「チェルシーは6億人のファンがいる」胸スポンサー“ヨコハマタイヤ”の価値とは?
神奈川県の横浜市創業のタイヤメーカー「横浜ゴム」は、イングランド・プレミアリーグの常勝チーム、チェルシーFCの胸スポンサー企業であり、チェルシーを活用した乗用車用タイヤ「ヨコハマタイヤ」のグローバルな認知向上に挑戦して成功を収めている。サッカーファンにとってはよく目にする馴染みの胸スポンサーだが、企業側はどのような意図を持って巨額の資金を投資しているのか。今回はそのマーケティング戦略について、チェルシータスクでリーダーを務める関口和義さんにお話をうかがった。
(インタビュー・構成=内藤秀明、インタビュー撮影=宮島紳、写真=Getty Images)
チェルシーの胸スポンサーになった経緯
昨今、ウェブ広告の急成長などもあり、国内外、多種多様なプロモーションが可能になりました。そんな中、横浜ゴムが「サッカーの胸スポンサー」という「広告」を選んだ理由はなんだったのでしょうか?
関口:我々は「世界の競合企業と対等に渡り合う」というミッションがありました。そしてそれを実現するにはチェルシーの胸スポンサーになることが一番良いという判断になりました。そもそもスポンサー契約前の時点で横浜ゴムは既に日本ではマーケットシェアは比較的獲得している状態で、すでにそれなりに認知されているメーカーだと言えると思います。ただし世界でのマーケットシェアは、3%程度。まだまだ認知されていない状況でした。私たちとしては、商品の、タイヤの品質には自信があるのですが、「良い商品なのに知られていないから買ってもらえていない」「新しいビジネスに繋がらない」という事態が起こっていたのです。そのためまずは海外市場での認知を上げることが重要だったのです。
マーケティングの中で一番最初のプロセスである認知に課題があったのですね。認知をとりにいく上でスポーツのスポンサーシップは有効であるとよく聞きますが、なぜ中でもサッカーだったのでしょうか?
関口:まず、サッカーが世界で最も人気のあるスポーツであることがあげられると思います。
また、例えばNBAなどは、最近になって選手着用のユニフォームに企業ロゴが付くようになったものの、一般売りのレプリカユニフォームにはロゴは付きません。
ただやっぱり身に着けるものに、企業ロゴがあったほうがより意識しますよね。
そういう意味では、消費者が手にするレプリカユニフォームにも企業ロゴを付けることができる。しかも十分な感情移入もできて共感が得られるスポーツという点でサッカーの、中でも最も露出の大きい胸スポンサーを検討するようになりました。
プレミアリーグを選んだ理由はその影響力の大きさでしょうか。
関口:プレミアリーグは、世界中でテレビ放映されてますからね。特にヨーロッパや中国を含むアジア諸国など、弊社が認知度を上げたい注力エリアでの人気が高いです。またアメリカにおいても4大スポーツと比べるとまだまだですが、若者の中で順調にサッカー人気が伸びています。つまり事実上、プレミアリーグのチームのスポンサーになるということは、全世界での認知向上を成し遂げることを意味します。
プレミアリーグの中でも選択肢はいくつかあったと思います。そんな中でチェルシーを選んだ理由をうかがえますか?
関口:正直に言うと、ちょうどサッカーの胸スポンサーを検討していたタイミングで、チェルシー側からお話が来たのが大きかったですね。余談なのですが、欧州のクラブから打診がある時って、実際に企業ロゴを入れたレプリカユニフォームが送られて来ることが多いんです。結構うれしいですよね(笑)。
それはシンプルに羨ましいですね! チェルシー以外にも打診はなかったのでしょうか。
関口:チェルシー以外からも打診はあったのですが、トレーニングキットとか袖スポンサーが中心で、胸スポンサーのオファーは少なかったですね。我々は胸スポンサーとして大きく宣伝できるクラブを探していたこともあり、他のクラブとは条件面で合致しませんでした。
ただ胸スポンサーの場合は、金額も巨額になります。横浜ゴムの場合だと、公表はされていませんが年間4000万ポンド(当時のレートで約73億円)と英メディア『BBC』では報道されています。これだけの金額だとさすがに社内では反対意見も出てきたのではないでしょうか。
関口:金額面については公表しておりませんが、いずれにしても大きな金額ですので、「我々規模の会社が担当できる大きさのスポンサー案件なのか」という意見は当然出てきました。ただし当時の上層部が、今思うと「英断」したことで、当時世界中でバラバラに行っていた広告宣伝活動をまとめて、チェルシーに集中する方向に決まりました。社内の人間ながら、決断してからはかなり速いスピードで物事が決まったと思います。最初にオファーが来たのは2014年の年末だったのですが、最終的に契約を結んだのが2015年の2月です。
これだけのビッグディールを、3カ月で決めるというのは、かなりのスピードですね。驚きです。
関口:本当にそうですよね。当時はちょうど我々の創立100周年を控えていたこともあり、ちょうど現状を見つめ直している時期でもありました。その中でもこれからの時代を乗り切っていく上で、「世界のシェアが3%以下でいいのか」という危機感が強かったんです。この危機感がこのスピード感を後押ししたのだと思います。
モータースポーツとサッカーにおけるスポンサーシップの違い
そんな中で関口さんがチェルシータスクのリーダーとして任命された背景をうかがえますか? 既にスポーツビジネスの分野に身をおいていたのでしょうか?
