「2回同じ失敗を繰り返した」苦労人。FC町田ゼルビア・鈴木準弥が振り返る、上を目指し続けられる理由
2023年夏にFC東京からFC町田ゼルビアに加入し、右サイドバックのレギュラーに定着。町田のJ2優勝とJ1昇格に大きく貢献した鈴木準弥。静岡県沼津市で生まれ育ち、早稲田大学4年時にはドイツへ海外挑戦。その過程で苦しい時期を過ごしながら何度も這い上がり、J1再挑戦の機会をつかんだ。そんな鈴木が昨年12月に地元沼津市で開催したJリーガートレーニングキャンプへの思いにも触れながら、過去の経験やその当時の心境を回想。トレーニングキャンプを共同開催したサッカー指導者・河岸貴氏が、サッカーを切り口に人生に役立つ新たな視点を届ける共育メディア『Footballcoach』の特別インタビューとして話を聞いた。
(インタビュー=河岸貴[Kiot Connections代表]、構成=多久島皓太[Footballcoachメディア編集長]、写真=Footballcoach)
初めてプロとして出場したドイツ3部クラブでの洗礼
河岸:日本や海外でプレーする若い選手たちに海外のメソッドでトレーニングを積んでもらう機会として、今回(鈴木)準弥の地元でもある沼津でトレーニングキャンプを開催しましたがどうでしたか?
鈴木:この3日間でトレーニングだけでなく、食事や体のことなどの講義が多かったので、自分も含めてですが若い選手たちにはとても良い時間になったのではないかなと思います。トレーニングでも河岸さんの考え、ドイツの考えを含んで指導してくださったのでとても貴重な機会です。
最後は沼津の地元の高校生とのトレーニングマッチも行いますが、彼らにとってもすごい機会だと思います。今後何かのつながりでJリーグの関係者が見にきたとして、目に留まる高校生がいたら「年明けからのうちのキャンプ来てみる?」というふうにプロクラブから声がかかるかもしれない。そうなると、僕が生まれ育ったこの街からJリーガーがどんどん増えていくことにつながるので、とても可能性のある試みを地元でできる幸せを感じています。
河岸:準弥が立派に今プロとしてプレーできているのを、地元の次の世代の子どもたちに見せていける機会だよね。
鈴木:僕がプロを志したのも、このすぐ隣にある競技場で清水エスパルスとジュビロ磐田がトレーニングマッチをしていたのを見たからです。地元でプロの選手たちを見て、自分もプロになりたいと思いました。その時は地元の少年団にいましたが、より高いレベルでサッカーをしたいと思ったので、アスルクラロ沼津のアカデミーに入りました。
河岸:そこから高校は清水エスパルスユースで、大学は早稲田、その頃に僕と準弥が知り合ってドイツ3部に練習参加にも行ったよね。ドイツでの半年間はどうでした?
鈴木:ドイツでのワンプレー目が、今でもトラウマのように覚えています。ドイツに渡ってすぐの試合で、会場はアウェイ。日本とは違って、下部のカテゴリーでもスタジアムにはかなりのお客さんが入ってたんです。そんな中、急にベンチから呼ばれて出場しました。初めてのポジションで出て、それだけでも少しテンパっていたんですが浮き玉でFWにパスを出そうとしたところ、ミスしてしまいそこからボールを奪われてピンチになったという場面でした。その印象が強く監督にも残ったみたいで、そこからなかなか難しい日々を過ごしましたね。
「あの時があったから、死に物狂いでサッカーに向き合えた」
河岸:半年のドイツでの生活を終えて、日本に帰ってきてからもJリーグの複数クラブに練習参加していたけどなかなかうまくいかずだったよね。ドイツでの半年もそうだけど、日本に帰ってきてからの日々も今振り返るとターニングポイントだった?
鈴木:本当はドイツでもう少しプレーしたかったのですが難しく、日本で所属先を探すとなってもそう簡単にはいきませんでした。ドイツの時もですが、今思えばかなり甘い考えだったんだと思います。ドイツに行くまでは全日本大学選抜にも選ばれていて、ドイツのチームと試合をした時も通用するなと感じていたんです。なんとかなるだろうと思ってドイツに行ったら、言葉も文化も違う国でなんともならなかった。
日本に帰ってきても、日本での経歴もあるしうまくいくだろうと思って準備もあまりせずに、練習参加に行ったりしていたのでどこにも引っ掛からなかったです。今となっては、この経験が翌年から死に物狂いでサッカーに向き合えた糧になったのかなと思いますね。
河岸:身をもってそういった経験をすると、自分自身で内省できるから理解できるよね。僕も指導者としてドイツに渡った時に、同じような経験をしたので。そこから、藤枝MYFCに加入が決まったんだよね?
