世界最強アームレスラー・ 竹中絢音の強さのルーツとは?「休み時間にはいつも腕相撲」「部活の時間はずっと鉄棒で懸垂」

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2024.05.02

アームレスリング界の“最強女王”である竹中絢音は、競技を始めた10歳の時に世界を目指し、15歳で国内王者に輝いた。その後、世界ジュニアでも2連覇を達成するなど、早熟の大器は成長のスピードを緩めることなく、2022年には全日本選手権大会の男子の部で優勝。女子選手が男子カテゴリーで優勝するという史上初の快挙を成し遂げた。そして昨年、世界アームレスリング選手権大会の左右優勝を達成し、目標としていた世界王者に輝いた。圧倒的な才能に恵まれていたように見えるそのキャリアをひも解いていくと、興味深いエピソードが散らばっていた。「誰よりも負けず嫌い」だった少女は、世界への階段をどのように上ってきたのか? そのルーツに迫った。

(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=竹中絢音)

20kgのダンベルを上げていた小学生時代

――アームレスリングの選手だったお父さんの下で、10歳の頃にアームレスリングを始めたそうですが、幼少期はどんな子どもだったんですか?

竹中:もともとすごく負けず嫌いで、相手が大きいとか小さいとか、性別も関係なく、腕相撲やアームレスリングでは誰にも負けたくないと思っていました。自分で決めたことは絶対にやり切らなければ嫌だったので、たとえば学校で「漢字ドリルや計算ドリルを2周やらなければいけない」という宿題が出た時に、一人だけ5周目までやったりしていました。その範囲からテストに出てくるのはわかっていて、絶対に100点をとりたかったんです。特別活発というわけではなく、割と地味な子どもだったと思いますが、ずーっと同じことをやり続けられるタイプでしたね。

――小さい頃は空手もやっていたそうですが、いろいろやった上でアームレスリングを選んだ感じですか?

竹中:いえ、空手はちょっとだけやって、すぐにやめてしまいました。お父さんがアームレスリングの選手だったので、子どもの頃から試合を見たり、練習している姿を見ていたのは大きかったです。練習部屋の隅で、お父さんが片手で持ち上げていた20kgのダンベルを、椅子に手をつけながら両手で持ちあげたり、父の友達と練習したりしていました。それからはアームレスリング一筋で、他のスポーツはほとんどやってないんですよ。

――お父さんはその頃から、熱心に練習を教えてくれたんですか?

竹中:父から「アームレスリングをやってほしい」と言われたことは一度もないんです。でも、「やるって決めたならやれよ」っていう感じだったので、定期的に「もう(アームレスリングを)やめろよ」って言われて、その度に「やる!」って言い返していて。結局「じゃあやれよ」って、父のほうが折れていました(笑)。

――試されている感じですよね(笑)。お父さんは何歳ぐらいの時に、認めてくれたんですか?

竹中:定期的な「もうやめろ」は、高校生くらいまで言われていましたね(笑)。ただ、今はいつも応援してくれていて、年に2、3回、実家の岐阜に帰省した時には、私の試合を見て、「あれはこうだった」って感想をくれたり、手を握って、教えてもらったりしています。

初めて「世界」を体感したのは16歳の時

――アームレスリングの基本を習得するまでには、一般的にどのぐらいの期間がかかるんですか?

竹中:1年ぐらいで基本の型は覚えられます。あとは攻め方や、関節の使い方が人によって違うので、特徴に合わせて強化していくイメージです。ただ、「こういう戦い方が強い」とされていたのが、「こっちのほうが強いんじゃないか」というふうにセオリーが変わったり、ルールも少しずつ変わったりするので、対応力も大事ですね。

――中学3年生の時に全日本アームレスリング大会で優勝、高校1年生の時には3階級で優勝して、世界アームレスリング選手権大会のジュニアでも2連覇と、10代からさまざまなタイトルをとっていますが、自分の中で、タイトルへの思いが変化したタイミングはあったのですか?

竹中:11歳の時に愛知県大会に出て3位になったのですが、それぐらいの時には「世界をとる」と言っていたと思います。もともと練習相手は男子選手が多くて、出るのは女子の大会だったので、あまり急激に強くなったという感覚はあまりないんです。ただ、16歳の時に初めて世界大会に出て海外の選手と対戦する機会があったので、「世界のレベルはこんな風に高いのか」と肌で感じて、そこから逆算して「自分はどれくらいで世界一にたどり着けるのか」ということを具体的に考えられるようになりました。

――それから8年目で、昨年、世界一の目標を達成したんですね。高校時代は他のことをやろうと思ったり、「競技をやめたい」と悩んだりしたことはなかったんですか?

竹中:それはなかったですね。小さい頃からアームレスリングが生活の軸だったので、それ以外の選択肢は考えたことがないんです。プロとしてやっていく環境がないことはわかっていましたし、「競技だけをやって食べていくことは難しい」とわかった上で続けてきたので、そういう悩みや迷いはなかったです。

中学生時代は陸上部。「隠れて勉強と練習をしていた」

――学生時代は、学校の机の脚にチューブをつけて練習していたそうですね。妥協のなさを物語っていますが、日本チャンピオンがクラスにいたら人気者になりそうですよね。

竹中:意外と普通の学生でしたよ(笑)。でも、小学生の頃から休み時間にはいつも腕相撲をやっていて、周りの友達からもそう認識されていました。中学校は、みんな小学校から同じように上がってきていたので、同じように休み時間は腕相撲ばかりやっていました。

――部活はやっていなかったんですか?

