大迫敬介は決して挫けない 「日本代表4失点デビュー」からの覚醒なるか
「メンタリティーが最大のストロング」「シュートストップが秀でている」「エアバトルでは日本人GKトップクラス」。経験豊富な指導者たちが高く評価する大迫敬介という存在は、“GK王国”サンフレッチェ広島が作り上げた伝統と、その中で“覚悟”を持ってトレーニングに明け暮れた大迫本人の努力によって培われたものだった。
(文=中野和也)
見届けたサポーターわずか2570人の“運命の転機”
ヒーローが誕生した瞬間とは、映画のように劇的ではない。
例えばプロ野球隆盛の引き金を引いたミスター・プロ野球=長嶋茂雄のデビューは4打席4三振。相手が日本唯一の400勝投手である金田正一だったとはいえ、その瞬間こそ「ヒーロー誕生」だとは誰も思うまい。ゴールデンボーイと呼ばれた神宮の星とはいえ、プロでは通用しない。そんな感想しかなかったはずだ。だが、今やこの試合は伝説となった。
例えば王貞治の一本足打法が初めてお披露目された試合でも、メディアは新打法に全く注目していない。イチローの振り子打法にしても同様だ。サッカーにおいても、久保建英のような少年時代から全国的な注目を集めてきた選手はともかくとして、中田英寿の平塚でのデビュー戦を覚えている人がどれほどいるか。日本代表での初めての試合は多くの人の記憶にあっても、だ。
高校時代は全国的に全く無名だった久保竜彦のデビューゴールは1996年10月2日の対セレッソ大阪戦だった。途中出場からの鮮烈な2得点は、野獣そのものである身体能力でしか為し得ないクオリティ。サポーターだけでなく選手をも熱狂させ、着ていたユニフォームをスタンドに次々と投げ入れるという状況も発生させた。だが、その興奮を体験したのは、5382人。リーグ14位と15位の対決は注目度も低く、この試合がのちの日本代表FWを、チェコとのアウェイ戦で強烈なゴールを叩きだす圧巻のストライカーを生み出したなどと考える向きは、ほとんどなかった。
大迫敬介が、中田英寿や久保竜彦のようになるかどうかは、わからない。しかし、もし彼が日本の歴史にその名を刻むヒーローとなったならば、その運命の転換日は2019年2月19日となるだろう。舞台はAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のプレーオフ、場所は広島広域公園陸上競技場。見届けたサポーターは、わずか2570人にすぎない。
負けたら終わり。たとえスタンドは寂しくても、厳しい緊張感は選手たちを包んだ。それは試合前日、「緊張はないですよ」と笑顔を見せていた大迫も例外ではない。チームとしても絶対に負けられないが、大迫敬介個人としても絶対に結果を出したい理由があった。その現実が彼の身体を緊迫感で包んだ。
「練習しかなかった。練習、練習、練習」
2018年、ルーキーイヤー。それはこれまで試合に出るのが当然だった少年にとって、初めて味わう屈辱の日々だった。試合に出られない。それだけではなく、紅白戦もトレーニングマッチも出場できない。11対11の紅白戦で選手たちが火花を散らしている頃、年代別代表でも飛び級を果たしていたほどの逸材は、別のコートで加藤寿一GKコーチのキックに立ち向かう。何本も、何十本も、とにかくシュートを受けまくった。
「僕には練習しかなかった。練習、練習、練習。僕の毎日は練習しかなかった」
やれることは何でもやった。ボールを受けに受けた。池田誠剛フィジカルコーチに師事し、全体練習後の「誠剛塾」で肉体を鍛えあげた。身体はみるみる大きくなり、力強さも高校時代とは別人。しかし、チャンスはなかった。
広島は今も昔もGK王国である。J開幕初頭、ステージ優勝を飾った時の守護神は日本代表の前川和也だが、彼がケガしたあとに何事もなかったかのように守りきり、優勝を果たしたジュビロ磐田戦でもゴールマウスに立っていたのは河野和正だ。現在も林卓人という絶対的な守護神を中心に、岡山で圧倒的な力を見せ付けていた中林洋次もいる。2006年のAFC U-16選手権でゴールマウスを守り、城福浩監督と共に優勝を果たしたひたむきな努力家・廣永遼太郎もいる。彼らのような実力者を簡単に凌げるほど、甘くはない。
実際、「彼を使うべきだ」という声は挙がらなかった。時折使われた紅白戦でもトレーニングマッチでも失点を重ね、ミスも目立った。ハイボールを後ろにそらしたり、判断ミスを犯したり。広島ユース時代に見せていた堂々たる空気感は、失われていた。
