風間八宏のひざを支え、サンフレッチェを変えたトレーナーとの出会い「身体のことは西本さんに聞けばいい」
南葛SCでGM補佐を務める畠田亮の密かな楽しみは、練習後や試合後の風間八宏監督との会話。風間の含蓄ある言葉はそのどれもが新鮮で、聞くたびに畠田のサッカー観に新たな示唆を与えてくれる。役得として浴びていた風間の言葉の中でも特に気になったのが、「前の筋肉はブレーキ、後ろの筋肉はアクセル」という言葉だった。その真意を知りたがった、スポーツWEBメディア『REAL SPORTS』の代表も務める畠田に対して、風間は一言「身体のことなら、西本さんに聞けばいいよ」と言った。風間が口にしたのは、ある一人のトレーナーの名前だった。
(インタビュー・文=大塚一樹、トップ写真提供=©南葛SC、本文写真提供=@FUKUYAMA CITY FC ACADEMY 2025)
「サッカーを知らない」トレーナー
西本直と風間八宏の出会いは1993年のJリーグ開幕直前のことだった。
サンフレッチェ広島の設立に大きく関わり、その後も初代取締役強化部長兼・総監督として辣腕を振るった今西和男が「広島に新しくできるプロサッカークラブのトレーナーを探している」という。
1989年度の高校サッカー選手権で四国勢として初めて全国制覇を果たした南宇和高校サッカー部の石橋智之監督は、西本の母校、宇和島東高校の3学年上の先輩だった。
四国サッカー界の“時の人”が西本を「宇和島で治療院を開き、独自の理論で身体を診ている人がいる」と今西に推薦したがすべての始まりだった。
「サンフレッチェ? なんだそれは? 知らないなぁという状態でしたから、最初は断るつもりだったんです」
地域密着を謳う日本初のプロサッカーリーグ誕生にあたって、母体となる実業団各クラブが急ピッチで準備を進めていた。サンフレッチェ広島の前身であるマツダSCでも、アマチュアからプロへの移行の方策の一つとして、主に選手の身体のケアをするトレーナーが必要ということになったのだろう。
「とにかく一度広島に来てくれということだったので、宮島観光ができるんじゃないかくらいの気持ちで行ったのを覚えています」
旅行気分で海を渡った西本を待っていたのは、安芸の宮島ではなく、広島市街から車で4、50分はかかる呉市総合スポーツセンター、通称・郷原グラウンドだった。
「山道をうねうねと登らされてね、どこへ連れて行かれるんだと思いましたよ」
マツダの福利厚生施設「マツダ健保スポーツセンター」だったこの施設は、1998年に現在のサポーターにもおなじみの吉田サッカー公園が完成するまでサンフレッチェのメイン練習場として使用された。
郷原サッカー場で西本は、“アジアの大砲”として日本代表のセンターフォーワードに定着していた高木琢也、同じく日本代表に名を連ねるGKの前川和也、現在の日本代表監督、森保一といった選手たちを紹介された。
「申し訳ないんですけど、見たことも聞いたこともない人たちで」
曲がらないひざと「歩けない」サッカー選手
サッカーにはまったく興味がなかった西本だったが、「練習の後、少し診てほしい」と請われて、身体の専門家として触れた選手の状態には驚いたという。
「ひざが痛い、腰が痛い。みんなどこかしら痛めていて、ひざがほとんど曲がらない人もいた。ようこんなんで走り回ったりボールを蹴ったりできるなと思いました」
アスリートにケガは付きものとはいえ、現在ほど身体のケア、休養の大切さが言われていなかった時代のこと。ましてや専属トレーナーが常駐しているクラブのほうが珍しかった。
「何人かに私なりの施術をすると、楽になった、痛みが消えたというわけです。選手たちにびっくりされて、その日は4、5人に触ったのかな」
なかでも重症だったのが、得意のフリーキックでマツダを引っ張ってきたベテランMFの高橋真一郎だった。
「私より一つ上の選手だったんですけど、もうひざが90度曲がらない。その場でできることは限られていましたが、施術後にそれまでよりひざが曲がるようになったんです」
ケガに悩まされ、80年代には日本代表に選ばれながら辞退していた高橋は、残念ながらJ開幕シーズンをもって引退してしまったが、西本が高橋のひざに魔法をかけた瞬間を見ていたのが風間八宏だった。
