
アスリートは“お金の無知”で損をする? 元実業団ランナーIFAが伝える資産形成のリアル
プロ選手の年俸変動、実業団選手の安定収入、アマチュアや学生の限られた環境。同じアスリートでも立場によって資産形成の課題は異なるが、共通点もある。元実業団ランナーからIFA(独立系ファイナンシャル・アドバイザー)に転身した後藤奈津子さんは、金融の専門家としてアスリートの「お金の無知」がもたらすリスクと向き合ってきた。NISAや年金制度から、詐欺や保険の失敗談まで。現役中から知っておきたい「資産防衛」の重要性を語ってもらった。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=アフロスポーツ)
IFAとは? 顧客本位でサポートできる独立系アドバイザー
――IFA(独立系ファイナンシャルアドバイザー)は、金融の世界においてどのようなサポートを強みとしているのですか?
後藤:特定の金融機関に属さず、独立した立場で資産運用のアドバイスをできるのがIFAの最大の強みです。例えば保険会社に勤めていると自社の商品を売る必要がありますが、IFAは、10社〜15社保険を扱うことができ、「今月はこちらが条件が良い」「先月は別の会社のほうが有利だった」と中立的に伝えることができます。
保険に限らず投資信託や不動産も含めて一括管理し、長期的に資産形成や相続、税務をサポートします。数年ごとに異動がある銀行員と違い、IFAは一人のお客様と長く付き合えるのも魅力です。
――後藤さんは実業団ランナーとして宮崎銀行に勤務し、引退後に本格的に金融業務に挑戦されましたが、そこからIFAとして転身された経緯を教えてください。
後藤:宮崎銀行で金融の経験を積み、宮崎から実家がある埼玉に戻ることを決断したのですが、もう一度金融の会社に勤めたいと思いました。人生初の転職だったので、転職サービスに登録したところ、「経歴がユニークだから面白いと思います」と言われ、紹介を受けた中に今の会社(CGPパートナーズ)がありました。この会社はスポーツ選手の資産形成に力を入れていて、即戦力として迎えていただけたんです。実際、金融のプロ集団の中で、スポーツ経験者は私だけです。スポーツの世界を知り、金融の資格も持っている人を探していたそうで、そのほうが「選手やご家族に安心してもらえるから」と説明されました。
銀行員としての知識や経験が浅かったので、すぐに業務に就けるとは思っていませんでしたが、入社から5カ月間、さまざまな業務に携わることができています。私にとっては本当に幸運な出会いでした。
アスリート特有の課題とは? 引退後に直面する“収入減”という現実
――IFAとしての現在のお仕事の内容を教えてください。
後藤:スポーツ企業の方々と会い、サポートしている選手の保険や資産の相談に乗ることが多いです。怪しい保険に入ってしまったり、「先輩に勧められた保険の実態がわからない」、「資産形成について教えてほしい」などの相談があります。私自身が現役時代にそうだったように、「資産があってもどうすればいいかわからない」というアスリートが多く、まずは保険の見直しや貯金の運用方法をアドバイスしています。
――どのような競技の選手を支援されているのですか?
後藤:陸上以外のアスリートも多く、バレーボールやアーティスティックスイミングなど、幅広い競技の選手と関わっています。私自身、競技を見る視点が広がり、テレビで活躍する選手たちの姿を見ると応援したくなり、新しい競技にも興味が広がりました。
――アスリートが直面する「お金の課題」について教えてください。
後藤:多くの選手は金融知識がなく、現役時代に稼いだお金を銀行預金したままにしています。私もそうでした。運用の方法もどんなものがあるかもわからず、「とりあえず預金に預けておけばいいや」と。収入は「現役時代と変わらないだろう」と思っていましたが、引退後に大幅に減少し、現実を突きつけられました。今振り返ると、現役中から準備できたことはたくさんあったと痛感しています。
――周囲のアスリート仲間で「お金」に対して意識が高い人はどのぐらいいましたか?
後藤:ほとんどいなかったです。資産形成やセカンドキャリアに無頓着な人がほとんどで、「その時になったら考えよう」という姿勢で、金融に意識を向けている人はほとんどいませんでした。
インフレ時代に必要なのは“資産防衛”。詐欺や無知による失敗から学ぶ
――プロ契約で年俸が大きく変動する選手や、実業団で比較的安定した収入を得る選手など、環境によって資産状況は異なると思いますが、どのようなアドバイスをされることが多いですか?
