現役時代から次のキャリアを考えるのは無責任なのか? “しくじり先生”元フロンターレ・井川祐輔からの助言

Career
2021.04.26

2020年、川崎フロンターレなどで主力センターバックとして活躍した井川祐輔は19年にも及ぶサッカー人生を終えた。現役引退、監督就任、民主化運動、そしてコロナ禍……。現役引退後、めまぐるしく変わる環境に翻弄されながら、新たな道を歩み始めた井川の悔恨と忠告、そして新たなスタートとは?

(文=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、撮影=浦正弘)

混沌とした香港で終わったサッカー人生

世界が混乱の渦に巻き込まれた2020年。前年から続く民主化デモをめぐる政治的混乱もあり、香港は混沌としていた。新型コロナウイルス感染症への対策は日本とは比べものにならないほど徹底していた。2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行で死者約300人を出している香港では、公共の場で2人以上集まることは禁止、酒類提供飲食店の営業停止、時短営業、罰金を伴うさまざまな行動制限が課せられた。
「香港では、学校も全面休校が続き、再開後もオンライン授業。子どもたちは2020年、トータルで30日くらいしか学校に通えていなかった」
妻子を伴って香港に渡っていた井川は、香港生活3年目、帰国を決断せざるをえなくなった状況をこんなふうに説明する。

「当時の香港ではサッカーどころじゃないし、生活をするだけでかなりストレスがたまる状況でした。不健康な生活を余儀なくされていた妻と子どもたちは先に帰国。私は仕事の整理をしなければいけないので、家族がバラバラになってしまったのがつらかったですね」

2018年、香港プレミアリーグのイースタンSC(東方足球隊)に移籍し、念願だった海外でのプレーを実現させた。2019年11月に現役引退を表明すると、香港3部相当のランズベリー(蘭斯貝利)で監督に就任することになる。「選手から指導者」というサッカー選手の王道セカンドキャリアの始まりかと思いきや、井川の胸中には別の思いがあったという。

「現役時代から『お前は人と違うよな』と言われ続けてきて、自分もそうかなぁと思っていた。サッカー選手のキャリアを終えて古巣にお世話になるとか、コーチになって指導者にという道が合っているかというと、やっぱりそうは思えなくて」

川崎フロンターレでのキャリアを終えて香港に渡る決意をしたのも、海外のサッカーに触れたい、日本以外の土地でサッカーをしながら生活したいという思いがあったからだった。頭の片隅にあったのは、現役引退後の自分の人生のこと。おぼろげにあったビジネスへの思いだった。

引退後の喪失感と、無力感。打ち砕かれたプライド

「“現役引退”は、もちろん自分の頭にありました。香港で引退して、その後すぐに監督をやらないかと誘ってもらえて、でも自分としてはそのままずっと指導者でと思っていたわけじゃないんですよね。香港では、現役中から現地のビジネス界で活躍する日本人経営者にお会いする機会があって、『自分もここで稼げるようになりたいな』という思いはあったんですよね。やっぱりお金好きですから(笑)。でも、『どうやって』のところを考えると、これめっちゃ難しいなと」

スパイクを脱いだ後の喪失感はあった。しかし、引退後の生活で、自らの無力さを思い知らされる時間の方が井川には堪(こた)えた。3年の香港生活で家族ともどもこの地を気に入っていて、「香港から次のキャリアを」という気概はあったが、旧英国領である香港のさまざまな特殊性もあり、ビジネスパーソンとの交流で「成り上がる場所じゃなくて、成功した人たちが来る場所」という実像も見えはじめていた。

「日本で成功した人たちのお話を聞かせてもらえたのは僕にとってはよかったですね。プロサッカー選手としてのプライドみたいなものもありましたけど、そんなもの打ち砕かれて、自分の経歴なんて何にもならないみたいな気持ちになれたのがよかった」

香港では、サッカーの他にモデルの仕事やライブ配信サービス『17 Live』でイチナナライバーとしての活動も行っていた。
「ビジネスの世界で本気でやっていくなら、元Jリーガー、プロサッカー選手だったプライドなんていらない」と、謙虚になれたという井川だが、同時に、自らがプロサッカー選手だったからこそこうした環境を手に入れることができたということも痛感していた。

「香港で出場試合のメインビジュアルになったり、モデルに起用してもらったり、忙しい経営者の人に会ったりできたのも、Jリーグで、しかも強豪の川崎フロンターレでプレーしていたからというのが大きいですよね。普通の人は得ることのできないチャンスをもらえていると思います。同時に思うのは、時間があるときに、もっと考えておけばよかったなということですね」

プロスポーツ選手のセカンドキャリアの問題が叫ばれて久しい。ある者は追い続けた夢を失った喪失感に打ちひしがれ、ある者は突然放り出された社会の荒波にもまれる。「一本道」だと信じて疑わなかった自分のキャリアが途中で断たれ、新たな道を探る困難さは、社会の厳しさを知るすべての人たちにも共感できることだろう。

現役時代の“しくじり”は「SNSに臆病だったこと」と「時間の使い方」

「現役時代にやっておけばよかったと後悔したことの一つがSNSのフォロワーを増やすアクション。

引退してみて実感していますが、やっぱり、“現役”という二文字は最強のツールなんですね。世間からの注目度が違いますし、活躍次第でキャリアの可能性が無限に広がります。現役時代の僕は大した選手ではありませんでしたが、“現役”であることの特権をもっと有効活用していればと後悔しています」

もちろん現役時代の井川にも言い分がある。1試合1試合勝利を求められるシビアなプロスポーツ選手という職業では、SNSはファンやサポーターとの接点であると同時に、「望むふるまい」を求められる場でもある。SNSの更新頻度が活発なのに、結果が出ない日々が続けば、「SNS更新している暇があれば練習しろ」「集中しろ」という叱咤(しった)が飛んでくる。