「最初に行ったときは、八宏の身体を触った覚えがないんですよね。高橋さんのひざを診ているときに、何人か選手が『何が始まるんだ?』『何ができるんだ?』とのぞき込んでいて、その中に八宏がいたと思うんです」
結局、次の日も郷原まで出向いた西本は、「なんとしてもサンフレッチェに来てくれ」と懇願され、地元に開院した治療院を2年で閉めることになる。
「若気の至りですよ。選手に『すごい』『治った』と言われて勘違いさせられた。帰途、松山へ向かう船の中では『そんなに俺はすごいのか。よっしゃ』と。田舎にはえらい迷惑をかけてしまったんですが、うまく乗せられて? とにかく広島に行くことになったんです」
笑いながら話す西本だが、当時のスポーツトレーナーと言えばマッサージやテーピングが主な仕事。西本のように、ケガの根本原因を身体の使い方に求め、身体の構造上無理のない動きづくりをするという発想を持ったトレーナーは皆無だった。
西本直は、愛媛県宇和島市に生まれた。小さい頃から野球に打ち込み、名門・宇和島東高校に進学。しかし、腰や肘を痛め思うようなプレーができなかった。このとき、「湿布を渡されるだけで何もしてくれない」整形外科や整体院の対応に疑問を持っていた。
32歳まで東京で会社勤めをしていたが、橋本敬三医師が実践した骨格構造に基づいて運動時の歪みを修整する『操体法』に出会い一念発起。地元・宇和島に治療院を開院した。サンフレッチェのことも、日本代表クラスの選手たちも知らなかったのは、サッカーとは無縁の人生を歩んできたからだった。
“車椅子レベル”のひざと「筋肉のギプス」
「このひざをなんとかできるのは俺しかいない」
正式にサンフレッチェのトレーナーに就任してから、あの90度曲がらなかった高橋のひざに負けず劣らず「ひどい状態だった」のが風間八宏のひざだった。
サッカーのことは知らなかったが、風間のひざに何が起きているのか、どうしてこうなったのかは診て触ればわかる。
風間のひざも、長年の無理がたたってプレーできているのが不思議な状態だったと西本は振り返る。
「八宏に付き添って病院に行ったことがあるんです。MRIを撮ったんですが、撮影技師に『こんなひざ見たことあります?』とカマをかけたんです。もちろん技師は勝手に診断はできませんし意見も言えないんです。でも反応でわかりますよね。目や表情で教えてくれました。『こんなひざはめったに見ない。重症です』と。普通なら車椅子ですよ」
半月板はすり減ってペラペラになり、クッションを失った関節の隙間は消失。骨と骨が直接ぶつかる状態で、本来なら歩くだけで激痛が走るはずのひざだった。
歩くのもままならない状態なのになぜピッチでは平気なのか? アドレナリンや集中力だと言うアスリートは多いが、西本はそれだけではないと断言する。
「八宏の場合は、ひざをカバーするために太ももの外側の筋肉を常に緊張させてプレーしていました。筋肉で骨格を無理やり固定している状態。わかりやすく言えば、筋肉をギプスにして歩いたり走ったり蹴ったりしている状態でした」
“筋肉のギプス”はそう長くは続かない。この頃の風間は、前半45分が終わると、立てなくなるほど疲弊していた。
「前半が終わると、私が八宏と話をするような素振りで近づいていくんです。で話し続けているふりをしてそのまま肩を貸すような形でロッカーに行くんですね。ハーフタイムのはじめの10分は、がんばっていた外側の筋肉をひたすらほぐすんです。残りの5分は、その筋肉があと45分がんばるために刺激を入れるんです。監督の指示を聞きながら、『さぁ行こう!』となると八宏もチームメイトと同じようにスッと立ち上がってピッチに出るんです」
毎試合一緒にロッカールームに下がってくる2人に「どういう関係?」と冷やかす声もあったそうだが、前半を終えた風間が西本の肩を借りて支えてもらわないとロッカーに戻ってこれらない状態だったことも、ハーフタイムの施術でなんとかプレーしていたことにも気づく人はいなかった。
試合後も風間は、チームバスでスタジアムを後にするチームメイトを横目に西本の車に乗り込む。
「その日の疲労はその日になんとかしなくちゃいけないんでね。彼の自宅に行って、1時間くらいひざを緩めるというのがホームゲームのルーティンでした。時間外労働もいいところでしたが、やらなきゃどうにもならないから、よう働いていましたよ(笑)」
