
「人と人との繋がりを築くブランドへ」復活した国産スパイクメーカー「YASUDA」はなぜ愛されるのか?
日本初の純国産スパイクメーカーであり、「サッカーの安田」として不動の地位を築いていたYASUDA。1932年に誕生し、かつてはサッカー日本代表選手たちの足を支えていたにもかかわらず、2002年FIFAワールドカップ日韓大会直前に姿を消してしまった。それから16年の月日を経て、元サッカー少年であり、YASUDAスパイクの愛用者であった佐藤和博氏が、サッカー仲間たちと「またYASUDAを履きたくないか?」と話したことから、2018年にクラウドファンディング「YASUDAのサッカースパイク復刻プロジェクト」を立ち上げ、見事復活を果たした。この復活の背景にある知られざるストーリーについて、佐藤氏に話を聞いた。
(インタビュー・構成=阿保幸菜[REAL SPORTS編集部]、撮影=軍記ひろし)
“型探し”から始まった、クラウドファンディング立ち上げまでの道のり
まず最初に、YASUDAが復活に至った経緯を教えてください。
佐藤:もともと昔YASUDAのスパイクを履いていたのですが、2017年に友人と一緒にフットサルをやっている時に、「YASUDAのオールカンガルーレザーのスパイクでフットサルシューズがあったら履きやすいよね」という話になって。そこで「フットサルシューズを見に行こう」ということで調べたら、YASUDAが倒産していたことを知りました。普通ならそこで諦めると思うんですけど、弊社のグループ会社でクラウドファンディング事業を立ち上げたばかりだったので、じゃあ、そこで一番最初のプロジェクトとして「YASUDAのサッカースパイク復刻プロジェクト」を立ち上げて、自分たちでYASUDAを復刻させよう、と考えたのが最初のきっかけです。
そうだったのですね。最近、スポーツ業界でもクラウドファンディングを利用するところが増えてきましたが、やっぱり目標達成に向けて多くの方に応援してもらうことは、簡単ではないと思います。まずどのようなことから始めたのですか?
佐藤:YASUDAがどれだけ知られているのか全然わからなかったので、まずはネット上でアンケートを取りました。YASUDAを知っている人の多くは、YASUDAで育った世代の30代後半以上のサッカー経験者が中心だとわかったので、まずはその年代をターゲットに広めていきました。
一番大変だったことは?
佐藤:弊社にはメーカーやシューズ業界経験者がいないので、最初はスパイクって工場に行けば簡単に作れるものだと思っていたんです。でも実際にYASUDAのスパイクの商標を持っている方と話したら、「靴を作るためには金型と木型が必要」と言われて。しかも、各メーカーごとに形も違うので、それがないと作れない、と。金型を1個作るのに100万円ぐらいかかるので、10サイズ合わせると1000万円。お金も含めて、その辺りはどうするつもりなのか?ということを、その時初めて聞いて知ったのです。
まずは金型探しから始めましたが、YASUDAは既に倒産している会社なので金型は持っていないと言われて。昔YASUDAが自社工場以外にお願いしていた製造先がいくつかあると聞いたので、片っ端から連絡先を聞きました。ほとんどは撤退していたり、なくなっていたので絶対厳しいな……と諦めかけていたところ、最後にやっと1カ所だけ置いてあるところを見つけたんです。
奇跡ですね。金型が見つからなければ、何も始められなかったわけですものね。
佐藤:そうですね。いくらお金をクラウドファンディングで集めたとしても、金型がなければ何もスタートできませんでした。全く知らない世界だったので、それが一番大変でしたね。そして、その製造会社でそのままYASUDAのスパイクを作っていただけることになりました。
スパイクを作っていた会社にまた復刻してもらえるというのも、うれしいですね。
佐藤:そうですね。スパイクは機能面が重要ですが、今でもスポーツ用の靴を作っている会社だったので、そのままお願いすることができました。
立案からプロジェクトを始動するまで、どれくらいかかりましたか?
