守護神ブッフォンが明かす、2006年W杯決勝の真実。驚きの“一撃”とPK戦の知られざる舞台裏
“世界最高峰のGK”として君臨し続けたプロ生活28年――。17歳でプロデビューを果たし、史上最多10度のセリエA制覇を成し遂げ、45歳まで現役を貫いたジャンルイジ・ブッフォン。イタリア代表では史上最多キャップを誇り、2006年にワールドカップ優勝を成し遂げた。その輝かしいキャリアの裏には、無数の失敗、敗北、葛藤、そして“立ち上がる力”があった。本稿では『ジャンルイジ・ブッフォン自伝 何度でも立ち上がる』の抜粋を通して、“ジジ”自身が初めて語る挑戦の物語をひも解く。今回は、栄光の2006年ワールドカップ――、フランス代表との決勝戦で起きたサッカー史に残る出来事について。
(文=ジャンルイジ・ブッフォン、訳=片野道郎、写真=AP/アフロ)
決勝前夜。思ったよりも心が落ち着いていた理由
2006年ワールドカップ決勝前夜。
その夜は、もちろん強烈な緊張があった。それでもいつもより多少は心が落ち着いていたのは、相手をよく知っているからだった。フランス代表には馴染みのある顔が何人もいた。何人かとは一緒にプレーしていたし、他の何人かとはセリエAやUEFAチャンピオンズリーグ(CL)で対戦していた。それがこの一大イベントをいささかながら身近なものに感じさせた。
ユヴェントスでチームメイトのトゥラムとトレゼゲがいて、ジダンをはじめ同じ時代を共に歩んできた多くの選手たちがいた。もしまったく知らない選手ばかりのチームが相手だったら、もっと厳粛で緊迫した空気になっていたかもしれない。しかしこの時は、2003年にミランと戦ったCL決勝と同じような、馴染みのある感覚があった。
リリアン・トゥラムは私を見つけるや否や、「ジョヴァノット(若造)、調子はどうだい?」と声をかけてきた。彼は私をいつもそう呼ぶのだ。彼と笑い合いながらこんなことを思った。「見ろよ、俺たちがいったいどこにいるのか。兄弟みたいな俺たちがこんな大舞台で命を懸けて闘うなんてな」。互いに敵同士になり、脚が震えるのを相手に悟られないようにしながらも、私たちはお互いを励まし合っていた。
ジズー。一瞬も見失ってはならない異星人
試合は最悪の形で始まった。キックオフしてすぐ、フランスにPKを許し先制される。ワールドカップ決勝のように両者の力が高いレベルで均衡した試合で、開始直後に1点のビハインドを背負うのは容易なことではない。しかし、まだ80分残っている。この時間的余裕が私たちに落ち着きを与えてくれた。
そうして10分後、コーナーキックからマテラッツィの同点ゴールが生まれる。それは象徴的な得点だった。このチームの中で脇役あるいは控えだと見なされていた選手の1人によるゴール。まさに彼ら、ファビオ・グロッソとマルコ・マテラッツィこそが、私たちを運命へと導いてくれたのだ。
ジダン、アンリ、リベリ、マルダが顔を揃え、ベンチにはヴィルトールとトレゼゲが控えるフランス代表は、確かに恐るべきチームだが、リッピは120分を通してひとかけらの動揺も見せず、完璧に落ち着いていた。ただ、90分を回っても1-1のままスコアが膠着していたこともあり、それゆえ彼は守備的に構える判断を下した。ストライカーを追加投入しなかったのは、フランスには一瞬も見失ってはならない異星人がいたからだ。
ジズー。
延長前半、彼が突然主役として浮かび上がる瞬間があった。ジダンは何もないところから3つか4つ、信じられないプレーを創出する。私とカンナヴァーロは顔を見合わせて「今の見たか?」と無言で視線を交わした。そこから私たちは無酸素状態へと陥っていった。
ああいった絶対的な個の力は、対戦相手の確信を根底から揺るがす。疲労が一気に押し寄せ、せめてPK戦に持ち込めれば、という弱気な願望が頭を支配し始める。アンリ、そしてとりわけジズーを追いかけるDF陣の息が上がっているのがわかった。苦しげに呼吸し、プレーが止まると膝に手を当てて身体を折る。
ある瞬間、飛び込んできたクロスに合わせてジズーがヘディングシュートを打った。それはまるで砲弾のように重いシュートだったが、運良く正面に飛んできた。私は反射的に手を伸ばして、開いた手でボールに触れることができたが、あれほど威力のあるヘディングシュートは、後にも先にも出合ったことがない。至近距離から全力で蹴り出されたシュートと変わらない強さだった。私はボールをクロスバーの上に弾いたが、その瞬間、心臓が張り裂けそうな思いで見つめていた数千万人のサポーターの心までを持ち上げたように感じた。
