東大現役合格の快挙 高校野球に新たな風を吹き込む、川越東が目指す「新しい文武両道」
偏差値60代後半の進学校でありながら、プロ野球選手も生み出している埼玉県内の強豪・川越東高校野球部。今春、現役では初めて東京大学合格者も輩出した。「なんちゃって文武両道の学校はたくさんある」なかで、部活動と学業、どちらも妥協せずに取り組む「新しい文武両道」の姿とは?
(文・写真=中島大輔)
なんちゃって文武両道の学校はたくさんある
「東京六大学で野球をやろう」
志望高校を検討中の中学生に対し、川越東高校野球部の野中祐之監督はそう声をかけている。この口説き文句の裏にあるのは、同部が目指す「新しい文武両道」の理想だ。
「これからは勉強だけとか野球だけではなく、勉強も野球も頑張っている学校が40校以上、甲子園に出てくる時代になるのではと思います。その最先端を走りたい気持ちがすごくあるんです」
埼玉の公立高校で30年間指導し、3年前に私学の川越東に体育教諭として赴任した野中監督はそう語る。生徒たちが先を見据えて文武両道に取り組むことで、成長していく実感があるからだ。
川越東は偏差値60代後半の進学校で、野球では甲子園出場こそないものの、2013年夏に埼玉大会、2015年春に関東大会でともに準優勝するなど県内上位レベルにある。東北楽天ゴールデンイーグルスで左のスペシャリストとしてブルペンを支える高梨雄平や、昨季まで慶應義塾大学のエースとして君臨した高橋佑樹(2020年東京ガス入社)ら好選手を輩出。プロ球団並みに広い室内練習場や専用グラウンドなど好環境に恵まれ、志の高い中学生を惹きつけている。
「私はよく『なんちゃって文武両道の学校はたくさんあるよ』って言うんです」
野中監督が話すように、文武両道を高レベルで実践している高校は珍しい。たとえ学校案内でそううたっても、進学コースの“勉強組”と体育コースの“運動組”に分かれているケースがままある。
対して川越東では8割の生徒が部活動に所属し、全国大会出場を目指して励んでいる。
現役では初めて東京大学合格を果たした野球部員
「入学前に話を聞くと、川越東では全員が勉強と部活のどちらも取り組んでいる感じでした。夏休みや冬休み中には午前中に講習が行われ、終わったあと、午後に部活です。自分もどっちもできるかなと進学先に選びました」
こう語った西山和希は今年、快挙を達成した。野球部から通算2人目、現役では初めて東京大学合格(理科Ⅱ類)を果たしたのだ。
「入学してすぐ、この学校だと自分は留年するなと思いました。隣の席の人は川高(かわたか/川越高校の愛称)落ちで、その隣は浦高(うらこう/浦和高校の愛称)落ち。そういう人たちばかりの中、自分は単願で入ったので、勉強しないとまずいと思って始めました」
入学直後の4月に行われた校内テストで、西山は428人のうち312位に沈んだ。川越東を進学先に選ぶのは、埼玉の名門として知られる浦和高校、川越高校にあと一歩及ばなかったくらい学力の高い者たちばかりだ。このままでは、落ちこぼれてしまうかもしれないと危機感に火がついた。
西山は中学時代を振り返ると、勉強も野球も「中途半端だった」と自覚している。全国大会の常連の狭山西武ボーイズに入ったのは、「僕が入る代の前まではそんなに強くなかったので、自分がしっかり出られるかなと思いました。それが突然すごい人たちが集まってきて、ギリギリでメンバーに入れたくらいでした」。
一方の学業は、「そんなに勉強しなくてもある程度点数を取れるなという感じで、上を目指そうとは思っていませんでした。県立の上を目指す人に比べたら、そんなに実力はないかなと。逆に県立を受かる自信はなかったです」。
そんな男が変わったのは、川越東の野球部に入ってからだった。
環境が人を育てる――。野村克也も残したこの名言は、川越東の文武両道、そして私立ながら附属中学をあえて持たないという独特な方針からも、真実味がよく伝わってくる。西山が語る。
「野球を部活でやっていなかったら、たぶんここまで勉強していなかったと思います。僕はもともと勉強するタイプではなく、部活をやったからこそ1分を無駄にしないように勉強しました。勉強に対する必死さで言えば、引退した3年生のときより1年生のほうがあったと思います」
