ラグビー界の名門消滅の瀬戸際に立つGR東葛。渦中の社会人1年目・内川朝陽は何を思う

Career
2025.12.05

1985年に創部し、日本ラグビー界の歴史に名を刻んできた名門クラブ・NECグリーンロケッツ東葛が、いま存続の岐路に立っている。運営母体の NEC は2025-26シーズン終了後のクラブ譲渡に向けた検討を開始。譲渡先が見つからなければリーグからの退会も辞さないという方針を明らかにした。そんななか、大学時代に大ケガを乗り越え、23歳でグリーンロケッツの一員となった若きフランカー・内川朝陽は、クラブの不透明な将来とどう向き合っているのか──。当事者である内川があくまで前向きに語る、その覚悟に迫る。

(インタビュー・文・撮影=向風見也)

「継続の意味合いを見出せなかった」NECグリーンロケッツ東葛

入ったばかりのチームがなくなるかもしれない。

社会人1年目の内川朝陽がそう聞かされたのは今年8月だ。所属チームから、親会社が身売りを検討していると聞いた。

今年12月までに引受先が見つからなければ、加盟しているジャパンラグビーリーグワンからは今季限りで退会する意向が示された。

それぞれのチームが各自でお金を稼げるようになるのを目指すリーグワンができてから、4年が過ぎた。

いまの日本ラグビー界は、各地のトップチームをコストセンターからプロフィットセンターにできるか否かの転換期にある。事業化して自ら資金を調達するクラブと、従来通りに責任企業の福利厚生という位置づけで存在するクラブとが混在する。

23歳の内川が加わったNECグリーンロケッツ東葛は、その後者にあたる。リーグワン発足時にスポーツビジネス畑の代表を外部から迎えたものの、諸般の事情ですぐに過去と似た体制になった。

成績も停滞していた。1985年の創部から国内主要タイトルを4度獲得した歴史を有するものの、近年は国際化、予算相場の高騰化が進むリーグワンで2部に甘んじていた。

業績がよかったはずの親会社側は、公式アナウンスの直前に選手たちへこの趣旨を伝えた。

「持続可能な形でチームをさらに発展させていくことは困難」

OBの幹部は「(経営陣の顔ぶれ次第で)考えが変わる。それはある意味、仕方がない」。まもなく緊急会見したリーグワンの東海林一専務理事は、先方からの申し出に沿って淡々と事情を明かした。

「NEC側のご説明では、『事業ポートフォリオ(企業が運営している事業を可視化、一覧化したもの)の見直しを進めるなか、継続の意味合いを十分に見出せなかった』と聞いています」

「薄っぺらい本より分厚い本のほうが読み応えはあるから…」

この事案への感想を「こうくるか」とまとめるのが、若い内川であった。

関東学院大学を経て念願の日本最高峰の舞台へ足を踏み入れた矢先、目の前にちらつくのは行き止まりのサインだった。

驚愕、困惑、憤怒の念にさいなまれそうなところだが、本人は飄々(ひょうひょう)としていた。少なくともそうあろうとしていた。

「もともと、平たんな人生じゃないタイプだと自分で思っていた。だから(今回の件について)予想はしていなかったけど『こうくるか』と。神様は、ゆっくりラグビーをさせてくれないなーって」

人生を一冊の書物にたとえる。

「薄っぺらい本よりも、分厚い本のほうが読み応えはあるから……いっか」

試練に耐性があるのは、ここまでの道のりが簡単ではなかったからだ。

身長182センチ、体重97キロの激しいフランカーが人生最大級の障壁とぶつかったのは、関東学大にいた頃だ。

コンパートメント症候群に苦しんだ。

外傷で筋肉組織が膨れ、血管や神経などが圧迫される病だ。

大学2年生の夏に右ひざの前十字靱帯を断裂した内川は、10月に手術すると右の太ももが膨張。「(右足の)10分の7は切断する」こともありうると医者に告げられた。

まずは神経が通うよう、隆起した太ももを切開した。膨れ上がった足を再び縫合するまでの約1カ月半、患部は開いたままだった。毎日傷口を洗う際に激痛で気絶することもあったという。逆足の皮膚を使ってその箇所をつなぎ合わせてからも、しばらく寝たきりだった。当時の名残から、いまなお右足には手術痕が、左太ももにはやけどのような跡がある。

