五輪から外れた空手、世界1億人に広がる現在地。アジア大会金・尾野真歩が伝えたい「日本の形」

Career
2026.10.09

愛知・名古屋アジア競技大会の空手女子個人形(かた)で金メダルを獲得した尾野真歩。決勝で対峙したのは、東京五輪銅メダリストで、長く世界ランキング1位に立ってきたグレース・ラウだった。2025年1月から勝てていなかった相手に、今年6月のアジア選手権に続いて勝利し、全4試合を5-0で制した。世界で1億人以上が親しむともいわれる空手。その世界的な広がりの中で、尾野は「日本の形」をどう表現しようとしているのか。競技の現在地、そして東京五輪を最後にオリンピック実施競技から外れた今、競技者として何を伝えていきたいのか。尾野が考える空手の本質と、その未来について語ってもらった。

(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=ロイター/アフロ)

511日勝てなかった女王との再戦

――アジア競技大会後には「責任をすごく感じていた」と話されていました。これまでの国際大会と比べても、特別な重圧があったのでしょうか。

尾野:そうですね。昨年は初めて世界選手権に個人の代表として出場させていただきましたし、アジア選手権も今年を含めて3回経験しています。自分としては、いろいろな国際大会を経験してきたという認識はありました。ただ、今回は総合競技大会で、しかも日本開催です。本当に多くの方々が携わっていることも感じていました。「頑張ってね」と声をかけていただくたびに、うれしさと同時に緊張感も増していきました。

――決勝で対戦したグレース・ラウ選手は、東京五輪の銅メダリストで、長く世界ランキング1位に立ってきた選手です。尾野選手にとっても、長く追いかけてきた相手だったと思います。

尾野:彼女とは長い付き合いで、2018年のシリーズAという国際大会の3位決定戦が初めての直接対決だったのですが、当時5人審判の判定2−3で敗れています。2019年は参加者がプロックに分けられ一回戦ごとに点数がつけられるルールに変わり、大会最終結果として何度か順位が上回ることもありました。ここ2年はアジアや世界の大会を含めて、決勝でずっと戦ってきました。ただ、結果だけで言えば、2024年はグランドウィナー(プレミアリーグ年間王者)になったものの、2025年1月以降、511日間勝てていませんでした。それが今年6月のアジア選手権で、久しぶりに勝つことができました。アジア競技大会の直前だったので、周りからは「すごくいい風が吹いてきたね」と言っていただきました。自分としては、目標がより現実味を帯びてきた感覚がありましたが、やはり喜びよりもアジア競技大会を見据えた緊張感が強かったです。

 アジア競技大会は、空手が今、オリンピック競技から外れている中で、一つの大きな目標です。もちろんそこで優勝したいという思いはありましたが、来年には世界選手権という大きな舞台もあります。そこにつながる内容にしたいということは、ずっと考えていました。来年から逆算した時に、今どういう自分でありたいのか。そこに目を向けるように努めながら大会を迎えました。

勝利を支えた「形」の積み重ね

――6月のアジア選手権に続いて今回もラウ選手を破りました。ご自身の中で、力関係が変わってきたという感覚はありますか。

尾野:正直あまりないんです。ただ、今年に入って、しっかり自分に目を向けてこれまで決勝で使ったことのない形に挑戦しようと考えました。年間4大会あるプレミアリーグの後半2大会から、決勝で使う形を変えて、「スーパーリンペイ」に挑戦しました。そうした挑戦が、結果的にいい流れをもたらしてくれたのかなとは思っています。

――今大会は全4試合を5-0で勝ち切りました。結果だけを見ると圧勝ですが、ご自身では何がポイントだったと感じていますか。

尾野:「どの形を持っていっても自分は自信がある」という状態を予選からつくることは、一つの目標にしています。今回使った4本のうち3本は、すでに決勝で演武したことのある形でした。長期的な計画の中で、それぞれの形の完成度を一つずつ高めながら、基本となる土台の部分を継続してしっかり練習してきました。その土台があるからこそ、応用を利かせることもできるので、そこが今回、一番大きかったのかなと思います。