後藤:稼げる額によって運用方法は異なりますし、資産が多ければ税金もかかります。だからこそ、状況に合わせて「最低限これは必要です」「余裕があればこれも取り入れましょう」と伝えるようにしています。今はインフレで物価が上がり続けています。給料が上がらない中で物価だけが上がれば、実質的に資産は減っていきます。一生懸命稼いだお金が、何もしないでいると目減りしていってしまうのです。昔のように、銀行預金で金利が大きくつく時代ではないので、まずは資産を「防衛していく」必要性を伝えています。投資の一発勝負で儲けようとするのではなく、保険の見直しなどから始めることが大切です。
――失敗談の中には、どのような共通項と解決策があるのですか?
後藤:アスリートの中には「勧められる保険に何件も加入してしまった」という方や、詐欺に遭って大切なお金を失ってしまった例もあります。さらに深刻なのは、スポーツ賭博に関わってしまうリスクです。そうした実例を聞くと「何とか力になりたい」と強く思います。選手たちが体を酷使して稼いだお金だからこそ、大切に守ってほしいです。保険に関しては、まず必要に応じて見直しを行います。資産が少なければ選択肢は限られますが、その中でもきちんと回していける方法はあります。資産運用において「絶対に安全」というものはありませんが、より安全性の高いものを選んで運用することはできますから。
――IFAとして支援する上で大切にしている視点を教えてください。
後藤:アスリートの皆さんには、まずは限りある貴重な現役生活を思いきり楽しんでほしいと思います。その経験や思いを大切にし、一生懸命稼いだ資産を守ることが私の使命で、資産保全や資産形成について学ぶ機会を少しでも提供できればと願っています。現役時代に輝いていた人が、引退後に、「自分には何も残っていない」と思うことがないよう、引退後も輝き続けられるようにサポートしたいと考えています。
――資産運用について話をする際、アスリートの皆さんの反応に共通点などはありますか?
後藤:「分からないからお任せします」と言う方が多いです。ただ、せっかく一生懸命頑張って稼いだお金なので、ご自身の資産に興味を持ってほしいと思います。そのため、できるだけわかりやすい説明を心がけています。提携先の会社から依頼を受けてアスリート向けに資産運用の基本をまとめた記事を書くこともありますが、簡潔で理解しやすい内容を意識し、イラストを多用してイメージしやすい資料を作るようにしています。
現役中から知ってほしいNISAや年金の知識
――ご自身の経験から「もっと早く知っていれば」と思うような資産形成の知識や行動があれば教えてください。
後藤:株はハイリスク・ハイリターンなので、知識がないまま手を出すのは危険です。全額を投じるのではなく、余剰資金の一部でやってください、と伝えています。また、「NISA」のような非課税制度は老後資金づくりにも役立つ制度ですし、現役中から知っておきたかったですね。年金制度も支給開始年齢が上がり、金額も減っています。若いうちから知識を持つことが重要だと思います。
――「金融」「運用」という言葉に身構えてしまう人も多いのではないですか?
後藤:確かに、拒否反応を示す方もいます。その時は、自分の体験を話します。私は現役時代、そこそこの収入がありましたが、資産運用をまったくしていなくて、引退後に収入が減って初めて気づきました。大学卒業後、32歳で引退するまでの10年間、「あの時やっておけば……」と思います。そう伝えると、特にアスリートの方は興味を持つ方や共感してくださる方が多いです。
【連載前編】「学ぶことに年齢は関係ない」実業団ランナーからIFA転身。後藤奈津子が金融の世界で切り拓いた“居場所”
<了>
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[PROFILE]
後藤奈津子(ごとう・なつこ)
1987年生まれ、埼玉県出身。IFA(独立系ファイナンシャル・アドバイザー)。CGPパートナーズ株式会社に在籍。大学時代は関東大学女子駅伝4年連続区間賞、全日本大学女子駅伝2区区間賞(タイ記録)、関東インカレ1万m優勝、全日本インカレ1万m3位などを記録。卒業後はユニバーサル・エンターテインメントと宮崎銀行で実業団選手として活躍。5000m日本選手権出場、クイーンズ駅伝2区区間2位、同1区区間3位などの成績を収めた。32歳で現役を引退後、銀行勤務を経てIFAに転身。現在はアスリートの資産形成やセカンドキャリア支援に携わっている。
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