後進の前例になるためにも、リーグワンに

入院3カ月目のことだったか。ずっと横になっていたベッドのふちに座るだけでも頭がふらついた。それまでとまったく違う体勢になったせいか、立ち眩みのような症状に見舞われた。

病院側が立てたのは、1年ほどで日常生活へ戻す計画だった。ラグビーどころではないと見られていた。

それでも本人は……。

「僕はいい意味で現実を見られていなくて。『いやいや、何言ってんの?』と当たり前のように復帰するつもりでした」

引き合いに出したのは『ブラック・ジャック』。手塚治虫の名作漫画だ。無免許の天才外科医である主人公の間黒男が、セルフオペで命を吹き返すシーンをイメージしながら、車輪付きの手押し車につかまった。

「周りの人はよく頑張ったって言ってくれるんですけど、やるのは当たり前だった」

神奈川県で活動するチームに再合流したのは、3年目の夏以降だ。右足に厳重にテーピングを施して地上戦で奮闘するうち、新たな目標を見つける。

リーグワン行きだ。

大ケガを治した後であればトップレベルのステージに行けなくてもやむなしと脳裏をよぎったものの、やはり、その思考は受け入れられなかった。何より、自らの影響力をポジティブに見積もるだけの足跡を残してきた。

「世の中にはスポーツから退かなきゃいけない子たちもいるわけで。そんななか、僕が『これだけのケガから復帰できた』という前例になるためにも、リーグワンに行かなきゃいけない」

大学の恩師、ポジションを争う兄貴分たちら頼もしい存在

他の同級生の実力者は、徐々に卒業後の進路を固め始めていた。それでも各クラブの陣容にいくつかのバッファはないものかと、大学の監督だった立川剛士に相談した。

同じ佐賀工業高校出身でもある指揮官が「つかんでこい」と紹介してくれたトライアウト先の一つが、グリーンロケッツだった。

2024年1月28日、普段使う千葉の我孫子グラウンドでチャンスをもらった。東芝ブレイブルーパスとのノーコンペティションゲームだ。向こうはちょうど直近までの2連覇へ足場を固めていた強豪で、控え主体とはいえ力強い外国人選手を並べた。

「トレーニー」と登録された若者が与えられたプレータイムは、10分に満たなかった。できることは限られるからと、走者へ刺さっては起き、刺さっては起きた。

「8分でタックルを10回。心臓が飛び出るかと思った」

必死さが買われ、社員で採用された。24年12月からの昨季は、大学の戦いを終えて中盤戦からの参加。これから実質的なルーキーイヤーへ突入するところで、チームがなくなるらしいと聞かされたのだ。

ここで平常心を保てる理由には、人生経験で育んだメンタルタフネスのほか、ポジションを争う兄貴分たちの存在がある。

1学年上で自身と同じ福岡で生まれ育った森山雄太は、常にハングリーだが優しさもある。31歳で副将を務める亀井亮依はいつも冷静で、物事を的確に言語化してくれる姿に惹かれる。

33歳でロッカーが隣の大和田立には、愛情のあるいじりで生活を正してくれる。くしゃみをすれば「口を押えろ」と、練習でいつもより息が上がったら「夜更かししたろ?」と突っ込まれる。

通告を受けてからも、三者三様、ありのままでいたと映った。振る舞いやそれぞれとの会話から、マインドセットを定めた。

クラブの存続が決まろうが、解散への道を辿ろうが、目の前の練習と試合へ力を尽くすほかない。

「試合で勝っているからタックルして、負けているからしないなんてことは、ないじゃないですか? 敵が来たら、するじゃないですか? だから、やることは一緒だねって。彼らも多分、思うことはあったかもしれないんですよ。でも、それを見せなかったし、変わらなかった。それが、死ぬほどカッコよくて

