるコーチ、公的な関係者の290人以上が性的虐待をしていた。性的虐待があった種目は15にも及ぶという。この数字はワシントンポストが過去の記事や裁判所の記録、各団体の処分など、すでに公になっている性的虐待の事例から導き出されたものだ。何らかの記録にも残されず、闇に葬られた性的虐待も含めたら、さらに多い数字になることは容易に推測できる。

前述したように、性的虐待を繰り返す人間は、子どもたちを手なずけるのがうまい。オリンピアンやエリートアスリートに対しては、オリンピックで金メダルを獲得したい、オリンピックに出場したいという彼らの夢を“人質に取って”うまく操る。もしも、テニスなどのプロスポーツ選手とコーチの間で起ったことならば、そのプロスポーツ選手はコーチを変えることができるだろう。プロのチームスポーツならば、移籍を願い出ることもできるかもしれない。しかし、オリンピアンにとっては、オリンピック出場や金メダルを追いかけながら、各競技団体のコーチやドクターから逃れることは、簡単なことではない。これは、スポーツに限らず、エンターテインメントの芸能界でも同じこと。その人間に従うことでしか、夢をかなえられないという状況ならば、それを悪用する人間が出てくる。

機能しなかった通報システム どうすれば性的虐待を防げるか?

どうすれば、性的虐待を防ぐことができるのか。米国にはセーフスポーツと呼ばれる通報システムがある。しかし、ナサール事件の被害者がこれほど多くなってしまったのは、セーフスポーツが機能していなかったからだ。このスキャンダルの後、通報システムが強化されたが、それだけで解決できるかどうかは心もとない。採用時に小児性愛者かどうかを調べる方法も提案されているが、これもあまりいき過ぎると逆に応募者の人権を侵害することになるだろう。

皮肉なことだが、ミシガン州立大学や米国体操連盟が被害者に支払うことになった和解金の金額が役立つようにも思える。

先に述べたようにミシガン州立大学は300人を超える被害者に計5億ドル(約550億円)を支払うことで和解が成立した。大学はハラスメントなどの訴訟に備えて保険に加入している。しかし、米国の複数のメディアなどによると、今回の5億ドルの和解金には保険が適用されない見通しだという。保険会社が支払いを拒否した理由の一つは、大学がナサールの性的虐待の訴えを知ったときに、適切な内部調査をせず、警察にも正確な報告を怠ったというもの。昨年末には、米国体操連盟が破産申請をした。見なかったふりのツケは、組織の社会的評価だけでなく、経済的にも壊滅的な状況を招く。私は米国の保険会社には、あまり良い印象を持っていないが、今回ばかりは保険会社の支払い拒否が、虐待防止と通報システムに良い影響をもたらしてくれるのではないか、と思う。

<了>

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