なぜ奈良クラブ「水増し問題」は起きたのか? 他クラブにも潜む「3つの落とし穴」

Opinion
2019.12.15

サッカーのJFL(実質4部)に所属する奈良クラブが、2015年より入場者数の水増しを常態化させていたことが発覚。昨年新体制となり、さまざまな新しい取り組みをしている面白いクラブとして注目を集める存在であっただけに、発覚後の対応を含め、地元奈良のファンのみならず多くのサッカーファンに驚きと落胆をもって受け止められた。

この問題が「なぜ起こったのか?」を突き詰めると、将来のJリーグ参入を目指す他のクラブにも決して他人事ではない“3つの落とし穴”が浮かび上がった。

(文・写真=宇都宮徹壱)

問題を「奈良クラブだけのものとしない」ために

初めて取材現場で奈良クラブを見たのは、東日本大震災があった2011年のことである。その年の全国地域サッカーリーグ決勝大会(現・全国地域サッカーチャンピオンズリーグ/以下、地域決勝)、淡路島で行われた1次ラウンドに奈良クラブは関西リーグチャンピオンとして出場。SC相模原に次ぐ2位となったものの、決勝ラウンド進出とはならなかった。第一印象としては「熱心なサポーターがいる」「うまさはないけれど実直なプレーをする」そして「ユニフォームが面白い」というものであった。当時のユニフォームの柄は唐草模様。そして胸スポンサーには『中川政七商店』が入っていた。

その後も、『奈良劇場総支配人』の肩書でプレーしていた岡山一成にインタビューしたり(2013年)、地域決勝優勝とJFL昇格を達成した瞬間に立ち会ったり(2014年)、新会社の代表に就任したばかりの中川政七氏にも昨年暮れに奈良で話を聞いている。だからこそ今回発覚した、奈良クラブの入場者数水増し問題については、大きなショックと失望感を払拭できずにいる。

事件発覚の経緯やクラブの謝罪内容については、すでに多くの記事が配信されているので、そのあたりについての言及は控える。また「犯人探し」をすることも、本稿の目指すところではない。では、目指すゴールは? それは今回の問題を「奈良クラブだけのものとしない」ということだ。むしろ「将来のJリーグ参入を目指す、他のクラブにも起こり得ること」として捉え、彼らの過ちの原因を共有化することである。なぜ、入場者数の水増しは起こったのか。そこには「3つの落とし穴」があったと私は考えている。

第1の落とし穴:クラブ運営の属人化

奈良クラブの前身は、1991年設立の都南クラブである。都南中学0Bによる草サッカーチームで、奈良県6部リーグからチャレンジを始め、1997年に県1部に到達。しかし、そこから関西2部に昇格するまで12シーズンを要することとなる。そして県1部最後のシーズンとなった2008年、重大な出来事が3つ重なった。まず、奈良県出身の元Jリーガー、矢部次郎が加入したこと。次に、都南クラブから奈良クラブに名称変更したこと。そして、「奈良からJを目指す」方針を打ち出したことである。

現在はクラブの副社長であり、NPO法人奈良クラブの理事長でもある矢部氏は41歳。地元の奈良育英高校から、名古屋グランパスエイト(当時名)に入団し、サガン鳥栖、FCホリコシ(その後、アルテ高崎に改称して2011年に解散)でプレーして、2006年にいったんスパイクを脱いでいる。その後は地元の奈良に戻り、県内からJリーグを目指すクラブでのプレー再開を考えていた時に出会ったのが、県1部だった都南クラブ。2008年に奈良クラブとなると、2009年には関西2部、2010年には関西1部へとステップアップし、同年には運営組織をNPO法人化している。

都南クラブと矢部氏との出会いがなければ、現在の奈良クラブはあり得なかったし、「奈良県からJリーグを目指す」というムーブメントも起こり得なかった。加えて言えば、JFL昇格を決めるまでのサクセスストーリーに、矢部氏の存在が不可欠だったのも事実。ただし、すべてがうまく機能していたわけではない。むしろ問題だらけだった。一番の問題は、組織内に「任せられる人がいない」状況が続き、クラブ運営が矢部氏ひとりに属人化していたことだ。以下、昨年12月の矢部氏へのインタビューを引用する。