西本に絶対の信頼を置いていた風間だが、現在も独自の理論でサッカー界に異彩を放つ彼らしく、西本の施術の意図に逐一説明求める「めんどくさい」一面もあったという。
「今だったらきちんと理論立てて説明できるんですけど、当時はやりながらでしたからね。私がこうやってと言うと『どうしてこれをやるの?』と聞いてくるわけですよ。あんまり聞くもんだから、私もめんどくさくなって、『俺の弟子にするわけじゃないんだから嫌だったら帰ってくれ』とか、『 なんか疑問があるなら、やらなくていい』とか、そんな衝突はあった気がしますね。私は彼のサッカー界での立ち位置やプレーぶりをもちろんリスペクトしていましたけど、私は私で自分の領域では誰にも負けないという自負でやっていましたから。そこでお互いぶつかってみたいなことはありました」
「僕のひざは西本さんのもの」治療から“動きづくり”へ
チーム一の理論派で、クラブにドイツ仕込みの「プロ意識」を植え付けた風間が西本のトレーナーとしての仕事に興味を持ち、信頼を置いたことには大きな意味があった。風間の言動でクラブ全体が西本のやり方を受け入れるようになり、治療から予防のための補強運動、さらにはサッカーの動きのための強化運動へとサンフレッチェのトレーニングに西本理論が浸透していったのだ。
「1994年に初優勝したときかな(※1stステージ[サントリーシリーズ]で優勝)。八宏がインタビューで『僕のひざは自分のものではありません。西本さんのものです』とかなんとか、かっこいいことを言ってくれたんです。西本って誰だ? となって、私の存在や役割について少しは知ってもらえるきっかけになったんです」
痛みを取ってくれる。動けるようにしてくれる。当初は選手の“駆け込み寺”的な役割を担っていた西本だったが、厳しいリーグ戦を戦うチームにあって、故障選手の面倒を見るだけではいくらやっても切りがない。故障を元から絶つのは無理でも、故障しにくい身体づくりも同時にやらなければという思いが当初からあった。
「20人からいる選手が、壊れたから治してくれでは間に合いません。故障しないためにピッチに出る以前の段階で『こういう身体の使い方をしておいたほうがいいよ』ということを伝える必要がありました」
当時、チームとして組織的にウエイトトレーニングに取り組んでいるJクラブは見当たらなかった。選手やコーチの間には「重いものを持つと筋肉が固くなり、サッカーの動きが悪くなる」という固定観念が根強かった。
しかし、西本が提唱したのは、単に筋肉を肥大させるためのトレーニングではなかった。
「私が選手に取り組んでもらったのは、重さを挙げること自体を目的とした筋トレではなく、負荷がかかった状態でも、正しく身体を使えるようにするトレーニングです。正しい使い方ができればケガも減るし、ピッチの上で自分の身体を思ったように操ることができるようになります」
「前はブレーキ、後ろはアクセル」その言葉の源流
人間は背骨と骨盤を中心に動く。背骨は身体の後ろにあるのだから、運動の主役は『後ろ側の筋肉(伸筋)』であるべきというのが西本のトレーニング理論の根幹。腹筋や胸筋といった「前側の筋肉(屈筋)」はブレーキであり、鍛えすぎて固めればパフォーマンスは落ちる。
これが数十年後に指導者となった風間が唱える「前はブレーキ、後ろはアクセル」という身体操作理論につながる。
「ライオンや虎の腹筋は割れていないでしょ。前側の筋肉は縮むのが主な仕事。屈筋を使ってボールを止めようとしたら、身体が棒のように固まって柔らかいボールタッチってできませんよね。電信柱にボールをぶつけて跳ね返るのと同じです」
西本の詳細な理論は別記事に譲るが、サンフレッチェの初代監督を務めたスチュアート・バクスターも「身体の使い方をよくするための筋トレ」には大賛成で、契約2年目には「トレーナー」から「ストレングス&コンディショニングトレーナー」へ。3年目には「フィジカルコーチ」の肩書が加わった。
「いよいよなんでもできるけど、なんでもやらなければいけなくなってしまった。今みたいにネットで調べたらトレーニングメニューが出てくる時代じゃないので、知らないというのが悔しいから、毎日必死にトレーニングメニューを考えていました」