――優勝が決まった瞬間には天を仰ぎ、その後、コーチに抱きついていました。あの瞬間、最初に感じたことは何でしたか。

尾野:通常は審判が7人のケースが多いのですが、今回は5人でした。本当にどちらに上がるか分からないと思いながら電光掲示板を見ていました。

一つ上がって、二つ上がって、「あと3人のうち1人でも赤を上げてくれ」と祈るような気持ちで見ていました。赤が上がった瞬間は、全身の力が抜けて。「上がった……」という、ほっとした気持ちが一番でした。

沖縄で学ぶ「日本の形」と、その原点

――空手には「形」と「組手」があります。尾野選手が形を専門にしていったのはなぜだったのでしょうか。

尾野:小さい頃から「パワフルな動きをするね」と周りから言っていただくことはありました。形だけでなく組手も学生時代まで続けていました。中学生の頃には個人組手でも全国大会に出場しましたし、大学でも関東の体重別大会で準優勝したり、団体戦でも東日本の大会で3位になったりしました。

 その中で、結果がよりついてきたのが形だったことと、道場でも形の指導を受ける機会が多かったので、自然と形を専門にするようになっていったという感じです。

――大会後には、「日本で生まれた空手をしっかり表現したい」と話されていました。尾野選手が考える「日本の形」とはどのようなものなのでしょうか。

尾野:空手はもともと沖縄で発祥し、発展してきた武術です。形には、本来、一つひとつの動きに意味があります。私自身、今は競技アスリートとして練習しているので、なかなか文献を読む時間が取れないこともありますが、ここ数年は沖縄へ行って先生にご指導いただきながら、それぞれの技が本来どんな攻防を意味するのかを教えていただいています。それを形の中でも表現できるようにしたいと思っています。

 沖縄にはもともと「手(ティー)」と呼ばれる武術があり、中国武術など、さまざまな武術文化の影響を受けながら空手が発展してきたと認識しています。そうした文化的な背景も理解した上で表現していきたいです。競技としてはスピードやパワーも追求していかなければ、皆さんの前で演武する機会にもつながりません。伝統的な部分を学ぶことと、競技として高めていくことの両面から、日本の形を人に伝えられるようになりたいという思いがあります。

世界に広がった空手と、五輪から外れた現在地

――現在は日本やアジアだけではなく、世界各地にトップ選手がいます。競技としての空手の世界的な広がりを、どのように感じていますか。

尾野:そもそも、空手の競技化についてはいろいろな考え方があります。もともと沖縄で育まれてきた空手と、現在の競技空手では、形も変化してきていますから、その変化についてさまざまな意見を持つ方がいらっしゃいます。その一方で、競技化したことによって、これだけ世界に広まったという面もあると思います。

空手は身一つでもできます。そういう部分も、地域を問わず、世界中で多くの方に親しまれている理由の一つなのかなと思います。

――実際、現在はどのような国が強いのでしょうか。

尾野:アフリカであればエジプトやモロッコ。ヨーロッパは今はどこでも強くなっていますが、スペイン、イタリア、フランスなども強いです。中東や中央アジアでも、ヨルダン、クウェート、イランなどがありますし、アメリカも今は強いです。チリでも大会がたくさん開催されています。種目やカテゴリーによってチャンピオンになる国が違うことは、空手という競技の面白さの一つだと思います。

 日本代表としては、もちろん全種目を制することを目指していますが、競技全体として見れば、世界のどの地域の選手にもチャンピオンになれる可能性があることは空手の大きな魅力だと思います。

――空手は東京五輪で初めてオリンピック正式競技になりましたが、その後は実施競技から外れています。その変化をどう受け止めていますか。また、現役選手として今できることをどのように考えていますか。