私たちは歯を食いしばった。リッピは延長前半と後半の間に、ジダンに対する戦術的な「檻」を用意した。デ・ロッシとガットゥーゾがタイトにマークすることで、少なくともプレーのタイミングを一拍遅らせようという狙いだった。あのヘディングシュートを見たこともあり、セットプレーではマテラッツィがジダンをマークすることになった。ジダンはすでに1998年のワールドカップ決勝でヘディングから2つのゴールを決めていた。
あの時マテラッツィが何を言ったのか
フランスが私たちを押し込んで何度目かのコーナーキックになった時、私は視界の隅で、マテラッツィとジダンの間に何かおかしい雰囲気があることに気づいた。
試合は続いていたのに、その2人だけはまだ前のプレーが終わっていないかのように、その延長線上にいた。マテラッツィはジダンのすぐ背後にいて、何か怒鳴っていた。ジダンは突然弾けたように振り返り、一歩下がって勢いをつけるとマルコに頭突きを食らわせた。私は15mほど離れていたが、その「ドスン」という音がはっきりと聞こえた。
もし相手が別の選手だったら命にかかわっていたかもしれない。ワールドカップ決勝の舞台で、胸の中央に真正面からこれほどの一撃を受けるというのは、信じがたいことだ。副審は何も見ていなかった。唯一見ていたのは私だった。だから私は主審と副審に向かって走り、注意を促した。マテラッツィは地に倒れ、ジダンは呆然と立ち尽くし、私は抗議する。そしてようやく試合が止まった。
そこから2分間、主審のホラシオ・エリソンドが副審と話すが、彼らには何も手がかりがないようだった。ただ1人、第4審判のルイス・メディナ・カンタレホを除いては。彼は確かに見ていた。そして、もしかしたらその2分間の間に、タッチライン際のモニターでその映像を見返していたかもしれない。おそらくサッカー史上で最初のVARの事例だったのかもしれない。エリソンドはメディナ・カンタレホと話しをした後、センターサークルに走って戻り、ジダンにレッドカードを提示した。
私はショックを受けた。様々な感情が一気に襲ってきた。まったく、少しも嬉しくはなかった。これがジダンのラストマッチであることを知っていたし、彼はサッカー史上最も偉大で最も品格のある選手の1人だ。こんな形でキャリアを終えることになったのが、本当に残念で気の毒だった。あの退場には劇的な要素があった。私の内面は引き裂かれており、ほとんど恐怖すら覚えていた。ピッチ上で最も強力だった選手が、静かにロッカールームへと消えていった。ジズーの退場は当然ながら試合の流れを変え、私たちにとって有利に働いた。しかし私は動揺せずにはいられなかった。審判の注意を喚起し、その判定を引き起こしたのは他でもない私だったのだ。
あの時マテラッツィが何を言ったのかについて、私は一度も詮索したことがない。ピッチ上では何も聞き取れなかったが、ああいう極限的な状況下にある選手が、普段は思ってもいないようなことを口走ることはよく知っている。相手の精神的な安定を揺さぶるために、不適切な何かを口にするのだ。ただし、人種差別や政治的な偏見が込められた言葉ではない。このレベルでそういったことが起こるのは非常に稀だ。
イタリアは歴史的にPK戦に弱い。だが…
10人対11人になって、もしかしたら勝ちに行くこともできたかもしれないが、私たちには本当にもう余力が残っておらず、PK戦まで身体を引きずって行くのがやっとだった。
イタリアではPK戦のことを「宝くじ」と呼ぶ習慣がある。偶然性に支配されていることを暗に示しているのだ。しかし実際のところ、PK戦はきわめて繊細で洗練されたサッカー的対決であり、運も確かに作用するが、メンタル的な持久力はそれよりもずっと重要だ。実を言えば、最初は5人のキッカーが揃わなかった。
今でこそ、当時の仲間が再会すると「6人目は誰が蹴っていたか」という話題で皆が興奮し、こぞって手を挙げる。しかしあの時、リッピに誰が蹴るかと訊かれて名乗り出たのは、アンドレア・ピルロ、アレッサンドロ・デル・ピエーロ、ダニエーレ・デ・ロッシの3人だけだった。ダニエーレは当時22歳で、出場停止明けということもあり他の選手よりも体力的にはフレッシュだったが、それ以上にとんでもない勇気を持っていた。
リーノ・ガットゥーゾはすでにバスローブにサンダル姿で、ピッチサイドで口笛を吹きながら、まるでたまたまそこを通りがかった一般人のような顔をしていた。もしPK戦がサドンデスに突入していたら、間違いなく私たちは終わっていただろう。
そんな気まずい空気を見るに見かねて、私も手を挙げて名乗り出た。しかしリッピは、マテラッツィとグロッソを選んだ。マテラッツィは同点ゴールを決めてPK戦に持ち込んだ功労者であり、グロッソはオーストラリア戦、ドイツ戦で決定的な仕事をした「運命の男」だったからだ。
