「きれいごとを貫いて、利益にする」東京ドーム社長・斎藤裕が描く“4万坪の街”への夢
株式会社東京ドームは2021年、三井不動産によるTOBを経て同社グループの一員となった。かつてはハコモノと揶揄されたスタジアムやアリーナは、試合やライブを観るためだけの施設ではなく、人が集い、時間を過ごし、街のにぎわいを生む場所として再び脚光を浴びている。各地に新しい施設が生まれ、その可能性に注目が集まる中、東京都心に4万坪の敷地を持ち、“スポーツとエンターテインメントの聖地”として確固たる地位を築く東京ドームを有する株式会社東京ドームは、どんな未来図を描いているのか? 2026年4月、東京ドームの社長に就任した斎藤裕社長の原体験や経歴、パーソナリティから見えてきたものとは?
(インタビュー・文=大塚一樹、撮影=大木雄介)
東京を離れる日に聞いた、キャンディーズの歌声
「仕事じゃなくて本当に最初ってことですよね? それはすごく印象に残ってる話があって……」
今年4月から株式会社東京ドームの社長に就任した斎藤裕に「東京ドームとの縁」について聞くと、こんな印象深いエピソードが返ってきた。
「僕は小学校5年生まで東京にいて、6年生のときに父の転勤で仙台に行くことになるんですけど、東京を離れる最終日に泊まったホテルがまさに後楽園のすぐ近くだったんです」
1978年4月4日、斎藤少年が東京に別れを告げるその日、後楽園スタジアムではキャンディーズのファイナルコンサートが開かれていた。
「これ記憶違いだったら恥ずかしいんだけど、後楽園スタジアムは屋根もない屋外球場だったからキャンディーズのコンサートが丸聞こえだったんですよ。幼いながらにそれを聞いて東京にさよならした記憶があるんです」
コンサートの日を確認して伝えると、「1978年、昭和53年の4月4日、間違いないですね。絶対そうです」。
斎藤とかつての後楽園スタジアム、現在の東京ドームにつながる最初の出会いは、当時人気絶頂だったキャンディーズの、しかも「普通の女の子に戻りたい」の名言から約1年後のサヨナラ公演だった。荷物はすでに遠く仙台へ全部送ってある。がらんとした家を後に、小学校5年生の斎藤の「幼少期の東京の記憶」の最後に刻まれたのは、やはり当時も多くの歌手、アイドルがコンサートを行っていた後楽園球場だった。
「当時はジャイアンツのイメージしかなかったですから、キャンディーズがコンサートをやっていることにも驚きました。でも、この熱狂はすごいなと思ったのはなんとなく覚えています。だから、株式会社東京ドームの社長の辞令を受けたとき、あの球場の、あの場所の社長になるんだということは脳裏を横切りました。自分としてはメモリアルな場所なんですよね」
東京を離れ、仙台に移った斎藤少年は大学で再び東京に戻り、1990年に三井不動産に入社する。斎藤と“あの場所”が再び交わるのは、2021年、三井不動産がTOBを経て株式会社東京ドームをグループに加えたときのことだった。
キャンディーズのサヨナラ公演から48年、斎藤は後楽園スタジアムの後継となる東京ドームの社長になった。
松岡修造とも対戦した高校時代
仙台に移った斎藤は、勉強もさることながらテニスに打ち込んだという。東京ドームという“場所”との最初の接点がキャンディーズなら、東京ドームで行われるさまざまなスポーツとの接点は、テニスだった。
「運動神経がよかったので、すぐに東北チャンピオンになったんです(笑)。ところが、関東や関西、九州にはもっとうまい選手がいくらでもいた。全国大会に行くたびにボコボコにされていました。当時、僕の一つ下に松岡修造さんがいたんですけど(編集部注:松岡氏は慶應義塾高校から福岡・柳川高校へ2年生の時に転入)、修造さんと試合したときはスピードが速くてボールが見えなかった。これは、東北にいたんじゃ絶対にテニスは強くならないと思いました」
高校卒業後は、早稲田大学に進むことになるが、早稲田を選んだのは、当時強豪だったテニス部に入るためだった。
「テニス部に入りたくて一浪しました。1年生は当然球拾いから。そういう時代でしたし、なかなか練習もできない。それにやっぱりそれまでとは、全然レベルが違うんですね。全員自分よりうまい。それでも徐々にキャッチアップして、3年生からレギュラーに。3年、4年は大学日本一のメンバーとしてプレーしました」
斎藤は、これに補足して、再び「運動神経がいいもんで」と笑う。