1日24時間のプランニング
文武両道のメリットの一つに、それぞれの時間が限られることがある。集中し、創意工夫を凝らさなければ、共倒れになりかねない。
川越東野球部の練習は16時に始まり19時に終了、自主練習が1時間から1時間半ほど行われる。校内312位に沈んで危機感を抱いた西山は、1日24時間の中から授業と部活、6時間の睡眠を引き、いかに勉強時間を多くつくり出せるかと考えた。電車での通学中や休み時間を自習に当てるばかりか、自宅で夕飯を食べる際には英語のリスニングをする。大会の開会式では入場行進を待つまでの時間がもったいないと、ポケットに忍ばせた単語帳を取り出したこともある。
毎日キッチンタイマーで勉強時間を測り、日々の努力を可視化した。1年生で最初の定期テストで30位に入って自信をつけると、学年末の模試では普通コース1位、理数コースを含めた全体4位に。努力すれば結果が出ることがわかると、勉強がどんどん楽しくなった。
危機感を原動力にした西山にとって、次の成長段階への転機は2年春に訪れる。東大野球部の浜田一志監督(当時)がレクチャーに来てくれたのだ。
「東大に合格するのは天才ばかりではない。逆に、そういう人は一握りだ」
西山は、東大は天才中の天才が行くところだと思っていた。だが浜田監督の話を聞き、「自分も頑張れば行けるかもしれない」と頂点を目指す意欲が湧き立つ。直前の模試でB判定が出ていたこともあり、目標を一つ高めた。
東大を受験するためには、「本当にできなくて、やりたくなかった」という国語に本格的に取り組まなければならない。すでに1日の中で自由に使える時間は勉強にフル活用しているが、睡眠時間を削れば効率が落ちる。そこで電車通学の間に行っていた英単語の復習を、古文単語の学習時間に変えた。英語は成果が出ており、新たなインプットを増やすことにしたのだ。
環境が人を育てる
文武両道のもう一つのメリットは、双方の上達方法を異なる道に応用できる点にある。勉強同様、野球でも時間を有効活用した。
「ピッチャーは自主練習が多いので、自分のやりたいことを見つけて取り組む感じでした。自分の力を効率的に伸ばせるので良かったと思います」
右の上手投げで速球が125km/hほどの西山は、「相手打者が来るとわかっても打てないカーブを投げよう」と考えた。カーブのいい投手を観察すると、縦のカーブを投げている。
「上から投げれば、重力がかかってもっと曲がると思いました。それで落差が出て、抑えられるようになりました」
同期でライバルの山田拓朗が「器用なピッチャー」という西山は野球にも真剣に取り組み、投手陣の3番手を争っていた。しかし2年秋に西山は肩を痛め、以降はデータ分析や練習のサポートなど裏方に回る。3年生になってすぐに病院に行くと、「(肩関節の障害の)スラップ損傷で手術が必要」と診断された。
最後の夏に、ベンチメンバー入りを目指すのは難しい。西山は何度も退部が頭をよぎったが、最後まで在籍することにした。ある意味、この決断も文武両道の強みと言える。
「もし野球部を辞めて受験で落ちたとき、全部自分の責任になっちゃうので。僕は10分サボったことも気にしちゃうタイプです。全部の時間を勉強にささげるのは、結構難しいと思っていました。身体的には二つやっていると辛くて、一つのほうが楽かもしれないけど、精神面では一つしかないのは結構きついなと思います。それを失ったとき、何もなくなっちゃうので」
西山は自身を「悲観主義」と捉えている。「サボったら、全部自分のせい」と考える傾向があり、逆に野球を続けることで勉強に手を抜けない環境をつくり出した。時間を区切った中で自分自身をうまくコントロールし、目標の東大合格という山を登り切った。
「川越東じゃなければ、こんなに勉強しなかったと思います」
環境が人を育てる――。文武両道を掲げる仲間との切磋琢磨、あえて附属中学を持たずに横一線でスタートさせるという学校方針のなか、入学時に312位だった西山は学年でただ一人の東大合格まで駆け上がった。
<了>
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