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レジェンド・葛西紀明が挑む新たなギネス世界記録。「愛するスキージャンプを死ぬまで貫き通したい」
スキージャンプ界の“レジェンド”葛西紀明が新たな記録に挑む。2月17日と18日に行われるノルディックスキーのワールドカップ札幌大会で、予選を通過すれば、自身が持つワールドカップジャンプ個人最多出場記録(ギネス世界記録)を「570」に更新する。5つの世界記録を持ちながらも、かかるプレッシャーは「これまでとは違う」という。4シーズンぶりのワールドカップ本戦出場、そして記録更新への挑戦を前に、レジェンドはどのような心持ちでいるのだろうか。50代に入って見据える新たな目標や、自身の未来図についても語ってもらった。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=松尾/アフロスポーツ)
ワールドカップでもう一度聞きたい声援
――葛西選手はこれまでワールドカップ個人最多出場、ワールドカップ最年長優勝、オリンピック最多(8回)出場、冬季五輪ジャンプ最年長メダリスト、ノルディックスキー世界選手権ジャンプ最多出場と、5つのギネス世界記録を持っていますが、50代に入ってから、何か新しい目標はありますか?
葛西:まず、ワールドカップメンバーに返り咲きたいなと思っています。日本ではたくさんの方が応援して喜んでくれているのですが、海外の試合に出て、何万人もいる観客を沸かせたいという思いがあります。ドイツでワールドカップをやったらドイツのお客さんがたくさん来ますし、ヨーロッパだとオーストリアとかポーランドとか周辺国のお客さんも3、4万人ぐらい来るんです。その中で、ドイツの選手が飛ぶときはドイツの観客からワーッと歓声が上がりますし、ポーランドの選手ならポーランドのお客さんたちが応援して、オーストリアはオーストリアの……となるんですけど、僕が飛ぶと、全員がワーッと盛り上がってくれて、僕の歓声が一番大きいことに感動したんです。その声援はもう一回聞きたいですね。それが今の目標ですし、スキーフライングの200m以上飛べるジャンプ台で、それをやってみたいですね。
――何万人もの視線の中で飛ぶプレッシャーもあると思いますが、葛西選手の場合は、プレッシャーとどのように向き合うのですか?
葛西:いつも緊張するような場面になると、すごく嫌なんですよ。胸が気持ち悪いというか、「なんでこんなに緊張しているんだろう?」とか、「この緊張が原因で失敗したらどうしよう」とか。そういうことは考えてしまうんですけど、実際に飛んでみると、意外とプレッシャーに勝てることが多いんですよね。そういう状況の方がいいパフォーマンスをすることが多いので、緊張があった方が、打ち勝つための強い力が働くのかもしれないですね。
「一番難しい」からこそ続けたいジャンプの魅力
――小学校3年生の時に競技を始められて今年で43年目ですが、これだけ長く飛び続けてこられたスキージャンプの色あせない魅力はどんなところだと思いますか?
葛西:「難しい」ところですね。僕は趣味のゴルフやテニスの他にもいろいろな競技をやるのですが、それぞれの競技に特有の面白さや難しさがある中でも、スキージャンプは一番難しい競技だと思っています。
たった2本のジャンプに、技術やメンタル面を凝縮させて、スピードに乗れるかどうか。スピードの中でタイミングや方向、パワーを合わせなければいけないんですが、いい向かい風や不運な追い風に当たるか当たらないかわからない「運」をつかんで、その瞬間に自分の最高のパフォーマンスを出せるかどうか。これが当たらないとメダルは取れないですし、2本のうち1本失敗したら優勝やメダルはなくなってしまうので。それが4年に一度のオリンピックにちゃんと合うかどうか、ということもあります。僕は7回目のソチ五輪(2014年)でそれがバチっと当たって個人と団体でメダルを2つ取れたんですが、そういう周期というか、リズムをつかむ難しさがあります。
――体のコンディションを整えた上で、そういう技術的なことや気象条件も考えるとなると、ピークを合わせるのが本当に難しそうですね。
葛西:そうですね。ただ、みんなオリンピックに合わせようとしているわけではなく、毎年30戦以上あるワールドカップを戦っていくことに合わせていて、その中に4年に1度のオリンピックが入ってくる感じです。だから、一発屋のような選手もいるし、長年かけて僕みたいに7回目のオリンピックでようやく個人のメダルを取った選手もいます。小林陵侑は幸せだと思いますよ。まだ平昌五輪と北京五輪の2回しか出ていないのに、金も銀も取りやがって、って(笑)。でも、そういう難しさがジャンプの魅力だとも思っていて、だからこそ続けたいと思うんです。僕の場合、これまでの大会で90パーセント以上は悔しい思いをしていますし、「やった! 勝てた!」と思えた経験は、5パーセントぐらいだと思います。
経験を重ねて身につけた対応力。スランプに陥った時は…
――20代から30代にかけては、スランプやケガやプレッシャーとの戦いなど、さまざまな壁を乗り越えてこられた葛西選手がこれだけ長く第一線で活躍し続けているのは、経験が生きている部分も大きいですよね。
葛西:そうですね。ただ、経験よりも大きいのは対応力だと思います。ルールは毎年のように変わりますし、使う道具も、僕が始めた頃から相当変わっていますから。そういう部分に対応できたからこそ、これだけ長く続けることができていると思います。ルールが変わると「またかよ」と思いますけど、しっかり対応して、成績を出す。調子が悪い年もありましたけど、それを乗り越えて自分のいい調子が戻って、そこでプレッシャーに勝ってまた世界を目指す。理不尽な競技だと思うこともありますけど、難しいからこそやりたいし、続けたいし、勝ちたいと思うんですよね。もし、簡単に何勝も何百勝もしていたら、もうとっくにやめていると思います。そこを乗り越えて勝った時の喜びはひとしおですね。
――ご著書『夢は、努力でかなえる。』の中で、高校3年の時に重圧からスランプに陥ってもがき苦しんだ時に、厳しいトレーニングを重ねて乗り越えたというエピソードがありましたが、今は、不調に陥った時はどのように乗り越えているのですか?