「自分の実力はわかっている。今は我慢して日々トレーニングに励むしかないです。ただ、試合に出ないことで(実戦の)感覚が戻っていない。試合に出ても違和感を感じる。難しい。日頃の練習から先輩のGK以上に(実戦を)意識しないと、追いつけないのかもしれない」
昨年の夏、彼はポツリと声を落とした。
厳しい現実。生まれる焦り
同世代のGKではまぎれもなくトップランナー。昨年もU-19日本代表の一員として、ロシアワールドカップ日本代表のトレーニングパートナーにも選出されている。しかし、彼よりも下の世代である谷晃生がルヴァンカップの広島対ガンバ大阪戦に出場している姿を目の当たりにした時、心の底から沸き上がる感情を抑えることができなかった。
「悔しかった。(谷とはU-19)代表で一緒にやっているからこそ、負けたくない。向こうは試合に出ている。刺激的だし、意識せざるをえない。現実的に考えれば、(Jリーグの)試合に絡んでいる選手が、五輪や代表には呼ばれるもの」
現実は厳しい。一時期はレギュラーをつかんでいたU-19日本代表だったが、U-20ワールドカップの予選であるAFC U-19選手権では、2番手〜3番手扱い。ピッチに立ったのはグループステージ突破が決まったあとのイラク戦だけ。スーパーセーブを見せて活躍しても、序列が変わることはない。ゴールマウスに立ち続けたのは谷であり、準決勝では同期の若原智哉(京都)だった。
試合出場経験を積むべきだと、他チームへの移籍を薦める声がなかったわけではない。ポテンシャルは疑いない。実戦感覚を積みさえすれば……。
谷の活躍を目の当たりにした直後、大迫に正直な気持ちを聞いたことがある。
「確かに移籍して試合を経験するのも一つの形だとは思うんです。でもまずは、このチームでしっかりとやっていきたい。ポジションを奪えるように日々練習するのが、今の自分に求められていることだと思うから。東京五輪を一つの目標にするのであれば、あと2年しかない。その2年で自分自身で何か大きな変化を生み出して、試合に出られるように頑張ろうと思っているんです」
彼の目の前にそびえ立っていた林卓人も実は、ルーキー時代には下田崇の圧倒的存在の前に苦しみ抜いていた。大迫と違って高校時代から注目されていたわけではないが、絶対的なスケール感は18歳の頃から際立っていた。しかし、日本代表として川口能活や楢崎正剛と競い合っていた下田の実力ははるかに上。
乗り越えるためにはトレーニングしかない。今や語り草となっている林のハードトレーニングは、顔中が汗と泥と芝にまみれ、クラブハウスに戻る時も息が途切れ途切れになるほど。その伝説を耳にした大迫もまた、同じように練習にまみれた。林からも若い頃の練習逸話を聞き、さらに気持ちをかき立たせた。「卓人さん以上にやらないと、ポジションをとれない」と頑なに信じて。
転機をたぐり寄せた“紛れもないスーパーセーブ”
2019年2月19日に話を戻そう。
勝利しか許されない試合、城福浩監督がなぜ、昨年は一度も起用しなかった若者をピッチに立たせたのか。確かに林卓人は故障で出遅れてはいたが、中林洋次も廣永遼太郎もいる。なのに指揮官はあえて、大迫を指名した。
相手がタイのチェンライ・ユナイテッド。実力差はある。大器をここで試そうとしたのか。それとも新任の澤村公康GKコーチの進言か。いや、澤村コーチは常々、「自分の仕事は序列をつくることではなく、誰が指名されてもやれる準備を整えること」と言っている。決断はいつも、監督が下す。
「今年は実績とか将来性とか、そういうことには関係なく、自分の目で見たものだけを信じて、起用を決める」
城福監督はシーズン当初から、この言葉を繰り返していた。つまり、大迫を選択したのも、彼がやれると確信したからこそであって、若いからとか可能性とかではない。
「大迫のシュートストップが秀でていることは昨年から感じていた。もちろん、課題はありますが、試合に出ないと身につかないものがありますから」
評価は常にプラスとマイナス。指揮官の中では大迫の「シュートストップ」というプラスが経験値というマイナスを上回ったからこそ、試合に使う、ただ、それだけのこと。それが2019年の広島であり、だからこそ松本泰志や吉野恭平、荒木隼人らの若者が躊躇なく起用される理由でもある。
試合前日、「緊張はない」と語った若者だったが、前泊の朝、ホテルで目覚めた時には身体と心が固くなっていることに気づいた。大丈夫、大丈夫。自分に言い聞かせた。
3000人に満たないスタンドでも、普段はサポーターのいない中でトレーニングを続けていた彼にとっては、声援が嬉しかった。自分の名前が呼ばれた時は鳥肌も立った。シュートがほとんど飛んでこない試合展開にも焦れることはなかった。