チームメイトたちは本当に素晴らしかった。私は大した貢献もできなかった。実際、私が世界で最も幸せな男の1人になれたのは、彼らがPKを決めてくれたからだった。
彼らは、私がこれまで見た中で最も美しい5本のPKを蹴った。最も私はそれをピッチ上では見ておらず、後からテレビで見直しただけだったのだが。チームメイトがペナルティスポットに向かうたび、私はスタンドにいた2人のフランス人の若者を見つめていた。イタリアは歴史的にPK戦に弱い。ワールドカップでもPK戦で勝利したことは一度もなかった。だが、あのワールドカップでは本当に素晴らしかった。5人全員が驚くほどの冷静さを保ち、すべてのシュートがサイドネットぎりぎり、しかも腰の高さに飛んだ。デル・ピエーロはフェイントまで入れてバルテズを逆方向に跳ばせていた。
ファビオ・グロッソと私は、あの瞬間に唯一の心残りがあるとすれば、それはゴールが決まった後にお互いを抱きしめて、ひとつの円陣を作る冷静さがなかったことだと話し合っている。だがそれもまた、縁起を担がないと落ち着かない私たちイタリア人の国民性ゆえだ。あらかじめ祝福のやり方を計画し準備しておくなどという縁起の悪いことをするわけにはいかなかったのである。
サッカー選手として望み得る最高到達点
ロッカールームに戻ると、仲間たちの歓声と抱擁の嵐の中で、意識がぼんやりと霞み始めた。音が遠のき、天井が回り、私は意識を失った。電解質の点滴で意識を取り戻したが身体はボロボロで、仲間たちのようにお祭り騒ぎを続ける力は残っていなかった。私はもう疲れ切っていた。ワールドカップ優勝を喜ぶことすらできないほどに。
そんな中、ロッカールームの霧の中に、私たちの共和国大統領ジョルジョ・ナポリターノの姿が見えた。国家元首であり、齢を重ねた顔の皺に共和国の歴史を刻んだ人物の姿を見た時、私は今、サッカー選手として望み得る最高点に到達したのだと悟った。子供の頃、サンドロ・ペルティーニ大統領がパオロ・ロッシやディノ・ゾフと共にワールドカップの勝利を祝ったあの瞬間に憧れていた私は、今まさに自分自身の大統領と共に、それを再現しようとしていたのだ。
お祭り騒ぎの最中、私はマルチェッロ・リッピの姿を見ていた。彼の振る舞いは見事だった。最も冷静で、誰よりも落ち着いていた。1人でトスカーナ葉巻をくゆらせながら、あの決勝戦が他の試合と何ら変わらないかのように、その時間を愉しんでいた。
その姿は映画『ショーシャンクの空に』のワンシーンを思い起こさせた。アンディ(ティム・ロビンス演じる主人公)が、屋上で強制労働に疲れた囚人仲間が冷えたビールを飲んで一息つく姿を静かに見つめるあの場面だ。アンディは人生の苦悩と不正のすべてを背負いながらも、1人で穏やかに、控えめな態度でその幸福な時間を味わっていた。
リッピもまたそうだった。彼の幸福はその葉巻の中にあった。成功を確信しながらも、それが儚いものであることも知っていた。人生のあらゆるものがそうであるように、それも永遠ではないのだ。一方、私たち若者――いや子供かもしれない――は、頂点に到達した歓びに浸り、他のことなど何も考えることなく、ただ狂ったように騒いでいた。
(本記事は東洋館出版社刊の書籍『ジャンルイジ・ブッフォン自伝 何度でも立ち上がる』から一部転載)
【次回連載はこちら】名守護神が悲憤に震えたCL一戦と代表戦。ブッフォンが胸中明かす、崩れ落ちた夜と譲れぬ矜持
<了>
【連載第1回】ジャンルイジ・ブッフォンが語る「GKとしての原点」。困難を乗り越える“レジリエンス”の重要性
【連載第2回】伝説の幕開け。ブッフォンが明かす、17歳でセリエAのゴールを守った“衝撃のデビュー戦”
【連載第3回】世界最高GKが振り返る「ユヴェントス移籍の真実」。バルサ行きも浮上した守護神“ジジ”の決断
【連載4回目】モレーノ主審はイタリア代表に恩恵を与えた? ブッフォンが回顧する、セリエA初優勝と日韓W杯
マテラッツィ「イタリア最大の問題は…」伝説のW杯優勝の要因とカルチョへの愛を語る
[PROFILE]
ジャンルイジ・ブッフォン
1978年1月28日生まれ、イタリア、トスカーナ州マリーナ・ディ・カッラーラ出身。世界最高のゴールキーパーの一人と称される。1995年にパルマでプロデビューし、ユヴェントスでは長年にわたり守護神として活躍。セリエA優勝やコッパ・イタリア制覇など数々のタイトルを獲得した。2006年のFIFAワールドカップではイタリア代表の優勝に大きく貢献。晩年は古巣パルマでプレーし、2023年に45歳で現役を引退した。その献身とリーダーシップは世代を超えて尊敬を集めている。
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