佐藤:最初の準備には半年くらいかかりました。まず、2017年の10月に商標を持っている方を調べて、「一緒にYASUDAのシューズを作りたい」と手紙を書いてお会いしたところからスタートしました。それから型を持っている製造会社を見つけたのが、2カ月後の12月ぐらい。でもすぐにOKしていただけず、年明けの2018年に、僕が持っている昔のYASUDAスパイクを持って社長に会いに行きました。「これをもう一度復刻したいので、力を貸してほしい」と。それで、通常のオーダーよりもかなり少ない足数でも、なんとか引き受けてくださるということで、やっとクラウドファンディングの設計に向けて動き出しました。
その“想い”の部分が周りの人の心を動かし、共感や支援に繋がったのですね。
佐藤:そうですね。立ち上げまでのストーリーを全てメッセージとして伝えて、動画も作って「YASUDAのサッカースパイク復刻プロジェクト」をスタートし、約300人の人たちに支援してもらうことができました。
すごいですよね。
佐藤:賛同してくださった方の中には、昔YASUDAを履いていたという方や、以前YASUDAと仕事をしていたという方もいました。あとは、サウジアラビアなどの海外からも、「売らせてほしい」「取り扱いたい」という連絡もいただきました。
海外の人たちは、どうやって知ったのですか?
佐藤:たまたま日本の大使館で働いている方がクラウドファンディングのことを見つけられて。日本語で丁寧なメッセージをいただいて、会社まで来てくださったので実際にお会いしました。他にも元Jリーガーの方や、現役Jリーガー数人にも支援していただきました。
YASUDAのスパイクのクオリティや、「日本ブランド」としての価値に対し応援してくれる方が多いのですね。
佐藤:そうですね。やっぱりYASUDAの良さを知っている方は愛着があるようです。一方で、YASUDAを知らない方も多く支援してくださったのですが、やっぱりメイド・イン・ジャパンということだけでなく、「日本で一番最初にサッカーのスパイクを作ったブランドを復刻させる」というのは、なかなかないと思うので。
300人以上のサポート心を動かした“ありのままの想い”
復活までのさまざまな道のりを乗り越えてきた「原動力」はどこにあったのですか?
佐藤:自分も小学校4年生から何十年もずっとサッカーをやっていますが、社会人になってから、大好きなサッカーに携わることがなかったので。さまざまなタイミングが重なって、自分の履いていたスパイクを自分自身で復刻して、サッカーに関われることが面白く、絶対に実現したいと思いました。
同じような想いを持つ多くの方たちのサポートを得て実現できたことは、やっぱり感慨深いものがありますよね。
佐藤:はい。もしかしたら、銀行や投資家に出資してもらうことはできたかもしれませんが、クラウドファンディングの場合、国内外でどれだけの人が興味を持ってくれるのだろう?というマーケティング面で捉えられるのも大きかったです。何百人ものファンができるので、口コミなどによって今後さらに広がっていくことを考えると、クラウンドファンディングが一番良かったなと思います。
特にスポーツがファンありきの興行という点で考えると、応援されてスタートするということに、すごく価値を感じます。
佐藤:大きいですよね、やっぱり。
応援される上で大事なことは、何だと思いますか。
佐藤:作るものの良さをきちんと伝えることはもちろん、脚色せず、ここまでの道のりや自分たちがやっていることをそのまま素直に伝えて、「今後こうしていきたい」というメッセージを常に発信するようにしています。YASUDAが倒産したことを知らない方も多かったので。きちんと伝えるということが一番大事で、それがプラスになったと思っています。
ありのままのストーリーや想いに対して、応援したくなるものですよね。
佐藤:まず僕がオーナーとして「YASUDAのサッカースパイク復刻プロジェクト」を立ち上げて、復刻した後にYASUDAを法人化したので、もしクラウンドファンディングで目標達成しなかったら「YASUDAはこのまま、また永遠の眠りに入る」ということも発信していました。それを、いろいろな方がSNSで「YASUDAを応援しよう」と、どんどん広げていってくれたのが大きな力になりました。
それは素晴らしいですね。「YASUDAのサッカースパイク復刻プロジェクト」は、一人ひとりとの繋がりを大事にしているところが、すごく魅力的だと思います。
佐藤:自分たちがゼロから立ち上げたブランドではないので、既存ファンの方と新しくYASUDAのスパイクの履き心地を知っていただいた方の両方を大事にするためには、広告をバンバン打っていくよりも、ファンの方々によって応援の輪が広がって、繋がりが増えていくことが一番良い。なので、一人ひとりの方々との繋がりをすごく大切にしていますね。
縁があって、YASUDAのスパイクの魅力を知った人たちに履いてもらいたいと。
佐藤:そうですね。YASUDAは「人と人を繋ぐブランドになろう」というのがビジョンなのですが、そこにさまざまな人たちが共感してくれたので、一緒にYASUDAブランドを育てていきたいと思ってくれる人に履いてもらえたらうれしいです。
8人の選手と契約に繋がった“人と人との縁”
現在、契約している選手たちとは、どのような繋がりがきっかけだったのですか?