尾野:難しい問題ですね。空手がオリンピックに入った時も、いろいろなスタイルや団体に分かれているものをまとめながら、東京五輪までたどり着いたのだと思います。だからこそ、まず「空手とは何なのか」ということを伝えることが大切なのかなと思っています。伝統派空手がどのような歴史をたどって現在に至っているのか。さまざまなスタイルや団体に敬意を持ちながら、その背景への理解を深めていくことも必要だと思っています。

 東京五輪では、それまで空手を知らなかった方々にも、「形と組手があって、こういう競技なんだ」ということを先輩方が示してくださったと思います。その次のフェーズとして、「では、そもそも空手とは何なのか」ということを、自分が競技者として伝えていけたらと思っています。私自身も、まだまだ勉強が足りないところはたくさんありますけどね。

「世界一」の先にある、人の心を動かす空手

――尾野選手にとって「世界一」には、どのような意味がありますか。

尾野:大きな影響を受けたのは、宇佐美里香選手が2012年のパリ世界選手権で演武された時の姿です。演武が終わった時に、観客の皆さんがわーっとスタンディングオベーションをしていた。その光景が、自分にとってかなり衝撃的でした。だから、世界一になることはもちろんですが、世界の人の心を動かせるような存在になることが一つの目標です。

――子どもたちに形を教える機会もあります。自分が磨いてきた技術を言葉にして伝えることで、気づくことはありますか。

尾野:数年前から慶應義塾高校のコーチとして指導に携わらせていただいています。教えることで、「自分もここを理解していなかったんだな」と気づかされることは多いです。いろいろな選手がいて、それぞれスタイルも違うなかで、的確に次の課題を示してあげるためには、それだけ自分自身に知識や理解がなければ的確な指導はできません。教えづらいこと、うまく説明できないことがあった時には、「この分野について、自分はまだ知識が足りていないんだな」と、逆に私自身が勉強させてもらう機会になっていると思います。

――今後、初めて形を見る人には、どんなところに注目してほしいですか。

尾野:競技の基準としては、立ち方の正確性や適切な呼吸などがあります。ただ、「何が正しい立ち方なのか」というところは、初めて見る方には難しい部分だと思います。まずはシンプルに、体の連動性や強さ、スピードを楽しんでいただけたらと思います。

 形では、力みなく適切に力を抜きながら、技をかける瞬間に全身の力を集中させる「極め」があります。そういう力の抜き差しによって生まれる「キレ」やメリハリ、回転のスピードなどは、初めて見る方にも分かりやすい部分だと思うので、そこに注目していただけたらより楽しんでもらえると思います。

――改めて、これからの目標と、その先にどのような空手家になりたいと考えているかを教えてください。

尾野:目標は世界一の空手家になるということです。大会としては、直近では来年の世界選手権で優勝することを目指して、そこに向けてあと1年強、取り組んでいきたいと思っています。そして、空手の本質的な部分を、競技を通じて日本や世界の人たちに届けられるようになりたいです。空手に対する理解を少しでも深めてもらえるように、まずは自分が形でそれを表現できる競技者として頑張りたいと思っています。

【連載前編】「空手が楽しくない」からアジア大会金メダルへ。尾野真歩、4年間届かなかった日本代表と“自分の空手”

<了>

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[PROFILE]
尾野真歩(おの・まほ)
1999年2月9日生まれ、東京都出身。キッコーマン株式会社所属。5歳で空手を始め、日本大学鶴ヶ丘高校を経て慶應義塾大学へ進学。大学3年時の2019年にU21日本代表に初選出され、2020年には慶應義塾體育會空手部初の女性主将を務めた。卒業後はキッコーマンに所属し、女子個人形の日本代表として国際舞台で活躍。2024年はKARATE 1プレミアリーグのパリ大会、カサブランカ大会で優勝し、年間グランドウィナーに輝いた。2025年はプレミアリーグ・パリ大会優勝、ワールドゲームズと世界選手権でともに銀メダル。2026年6月のアジア選手権で優勝し、同年9月の愛知・名古屋アジア競技大会では、決勝で東京五輪銅メダリスト・世界ランキング1位のグレース・ラウを5-0で破り、初出場で金メダルを獲得した。

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