37歳のときには、35歳以上のプレイヤーのみが出ることのできるアマチュアの最高峰、全日本ベテラン選手権のダブルスで優勝している。入社後に始めたゴルフでも、1989年から続く日経カップ企業対抗ゴルフ選手権で3連覇したメンバーの一人として名を連ねた。
「一応、2種目で日本一なんです。テニスは今も続けているので、恐れ多くも『テニス界の三浦知良さん』じゃないかと思っているんです(笑)」
子どもの頃の憧れは、ジョン・マッケンロー、最も尊敬するテニスプレイヤーは、ロジャー・フェデラー。彼らのようなセンスあふれるテニスを目指し、バックハンドはもちろん片手、サーブ・アンド・ボレーヤーとしてその運動神経の良さを存分に発揮している。
斎藤の「運動神経がいいもんで」は、額面どおりの意味もあるのだろうが、自分が10代の頃から真剣に取り組んできたテニスを通じて得た経験や学び、自らの仕事とスポーツ分野とのつながりを示すキーワードのようなものなのかもしれない。
消去法の就職と、入社時の「夢」
早稲田卒業後、三井不動産に入社した理由を尋ねると、斎藤は「あんまりかっこよくはないですけど、消去法ですね」と答えた。
「当時の僕は英語が得意じゃなかったし、外国もそんなに好きじゃなかった。だから海外出張などがなくて、ドメスティックなビジネスができる会社がよかったんです。今でこそ三井不動産グループは欧米やアジア、世界中に進出していますけど、当時は国内の仕事が主。商社やメーカーのように海外に行く仕事はまず消去して、残ったのが不動産と金融業界。テニスしかしてこなかったので、頭を使う仕事で自分が活躍できるイメージがまったくなくて、金融も除外し、最後に不動産業へとなったのです」
なかでも三井不動産に決めたのには、これまたスポーツとの縁があるきっかけがあった。
「僕の一つ上に、志村亮さんという投手がいたんです。桐蔭学園時代に甲子園で活躍して、慶應義塾大学に進んで、六大学野球でも大活躍。ドラフトの目玉として、ジャイアンツの一位指名が確定的と言われていたんです。その志村さんが、プロ野球を蹴ってまで入ったのが、三井不動産。ニュースを見て『ジャイアンツより良い会社があるんだ』と、スポーツをやってきた自分もそこに行けばいいのではと思ったんです。単純ですよね(笑)」
その直感が正しかったのか、斎藤は三井不動産の営業部門で実績を積み重ねることになる。
近年では、MIFA Football Park(東京都江東区)、MIYASHITA PARK(東京都渋谷区)、LaLa arena TOKYO-BAY(千葉県船橋市)など、スポーツ施設や体験を伴う空間プロジェクトに多く関わっている。
「今でこそ、スポーツ、エンターテインメントに近いところで仕事をさせてもらっていますが、入社してからは、マンションを売る仕事や商業施設を作る仕事に日々忙殺されて、ちょっと初心を忘れていたんですよね」
「テニスコート付きマンションをつくりたい」
転機は、東日本大震災の後に訪れた。当時の斎藤は、湾岸エリアのタワーマンションの営業責任者だった。
「今は飛ぶように売れていますけど、当時はまったくと言っていいほど売れなかったんです。また津波がくるんじゃないか、土地が液状化するんじゃないかという不安があって、特に湾岸エリアのタワーマンションは敬遠されていたんです。広告を出しても誰も来ない。マンションを売る以前の問題ですよね。でも、当たり前ですが、そのマンションが建っている街には津波もきていないし、液状化しているような場所もまったくない。その現実を知ってもらうためにどうするかを考えた結果、まずマンションが建っているこの街に遊びに来てもらうことが重要じゃないかと思ったんです」
斎藤は当時の社長に直談判して別予算を取り、街のイベントを仕掛け始めた。
「今でいうエリアマネジメントの触りくらいのことですかね」
しかし、代理店経由で持ち込まれた企画は、ことごとく外れた。子どもたちを呼ぼうと宝探しを開いても、来るのは地元の子だけだった。
「一番ひどかったのは、三井ショッピングパーク アーバンドック ららぽーと豊洲(東京都江東区)のセンターステージで、当時人気のあったアナウンサーの方と僕とで、『湾岸を語る』というトークショーをやったときです。観客が10人ぐらい。もう寂しくて、これはダメだなと」
どうしたら街に人が来てくれるのか? 斎藤の頭に浮かんだのは、入社に当たって描いていた「この会社でやりたいこと」だった。
「面接で聞かれたり、入社するときみんな書いたりするじゃないですか。『この会社に入ったらやりたいこと』って。僕は『テニスコート付きマンションをつくりたい』って言っていたんですよね。忙しさにかまけてすっかり忘れていたんです」

