競泳から転向後、3度オリンピックに出場。貴田裕美が語るスポーツの魅力「引退後もこんなに楽しい世界がある」
女子スポーツの競技登録者数は、ライフステージの変化を境に大きく減少してしまう。どんなライフステージでもスポーツを楽しみ、続けてほしい――。スポーツ用品を手掛ける株式会社モルテンは「KeepPlaying プロジェクト」を通じて、さまざまなアスリートの共通の悩みや体験談を共有している。競泳の選手として活躍した貴田裕美さんは、2010年にオープンウォータースイミング(OWS)に転向し、3度のオリンピックに出場。東京五輪後に現役を退き、現在はナショナルチームの強化に携わっている。競技転向の契機や大学卒業後も長く水泳を続けられた理由など、貴重な体験談を語ってもらった。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=貴田裕美[貴田さんは写真壇上向かって左端])
転向して2年でオリンピック出場。女子OWSの第一人者に
――貴田さんは競泳選手として世界選手権やインターハイなどで活躍された後、25歳の時にオープンウォータースイミング(OWS)に挑戦され、3度のオリンピックに出場されました。泳ぐことの魅力や、OWSに挑戦した理由について教えてください。
貴田:私は幼い頃から体を動かすことが大好きで、日が暮れるまで毎日外で遊んでいるような子どもでした。水泳は生後6カ月から親と一緒に入るベビースイミングから初め、小学校1年生の頃から水泳の試合に出場していました。他にも陸上や剣道、体操などの習い事や、2歳上の姉を真似しながらさまざまなスポーツを体験しましたが、その中でも水泳が一番好きで続けてきました。
もともとは競泳でオリンピックを目指していましたが、あと少しで届かないことが続き、競技引退も考えました。それでも「オリンピックの舞台を経験したい」という気持ちは強く、当時日本でOWSでオリンピックに出場した選手はいなかったこともあり、イメージが湧きませんでしたが、OWSでチャンスがあるなら挑戦してみようと思いました。
OWSは自然の中で行う水泳競技で、競泳とは違って試合環境が毎回異なるため、それに合わせた準備・対策が必要になります。初めてOWSの国際大会に出場した時は水温が17℃と低く、低体温症になってしまい、順位は最下位でした。それからは練習方法を変え、海外の試合に出て試合経験を積み、海外の選手に積極的に話しかけて情報を集めて、オリンピック出場を目指しました。
――転向してから2年でオリンピックに出場されましたが、海外の試合や選手との交流しながら、スキル向上のヒントをつかんだのですか?
貴田:そうですね。日本ではまだその時、OWSに本気で挑戦しようという選手がいなかったので、海外の選手に話しかけて、上達のヒントをもらっていました。競泳のタイムはそれほど変わらないのに、10キロなどの長距離になると勝てないので、「普段はどんな練習しているの?」と。当時は英語もまだあまりできなかったので、翻訳アプリなどを使いながら自分から話しかけました。
――OWSに挑戦して良かったと思うのはどんなことですか?
貴田:やはり、オリンピックに出場するという夢が叶えられたことだと思います。ロンドン五輪の翌年2013年の世界選手権では、トップの選手と僅差でゴールできたことも思い出深いです。他国の選手たちがレース後に「速かったね、すごいよ」と声をかけてくれました。そうやって国際大会で海外のライバルたちと交流したり、訪れた国の文化や歴史を感じたりして、競技以外でも楽しむことができた現役生活は、とても充実した時間でした。
競技継続への不安乗り越え、保育士の資格取得へ
――女子スポーツは卒業や就職などライフステージの節目で競技者数が減ってしまう傾向がありますが、「KeepPlayingプロジェクト」についてどんな印象がありますか?
貴田:女性は結婚・出産・子育てなどのライフスタイルの変化や環境の変化などで、スポーツから離れざるを得ない場面に直面することがあります。好きなことを続けるための選択肢が男性より少ないと感じます。このプロジェクトでさまざまなアスリートの経験や考えを共有することは、女性アスリートだけでなく、将来の世代にとって貴重な情報源になると思います。
――学生時代などに、水泳をやめることについて考えたことはありますか?
貴田:大学生の頃にキャリアについて悩みましたが、幼少の頃から毎日のように取り組んできた水泳を引退した後の姿が想像できませんでした。一方で、大学卒業後に競技を第一線で続けたいと思っても、社会人として競技を続けることができる環境が現在ほど整っていないなか、金銭的な面での不安もありました。
――どんなことが支えになったのですか?
貴田:まず、姉に相談をしました。続けたい気持ちはあるけれど先のことがわからず、金銭的な不安も話したら、「その悩みは羨ましい」と言われました。第一線で続けたくても大半の人は諦めないといけないし、自分(姉)はそのレベルまでいけなかったから、やりたい気持ちがあるなら続けてみれば?と言われて。「私は誰かに背中を押してもらいたかったのかもしれないな」と感じました。
幸いなことにスポーツの理解がある企業への入社が決まりましたが、競技に集中できる環境に恵まれた反面、同世代が社会に出て働いているなかで、競技だけをやっていていいのか悩むこともありました。
――その不安をどのように解消したのですか?
貴田:競技に支障が出ない程度に何かを学ぼうと考え、興味があった保育士の資格取得の勉強を始めました。保育士資格は学校に行かなくても、国家試験に合格すれば資格が取得できる方法があると知り、トレーニングの合間や休みの日に勉強をして、数年かけて国家試験に挑戦し、無事合格することができました。実技試験でピアノの試験があったのでピアノ教室にも通いましたが、新鮮で楽しかったです。現在、ナショナルチームの強化の他に子どもたちの水泳指導も行っているので、保育士の資格で勉強したことが子どもたちの指導にもつながっていると思います。
――競技と両立しながらの勉強は、かなり苦労したのではないですか?