関口:スポーツビジネス/スポーツマーケティングという分野に分類できるかわかりませんが、モータースポーツに関わっていた期間が長いです。実際にモータースポーツの部署に所属したのは2年半程度なのですが、ドイツに7年間ほど駐在していたこともあり、その間に自動車による耐久レースである「ル・マン24時間レース」や「世界ツーリングカー選手権(WTCC)」などに関わっていました。
ではスポーツ関連の仕事は経験済みだったのですね。ちなみにモータースポーツと、チェルシーのスポンサーシップについて、大きく違う点は何なのでしょうか。
関口:モータースポーツにおいて我々はサプライヤーという立場でもあることでしょうか。具体的にはマシンのために安定した性能のあるタイヤを供給します。そのためサプライヤーの性能によって車の性能が変わりますし、常に安全と性能との闘いでもあります。そういう意味では、「実際に一緒になって闘っている」のがモータースポーツの特徴でしょうか。一方でサッカーは、単純な意味でスポンサーですので競技レベルまで我々は関われません。金額はサッカーのほうが大きいので、なおさら私としては歯がゆい時もあります。タイヤの性能が上がっても、チェルシーの勝敗に影響はありませんからね(笑)。
いきなりの10位転落。成績と連動する難しさ
勝敗の話が出てきましたが、成績によってさまざまな影響があるのではないのでしょうか。
関口:影響は大きいです。例えば、スポンサー締結後の最初の2015-2016シーズンは印象的でしたね。前シーズン、我々がスポンサーになる前に、見事チェルシーは優勝を果たしました。しかし我々がスポンサーになったとたんに10位に転落してしまったため、「ヨコハマタイヤの祟りだ!」とも言われてしまうこともありました。
ジョゼ・モウリーニョ監督のチェルシー3年目のシーズンですね。その後任にはフース・ヒディンク監督が就任し、シーズンをやり過ごすという、かなり苦しい時期でしたね。
関口:そうです。我々が契約を結んだ際、チェルシーはUEFAチャンピオンズリーグの常連でありプレミアリーグでも3位以内には入るのが普通でした。
その安定した戦績が契約した理由のうちの1つだったのですが、いきなり下位に転落したので胃が痛かったですね。いずれにしても当時はチームの成績に左右され、非常に難しいところでした。
とはいえ翌年にはアントニオ・コンテ監督がチェルシーに就任して、見事優勝を成し遂げました。
関口:そのシーズンは、イギリスでは勝つたびに「YOKOHAMA TYRES」のロゴが付いたチェルシーのユニフォームが週明けの新聞の一面に載るんです。我々の今までのマーケティングの規模では考えられない広告効果ですよ。もし新聞の一面に広告を出そうとしたら、そのコストは計り知れません。しかしチェルシーと協働することで比較的安価で、同等以上の広告効果が期待できるのです。テレビCMにも非常にお金がかかりますからね。チェルシーのおかげで毎日のようにテレビに企業ロゴを露出することが可能になりました。もちろんそれが彼らの売りであり、最初から理解していたことではあるのですが、そのメディアバリューの高さを体感するたびにこの仕事の面白さを感じました。
確かに単純にメディアに露出するという意味では、サッカーのスポンサーは非常に効果的な手段かもしれません。一方でスポンサーシップは、その広告効果を明確に証明することができないのが難しさでもあると思います。
関口:そうですね。テレビに10秒映ったから、何本タイヤが売れたかはわからないですからね。 効果計測についてはまだ議論の余地があるとは思いますが、我々は「認知度調査」を行なっています。これはスポンサー契約前から自分たちで毎年やっていました。車を持っている人向けに「ヨコハマタイヤを知っているかどうか」の調査なのですが、欧州やアジアではチェルシーとの施策を行う前までは認知度が40%程度でした。ただこれが施策後は20%上がって60%になった事例もあります。認知という面では確実に効果が出ています。
