「小学生の全国大会が一つしかない」Fリーグ引退・森岡薫、GM転身で目指すフットサル界の改革

Career
2026.10.22

2007年に開幕したフットサルの全国リーグであるFリーグ。そのリーグを象徴し、「キング・オブ・Fリーグ」と呼ばれたスタープレーヤーである森岡薫が、8月22日に引退試合を行った。引退試合には、ナインティナインの矢部浩之氏や元サッカー日本代表DF太田宏介氏も参加し、会場を大いに沸かせた。現役を引退した日本フットサル界のキングは、これから何をするのか。今後の展望を聞いた。

(文・撮影=河合拓)

名古屋で9連覇、戦力外も経験。森岡薫がたどり着いた場所

森岡薫といえば、「Fリーグの絶対王者」である名古屋オーシャンズの看板選手だった。前身の大洋薬品/BANFF時代からチームの主力として活躍。日系ペルー人だった森岡はブラジル代表選手らと外国籍選手枠を争いながら、力をつけてチームの中心選手となり、2012年に日本国籍を取得してからはフットサル日本代表でも活躍。カズ(三浦知良)らとともに、タイで開催されたフットサル・ワールドカップにも出場した。

順風満帆なキャリアを歩んだ森岡だったが、名古屋で9連覇を達成した直後に戦力外通告を受けた。現役引退も考えた森岡が、現役続行できるように救いの手を伸ばしたのが、キャリアの最後を過ごすことになったペスカドーラ町田だった。その後、欧州挑戦に出て一度は町田を離れたが、2024年に再加入して、第31回全日本フットサル選手権優勝を置き土産に現役を退いた。決勝でも名手GKピレス・イゴールの守るゴールを破って得点を挙げており、優勝に大きく貢献している。

そんな森岡の引退試合には、フットサル界のスター選手たちが多く集まった。名古屋や町田時代のチームメイトたち、そして森岡薫の家族も全員が出場。妻の元Lリーガーで、フットサル女子日本代表選手でもあった寛美さん、長女でサッカーのGKをしている実唯名さん、長男で東京ヴェルディの下部組織所属の亜陽くん、そして次男の潤陽くん、全員がゴールを決めた。もちろん、森岡薫も7ゴールの大暴れを見せている。

自身の引退試合を振り返り、森岡は「いろいろなことを感じすぎたよ。忘れられない一日になったね」と目を細め、感謝の言葉を口にした。

「あらためていろんな人に支えられて、ここまで来たんだなと思ったよ。愛されてきたな、支えられてきたなって感じたし、本当に感謝しきれないよね。引退試合がどういう舞台になるか、想像できていなかった。周りからは『いっぱい来ますよ』と言ってもらえていたけれど、ふたを開けてみないとわからなかったから。たった一人の引退試合に、これだけの人が集まってくれたから、うれしかったよね。引退試合を開催してくれた町田がすごいと思う。甲斐(修侍)さんに続いて、自分がこのクラブで2人目に引退試合ができたことを誇りに思う」

町田のGM職を務めて半年「マナーや挨拶から…」

今年3月に現役を退いた森岡は、ペスカドーラ町田のGMに就任した。

「最後に町田でキャリアを終われて良かったと思うし、そういう運命だったんだと思う。引退試合でこのクラブへの想いや愛はさらに深くなった。選手として10年とか、長い期間を過ごしたクラブではないけれど、本当に自分をリスペクトしてくれたクラブだし、本当に感謝している。(町田を)一回離れて、戻ってくることになったけど、受け入れてくれたのはクラブの代表取締役会長の甲斐さんの人間性なんだと思う」

スペシャルゲストとして引退試合に参戦した矢部氏と太田氏にも、森岡は感謝する。

「矢部さんはロケがあって来たわけじゃなくて、この引退試合だけのために来てくれた。本当にありがたいよね。今日の試合では、やべっちFCの収録の時を思い出した(笑)。なんとか矢部さんに点を取ってもらおうと頑張って『はい、どうぞ矢部さん!』っていうパスを出したけど、今回は矢部さんがオレの子どもたちに点を取らせようとしてくれて。特に次男は最後まで点を取れなかったなか、矢部さんからのアシストで最後に点を取れたから、本当に良かったよ。太田さんも町田ゼルビアの番組の収録でお会いした時、『引退試合に来て下さい』と声をかけたら『絶対に行きます』と言ってくれて、本当に来てくれた。うれしかったよね」

フットサル選手が引退試合で、日本中に認知されている有名人を呼べることはほぼない。それだけでも森岡が現役選手として、どれだけ大きな存在だったかを物語っている。現在のフットサル界には「森岡薫」の知名度を越える選手は出現していない。そんなFリーグのキングは、現在、町田のGM職を務めている。

「GMと言ってもゼロからのスタートなので、社会人としてマナーや挨拶、基礎的なことから学び直しています。今まで選手としていろいろなことをしてもらってきたのが、今度はスポンサー様にお返しをしたり、何かをする側に回ったので、クラブのスポンサーがどういう企業なのか、何をしている企業かなどを、前任の関野(淳太)さんから学んでいます。あとはクラブのイベントにも顔を出して、広告塔になるようなこともしていますし、毎回ではありませんがトップチームの練習に顔を出したり、育成のところでいうと、下部組織の練習にも行ったりしています」と、半年ほど務めているGM職について語った。

なぜペスカドーラ町田には人が集まるのか?