貴田:現役中は競技優先で、資格の試験と水泳の試合が被ったら試合を優先していました。ただ、その分、隙間時間に勉強もしていました。興味があることだったので頑張れましたし、資格が取れたことで、引退後の心のお守りになりました。競技だけやっていると煮詰まってしまうことがあるので、興味のある勉強だったら気分転換にもなるし、試験に向けて緊張感もあるので、競技以外でもメリハリができてよかったです。
指導者としての強み「メンタル的なサポートができるように」
――2021年に引退されて、現在は日本水泳連盟OWS強化戦略スタッフとしてナショナルチームの強化に携わっていますが、指導する立場での強みはどんなことだと思いますか?
貴田:競泳とOWSの両方で日本代表経験があることと、長い期間第一線で競技をするなかで経験を積んできたことだと思います。体格には恵まれませんでしたが、自分の強みを活かし、ライバルたちに勝つ方法を常に考えていました。競技を通じてさまざまな人に出会い、いろんな価値観に触れたことも強みになると思います。
――指導側になってから、競技に対する思いに変化はありましたか?
貴田:「結果を出さなければ」というプレッシャーからは解放されましたが、知り合いや先輩から「一緒にリレーに出たい」とか、「記録を出したいから一緒に出てほしい」と相談されることもあります。自分のためには泳がなくなってしまいましたが、人のためにだったら頑張ろうと思えるので、時々楽しみながら泳いでいます。
――指導する上で大切にしていることはどんなことですか?
貴田:OWSは長距離なので試合も長時間になりますし、体力的にもすごくきつい競技ですから、トレーニング時間も長いです。そのなかでメンタル的にきつくなる選手もいるので、そういう選手たちのメンタル的なサポートができたらと思っていて、そこにやりがいを感じています。オリンピックに行くまでの過程や、「この練習を乗り越えたらこのレベルまでいける」ということは経験上、ある程度わかっているのですが、それを選手に求めると難しい時もあります。選手たち一人一人の個性があって、できることとできないことがあるので、自分の物差しだけで測ってはいけないと感じます。ただ、ナショナルチームなのでオリンピックを目指している選手が多く、求めるレベルを下げてはいけない。その難しさを感じながらやっています。
――今後、どのようにスポーツに関わっていきたいですか?
貴田:私は水泳に限らず他のスポーツの選手と話すことが好きなので、競技の特性や魅力、その選手の強みなどをいろんな選手に聞いてみたいです。機会があればやってみたいのは、ダンスとサーフィンです。見ていて楽しい競技だと思いますから。チームスポーツも一度体験してみたいですね。個人競技は自分が頑張った分が結果として現れますが、チームスポーツはチームの目標に向けて協力し合い、個の力はもちろんですが、メンバーとの連携や相互サポートも必要になるので、スポーツの楽しさを仲間と共有できるのがいいなと思います。
女性が安心してスポーツに取り組める場を
――トップレベルの競技だけでなく、部活などの第一線を離れても、女性が好きなスポーツを続けるためにはどのようなことが課題だと思いますか?
貴田:社会や環境の観点から見ると、女性が競技を続ける際には、結婚や出産、子育てといったライフイベントに対するサポートが不足していると思います。求める競技レベルによって考え方も異なりますが、スポーツを通して体を動かす楽しさや、仲間とのつながりを大切にすることが重要です。競技から離れた後も、仲間とともにスポーツを楽しむ場を見つけることができれば、女性が競技を長く楽しめるのではないかなと感じていますし、自分にできることは何か考えていきたいです。
――子どもの目線や大人・親の目線から、「こんなことがあったら続けられる」と思うことはありますか?
貴田:試合会場に救護室があるように、試合会場に託児所も当たり前のようにある環境になるといいですよね。最近は出産後に第一線で活躍する女性アスリートも増えてきていると思います。その中でトップアスリートには支援があったりもしますが、コーチや試合関係者は支援がなく、お子さんを家族や親族に預けて試合に来るという現状が多くあります。誰でも試合会場で安心してお子さんを預けられる環境ができてほしいですし、女性が安心してスポーツに取り組める場が増えてほしいです。
――年齢を重ねても生活の中にスポーツがあることで、どんなふうに人生が豊かになると思いますか?
貴田:私は小さい頃から負けず嫌いで、スポーツと言えば競うことばかりで、体育の授業中の小さな勝負でも負けたくない、といつも闘志を燃やしていましたし、現役時代は競技で結果を残すことに全力を注いでいました。ただ、引退してからも水泳に関わるお仕事に携わらせていただいていくなかで、「スポーツは競うことだけじゃないな」と、実感しています。幅広い世代の方の水泳指導をするなかで、「楽しそうだな」と感じたり、「好きなことをしている時って、人はすごく生き生きしているな」と感じて。勝ち負けだけでなく、人とのつながりができたり、年齢を重ねても毎日練習して自分の成長や、今までできなかったことができた時の喜びを感じる姿を見て、スポーツは健康だけではなく、心の健康や、コミュニケーションも生み出すのだなと感じています。引退してもスポーツに関わることでこんなに楽しい世界があると感じました。
<了>
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[PROFILE]
貴田裕美(きだ・ゆみ)
1985年6月30日生まれ、埼玉県出身。競泳長距離とオープンウォータースイミングの選手として第一線で活躍し、ロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪、東京五輪に出場。2021年の東京五輪のレースを最後に競技を引退。現在は日本水泳連盟OWS強化戦略スタッフとして、OWSナショナルチームの強化に携わる。国家資格である保育士資格を持ち、幅広い世代に水泳の魅力を伝えている。
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