
水谷隼・伊藤美誠ペア「悲願の金メダル」を呼んだ“世界最高の1分間”。水谷の“本当のすごさ”とは?
東京五輪・卓球競技の混合ダブルス、決勝戦。最終ゲームまでもつれ込んだこの一戦は、水谷隼・伊藤美誠ペアが、最強中国の許昕・劉詩ブン(雨冠に文)ペアに勝ち、悲願の金メダルを獲得した。
印象的な勝負の分かれ目の一つとなった場面がある。第5ゲーム、非常に重要な“タイムアウト”と、その直後の一本は、オリンピック3日目にして早くも飛び出したといっても過言ではない「この夏、最高の瞬間」の一つだった。
(文=本島修司、写真=Getty Images)
混合ダブルス決勝、“タイムアウト”の駆け引き
「ミドルへいくようですよ」
解説者がそう言った。ミドル。あえて、相手の体の真ん中あたりへ打つコース取りだ。その直後、水谷は許昕のミドルに、最高のドライブをたたき込んだ。許昕の体勢が崩れる。それにより、意図していなかったであろう、カットのような打ち方になり、ボールが浮いてしまう。そこを伊藤がスマッシュで決めた。
タイムアウトをどこで取るか。そのタイムアウトの1分間で、何をするか。卓球において、どんな試合でも大切なこのアクション。それが、この試合では際立っていた。
先に動いたのは、中国ベンチだった。
第1ゲーム。序盤から許昕の強烈なフォアドライブが決まる。伊藤のバックハンドミートは、緊張からなのか、やや硬くなっているようにも感じられた。相手は卓球大国の中国。無理もない話であり、ましてや舞台はオリンピックでの決勝戦だ。5-11。許昕のすごみが目立った。
第2ゲーム。1-8と、序盤からまたも中国有利の展開に。そんな中、水谷のサーブが効き始める。YGサーブを中心に、相手のミスを誘い、4連続ポイント。5-8。少し日本に流れが向きかけたところで、中国の馬琳コーチが立ち上がった。
挽回される流れを断ち切る、中国の早めのタイムアウト
このタイムアウトは少し早い仕掛け……。そうも感じさせる一方で、ここを取り切ってしまえば、この試合の勝利をつかめるという強気のタイムアウトだったようにも感じる。また、この“早いタイムアウト”は、卓球大国・中国のお家芸でもある。
卓球は、いろいろな意味で“攻め”なければ勝てないスポーツだ。リスクを背負って足を動かし、強く腕を振り、技術面で攻める。精神的にも「勝ったな」と思って安心してしまうと、自然と動きのほうも守りに入って負ける。そんなシーンが今までに何度も繰り広げられてきた。
中国ベンチの少し早すぎるようにも感じるタイムアウトは、中国ベンチがしっかり攻めた結果でもある。結局、その第2ゲームは、水谷・伊藤ペアがつくった挽回の流れを中国ペアがしっかり断ち切って、取り切ってしまった。
しかし、その一方で、日本ベンチは、最高のタイミングを探りながら“攻めの待ち”をしているようにも見えた。そして6ゲーム目に、その時は訪れる。
それは、“世界最高の1分間”だった。
作戦はミドル。世界最強のダブルスの名手・許昕を迷わせること
第3ゲーム。好調の水谷に引きずられるように伊藤のフォアハンドの調子が上がってくる。11-8で日本が奪取。第4ゲームで水谷はさらに全開モードになり、いつもより前陣の位置から、安定感抜群のドライブを放つ。
このゲームカウント1-2で迎えた第4ゲーム終盤、大きな勝負所があった。日本がリードして優勢に進めるも10-9となったシーンだ。この一本をどうしても落とせない。そしてここを取り、ゲームカウントをどうしても2-2にしたい。解説者からも「タイムアウトを取りたい」という言葉が思わず飛び出すほど、通常であれば、タイムアウトを取ってもいいタイミングだった。しかし日本ベンチは、ここも我慢。それでも11-9で日本が取り切った。