「批判されるのが怖くて、臆病になってしまっていたところはありますね。たしかにSNSに時間を奪われ練習がおろそかになっていたらそれは悪影響でしかありませんが、SNSでサポーターとのタッチポイントを増やす=負ける原因、能力向上の妨げに直結するわけじゃないんですよね」

日本では一つのことに打ち込むことが美徳とされる傾向があるからか、それとも部活時代から質より量の練習環境が重視されがちだからかはわからないが、プロスポーツ選手は競技だけに集中すべき、もっと練習すべきという考えが支配的だ。

しかし、高いレベルで競技を行うアスリートたちは、質の高いトレーニングを、短時間で集中して行うことで競技力を向上させている。サッカー選手にしても、チーム練習、個人の身体のケアを入れても、十分な時間がある。

「アスリートは一般の人と比べても『時間がある』と思います。練習が終わった後の時間をどう使うか、その後の自分の人生を左右するわけですから、英語やビジネスを学ぶ、違う世界で活躍している人たちに会う、サッカー以外の世界に触れて勉強する時間に使うべきだと思います」

ピッチ外では最高の営業マンを目指したっていい

現役時代は、家庭を持ち、子どもと過ごす時間が増えたことはあったが、漫然と過ごしていた日々も長かった。

「後悔先に立たずという先人の言葉は本当に正しいですよね。引退した先輩から『サッカーもその先のことももっとちゃんとやれ』と言ってもらう場面が結構あったんですけど、『何言っているんだよ』って心に留めることもなかった。でも、意識が高い選手はやっていたし、今にして思えばそこで差がついていたんです。結局、現役中の差が引退後になってさらに広がっていくんです」

サッカーが好きで、サッカーが得意で、サッカーで認められてきた選手たちは、どんどんサッカーに閉じこもっていってしまう。サッカーでサラリーをもらうことである程度満足し、向上心が薄れ、引退時になって初めて「サッカーだけしかやってこなかった。できない」という現実を突きつけられる。

「ピッチでは最高のパフォーマンスを発揮する。これはアスリートとしての当然の義務だと思います。でもこれからの時代は『だからいっぱいお金をください』という時代じゃないと思うんです。例えば、SNSなどを活用して、ピッチ外ではチームの最高の営業マンになる。自分たちの年俸がどういう仕組みででているのか、誰からお金をもらって生活しているのかを考えれば、プレーだけやっていればいいとは言っていられなくなると思います」

井川が好例として挙げたのが、ハンドボール日本代表の主将、土井レミイ杏利選手。現役日本代表、バリバリの現役選手でありながら、TikTokの「レミたん」としてフォロワー220万人(2021年4月現在)を誇る。このフォロワー数が追い風になり、ハンドボールとの接点、競技の報道が増加し認知度が上がった。ハンドボール界に対する土井選手の貢献度は、試合でのパフォーマンスや得点数だけでは測れない。

「メインスポンサーで…」アスリートが社会に触れる具体的な方法論

現在、井川はガンバ大阪時代の盟友で、上場企業の社長として数々のビジネスを成功させてきた起業家、嵜本晋輔のもとでアスリートのデュアルキャリアを支援する仕事をしている。会社の名前は、ずばりデュアルキャリア株式会社。ファンクリエイターの肩書を得てビジネスパーソンとしての道を歩み始めた井川は、自らの後悔を元にアスリートたち新しい可能性に期待を込める。

「僕は今、ファンクリエイターとして、Jリーグ、Bリーグ、Tリーグをはじめとするプロリーグと組んでオークション開催の話を進めさせてもらっています。古巣の川崎フロンターレではすでにオークションを実施して、クラブと選手にお金を落とすという試みを始めています」

スポーツ界を外から見て最初に気が付いたのは、かつての自分の至らなさと悔恨。それだけに、「アスリート自身が現役時代の過ごし方を変えること、それこそがスポーツの価値、アスリートの価値を最大化することにつながる」という言葉は重い。

引退してから次のキャリアを考えるセカンドキャリアではなく、現役中から自分のキャリアをしっかり考えるデュアルキャリアの重要性は、近年さまざまなところで言われるようになった。しかし、現役中にビジネスのことで頭がいっぱいで結果を出せないアスリートは当然批判される。競技がおろそかになるのは論外としても、アスリートがデュアルキャリアに目を向ける方法に言及する人は少ない。井川は自らのしくじり経験を元に、こんな提案をする。

「一回ツイッターか何かでも言ったんですけど、選手全員がオフ期間にメインスポンサーでインターンをすればいいと思うんです。選手全員が、スポンサーがどんなビジネスをしていて、どんな人が働いていてっていうのを見にいった方がいい。世の中の仕組みもわかるし、社会の仕組みというか、じゃあこの仕事とサッカーはどう関係しているのかとか、いろいろなことに目を開くきっかけになると思うんです」

サッカーだけでなくさまざまな競技に触れるようになった井川は、現役アスリート、とりわけ若い世代では、デュアルキャリアについての意識を持ち始めていることを実感しているという。

「『アスリートだからビジネスできないよね?』と言われるのは悔しい。むしろアスリートだからこそできることがあると思っていますし、現役時代の過ごし方、意識を変えるアスリートがどんどん出てくればスポーツ界はもっとよくなる。時代の変化もそっちに動いていると思います。現役時代は決して憧れられる選手ではなかったと思いますけど、引退後のキャリアではこれからのアスリートの指標にならないといけないと思っています」

18歳でプロサッカー選手としてデビューし、失敗も成功も多く経験した井川が歩む、たった一つの“人生”というキャリアはこれからも続いていく。

<了>

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