佐藤:一番最初に契約してくださった選手は、2019年までアルビレックス新潟でプレーしていた小川佳純選手でした(編集注:1月17日に引退を発表)。小川選手は市立船橋高校サッカー部で、(第81回全国高校サッカー選手権で)ロングシュートを決めて全国優勝を果たした時に履いていたスパイクがYASUDAでした。小川選手がプロになる時には、既にYASUDAは倒産していたので他社のスパイクを履かれていたんですけど、2018年、YASUDAのスパイクお披露目イベントをやった時に、市立船橋高校のOBであり、元Jリーガーである原竜太さんをお招きして、「現役選手でYASUDAを知ってる人に履いてもらったらどうか」ということで、小川選手を紹介していただいたのがきっかけでした。その後、小川選手の対戦チームの選手がスパイクを見て気に留めてくださるようになり、どんどん広まっていきました。
営業をせずに広まっていくというのも、すごいですよね。
佐藤:発売から8カ月で8人の選手に履いていただいていますが、選手にスパイクを履いてもらえるようになるのは5年、10年先かなと思っていたので、復刻してまだ1年も経っていないタイミングで履いていただけたのは、とてもありがたいです。選手がSNSで紹介してくれたり、履いていたのを見た他の選手からダイレクトメッセージをいただいたり、選手のほうからアプローチしていただいています。そしてYASUDAの理念やビジョンに共感してくれた選手たちが契約してくれています。
すごいですよね。選手側のほうから興味を持っていただいて、さらに広がるというのは。
佐藤:選手たちが「YASUDAのブランドと一緒に成長したい」という想いをもって発信してくださっているので、すごくうれしいです。あと、試合が終わった後にチームメートや対戦相手の選手から「なんでYASUDAを履いているんですか?」とか、YASUDAを知らない選手からは「どこのスパイクですか?」と興味を持っていただくこともあるようです。それを機に、「すごく良さそうだから試してみたい」と、突然電話をいただくこともあります。選手以外にも、YASUDAを知っている世代の監督や、その他のサッカー関係者の方にも「YASUDAのスパイク復刻したんだ」と注目していただいたり。
その他にも、電話やメール、SNSなどでいろんな方々から日々問い合わせのメッセージをいただきます。YASUDAを昔履いていたという方から「自分の子どもや、少年団で教えている生徒たちにYASUDAの良さを伝えたいので子どもサイズも作ってください」とか。「今はサッカーをやらないけれど、YASUDAをまた身に着けたいからスパイク以外のシューズやウェアなど、YASUDAのロゴが入ったアイテムを作ってほしい」という声もいただきます。
従来のファンの方たちが、周りの人や子どもに伝えていきたい……と広めてくださっているんですね。
佐藤:そうですね。履いていただいている方たちの話を聞いていると、「俺がこのブランドをなんとか伝えてやる」という想いを持ってくださっている方が多く、ありがたい気持ちです。
そういうところが、YASUDAならではの強みだと感じます。若い世代にもYASUDAの価値が受け継がれていくことで、ブランドを存続させていきたいという想いが繋がっていくはず。
佐藤:若い世代にいきなりアプローチするよりも、まずはYASUDAを知っている世代の親御さんや監督から子どもたちに伝えていってもらうことで広がっていくと思ったので。それから、女子サッカー選手にも契約していただいていますが、うちのスパイクは高品質な革を使っているので足の当たりも柔らかく、女性でも履きやすいので、世代や男女問わずさまざまな方たちに広がっていったら面白いなと。
なかなか他のブランドにはない広まり方かもしれませんね。
佐藤:周りの親御さんや、コーチ、監督などと話すと、「YASUDAを俺が広めてあげるから、サッカー少年団を紹介してあげるよ」と声をかけてくれたり、問い合わせメールでメッセージをいただくことも多いです。そういう声をいただくと、やっぱり“YASUDAブランド”というのは、まだまだしっかりと根づいているのを感じますね。
若い世代の愛用者も増えているのですか?