「いまは白紙だけど、自分のプレーで色をつけていく」

今度のニュースには続きがあった。

買い取り手がない場合のリーグ退会の申請期限が、12月から来年2月末に延長された。開幕が近づいていた11月、NECの申し出をリーグが受けた。

おそらく手を挙げてくれる企業があり、NECと前向きに詳細を詰めるためにデッドラインを延ばすことにしたのではないかと囁かれる。

もっともクラブのトップにあたる太田治ゼネラルマネージャーは、「見守るだけ」と話すのみだ。意思決定がフィールドの外でなされる構造は不変。現場がつかめる情報はないに等しい。内川もこの調子だ。

「(屋号変更による存続が見えても)ふわふわしないように。『あぁ、そうなんだ』くらいです。それよりも、試合に出るか出ないかとかのほうにフォーカスしています」

ラグビー専業のプロ選手が増加の一途を辿るなか、各自、目の前のコンペティションを戦いながらも来季の身の振り方も念頭に置くのが現実だ。

リーグ戦の終盤期にあたる4月から、次のオフに移籍を検討するプレーヤーのリストが水面下に出回る。どのクラブの選手にも、目の前の仲間のうち誰がやめ、誰が残るのかを気にし始めるタイミングはある。そのあたりの機微は、公式戦で発揮されるエネルギーの増減にも影響を与えうる。

今後のグリーンロケッツは、スタートラインに立ってもいないうちにそのゆらぎに直面しているわけだ。

内川も、もしチームが事実上の解散に進んだ場合に競技と会社のどちらをやめるのかについて何も考えないわけではない。

それでも表明する。

「いまはラグビーができる。いい先輩に恵まれている。自分の成長に注力したほうが、可能性は広がるんじゃないかなと。いまは白紙だけど、自分のプレーで色をつけていく」

他所に行きやすくするにせよ、ここに止まって戦うにせよ、引退してセカンドキャリアを選ぶにせよ、まずは目の前のことに全力を注ぐのが是。わき目もふらず頑張る心の構築こそ、発展途上の己に課した宿題なのだろう。

来季以降の進路が未定のフレッシュマンは、12月13日、柏の葉公園総合競技場でレッドハリケーンズ大阪との開幕節でのメンバー入りを目指す。

<了>

“ブライトンの奇跡”から10年ぶり南ア戦。ラグビー日本代表が突きつけられた王者との「明確な差」

ラグビー日本代表“言語の壁”を超えて。エディー・ジョーンズ体制で進む多国籍集団のボーダレス化

ラグビー界“大物二世”の胸中。日本での挑戦を選択したジャック・コーネルセンが背負う覚悟

「ザ・怠惰な大学生」からラグビー日本代表へ。竹内柊平が“退部寸前”乗り越えた“ダサい自分”との決別

「長いようで短かった」700日の強化期間。3度の大ケガ乗り越えたメイン平。“復帰”ではなく“進化”の証明

[PROFILE]
内川朝陽(うちやま・あさひ)
2002年4月17日生まれ、福岡県出身。ラグビー・リーグワン2部、NECグリーンロケッツ東葛所属。ポジションはフランカー。佐賀工業高校3年時はキャプテンとして活躍。2021年に関東学院大学に進学し、1年時から試合に出場していたが、2022年の2年時に右ひざの前十字靭帯を断裂。手術時にコンパートメント症候群を罹患し、2カ月間の集中治療室での生活が続いた。2023年11月に1年4カ月ぶりに試合復帰を果たすと、4年時には共同キャプテンを務めた。2025年1月にNECグリーンロケッツ東葛への入団を発表。

この記事をシェア

RANKING

ランキング

まだデータがありません。

まだデータがありません。

LATEST

最新の記事

RECOMMENDED

おすすめの記事