第5ゲームは、さらに壮絶な攻防となる。そんな中でも、水谷のサーブ、ナックル性のフリックと、チキータなどが決まる。伊藤の打点の早いバックハンドも、強烈な角度で決まり始めた。ゲーム後半、9-8。1点リード。しかし、中国がまた攻め込んできている、ギリギリの場面。このゲームも前半から、いつも通りの許昕のフットワークは縦横無尽に動けていた。回り込みが、速い。飛び込みも、速い。何より両ハンドで打ってくる「待ち方」もさえている。“どうすれば、許昕を止められるのか”。
ここでついに、日本ベンチがタイムアウトを取る。
この一戦は、無観客試合ということで、いつも以上に監督や選手の声を“拾う”ことができた。そして、前述した解説者、日本卓球協会強化本部長・宮崎義仁氏が「許昕のミドルへいくようです」と発言。
ミドルはこの試合の中で、目立った一球としてはまだ使っていないコースだった。それが決まるかもしれないし、仮に決まらなくても、その次からの一球一球では、許昕の中には「またミドルに来るかもしれない」という気持ちが芽生える。これが最大の効果だ。
特に5ゲーム目の許昕は、フォア側がフォアドライブ、バック側はバックドライブというスタイルで「両ハンドで待っている」プレーも多くあった。ミドルへの一発があれば、次からはフォアサイドを切るようなところへ来るのか、バックの深い所へ来るのかに加えて、第3の選択肢「また体の真ん中のミドルに来るかもしれない」という気持ちも生まれる。読みにくくする効能がある。
そしてタイムアウト明け直後、ギリギリの激しい攻防の中で、水谷が許昕のミドルへ会心のフォアドライブを放った。許昕の体が、エビ反りのようになり、返球が浮いた。そこを伊藤が、スマッシュで決めた。この一発で、しかも、その返球が浮いてしまったことで、許昕には迷いが生じた。1点を取ったこと、さらには第5ゲームを取れたこと以上に、許昕に決め打ちでの「待ち」をさせにくくできた。
圧巻の最終ゲーム。改めてこの試合を振り返ってみると…
第6ゲームは、なかなか崩れない劉詩ブンに再び攻められて取られてしまう。迎えた最終の第7ゲーム。コース取りの妙。それにより、あの名手・許昕が、少しずつ崩れていく。マッチポイントを迎えると、伊藤の表情が柔らかくなり、笑顔が増えていく。第1ゲームの硬い表情の時とはまるで別人のようだった。その直後、歓喜の瞬間が訪れた。
改めてこの試合を振り返ってみると、勝因はやはり「5ゲーム目を勝ち切れたこと」ではないか。その勝因の源は、最高のタイミングで取ったタイムアウトと、水谷のフォアドライブで「許昕のミドルを狙う」という選択だったように思う。そして何より、それを実行できた水谷のすごさも際立つ。
精神的にギリギリの場面で「ミドルへ」と言われて、本当にミドルへたたき込めるのは、水谷だけが持つ、経験値からくる勝負度胸によるものだろう。圧倒的に一つのことを突き詰めながら生きてきた、彼の人生そのもののような、魂の一球が、日本中を歓喜に包んだ。
<了>
水谷隼、日本男子初のメダル“以上”の功績とは? 卓球人生の集大成、東京五輪3つの期待
なぜ水谷隼の「ロビング」は中国選手のミスを誘うのか? 「変化の罠」と「逆襲」を制する難しさとは
水谷&美誠ペアは圧倒的に強い理由とは? 卓球、混合ダブルス独特の「速さ」と「早さ」
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
ラグビー南アフリカ初の黒人主将シヤ・コリシが振り返る、忘れ難いスプリングボクスのデビュー戦
2023.09.22Career -
ラグビー史上最高の名将エディー・ジョーンズが指摘する「逆境に対して見られる3種類の人間」
2023.09.22Opinion -
バロンドール候補に選出! なでしこジャパンのスピードスター、宮澤ひなたの原点とは?「ちょっと角度を変えるだけでもう一つの選択肢が見える」
2023.09.22Career -
ワールドカップ得点王・宮澤ひなたが語る、マンチェスター・ユナイテッドを選んだ理由。怒涛の2カ月を振り返る
2023.09.21Career -
瀬古樹が併せ持つ、謙虚さと実直さ 明治大学で手にした自信。衝撃を受けた選手とは?