佐藤: 24cmサイズからしかまだ作っていないので、履ける年代からに限られてしまいますが、オンラインショップで購入していただいた親御さんから、「うちの子どもたちがすごく履きやすいと言っているので、さらにジュニアサイズの展開や、シューズ以外のアイテムも作ってほしいです。応援しています」というメッセージも多くいただいていて。そういったメッセージを見て、着実に僕たちが狙っていた若い世代へも、YASUDA世代から広げてくれているということを、すごく実感しています。人と人との繋がりの中でブランドを築いていきたいので、自分たちがやりたい形がそのように実現していっているのは、とてもありがたく思っています。
とあるJFLチームの、若きエキップメントとの出会い
2020シーズンから、JFL(日本フットボールリーグ)所属のヴェルスパ大分とユニフォームサプライヤー契約を締結しましたが、どのような経緯があったのですか?
佐藤:クラウドファンディングをスタートした時に、まずSNSで周知したのですが、いち早くご支援のメッセージをいただいたのが、ヴェルスパ大分のエキップメント、阪本遼太さんでした。まさかサッカー関係者の方に連絡をいただけると思っていなかったのですが、それから直接やり取りをするようになって。クラウドファンディングが終わって株式会社YASUDAを設立して、いざスパイクを製造する時に、彼はエキップメントでスパイクにとても詳しいので、スパイクを監修してもらうようになりました。
それを機に、自分のチームの選手たちにも履かせたい、というお話に?
佐藤:そうですね。阪本さんとしては、ヴェルスパ大分はまだJFLですけれど、良い選手はたくさんいるということで、うちのスパイクを履いてもらっている若い選手もいます。それから、阪本さんはエキップメントでありながらマネージャー的なお仕事もされているので、彼自身にもスパイクを履いていただいて広告塔になっていただいています。阪本さんはまだ20代でお若いんですけど、スパイクに関してはすごくマニアックで詳しいですし、ヴェルスパ大分をJリーグに上げたいという思いがすごく強い方なんです。
JFLチームのマネージャー兼エキップメントとして、そこまでの情熱を持ってチームを支えているという方、なかなかいなそうですよね。
佐藤:そう思います。2018年の秋、東京にいらっしゃった時に初めてお会いして、新しいスパイクの試作品についていろいろアドバイスをいただきました。今では、うちのフットウェアはすべて彼に監修していただいています。それから、ちょうど2020シーズンのユニフォームをどうするか議論されているタイミングだったので、もしよければ自分たちのチームで“YASUDA”をつけて戦いたい」とご相談いただいて。彼が「ヴェルスパ大分を成長させて上に上げたいので、YASUDAと共に上がることができるのなら、一緒に何かやらせてください」と言ってくれたことから始まったのですが、そういった想いはもちろん、僕たちは素人なので、やっぱりプロ目線で商品を見てもらえるのはすごくありがたく思います。
チームのほうから積極的に提案してくださるのは、うれしいことですね。
佐藤:そうですね。ユニフォームサプライヤーの相談から1カ月も経たないうちに、阪本さんから「ユニフォームのデザイン案ができました。こちらは代表にもOKをもらったのですがいかがですか?」と提案をいただいて。昨年のホーム最終戦で初めてサポーターの前でお披露目して、僕もサポーターの前で挨拶をさせていただきました。ヴェルスパ大分は、トップチーム以外にもジュニアチームやサッカースクール、レディースチームも持たれていて、やっぱりJリーグへ上がろうという意識のもとやられているので、環境も整っているグループだなと感じました。
それから、昨年の東京武蔵野シティFCとの最終戦が東京で行われたので見に行ったのですが、ヴェルスパ大分のサポーターの方たちもけっこう観戦されていて。そこで、あえて目立つようにYASUDAのベンチコートを着ていったら、「YASUDAの代表の方ですよね」と声をかけていただき、昔ご自身や息子さんがYASUDAを履いていたから、「来年からYASUDAのユニフォームを着られるのがうれしい」とか「一緒にJリーグを目指せるのがうれしい」と言ってくださる方や、「YASUDAを応援するよ」など、うれしいお声をたくさんいただきました。その様子をチームの方が見ていたようで、試合が終わった後にチームへ挨拶に行ったら、「佐藤さんがサポーターと積極的に交流してくださって、ありがたいです」とおっしゃっていただいて。
すごく温かいですね。パートナー企業の方が、そこまでファン、サポーターたちと交流する機会ってなかなかないのでは。
佐藤:はい。すごく温かいチームだと思います。
ヴェルスパ大分のチーム状況は今どうなのですか?