「最初は現役復帰して監督兼選手、その後はGM兼監督でした。本当はフロント業務に専念したかったんですけど、結局は自分が抱え込まざるを得ない状況になってしまいましたね。JFL昇格を決めた2014年からは、一応GM専任という立場になったんですが、実質的には何でもやっていました。強化と営業と広報、それからアカデミーのコーチやバスの運転手も。関西リーグのアウェイは、基本的に僕が選手バスを運転していました。そりゃあ、しんどかったですよ(苦笑)」

第2の落とし穴:周囲の期待と「昇格の目的化」

昨年12月に発表された新体制となるまで、奈良クラブは実質的に矢部氏のワンオペ状態で運営されていた。ごく普通のアマチュアクラブが、熱意と能力と人望のある人間に牽引されて、さらにいくつかの偶然や幸運も重なってJFLに到達する──。そういったケースを、これまで私はたびたび目撃している。ただし、奈良クラブにおける矢野氏への依存度は尋常でなく、JFLに舞台を移してからも状況が改善されることはなかった。こうした属人化に追い打ちをかけたのが、周囲の期待と身の丈に合わない「昇格の目的化」である。

奈良クラブは関西1部時代の2013年、Jリーグ百年構想クラブ(当時の名称はJリーグ準加盟クラブ)に認定されたものの、J3ライセンスについては「スタジアム要件未充足」として交付が見送られている。この時、地域リーグで交付が認められたのは、グルージャ盛岡(現・いわてグルージャ盛岡)、レノファ山口FC、そしてアスルクラロ沼津。このうち盛岡は飛び級でJ3に昇格し、山口と沼津も改組されたJFLに名を連ねることとなった(それぞれ2015年と2017年にJ3昇格)。これに対して奈良クラブは、J3の新設とJFL改組による恩恵を受けられず、自力での昇格を目指すこととなる。

翌2014年、奈良クラブは3年ぶりに関西1部で優勝を果たし、地域決勝でも見事に優勝。ついに全国リーグへの道を自ら切り開く。実はこの決勝ラウンド初戦で、印象的な出来事があった。当時、就任1年目だったJリーグの村井満チェアマンが会場に姿を見せ、岡山一成と握手を交わしたのである。実はその日(11月22日)は、浦和レッズ対ガンバ大阪のJ1首位決戦があり、浦和が勝てばリーグ優勝が決まる状況にあった。そんな大一番を前に、村井チェアマンが地域決勝の会場に足を運び、奈良クラブを激励した事実は注目に値しよう。

実のところ当時のJリーグからは、奈良クラブに「早く上がってきてほしい」という期待感のようなものが、事あるごとに感じられた。全国9地域で、Jクラブ不在の県が最も多いのが、実は関西(奈良、和歌山、滋賀の3県)。最後にJクラブが誕生したのは、1997年のヴィッセル神戸まで遡らなければならない。関西からの久々のJクラブ誕生への期待。それが「昇格の目的化」という、本末転倒の遠因となった可能性は十分に考えられよう。事実、JFL1年目となった2015年から、奈良クラブの入場者数水増しは始まっている。

第3の落とし穴:危機管理の障害となった(?)理念とブランディング

JFLに昇格して以降の奈良クラブは、J3ライセンスこそ交付されたものの、成績面ではパッとしないシーズンが続いた。2015年は16チーム中7位。2016年は10位。薩川了洋監督が就任した2017年は7位。そして2018年は8位。J3昇格の条件の一つである「JFL4位以内」にはなかなか届かない。平均入場者数についても同様で、2015年が1816人、2016年が1508人、2017年が1446人、2018年が1795人。こちらも「2000人以上」という条件をクリアできないままであった。