2023.09.19Career -
「戦術をわかり始めてから本当の面白さがわかった」“スポーツ界のチェス”フェンシング世界女王・江村美咲が見据えるパリ五輪
2023.09.15Career -
チームの垣根をこえて宮市亮が愛され続ける理由。大ケガ乗り越え掴んだ「一日一日に感謝するマインド」
2023.09.14Career -
女子フェンシング界の歴史を塗り替えた24歳。パリ五輪金メダル候補・江村美咲が逆境乗り越え身につけた「強さ」
2023.09.13Career -
J1昇格への道は“DAO”から。ザスパクサツ群馬が掲げる「Road to J1プロジェクト」とは?
2023.09.12Business -
ザスパクサツ群馬がJ2初の「共創DAO」に挑戦。「アイデアを共有し、サポーターの思いを実現するプラットフォームに」
2023.09.11PR -
なぜ県立高校のサッカー部から50人以上プロ選手が誕生するのか? 大津高校・平岡和徳総監督が掲げる“人づくりの流儀”
2023.09.11Education -
スカウトは一切なし。居残り練習禁止。「1000日間の努力で1%の可能性を伸ばす」平岡和徳が全国に広げる“大津スタイル”
2023.09.11Education
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
ラグビー史上最高の名将エディー・ジョーンズが指摘する「逆境に対して見られる3種類の人間」
2023.09.22Opinion -
ラグビー界に新たな勢力。W杯での躍動誓う“高卒”の日本代表戦士たち。学歴に囚われず選んだ進路を正解とできるか?
2023.09.04Opinion -
なぜ湘南ベルマーレはJ1で生き残れるのか? 今季の降格枠は「1」。正念場迎えた残留争いの行方
2023.09.01Opinion -
伝説の元F1レーサー・現チームオーナー鈴木亜久里が語る、日本モータースポーツの現在地と未来
2023.08.31Opinion -
世界陸上で日本男子マラソン復権へ。山下、其田、西山、5大会ぶり入賞目指す日本人トリオの強さとは?
2023.08.25Opinion -
今季浦和レッズが上位に食い込めている理由とは? 堅守確立も決めきれない攻撃陣に中島翔哉は何をもたらすのか
2023.08.24Opinion -
新世界王者スペイン各選手の獲得賞金は4000万円! 歴史塗り替えた女子W杯、日本の王座奪回の課題は?
2023.08.23Opinion -
なぜ遠藤航は欧州で「世界のトップボランチ」と評されるのか? 国際コーチ会議が示した納得の見解
2023.08.22Opinion -
[卓球]16歳・松島輝空の眠れる才能が国際舞台で遂に開花! 圧倒的な「総合力」と「粘着性テンションラバー」の完成形とは
2023.08.21Opinion -
ベスト8敗退も、未来へ希望をつないだなでしこジャパン。ワールドカップでチームが加速した「3つの変化」
2023.08.19Opinion -
キムチ鍋、切り干し大根、ハンバーグ……好調なでしこジャパンの食卓支える、西芳照シェフ「勝負メシ」のメニューとは?
2023.08.09Opinion -
岡崎慎司が語る、インサイドハーフで見た新しい景色。「30試合出場、わずか1得点」は正しい評価なのか?
2023.08.04Opinion