鈴木:藤枝が早めに内定をくださって、日本でもプロとしてプレーできることになりました。当時はJ3だったのでクラブハウスもなく、外で洗車ついでにみんなでシャワーを浴びるような環境でした。藤枝は2年契約でしたが、1年目が終わった時にブラウブリッツ秋田からオファーをいただいて移籍しました。秋田ではJ3優勝も経験させてもらいましたし、楽しくプレーさせていただきました。ただ、東北の冬はとてつもなく寒かったですね(笑)。毎日のスタートは、車を出すための雪かきからでした。
「結果が出た後に、どこまで自分を律して上を目指し続けられるのか」
河岸:秋田で安定したプレーを続けて、FC東京にステップアップ。着実にJ1まで駆け上がっていったけど、FC東京に加入したのも準弥の中ではまた一つのターニングポイントだったんじゃないかな?
鈴木:そうですね。最初の数試合は順調にベンチにも入って、スタメンでも出場できていました。やっぱりドイツの時と同じように、「このままいけるな」という慣れと甘えが出た時にしっかりと見抜かれて、メンバーを外されました。メンバーを外れることになった試合の翌週のトレーニングで、全治1カ月ほどのケガをしてしまって、そのまま1年半くらい出場機会がほとんど訪れなかったです。
河岸:ドイツで苦しい時期を過ごして、日本での所属先が決まってからは順調にきていた。FC東京でまた苦しい時期がきたと思うんだけど、自分の人生は山あり谷ありだなって感じた?
鈴木:感じましたね。自分が結果を残す前には必ず苦しい時期が来るなと思いました。ドイツで苦しんで、藤枝、秋田では結果が出て。FC東京でも苦しい時期があり、FC町田ゼルビアに移籍して今季J2優勝とJ1昇格を達成、いいパフォーマンスを発揮できたと思います。これまでのサッカー人生を振り返り、2回同じ失敗を繰り返しましたけど、「結果が出た後に、どこまで自分を律して上を目指し続けられるのか」が大事なのかなと思っています。
「自分の色を、J1のピッチで表現したい」これまでの経験を糧に…
河岸:町田でJ2を独走で優勝してのクラブ史上初のJ1昇格。改めて振り返ってみてどうでした?
鈴木:一番感じたのは、「充実した日々ってあっという間だな」ということです。大体試合に出続けることができていたシーズンは、シーズンが終わる時に「もう終盤か」と感じていたんです。シーズン途中の夏に町田に加入して、半年間はあっという間に過ぎました。自分がチームに必要とされている、チームに自分の役割があるということのうれしさ、幸せも噛み締めることができました。
河岸:町田に加入してからは半年で1ゴール5アシスト。J1で迎えるシーズンも町田の重要な戦力として戦うと思うけれど、最後に新シーズンへの抱負を聞かせてください。
鈴木:ドイツの時もFC東京の時も感じましたが、高いレベルの中でどれだけ自分の色を表現できるかが重要です。監督の戦術やチームのサッカー観がある中で、自分の色を出せる人たちがそういった第一線に残り続けることができるんだなとわかりました。ドイツの時もFC東京の時も、うまく自分の色を表現しきれずに終わってしまった。来季どれだけJ1で自分の力が通用するのか、とても楽しみです。
(本記事はFootballcoachで公開中の特別インタビューより一部抜粋)
<了>
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[PROFILE]
鈴木準弥(すずき・じゅんや)
1996年1月7日生まれ、静岡県出身。サッカーJ1リーグ・FC町田ゼルビア所属のプロサッカー選手。アスルクラロ沼津、ジュビロ磐田の下部組織を経て清水エスパルスユースに。早稲田大学在籍時には全日本大学選抜に選出され、ユニバーシアード大会では優勝に貢献。その後、ドイツ3部でプロキャリアをスタートさせ、藤枝MYFC、ブラウブリッツ秋田、FC東京を経て2023年夏にFC町田ゼルビアに加入。J2優勝とJ1昇格のクラブ初の偉業に右サイドバックとして大きく貢献した。
[PROFILE]
河岸貴(かわぎし・たかし)
1976年7月25日生まれ、石川県出身。サッカー指導者。Kiot Connections代表。VfB Stuttgartの育成年代、トップチームを指導し、スカウトも歴任。現在は自身が立ち上げたKiot Connectionsにて若手選手のマネジメント、エージェントを担当。ティモ・ヴェルナーやヨシュア・キミッヒなど、世界の第一線で活躍する選手たちを指導し、岡崎慎司や酒井高徳などの日本人選手たちのドイツでのプレーや生活もサポートした。DFB/UEFA B級・JFA A級サッカー指導者。
■「Footballcoach」(フットボールコーチ)とは?
現役選手や指導者、専門家、経営者など様々なコラボレーションから、サッカーを切り口に人生に役立つ新たな視点をお届けする共育メディア。オリジナル動画を200以上公開しており、オンラインイベントも定期開催している。
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