
アスリート一家に生まれて。走幅跳・橋岡優輝を支えた“2人の元日本代表”の「教えすぎない」子育て
アスリート一家に生まれ、幼いころから「運動ができて当然」と見られがちな環境。父・橋岡利行さんは棒高跳で当時の日本記録(5m55)を樹立し、日本選手権7度制覇を誇る名選手。母・直美さん(旧姓・城島)は100mハードルと三段跳の元日本記録保持者で、インターハイ3連覇、日本選手権連覇と数々の金字塔を打ち立てた。さらに、母の妹・城島良子さんは100mハードルでU20アジア王者、その夫・渡辺大輔さんはシドニー五輪走幅跳代表。父方では、弟・和正さんの妻である深雪さん(旧姓・笹川)が全国中学校体育大会200mの優勝者で、いとこには、サッカー選手として品川CC横浜所属の橋岡和樹と、スラヴィア・プラハでプレーする橋岡大樹がいる。まさにスポーツの申し子ともいえる血筋だ。
だが、利行さんと直美さんが貫いたのは、経験を押しつけず、本人に選ばせる姿勢だった。幼少期の小さな発見から中高の進路選択、八王子高校での基礎づくりまで。英才教育の対極にある“自立”の哲学は、どのように貫かれたのか。橋岡優輝の「自分で選び、言語化して伸びる」土台と選択のプロセスを、2人の言葉から辿った。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=西村尚己/アフロスポーツ)
競技経験を押しつけず、「自由」に任せた子育て
――元トップアスリートだったお二人の経歴を踏まえて、優輝さんの子育てに競技経験がどう生かされたと感じますか?
利行:子育てという意味では、競技生活を通じてのアドバイスを彼に伝えたことはほとんどありません。自由に、のびのびと彼自身の意思を尊重してきました。ご縁あって指導者の先生方に恵まれた部分が大きかったと思います。
直美:私は彼と同じ競技をしていましたが、「陸上をやってほしい」「やってみたら」と言ったことは一度もありません。私たちの経験が活かされた部分は、ほとんどないと思います。
――英才教育も可能だった中で、子育ての方針として、あえて「教えなかった」理由はありますか?
利行:特に強い信念があったわけではありませんが、本人がやりたいことを一生懸命頑張ってほしいと思っていました。自分の好きなことに一生懸命取り組む姿を見てきたので、私たちから積極的にアドバイスをする必要はないと考えていました。
直美:地域のスポーツ少年団に入る選択肢もありましたが、本人がやりたがらなければ無理にやらなくてもいいと思っていました。スポーツを勧めたり、何かをやらせたことはありません。テレビで、親御さんが小さい頃からマンツーマンで指導して、子どもたちの才能を伸ばしている姿を見て「すごいな」と思います。私にはできないな、と尊敬の眼差しで見てしまいます。
――優輝さんからアドバイスを求められることはありましたか?
直美:高校時代にケガ明けで試合に臨まなければならない時、「跳べない」と不安がっていたことがありました。その時だけ、「ジャンプ系の種目はケガですぐに力が落ちるものじゃないよ」と伝えました。それ以外は特にアドバイスをしたことはありません。私たちがやっていた陸上は私たちの陸上で、彼がやっているのは彼の陸上です。それは、まったく違うものだと考えています。
利行:優輝は私と同じ中学に通っていて、地域も勉強に集中しやすい環境でした。だから「勉強頑張れよ」と言ったくらいです。競技面ではほとんど何も言っていません。
幼少期の“バネ”と文武両道
――幼少期の優輝さんはどんなお子さんでしたか?
直美:3歳くらいの時、家族で海外旅行に行ったのですが、寝る時間になるとベッドとベッドの間を軽々と飛び越えていました。「バネがあるのかな」と思った瞬間でした。幼稚園では体操教室に通い、飛び箱や前方宙返りもやっていました。そうした経験を通じて体の使い方を身につけたのかもしれません。中学、高校時代は勉強もしっかりしていましたから、特に「スポーツ一辺倒」という感じではなかったです。
――競技に本格的に取り組み始めたのはどのようなきっかけでしたか?
利行:中学から陸上を始めました。2年生の頃、中学種目をこなす中で天性のバネがあるのかなと感じました。大会のたびに記録が少しずつ更新されていったので、その頃からは私たちも競技場に見に行くようになりました。
――中学では四種競技(110mハードル・砲丸投・400m・走高跳)に挑戦したそうですね。
直美:はい。勉強が好きでできていたので、志望校に進む方がいいのではと思う時期もありました。ですが中学3年の時に「陸上を頑張りたい」と本人が言ったので、私たちもその意志を応援しようと。
――勉強との両立についてはどう考えていましたか?
利行:本人の意思に委ねていました。塾に通っていましたし、テスト前には部活を休むなど自分で調整していたようです。家に帰ってから「勉強しろ」と言ったことはないです。両立のバランスも本人任せでした。
四種競技から走幅跳へ “選ぶ力”が芽生えた高校時代
――高校で走り幅跳びに絞った経緯を教えてください。
利行:中学3年で四種競技の全中(全国中学校体育大会)で3位になったことが転機でした。その頃までは先のビジョンが明確にあったわけではなさそうでしたが、大会で3位に入ったタイミングで「高校でも続けてみようかな」と言い始めたんです。もともと100mやハードル、高跳び、砲丸投げなどいろんな種目を経験していましたが、高校2年の頃に幅跳びに絞りました。幅跳びはそれまで経験がなかったのですが、興味を持って「高校から本格的にやりたい」と言ったのです。それで、叔父の渡辺大輔先生(シドニー五輪男子走幅跳代表)が陸上部の顧問を務める八王子高校に進むことを本人が決めました。
――お父さまは棒高跳びの日本記録保持者でした。同じ種目を選ぶ可能性はなかったのですか?