引退試合の前の数週間、森岡は久しぶりにトップチームの選手たちと練習を行ってフィジカルコンディションを整えた。

「現役の選手たちは、しっかり自分たちのトレーニングをしたいと思っていたかもしれないけど、そんな素振りをまったく見せず普通に受け入れてくれて感謝しかない。引退試合の運営でもトップチームの選手がボールボーイとかをやってくれたし、下部組織の選手たちも設営などを手伝ってくれた。それはリーグ戦の時もそう。(体育館の)ライン消しをやってくれたり、そういうことをしてくれていることをあらためて見たから力が入るよね。育成年代の子たちの環境も良くなるように、こちらが頑張って仕事をしようとあらためて強く思ったよね」

育成年代の選手たちに対しても、選手として結果を出し続けられれば、こうした引退試合を開催できる選手になるんだという姿を見せられたことは大きな意味があるはずだ。

近年、全体的には集客力が落ちているFリーグだが、そのなかにあって町田は立川アスレティックFCとともに、集客力を伸ばしてクラブとしても成長を見せている数少ないクラブだ。

「他のクラブも町田のやっていることをマネれば、違ってくるのかなと思うことは多い。町田は新たにクラブハウスもできたし、4年連続で観客動員数が1位になっています。この実績や数字だけは知っていても、なぜそれができているかは見えていなかった。地道な営業などで本当に地域から愛されているクラブになっているんです。地域密着度が本当に高い。それはホームゲームにも現れていて、ホームの雰囲気が本当に良い。運営に入ったことで『そういうことだよね。こういうことをしているからできるんだな』と感じることができました。

 フットサルは20分のプレーイングハーフとハーフタイムがあって、全体では2時間未満のイベントです。そのためだけに時間をかけてアリーナに来るとためらうかもしれないけど、町田の場合は試合以外にも(トークショーや子ども向けの遊び場など)アリーナに来て楽しめることがあるから、それも集客を伸ばせている要因かなと思います」

アリーナに来ているキッチンカーでは、選手が発案したメニューなども売られている。試合当日にただ食べ物を販売するだけではなく、事前に選手とやり取りして関係を密接にすることができれば、出店する側もよりクラブに関われている感覚を持てるだろう。また、選手考案のメニューとなれば、ファン・サポーターの目も引きやすい。関わる全員にメリットがある取り組みだ。

「もう一つ全国大会を」森岡薫が次世代に残したいもの

セカンドキャリアを歩み始めた森岡は、GMとして新たに学ぶとともに自分にできることを模索している。そのなかで2つ取り組みたいことを見つけている。大きな目標として目を向けているのは、育成年代の試合数確保だ。

「やっぱり、すぐにできることではないとわかっているけれど、フットサルの小学生の全国大会はバーモントカップしかない。そこに自分と町田が軸となって、もう一つの大会を冬に開催できればいいと思う。夏にはバーモントカップがあるから、その半年後くらいにも全国大会があればいいと思っていました。でも、1月、2月になるとほとんどの子どもたちは進路も決まっているし、チームによっては世代交代もしている。だから、1月か2月くらいに5年生主体の新チームが出場できる『新人戦』のような全国大会をつくって、その半年後のバーモントカップにつなげてもらえるようにできればなと思う。そうすることでフットサルをプレーする機会やフットサルの魅力を伝える機会も増やせるし、もしかしたら『中学校でもフットサルを続けよう』と思う人が増えるきっかけになるかもしれない。実現するまで、どれくらい時間がかかるかわからないけれど、クラブと一緒にやり遂げたいよね」と、新たな夢を語った。

また、Fリーグ通算311ゴールを記録したストライカーは、後進の育成にも意欲を見せる。

「U−12、U−15、U−18という下部組織の練習に定期的に行って、全体ではなくて、ピヴォに特化したアドバイスをやっていこうと思っています。『ピヴォコーチ』っていう感じで。他のクラブにないし、いらないのかもしれないけれど(笑)、自分のやってきたことを残すのには、それが一番だと思う。どうしても他のことを何かやろうとしても、学んだりしないといけないから時間がかかる。自分がすぐにできることは、子どもたちに自分のやってきたピヴォの経験を伝えることだし、そこから町田からは良いピヴォが出てくるというふうになれば良いしね」と笑った。

現在、町田は山中翔斗、甲斐稜人ら、左利きの選手を日本代表に送り出している。「フットサルのカリスマ」として知られた甲斐修侍は、日本フットサル界を代表する名レフティだった。「たまたまなのか、修さん(甲斐修侍)が意図的にやっているかはわからないけれど、確かに良い左利きがたくさん町田から出ていますよね。ピヴォもかなり特殊なポジションだから、同じようにどんどん良い選手が出てくるようになってほしいし、その一助になれればと思います」と、意気込んだ。

選手として日本のフットサルを引っ張ってきた森岡薫。今後はバックステージから、どれだけフットサル界を盛り上げてくれるか楽しみだ。

<了>

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