桜井和寿とGAKU-MC。ウカスカジーの二人との出会い
偶然は重なる。震災後の苦境にもがいている頃、二人でウカスカジーという音楽ユニットを結成して活動しているMr.Childrenの桜井和寿とラッパーGAKU-MCが、MIFAという団体を立ち上げ、音楽とサッカーを通じて子どもたちに夢を与える活動の拠点を探していると知る。
「僕もミスチル、『DA.YO.NE』世代ですから。僕のトークショーは論外として、街での宝探しゲームをやるよりも、桜井さんやGAKU-MCさんが子どもたちとサッカーをやって、一緒に音楽もやってくれるならそれに勝るものはないなと思って、プレゼンをさせてもらったんです」
こうして生まれたのが、MIFA Football Park豊洲(東京都江東区)だった。斎藤が売っていたタワーマンションの隣に、MIFA(Music Interact Football for All)の理念のつまった「音楽とフットボールによるコミュニケーションの創造をコンセプトとしたフットボールパーク」ができた。
「このとき、『あ、俺、久々にスポーツの仕事をしてるぞ』と思ったんです。テニスコート付きマンションが最初の夢だったのに、忘れていたなと。サッカー場付きマンションではないけれど、僕が一生懸命売っているタワーマンションの横にサッカーができる施設ができて、しかもそこに関わる人たちの思いや理想が体現されていて、人が来てくれる。その施設に来た人たちは、MIFA Football Parkでの体験をもとに『いい街だね』と言ってくれる。直接的ではないかもしれないけど、それがマンションの売り上げにも貢献してくれている。僕の中では、入社時の夢が叶った気がしたんです。やっぱりこれが、自分のやりたかったことだなと」
桜井、GAKU-MC両氏がフットボールを通じて活動を続けてきたこと、そこにある思いが先にあったことで、マンションの販促プロジェクトに有名人を起用するというわかりやすい手法とも一線を画している感覚があった。
オープニングイベントの時、「ウカスカジーのお二人が子どもたちと楽しそうにライブをやったり、サッカーをやったりしているのを見ると、最初はマンションを売るために知恵を絞ったというのが動機ではあっても、これはマンションの価値だけでなく、その街の価値を向上させているなと感じられたんです。改めて、コンテンツとしてのスポーツの力はすごいなと実感しました」
MIFA Football Parkは、フットボールをする以外にも、地域のコミュニティの活性化、コミュニティに新たな人を呼び込む機能も果たしてくれた。運営者の思いから、土日の朝は無料開放。子どもたちが自由にプレーするフットサルパークとして場が提供される。
櫓(やぐら)を組んでお祭りのようなイベントも行われる。埋め立て地にできた新しい街の、新しいコミュニティがそこに広がる。スポーツに関心のない子どもでも、縁日気分で訪れ、盆踊りをしに来て、そこから無料のサッカー教室に加わっていく。そんな光景が無機質だった湾岸エリアに体温をもたらした。
「やってみて気づいたのは、公園って、親は子どもから目が離せないんですよ。誰がいつ入ってくるか分からない。MIFAは区切られたエリアで、子どもたちが自由に遊び回っているようで、ちゃんとその様子を見てサポートするスタッフもいる。親御さんはカフェで朝からコーヒーを飲んでいられる。普通の民間企業が運営するサッカー場なら、土日の朝は稼ぎどころですけど、桜井さんとGAKU-MCさんだから、とにかく楽しんでもらうことが優先される。ヨーロッパのフットボールクラブの原風景というか、そこにコミュニティが生まれてくるんですね」
きれいごとを貫いて、利益にする
著名な二人とはいえ、例のないプロジェクト。その時点でマンションの営業とどう結びつくのかはなかなか理解されなかった。MIFA Football Parkのプロジェクトは順調に進んだのか? 斎藤は「ちょっと手前味噌になるかもしれないですけど」と前置きして話し始めた。
「4月から働き始めた東京ドームにも同じものを感じるのですが、三井不動産自体、すごく風通しが良くていい人が多い会社なんですね。うまく伝わるかどうかわからないんですけど、『ずるくない』というか。人間は多かれ少なかれ所属するチームによって、メンタリティが変わるものだと思うのですが、僕に関してはスポーツをやっていた頃と同じように、チームのみんなが個よりチームを重視して、全員で勝利を目指して、優勝していいお酒を飲もうぜという感覚が社風としてあるんです」