利行:その選択肢はまったくなかったと思います(笑)。私も特に勧めませんでした。
八王子高校で培った基礎と“言語化する力”
――八王子高校では渡辺先生のもとで飛躍を遂げました。当時の練習環境をどう見ていましたか?
利行:陸上の強豪校なので、集まる選手のモチベーションは高く、その環境でやらせていただいたのは大きかったと思います。渡辺先生は伸び伸びとした環境を与えつつ、基本の動作を徹底してくださいました。詰め込みすぎない教育方針の中で、基礎をしっかりつくっていただいたと思います。
直美:中学までは走り方が整っていませんでした。たまたま、少しだけ素質があったから全中で3位という結果が出たと思います。ただ、高校では走り方や跳び方の基礎をつくっていただき、大切な基礎の部分を3年間で固められたのが良かったと思います。私自身も、経験から基礎がしっかりしていないと、その先で詰まってしまうと思っていましたから。
――渡辺先生は「言語化」や「再現性」も大切に指導されていたそうですね。
利行:はい。「こうした方がいい」と指導するのではなく、「今の動きはどうだった?」と本人に問いかけて、導くような指導が印象的でした。本人が自分の動きを言語化し、再現性を高めていく指導だったと思います。
直美:自分の感覚を言葉にして伝えられなければ、コーチも何をアドバイスしていいのか、対応できません。渡辺先生のもとで学んだその姿勢が、大学時代にも生きていたと思います。
――ご家庭ではどう接していましたか?
利行:試合はよく見に行っていました。「次は何の大会?」「調子はどう?」と聞く程度です。私が試合で撮影した映像も、たまに見て「腰が低いね」とか「つま先が下がっているね」と伝える程度でした。本人が一番、自分の課題を理解していましたから。
直美:家では反省会のようなことはしませんでした。夫が撮った映像を一緒に見ている時に感想を言うくらいで、私も細かく口を出すことはありませんでした。
続かなかった英会話が心残りに
――今振り返って、子育てにおいて印象深いことや、「これはやっておいてよかった」と思うことはありますか?
利行:特別なことはしていませんが、毎回、試合や大会に応援に行けたのは良かったと思います。競技場で彼も私たちを見つけてアイコンタクトをしてくれるし、「お疲れ様」と言葉を交わして帰るのですが、それが私たちの団結の形になっている気がします。今年の世界選手権は東京開催なので助かりますが、海外はお金もかかって大変です(苦笑)。それでも現地で彼の跳躍を見て、私たちも元気をもらっています。
直美:一番覚えているのは、箸の持ち方をしつこく注意したことです。「日本人なんだから箸をしっかり持てないとダメ」と小さい頃から言い続けて、主人の母に「そこまで言わなくても」と笑われたほどです(笑)。逆に、後悔しているのは英会話教室を続けさせなかったことです。小さい時に通わせていた教室がなくなり、「もうやりたくない」と言われてそのままやめてしまいました。あの時続けていれば、今もっと楽に話せていただろうと思います。海外遠征が多いのでそこそこは話せるようですが、小さい頃から積み重ねていれば違っただろうなと感じています。
【連載後編】走幅跳のエース・橋岡優輝を導いた「見守る力」。逆境に立ち向かう力を育んだ両親の支え
<了>
「必ずやらなくてはいけない失敗だった」。橋岡優輝、世界陸上10位で入賞ならずも冷静に分析する理由
「“イケメンアスリート”として注目されること」に、橋岡優輝の率直な心情。ブレない信念の根幹とは
2部降格、ケガでの出遅れ…それでも再び輝き始めた橋岡大樹。ルートン、日本代表で見せつける3−4−2−1への自信
[連載:最強アスリートの親たち]女子陸上界のエース・田中希実を支えたランナー一家の絆。娘の才能を見守った父と歩んだ独自路線

[PROFILE]
橋岡優輝(はしおか・ゆうき)
1999年1月23日生まれ、埼玉県出身。男子走幅跳の日本代表。富士通所属。さいたま市立岸中学校で陸上を始め、八王子学園八王子高校で走幅跳に転向。日本大学在学中の2018年、世界U20選手権(タンペレ)で金メダルを獲得。同年アジア競技大会(ジャカルタ)では4位に入賞した。2019年にはアジア選手権(ドーハ)で優勝(8m22)、ユニバーシアード(ナポリ)でも優勝を果たし、世界選手権(ドーハ)では日本人初となる走幅跳での8位入賞を達成。2021年東京五輪では6位(8m10)。その後も世界選手権オレゴン大会(2022年)、ブダペスト大会(2023)、2024年パリ五輪と世界の舞台で挑戦を続ける。自己ベストは8m36。日本選手権優勝6回。2025年9月に東京で開催される世界選手権にも出場する。
[PROFILE]
橋岡利行(はしおか・としゆき)
1969年生まれ、埼玉県出身。男子棒高跳の元日本代表。自己記録5m55(当時の日本記録)を持ち、中学・高校・大学・社会人の各カテゴリーで優勝。日本選手権では7度の優勝を果たした。
[PROFILE]
橋岡直美(はしおか・なおみ/旧姓:城島)
1971年生まれ、埼玉県出身。女子100mハードル、走幅跳、三段跳で日本記録を樹立した経歴を持つ。中学時代には走幅跳で女子として初めて6mを超えるジャンプを記録し、三種競技Bで全中優勝。高校では100mハードルでインターハイ3連覇、日本選手権2連覇を達成。さらに走幅跳と三段跳でも全国タイトルを獲得し、多彩な種目で活躍した。現役時代は女子陸上界をけん引する存在だった。
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