チェルシー側からの報告などもあるのでしょうか。
関口:実はチェルシーも認知度調査を実施してくれています。スポンサーに対するサービスの一環で、年2回行われます。我々も調査内で聞く質問事項を一緒に考えています。チェルシーがやっている調査は非常に面白く、ターゲットが一般の方とサッカーファン、さらにチェルシーファンとセグメントを切っています。しかもそれぞれのセグメントで競合他社と比べてくれます。すると、チェルシーファンの中ではトップブランドと同程度の90%以上の認知度が出ています。またサッカーファンの中でも数字は上がっていて、50%前後だったものが70%まで上昇しました。
認知度上昇の上がり幅が大きかった年次はいつなのでしょうか。
関口:今年ですかね。我々は世界のマーケットシェアでいうと第8位なのですが、2018年の夏のサッカーファンの中での認知度調査で初めて我々より上位のマーケットシェア2社の認知度を越えました。認知度は4年続けてきて徐々に伸び続けています。クラブが結果を残している影響も大きいですね。コンテ監督1年目に優勝して次の年にFAカップで優勝。今シーズンはUEFAヨーロッパリーグ優勝も成し遂げたので、8月の調査が楽しみですね。チェルシーファンは全世界で6億人いると聞いていますが、その影響力を強く感じています。その全員が車を持っているわけではありませんが、全員がヨコハマタイヤのファンになってくれれば将来的な売り上げにつながることになります。
チェルシーとの取り組みは5年契約であると思うのですが、常に同じ指標を評価基準に置いているのでしょうか。
関口:最初の3年間で認知度を上げることに重点を置きました。具体的には例えばプレーヤーアクセス権を使って、選手と共にビデオを作製し、そのビデオをSNSに流すことで拡散させて、認知を向上させました。ただ認知が進んだことで、4年目の去年から、認知の向上からタイヤの売り上げに繋げる方針でチェルシーと施策を推進しています。
具体的にはどのようなことをされているのでしょうか。
関口:例えばチェルシーのレジェンドであるディディエ・ドログバ氏にアンバサダーに就任してもらいました。昨年末に日本に来日したほか、ドログバ氏と共に合計6カ国を回り、セールスキャンペーンを行いました。日本以外の国ではドログバ氏が各国を訪れる前に、「タイヤ4本買うとボールやドログバさんのイベント招待券が貰える」などのキャンペーンを行っています。このような形で、チェルシーとの関係を売り上げにダイレクトに繋げる施策をやっと始めたところです。キャンペーンを行ったインド、ベトナム、マレーシア、フランス、スペインの5カ国ではかなりの売り上げ向上に成功しましたね。
日本でのチェルシーとの取り組みについて
日本でもドログバ氏の来日は盛り上がりましたね。
関口:そうですね。大盛り上がりでした。日本の取り組みでいうと、一昨年のフランク・ランパードさんの来日に続くものだったのですが、ファンの方々にも非常に喜んでいただけたと思います。
日本での取り組みでいうと、日本のチェルシーファンは10代、20代の若年層が多いですし、新卒採用などのリクルーティングにも効果があるのではないでしょうか。
関口:そうですね。リクルーティングにも効果はありました。現在は売り手市場ということもあり、優秀な学生に入社してもらうのは依然として難しいです。しかも我々の商材は「タイヤ」という学生の日常から遠いものであり、横浜ゴムという会社に興味を持っていただくことが難しく、私たちも自分たちのことを学生にとっての人気企業だとは思っていません。そこで、新卒採用のリクルート活動の一環であるインターンシップなどで、学生に課す課題をチェルシーに絡めたりすることで横浜ゴムに興味を持ってもらうように工夫しています。
具体的にはどのようなことを?