そんな奈良クラブに、大きな変化が起こったのが昨年10月。新たな運営会社を立ち上げ、代表取締役に就任したのは、中川政七商店の中川政七会長、45歳である。300年以上続く、手績み手織りの麻織物の老舗の13代目で、伝統工芸を中心としたものづくりのブランドを全国に展開した実績を持つ(昨年3月に社長を退任)。中川氏自身はサッカー界とは無縁の人間であったが、ブランディング重視の経営手腕には定評があり、新会社設立でも「サッカーを変える、人を変える、奈良を変える」というビジョンを掲げて一躍注目を浴びた。

「これまでサッカーの世界では、経営の発想が希薄だったと思うんですよ。もちろん、経営のやり方はいろいろあって、マーケティングを重視するか、ブランディングを重視するかでまったく違ってくる。世の中の主流は今のところマーケティング重視で、実際にそれで成功しているところが多いのも事実です。でも僕としては、やっぱりブランディング重視でいきたい。『サッカーを変える、人を変える、奈良を変える』というビジョンを第一に掲げているのも、そのためなんです」

昨年12月のインタビューで、このように語っていた中川代表。奈良クラブのビジュアルイメージを一新させ、23歳のGMを登用するなど、それまでの常識にとらわれない手法は耳目を集めた。しかし成績は振るわず、過去最低の14位。加えて、水増し疑惑が発覚した際も迅速な対応を怠り、必要以上に傷口を広げることとなった。確かに掲げた理念は崇高だし、ブランディング戦略も期待が持てるものはあった。だが、それらが先行しすぎたがゆえに「築き上げたブランディングを崩したくない」という保身が働き、結果として危機管理の面で後手を踏むことになったように思えてならない。

今回の水増し問題から教訓とすべきこと

あらためて、今回の事態を招いたであろう「3つの落とし穴」をまとめておこう。まずクラブ運営の属人化によって、組織のガバナンスとコンプライアンスが曖昧な状況になっていたこと。これに追い打ちをかけたのが、周囲の必要以上の期待であり、結果として「昇格の目的化」という不健全な状況を生み出すこととなる。これら2つの落とし穴は、新会社設立によって解消されるかに思われた。だが、掲げた理念とブランディング戦略に反して結果が伴わず、今回の問題についても適切な手立てを打つことができなかった。

今季の平均入場者数は2020人。ようやく2000人の大台を超えたと思ったら、今回の不祥事発覚である。同じくJ3ライセンスを持つ東京武蔵野シティフットボールクラブは、最終的にJFL4位という成績を収めながらも、平均入場者数が届かないことが判明。シーズン終了前に昇格断念を宣言している。一方、奈良クラブが水増しの事実を認めたのは、シーズン終了から6日後の12月7日。しかもJ1最終節の後半開始直後というタイミングである。こうした間の悪さもまた、奈良クラブのイメージをさらに貶めることとなった。

今回の問題を受けてクラブは、中川代表に1年間の報酬の全額返上、矢部前代表に1年間の報酬の30%減という処分を下すことを発表。しかし、ソシオ会員向けの説明会は開催されたものの、一般メディア向けの会見は12月12日時点でまだ行われていない。そんな中、本件について村井チェアマンは「J3入会申請内容の信頼性を大きく損なう事象として、大変重大かつ遺憾に思います」との声明を発表。言葉の重みを鑑みて、Jリーグ百年構想クラブの一時除外などの厳しい対応も予想される。

奈良クラブと出会ってから、8年の年月が流れた。誰も時計の針を元に戻すことはできない。今、クラブに求められるのは、仲間内で許しを乞うことではなく、あらゆるステークホルダーへの迅速かつ誠実な対応である。そして、自ら起こした過ちを包み隠さず開示し、これからJを目指すクラブにきちんと教訓を残すこと。奈良クラブが禊(みそぎ)を済ませ、新たなブランディングを構築していくためには、こうしたプロセスこそが大前提となる。ソシオのみならず、多くのサッカーファンが、奈良クラブの次の行動に注目している。

<了>

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