「心配はもちろん、僕の中にはありました」
ユースの頃から彼を見つめていた加藤寿一GKコーチは言う。
「ハイボールに被ったシーンがあったのですが、そのタイミングで前に出るかと、ドキッとしましたね。ただあいつは失敗してもメンタルは変わらない。前向きだし、チャレンジできる。そのメンタリティーがサコ(大迫)の最大のストロングだと思います」
82分、なんでもないロングボールが自陣に打ち込まれた。チェンライのエース・ジムがボールを受ける。ボールを運ぶ。問題は感じなかった。だが、ルーキーの荒木隼人が処理を誤り、ビルに裏をとられてしまった。
大迫はまず、良いポジションをとった。相手とゴールを結ぶ直線上に立ち、近すぎず、遠すぎず。ボールを運んできたブラジル人ストライカーにプレッシャーをかける。
「無理な体勢でもシュートを打ってくる」
予測した。準備した。わずかな時間しかないが、メンタルもフィジカルも、そしてタクティクスも研ぎ澄まし、最善の準備を整える。
右足を振り抜いた。想定どおりコースはニア。しかし厳しい。スピードもある。
外れた。その時は、そう感じた。しかし、映像で見返すとシュートは間違いなく枠に飛んでいた。そのボールを大迫の右手指がわずかに弾いてコースを変え、枠の外に弾き出ていた。紛れもないスーパーセーブ。「シュートストップに優れている」という指揮官の期待に若者は見事に応えた。
もしこのシュートが決まっていたら、時間帯から考えてもそのまま敗れた可能性が高い。実際、試合はそのまま延長PKまでもつれた。疲労を重ねたチェンライの選手がPKで失敗を連発して勝利を得たが、それも大迫がキックごとに相手に圧力をかけた賜物。18歳の若者の活躍がなければ、広島のACL本戦出場も、ラウンド16進出もなかった。彼個人を考えても、ここで敗れていれば開幕戦出場も危うかったし、そうなれば日本代表選出もなかっただろうし、彼を取り巻く光景は全く違うものとなったはずである。
「思いっきり失敗して痛い目に遭うことも、若い時には必要」
「エアバトルでは日本人GKの中ではトップクラスにある」
澤村GKコーチの大迫に対する評価である。実際、Jリーグでは空中戦をほぼキャッチで処理。クリアは1本か2本しかない。「キャッチは自分にとっては習慣であり、特別に意識していることではない」と大迫は笑うが、それが新世代の常識なのか。ACL広州恒大戦でクロスを何本供給されても平然と掴み、「ああいう攻撃は僕を気持ちよくさせるだけ」と笑っていた。キックもロングスローもいいし、足下もある。何より、ミスをしても表情を変えないメンタルの強さもいい。才能に疑いなし。「コツコツと努力できる」(加藤コーチ)キャラクターも成長を期待させる。
「ウチのGKチームはレベルが高い。ウチの中で試合に絡むことができれば、その先が見えるだろうなとはずっと思っていた」
足立修強化部長は言う。
「林卓人をはじめとすめウチのGKがストイックにやる姿に対して、それではダメだと思って、練習からいいものをつくっていた。決して下を向かないという武器もある。まだまだ足りないところはありますよ。経験もそうだし、テクニカルな部分もそう。でも、ACLのプレーオフと今とを比べると、全然違う。自信が違う。
アイツはそんなことはないと思うけれど、少しでも気を緩めて代表から帰ってきたら、間違いなくウチでは試合に出られない。だからこそ、コパ・アメリカでグウの根も出ないくらいの厳しさとか世界との差とかを感じてほしいですね。思いっきり失敗して痛い目に遭うことも、若い時には必要だから」
コパ・アメリカ初戦、大迫は4失点。Jリーグでの彼を見ているからこそ、1失点目の判断はらしくなかった。2点目もDFに当たったとはいえ、大迫であれば事前の準備を研ぎ澄ませて何とかできたのではないかという想いは消えない。3失点目もビューティフルゴールだったが、何もできなかったか。4失点目、PA外に飛び出した判断は是か非か。
「どんなシュートでも無理だというものはない」
林卓人の言葉であるが、その思想は大迫も受け継いでいる。屈辱をエネルギーに変えてくれる若者であることは、広島で誰も見ていない中で行なった泥だらけのトレーニングの日々が証明している。冒頭に書いたように長嶋茂雄が4打席4三振でスタートしたことがヒーロー伝説のスタートとなった。きっと大迫敬介も「日本代表4失点デビュー」がヒーロー覚醒の瞬間になると信じている。
<了>
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