葛西:スランプを乗り越えるためにはやっぱり練習量が必要なんですよね。ただ、ジャンプの難しいところは、1日に何十本も何百本も飛べないところです。ゴルフやテニスだと、何百球って打ったりすることができるじゃないですか。そして何度も反復できるからこそ、「こうした方がいいんだ」っていう気づきやポイントを見つけやすいと思うんですよ。
でも、ジャンプはリフトに乗りながら前のジャンプのことや次のジャンプのことを考えて、1本飛ぶのに10分ぐらいかかるので、多くても1日に10本から20本ぐらいしか飛べないんです。その上で、アプローチの時には時速90キロを超えるスピードの中で、コーチの言ったことや自分が気をつけるべきポイントなどをすごい早さで考えているので、1本飛んだだけですぐ疲れてしまうんですよね。だから10本飛んだらすごく疲れるし、自分が気をつけたいポイントを直すまでに相当な時間がかかるんです。それもジャンプの難しさですが、練習量が限られた中で向上していくしかないと思っています。
――そういう経験を重ねる中で、対応力も身につけてこられたのですね。
葛西:そうですね。ただ、もともと対応力がある選手はすぐにできてしまうこともあります。僕も対応力があったからこそここまでできていると思いますが、小林陵侑は対応力の神なので。そこが、やっぱり彼のすごいところなんですよね。
――2009年から所属の土屋ホームで監督も務めてこられましたが、今後のスキージャンプ界をどのように展望されていますか?
葛西:僕もできる限りジャンプは続けていきたいですけど、若手を育てていくこともすごく大事だと思っています。もう少し世界のトップで戦える若いジャンプ選手を増やしていかなければならない、育てていかなければならないなと強く思っていますし、土屋ホームスキー部でもワールドカップやオリンピックで戦っていける選手を育てて、もしくは僕が飛んで勝つ、と(笑)。そういう風に盛り上げていきたいと思っています。
ギネス記録更新がかかるワールドカップへ
――今月17日と18日に札幌で行われるノルディックスキーのワールドカップで、予選を突破すれば4シーズンぶりの本戦出場となり、ご自身が持つワールドカップジャンプ個人最多出場記録(ギネス世界記録)を570に更新します。記録がかかった状況は、どのような心持ちですか?
葛西:めちゃくちゃプレッシャーがかかっています。「570試合出場すればギネスが塗り変わる」というプレッシャーが僕の脳や潜在意識の中に埋め込まれているので、その時が来たら試合以上に緊張するかもしれないですね。
――今まで経験してきたプレッシャーとも違いますか?
葛西:これまでとはちょっと違う気がしますね。気にしないようにしているつもりですが、周りから言われますし、「予選を通れば」という声や「50歳を超えて」という声も聞こえてきます。これはなかなかのプレッシャーですよ(笑)。そこさえ打ち破ることができれば、ワールドカップではもう少し気楽に臨めるのかなとは思いますけどね。
――改めてレジェンドへの注目が集まっている中で、「ここを見てほしい」というポイントを挙げるとしたら、どんなところでしょうか?
葛西:予選を通ったら万々歳なので、試合より緊張する予選を勝ち抜く葛西紀明を見てほしいと思っています。
――各競技で、象徴的なレジェンドと言われるアスリートがいますが、葛西選手が描くご自身の未来図を教えていただけますか?
葛西:世間では「歳を取ると引退」みたいな雰囲気になってしまうじゃないですか。でも、僕は自分が愛している競技を死ぬまで貫き通したいんですよ。そういう選手って本当に少ないなと思っていて。中には「若手に譲れよ」っていう考え方の方もいるとは思いますけど、きっと、僕が頑張っていることで「勇気をもらえた」って言ってくれる人の方が多いと思うんですよね。だから、50歳を越えても60歳にもなっても頑張っている選手がもっともっと増えてほしいですし、ジャンプもアスリートとして長くやっていける競技になってほしいと思っています。
【連載前編】スキージャンプ・葛西紀明が鮮やかに飛び続けられる理由。「体脂肪率5パーセント」を維持するレジェンドの習慣
<了>
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[PROFILE]
葛西紀明(かさい・のりあき)
1972年6月6日、北海道下川町出身。小学3年生でスキーを始め、1992年のアルベールビル五輪に19歳で初出場し、以後2018年平昌大会まで、オリンピック8大会に出場。オリンピック最多出場のほか、ワールドカップ個人最多出場、ワールドカップ最年長優勝、冬季五輪ジャンプ最年長メダリスト、ノルディックスキー世界選手権ジャンプ最多出場と、5つのギネス世界記録を保持。2009年からは所属の土屋ホームで選手兼監督として戦い、自身も記録に挑み続けている。
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