1995年にサンフレッチェを離れた西本は、 三菱重工広島硬式野球部 コンディショニングコーチ、ヴィッセル神戸フィジカルコーチなどを歴任。その後、抑えから再び先発に転じ、二ケタ勝利を連発していた広島東洋カープの佐々岡真司投手のパーソナルトレーナーとして、40歳で佐々岡が引退するまでそのパフォーマンスを支えた。
再会と変化、息子たちの治療
野球界に身を置いた西本と風間の人生が再び交錯したのは2012年。風間が川崎フロンターレの監督に就任したときのことだった。
諸事情からフロンターレでのトレーニングコーチの任期は数カ月で終わってしまったが、風間は西本理論をサッカーに落とし込み、身体の使い方、正しい動きに沿った筋力トレーニングの重要性を継続的に選手にインプットし続けている。
「頻繁に連絡を取る仲かというとそんなこともないんですけど、川崎で会う前には、息子を見てほしいと言われたことはありましたね」
現在はザスパ群馬でプレーする風間の長男・宏希が高校時代、第5中足骨骨折の故障が長引き、違和感を抱えたままプレーしていたときのことだった。
「ちょうど今私が座っている目の前のここに来て治療をしていったんですね。2回目だったか、八宏本人も一緒に来て『俺のときと全然違うじゃないか。ちゃんと説明して、嫌なら帰れとか言わなくなった』なんて言ってましたね。宏希くんが私の説明がすごく納得のいくものだったって話したらしくて、私だっていつまでも『嫌なら帰れ』なんて言ってらんないよと言い返しました」
後に次男の宏矢が肩を脱臼した際も西本を頼ってリハビリの指導を仰いだという。
本当のことを教えてくれる「おじさん」として
現在、西本は妻の介護を優先させるため、トップアスリートの身体を診る第一線からは退いている。
「やるならやるではまり込んでしまうタイプなので、今はあえてサッカーも野球も、今年は箱根駅伝さえも見ていません。そこに頭を使う気力が今はないですから」
ただ、自らがトレーナーを目指す原体験になった、医療や治療、ケガに対する対処への疑問に応えたいという核心部分は少しもブレることなく心の奥底にある。
「地元の福山シティFCのジュニアユースの選手たちを指導したときに改めて思ったんです。『今の私のようなおじさんが、近所に居てくれたら自分の人生はどうなっていたんだろう』って。
八宏にしても、私はただ『人間の身体はこうなっているんだよ。だからこう動いた方が効率的だし、負担がないよね』という当たり前のことを伝えたに過ぎません」
風間はサッカーの止める、蹴る、運ぶなどの基本技術を徹底的に追求した独自のサッカー理論を構築した指導者として知られる。風間が「身体のことは西本さんに」と指名すること自体、西本が真理を伝える“頼れるおじさん”以上の存在であることを物語る。
「今回も『こんな取材があるけど受けてくれ』って突然電話してきたんです。私に聞けとか言ってくれることがうれしいし、ありがたいですね」
「前はブレーキ、後ろはアクセル」
サッカーを知らなかったトレーナーと、歩くのもやっとだったサッカー選手の縁は、数十年の時を経て明確な理論として残り、後に続く選手たちの成長に役立っている。
【連載後編】日本人のフィジカルは本当に弱いのか? 異端のトレーナー・西本が語る世界との違いと“勝機”
<了>
野球界の腰を支える革新的技術がサッカーの常識を変える。インナー型サポーターで「適度な圧迫」の新発想
なぜ日本人は100m後半で抜かれるのか? 身体の専門家が語る「間違いだらけの走り方」
知られざる「欧州を目指す日本人トレーナーの指標」の存在。海外一択の決意の末、カンボジアで手にした経験値と順応性
「深夜2時でも駆けつける」菅原由勢とトレーナー木谷将志、“二人三脚”で歩んだプレミア挑戦1年目の舞台裏

[PRFILE]
西本直(にしもと・すなお)
1958年生まれ、愛媛県出身。温古堂津田治療室の故渡辺栄三氏と出会い、操体法を学ぶ。1993年にJリーグ・サンフレッチェ広島のトレーナーに就任し、1994年の1stステージ優勝を陰で支える。ヴィッセル神戸フィジカルコーチを経て、1999年から広島東洋カープ、佐々岡真司投手のパーソナルトレーナーを務める。同投手と二人三脚で投球動作を解析し、まったく新しいトレーニング方法を確立。一般人向けのボディメンテナンスとプロスポーツ選手の「動きづくり」のトレーニングに取り組む。2013年には川崎フロンターレのトレーナーも務めた。現在は広島の自宅での施術に加えて、定期的に呉港高校野球部や福山シティFC U-13のトレーニング指導を行っている。