竹中:中学生の時は陸上部でした。お母さんも陸上部でしたし、同じ中学で2つ年上のお姉ちゃんが陸上部にいたので、一緒に入ろうと。でも、部活の時間は、ずっと鉄棒で懸垂をしていました。アームレスリングのトレーニングになると思って砲丸投げもやっていましたね。

――すべてアームレスリングでの成長につながるように徹底していたんですね。勉強では好きな科目などはあったのですか?

竹中:答えが一つしかないものが好きなので、数学や漢字は好きでした。数学は公式があって、必ず一つの答えに導かれるじゃないですか。逆に、国語で心情を読み取ったりするのはすごく苦手でしたね。

――すぐに決着がつくアームレスリングに通じるところがありそうですね。お父さんからは「勉強もしっかりやりなさい」と言われていたんですか?

竹中:それが、勉強をしてると父が怒るんですよ。「子どもの頃は遊べ」ということだったと思うんですけどね。勉強していると「もっと遊べ」って言われて、トレーニングも頑張ると「やりすぎ」って言われて。「トレーニングも勉強もせんかったら私、何すればいいんよ」みたいな感じで、どうしたらいいかわからずに過ごしていた時期もありました。結局、隠れて勉強と練習をしていましたけど(笑)。

トレーニングは「上がらなくなるまで」が目安

――隠れて遊ぶのではなくて、隠れて勉強と練習に励んでいたというのはすごいですね(笑)。今は、毎日練習はどのようなメニューをこなしているのですか?

竹中:毎日、いろいろなメニューを1時間から2時間ぐらいやっています。回数とかセット数をしっかり決めているわけではないのですが、どのメニューも錘(おもり)が上がらなくなるまでやって、キツくなったら少しずつ減らしていく感じです。普通のウエイトトレーニングだったら1時間ぐらいですが、(バーベルを持ち上げる)デッドリフトや(上腕二頭筋を鍛える)ケトルベルハンマーカールなど、アームレスリングに直結するような意識でトレーニングする種目は、時間を長くしたり、ボリュームは多めです。

――パワーやテクニック、タイミングなど、実践をイメージして鍛えているんですね。デッドリフトはどのぐらいの重さまで上げられるんですか?

竹中:「ファットグリップ」という、持ち手を太くするためのゴムをつけている状態で、70キロぐらいです。

――さすがですね……。自分の中で、特に好きな練習メニューはありますか?

竹中:やっぱり、懸垂系のメニューは好きですね。両手で腰にベルトを付けたり、錘をつけて加重したり、片手懸垂をする時は、脇を絞めてアームレスリングの試合の時に肘が伸びないようなイメージでトレーニングをしたりしています。

――左右両腕とも遜色ない筋肉で見惚れてしまいますが、基準にしている太さや筋肉量などはありますか?

竹中:基本的には他のアスリートと同じで、体脂肪率なども気にして体作りをしています。腕の太さは35センチくらいを目安にしていて、それ以上は減らないように気をつけています。あとは、背中ですね。腕で相手を引きつけるために背中を使うのと、姿勢を固めるためにも広背筋はしっかり鍛えています。

――筋肉を育てるという点では、ボディメイクにも共通するところがありそうですが、体重管理や食事で気をつけていることがあれば教えてください。

竹中:ボディメイクは増量・減量の仕方が全然違いますね。私の場合、増量は意識はしなくても自然に増えてしまうので、大会前に調整しています。食事は、鶏の胸肉をフードプロセッサーにかけて、細かく挽肉して炒めたものを冷凍して保存しておいて、それを小分けで使った食事が多いですね。野菜もしっかり摂るようにはしていますけど、そこまで意識せずになんでも食べます。魚は特に好きですね。

――大会後は、ご褒美に甘いものを食べたりもするんですか?

竹中:そうですね。基本的に嫌いなものがないので、海外に行ってもなんでもおいしく食べていますよ。

【前編はこちら】世界一の剛腕女王・竹中絢音が語るアームレスリングの魅力。「目で喧嘩を売っていると思います、常に(笑)」

【後編はこちら】競技人口1億人、プロリーグも活性化。アームレスリング世界女王・竹中絢音が語る競技発展のヒント

<了>

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[PROFILE]
竹中絢音(たけなか・あやね)
1999年生まれ、岐阜県出身。アームレスリング選手だった父のもとで10歳の頃に競技を始め、世界を志す。中学3年生の時に全日本アームレスリング大会で優勝、高校1年生の時には3階級で優勝。世界アームレスリング選手権大会のジュニアでも2連覇を達成。2022年の全日本選手権大会男子の部の60kg級で優勝するなど、階級、性別を超えてタイトルを獲得。2019年からコロナ禍で4年間国際大会から遠ざかったが、2023年のWAF世界アームレスリング選手権大会のシニア55kg級では圧巻の強さで世界一に輝いた。また、JAWA全日本アームレスリング選手権大会では3階級で金メダルを6個獲得。普段はスポーツトレーナーとしてパーソナルトレーニング指導やアームレスリングの練習会を行っている。日本タイ古式マッサージ協会認定セラピストとしても活動。

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