佐藤:2019シーズンは7位でした。チームとしては、本気でJリーグ入りを目指して今後の展開を考えながら動いています。YASUDAがヴェルスパ大分のユニフォームサプライヤー契約をしたことを発表した時に、関係性や経緯を知らない人たちからしたら「なぜJFL、しかも大分のチームなのか?」と疑問に思った方もいると思います。実際そう言った声も聞きました。でも、簡単に実現した、どのメーカー、誰もができる話ではなくて、2018年から始まった関係性と信頼感があったからこそ、ここまで来ることができたんです。僕たちはヴェルスパ大分を本気で応援していますし、ヴェルスパ大分の方たちもすごくYASUDAを応援してくれているのを感じます。
「終らないYASUDA」の未来に向けて――
YASUDAのブランドストーリーだけでなく、佐藤さんだからこそ、ここまでの関係性を築けたというのもあると思います。何かご自身で意識していることはありますか?
佐藤:それはあんまりないですね。YASUDAのメンバーはまだ少数ですが、みんなが純粋に面白いと感じながらやっていることが一番大きいと思います。あとは、昔から人との繋がりを大事にしたいという想いがあるので、復刻してまだ2年経っていないブランドながら、選手やサッカーチームのほうから自分たちのやっていることに興味を示してくれて、今に繋がっているというのも、「YASUDA」のブランドなのかなと。
佐藤さん自身がご縁をすごく大事にしているので、そのような人間性も、さらにYASUDAブランドの良さを引き立てている気がします。
佐藤:ありがとうございます。僕自身が小4からサッカーを始めて、中2の時にYASUDAのスパイクを初めて履いてからずっとYASUDAの愛用者だったので、熱意を伝えていけているのだと思います。今後はビジネスとしてもブランドを成長させていくために、しっかり売り上げも立てていかないといけませんが。
今後の展開として、どのような目標を掲げているのですか?
佐藤:まだ復刻したばかりなので、2020年からはスパイク以外のシューズやウェア、ギア系なども作りたいです。サッカー用だけでなく、日常でも身に着けられるようなタウンシューズ、ウェアを作ったり、ライフスタイルに取り入れられるものも展開していきたいですね。それから、海外から問い合わせをいただくこともあり、これまでは日本へ旅行に来た時に宿泊先まで送っていました。なので、2020年以降は、国内でECサイトできちんと売り上げを立てながら、リアルな店舗や、海外への販売についても検討して、もっとYASUDAブランドを広げていきたいと思っています。
<了>
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PROFILE
佐藤和博(さとう・かずひろ)
1975年大阪府生まれ。1983年 小学4年生からサッカーを始め、サッカー強豪校の埼玉県立伊奈学園総合高等学校、駒澤大学を卒業。1999年に日本生命保険相互会社へ入社、退職後にベンチャー企業を経て、2009年に独立。2018年の3月にクラウドファンディングにて「YASUDAのサッカースパイク復刻プロジェクト」を立ち上げ、同年5月に株式会社YASUDA 代表取締役に就任。2020年でサッカーを始めて37年目を迎え、サッカー、フットサルチームも結成するほか、少年サッカーのコーチ、審判にも取り組んでいる。
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