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
日本人のフィジカルは本当に弱いのか? 異端のトレーナー・西本が語る世界との違いと“勝機”
2026.03.02Training -
野球界の腰を支える革新的技術がサッカーの常識を変える。インナー型サポーターで「適度な圧迫」の新発想
2026.03.02Technology -
なぜ老舗マスクメーカーはMLB選手に愛される“ベルト”を生み出せた? 選手の声から生まれた新機軸ギアの物語
2026.03.02Business -
「コンパニの12分」が示した、人種差別との向き合い方。ヴィニシウスへの差別問題が突きつけた本質
2026.03.02Opinion -
クロップの強度、スロットの構造。リバプール戦術転換が変えた遠藤航の現在地
2026.02.27Career -
“勉強するラガーマン”文武両道のリアル。日本で戦う外国人選手に学ぶ「競技と学業の両立」
2026.02.26Education -
三笘薫の数字が伸びない理由。ブライトン不振が変えた、勝てないチームで起きるプレーの変化
2026.02.25Opinion -
日本サッカーに「U-21リーグ」は必要なのか? 欧州の構造から考える19〜22歳の育成
2026.02.20Opinion -
フィジカルコーチからJリーガーへ。異色の経歴持つ23歳・岡﨑大志郎が証明する「夢の追い方」
2026.02.20Career -
「コーチも宗教も信じないお前は勝てない」指導者選びに失敗した陸上・横田真人が掲げる“非効率”な育成理念
2026.02.20Career -
ブッフォンが語る「ユーヴェ退団の真相」。CLラストマッチ後に下した“パルマ復帰”の決断
2026.02.20Career -
名守護神が悲憤に震えたCL一戦と代表戦。ブッフォンが胸中明かす、崩れ落ちた夜と譲れぬ矜持
2026.02.13Career
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
クロップの強度、スロットの構造。リバプール戦術転換が変えた遠藤航の現在地
2026.02.27Career -
フィジカルコーチからJリーガーへ。異色の経歴持つ23歳・岡﨑大志郎が証明する「夢の追い方」
2026.02.20Career -
「コーチも宗教も信じないお前は勝てない」指導者選びに失敗した陸上・横田真人が掲げる“非効率”な育成理念
2026.02.20Career -
ブッフォンが語る「ユーヴェ退団の真相」。CLラストマッチ後に下した“パルマ復帰”の決断
2026.02.20Career -
名守護神が悲憤に震えたCL一戦と代表戦。ブッフォンが胸中明かす、崩れ落ちた夜と譲れぬ矜持
2026.02.13Career -
「自分がいると次が育たない」ラグビー日本代表戦士たちの引退の哲学。次世代のために退くという決断
2026.02.12Career -
女子サッカー日本人選手20人がプレーするWSL。林穂之香が語る進化と求められる役割
2026.02.10Career -
ユナイテッド、チェルシー、アーセナルを“刺した”一撃。林穂之香が宿す「劣勢で決め切る」メンタリティ
2026.02.09Career -
中国勢撃破に挑む、日本の若き王者2人。松島輝空と張本美和が切り開く卓球新時代
2026.02.06Career -
守護神ブッフォンが明かす、2006年W杯決勝の真実。驚きの“一撃”とPK戦の知られざる舞台裏
2026.02.06Career -
モレーノ主審はイタリア代表に恩恵を与えた? ブッフォンが回顧する、セリエA初優勝と日韓W杯
2026.01.30Career -
ハーランドが持つ「怪物級の能力」と「謙虚な姿勢」。5歳で世界記録“普通の人”が狙うバロンドールの条件
2026.01.23Career