商業的にも大成功を収めたアーティストとの共同プロジェクト。知名度を利用しようとするビジネスパーソンも数多く見てきたはずの両氏に対しても、「純粋に一緒に子どもたちやお客さまになり得る来訪者の笑顔をつくることに邁進することができた」と、斎藤は振り返る。
「桜井さんとGAKU-MCさんとご一緒させていただいて、“ホンモノ”ってやっぱりこんなにピュアなんだ!と実感することが日々あるんです。“ホンモノ”と仕事をさせてもらって信頼を得るには、僕たち会社人も“ホンモノ”じゃなきゃいけない。株式会社が利益を目指すのは当然のことですが、理想や思い、ある意味での“きれいごと”を貫いて、それが利益になることを証明するのが会社というところなんだと、僕は思っているんです」
株式会社東京ドームの社長に就任し、スポーツやエンターテインメント、スポーツ選手やアーティストと直接的に仕事をする立場になって改めて、このときの経験が生きてくる。
「スポーツ・エンターテインメントの仕事を本当に真剣にやろうとしたら、ピュアであることが何よりも大切なんじゃないかとそのとき思いました。ものすごく大きなお金が動く世界で生きてきた人たちと、信頼関係で仕事をするには、こちらにずるさや打算の気配がにおった瞬間に、たぶんダメなんだと思います」
偶然が、必然になった10年
震災による危機的状況から必要に迫られて始まった動きは、結果として時代の流れとも重なっていった。
「タワーマンションがこれだけ建つようになると、ロビーが豪華なだけでは差別化にならない。建物本体の価値だけでなく、環境的要因を含めた住みやすさや、子育てのしやすさ、総合的な街としての暮らしやすさが求められるようになっています。スポーツ施設が近くにあって、例えばプロのアスリートが子どもたちにスポーツを教えてくれる。週末にスポーツをする人が集まる環境がある。そこに街の価値を上げる魅力がつながっていく。それが僕の中で本当に必然になったのが、この10年なんじゃないかと思います」
東京ドームを「街」にする。4万坪の次なる10年
MIFA Football ParkからMIYASHITA PARK、そしてアリーナへ。スポーツやエンターテインメントの力を街づくりに取り込んできた10年を、斎藤は「進化」という言葉で振り返る。
「当時、デベロッパーでそういうことをやっている会社はあまりありませんでした。その延長で三井不動産がアリーナをつくることになり、そこに東京ドームがグループに加わった。この10年で、自分自身も、三井不動産グループも時代の変化とともに進化してきた気がしています」
株式会社東京ドームの社長に就任して数カ月。斎藤が理想に掲げるのは、東京ドームシティが「東京ドームとその周辺」ではなく、一つの街として認識されることだ。
「東京ドームはそれこそ世界的に見てもさまざまな分野の“聖地”として認識されていますけど、単なるスポーツ施設、単なるライブ会場、イベントの開催会場で終わってしまっては、街につながっていきません。東京ドームの場合は、ドームと周辺施設を含む4万坪の敷地全体をフルに活用して、それ自体が街として機能するはずです。文字どおり『東京ドームシティ』として、試合やイベントの時だけでなく、そこに行けば何かある、何でもある、ずっといたくなる街として楽しんでもらえるのが理想です」
入社時に「テニスコート付きマンションをつくりたい」と書いた新入社員の夢は、フットボールパーク付きマンションを経て、「4万坪の街づくり」の舞台にたどり着いた。
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<了>
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[PROFILE]
斎藤裕(さいとう・ゆたか)
1966年4月12日生まれ、宮城県出身。株式会社東京ドーム 代表取締役社⻑・執行役員。早稲田大学を卒業後、1990年に三井不動産株式会社に入社。商業施設本部アーバン事業部長、人事部長などを歴任し、2023年に同社の常務執行役員、2024年に株式会社東京ドームの取締役に就任。2026年4月1日付で株式会社東京ドームの代表取締役社長・執行役員に就任した。三井不動産株式会社のグループ上席執行役員も務める。
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