関口:横浜ゴムがなぜチェルシーと契約したか、という契約の経緯についてプレゼンをして、チェルシーが日本に来日した場合のプロモーション案の策定をグループスタディの課題にしました。
めちゃくちゃ面白そうですね。僕もやってみたいくらいです。
関口:結構楽しんでいただけたのではないかなと思います。その結果もあってかチェルシーをきっかけとして毎年数名は入社してくれるようになりました。採用の面でも効果が出るのは大きいですね。
採用広告もかなりの高額ですもんね……。新入社員のリクルーティングだけでなく、現社員のロイヤリティ向上などにも効果はあるのでしょうか。
関口:具体的な社内アンケートなどはとっていないのですが、「横浜ゴム」に愛着を感じる機会は増えたと思います。今までおそらく「横浜ゴム」あるいは「ヨコハマタイヤ」というロゴが付いたジャケットやTシャツを身に着けることはありませんでした。ただやっぱりチェルシーの選手たちが「ヨコハマタイヤ」のロゴを付けてプレーしているのを見ることで、社員の中でも企業ロゴに対する誇りが生まれたのではないかなと思います。
他にも社員に向けての還元などはあるのでしょうか。
関口:例えば、チェルシー対川崎フロンターレの試合では、自由席で試合観戦をしてもらい、試合後にスタジアム周りの掃除を行うボランティア活動を実施しようという企画があります。他にも社員のお子さん向けに、チェルシーアカデミーのイングランド人コーチから指導が受けられるサッカースクールも開催します。社員の士気向上、という意味でも今後も継続して行いたいものです。
日本以外の、熱狂的なチェルシーファンが多い東南アジアの支社などではさらに効果があるかもしれませんね。
関口:タイの弊社支社ではスポンサー契約後に離職率が減少したという事例が既に出ています。他にもタイにおける人気日系企業ランキングで、上位に進出することもできました。東南アジアでは効果は大きいですね。
<了>
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
卓球・カットマンは絶滅危惧種なのか? 佐藤瞳・橋本帆乃香ペアが世界の頂点へ。中国勢を連破した旋風と可能性
2024.12.03Opinion -
非エリート街道から世界トップ100へ。18年のプロテニス選手生活に終止符、伊藤竜馬が刻んだ開拓者魂
2024.12.02Career -
なぜ“史上最強”積水化学は負けたのか。新谷仁美が話すクイーンズ駅伝の敗因と、支える側の意思
2024.11.29Opinion -
FC今治、J2昇格の背景にある「理想と現実の相克」。服部監督が語る、岡田メソッドの進化が生んだ安定と覚醒
2024.11.29Opinion -
スポーツ組織のトップに求められるリーダー像とは? 常勝チームの共通点と「限られた予算で勝つ」セオリー
2024.11.29Business -
漫画人気はマイナー競技の発展には直結しない?「4年に一度の大会頼みは限界」国内スポーツ改革の現在地
2024.11.28Opinion -
高校サッカー選手権、強豪校ひしめく“死の組”を制するのは? 難題に挑む青森山田、東福岡らプレミア勢
2024.11.27Opinion -
スポーツ育成大国に見るスタンダードとゴールデンエイジ。専門家の見解は?「勝敗を気にするのは大人だけ」
2024.11.27Opinion -
「甲子園は5大会あっていい」プロホッケーコーチが指摘する育成界の課題。スポーツ文化発展に不可欠な競技構造改革
2024.11.26Opinion -
なぜザルツブルクから特別な若手選手が世界へ羽ばたくのか? ハーランドとのプレー比較が可能な育成環境とは
2024.11.26Technology -
驚きの共有空間「ピーススタジアム」を通して専門家が読み解く、長崎スタジアムシティの全貌
2024.11.26Technology -
なぜ大谷翔平はDH専念でもMVP満票選出を果たせたのか? ハードヒット率、バレル率が示す「結果」と「クオリティ」
2024.11.22Opinion
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
スポーツ組織のトップに求められるリーダー像とは? 常勝チームの共通点と「限られた予算で勝つ」セオリー
2024.11.29Business -
なぜイングランド女子サッカーは観客が増えているのか? スタジアム、ファン、グルメ…フットボール熱の舞台裏
2024.11.05Business -
アスリートを襲う破産の危機。横領問題で再燃した資金管理問題。「お金の勉強」で未来が変わる?
2024.10.18Business -
最大の不安は「引退後の仕事」。大学生になった金メダリスト髙木菜那がリスキリングで描く「まだ見えない」夢の先
2024.10.16Business -
浦和サポが呆気に取られてブーイングを忘れた伝説の企画「メーカブー誕生祭」。担当者が「間違っていた」と語った意外過ぎる理由
2024.09.04Business -
スポーツ界の課題と向き合い、世界一を目指すヴォレアス北海道。「試合会場でジャンクフードを食べるのは不健全」
2024.08.23Business -
バレーボール最速昇格成し遂げた“SVリーグの異端児”。旭川初のプロスポーツチーム・ヴォレアス北海道の挑戦
2024.08.22Business -
なぜ南米選手権、クラブW杯、北中米W杯がアメリカ開催となったのか? 現地専門家が語る米国の底力
2024.07.03Business -
ハワイがサッカー界の「ラストマーケット」? プロスポーツがない超人気観光地が秘める無限の可能性
2024.07.01Business -
「学校教育にとどまらない、無限の可能性を」スポーツ庁・室伏長官がオープンイノベーションを推進する理由
2024.03.25Business -
なぜDAZNは当時、次なる市場に日本を選んだのか? 当事者が語るJリーグの「DAZN元年」
2024.03.15Business -
Jリーグ開幕から20年を経て泥沼に陥った混迷時代。ビジネスマン村井満が必要とされた理由
2024.03.01Business