長友を救ったアスリート専属シェフとは何者か? 体と心のコンディションを整え「幸せ」を満たす食の力
どんなに優れた実力を持っていても、本番でその実力を発揮できなければ意味がない。どの競技にも共通してアスリートたちに求められているのが、「コンディショニング」と、大会当日、試合のその瞬間に最大のパフォーマンスを発揮するための「ピーキング」だ。この観点で最近改めて注目を集めているのが毎日の「食事」。アスリートの体づくりの基本となる食事に、栄養士とも調理師とも違うアプローチで大きな効果を出しているのが、アスリートの“専属シェフ”という役割だ。この分野の先駆者として話題になったサッカー日本代表、長友佑都の専属シェフを務める加藤超也シェフに、アスリートと食事、食が引き出すアスリートのパフォーマンスと、「幸せ」について聞いた。
(インタビュー&構成=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、写真提供=株式会社Cuore)
長友からケガを遠ざけた専属シェフによる「食の力」
「強い方が勝つんじゃない、勝った方が強いんだ」は、ドイツの“皇帝”フランツ・ベッケンバウアーが残したスポーツ界の真理を物語る格言だが、今夏に行われたオリンピック、それに続いて行われたパラリンピックでも見られたように、表彰台の一番高いところに上るためには、大会当日、その瞬間にベストなパフォーマンスを引き出す必要がある。
コンディションの維持と、大会当日にピークを持ってくるピーキングはアスリートにとって永遠の最重要課題だが、コンディショニングの基本中の基本として改めて重要視されているのが「食事」だ。体が資本のアスリートにとって、体の材料になり、直接血肉となる食事は栄養補給、エネルギーチャージの他にも大きな影響力を持つ。
35歳になった今も「代えの効かない存在」として日本代表に君臨する長友佑都は、自身のコンディション維持を支えているのは、2016年に加藤超也専属シェフを迎えてからの「食事の変化にある」と、ことあるごとに話している。
「長友選手もよく言っているんですけど、『自分は30歳を超えてから食事の重要性に気がついた。気がついたからこそ今があると思っているけど、20代で気づけていたら、もっと化け物になれていた』って」
加藤自身は、長友の鉄人ぶりについて「すべては本人の努力のたまもので、自分にできることは限られている」と謙遜するが、事実、加藤を迎える前の長友は筋肉系のケガに苦しめられ、一時は「引退」を真剣に考えるほどだったという。
それが、毎日の食事を根本から変え、専属シェフを起用した2016年から一変、長友本人も「この5、6年でケガもかなり減った」「年に2回はやっていた肉離れは、6年で1回だけになった」と体の変化に驚いている。
「体は食べたものでつくられる」全治2カ月半が1カ月で完治
トルコのガラタサライに所属していた2018年10月、長友は試合中にボールで胸を強打するアクシデントに見舞われた。診断結果は肺気胸。翌年1月にはAFCアジアカップを控えていたが、入院による体力、筋力の低下を考えると、出場は見送らざるを得ない。長友本人も「間に合わないだろう」という判断をしていた。
しかし、「肺の細胞を構成するたんぱく質と、傷ついた細胞の修復する細胞膜をつくる脂質をしっかり摂取することが回復への近道」という医師のアドバイスをもとに、口から入るものを厳選。長友と加藤が取り組んでいた「摂取する糖質を一定量に抑えて、たんぱく質と脂質は積極的にとる『ファットアダプト食事法』」のレシピでつくった高たんぱく質、高脂質の食事を続けたことで、手術から1カ月、当初医師から告げられた全治2カ月半よりも実に1カ月半も早い完全復活を遂げた。
「食事で体は変わる」「毎日口にするものでパフォーマンスが変わる」と食事改善に取り組んできた長友もこれには驚いた。加藤も「体は食べたものでつくられる」ことを実感し、食の持つ可能性、「専属シェフだからできることがある」と自信を深めた。
「専属シェフ」が必要な理由 栄養士、調理師と何が違うのか?
アスリートに必要な栄養素を調整し、パフォーマンスを引き出す役割なら栄養士がいる。料理をつくるという点だけに絞れば調理師もいる。栄養士、調理師と専属シェフは何が違うのか?
「料理人であること、料理が真ん中にあることですかね」
長友と二人三脚でアスリート専属シェフという職業を確立した加藤は、栄養士や調理師の重要性を十分に認識し、役割も尊重した上で、自らがアスリート専属シェフとして担っている実際の役割について語ってくれた。
「よほど無頓着なアスリートでない限り現代のアスリートたちは、個人差はあっても栄養学、中でもスポーツ栄養学の知識に沿って食事をするようになっています。『脂身を食べると脂肪がつきやすくなる』とか、『試合前はこれを食べるとすぐにエネルギーに代わる』と、理論で特定の食材を避けたり、逆に『抗酸化作用のあるビタミンがとれるアボカドを積極的に食べよう』というふうに特定の食材を積極的にとったりしながら、食事を選ぶ。栄養士さんは食材や料理の持つ栄養素などを意識してアスリートに摂取した方がいい栄養素を示すのが仕事ですが、彼らが困っているのがアスリートが言われたとおりの食事をするかどうかわからないという点です」
20年間、唐揚げとラーメンを食べなかったという元日本代表、中澤佑二や、口に入るものすべてに細心の注意を払っているという長友のように、放っておいても理想的な食事を追求するストイックなアスリートは別として、いいとわかっていてもなかなか実践できない、気が緩むと何も考えずに好きなものを食べてしまうというアスリートも少なくない。
「これはある意味当然だと思うんですね。目標を達成するためには努力を厭(いと)わないアスリートでもロボットではないし、なかなか常に理想的な食事をするとはならないんです。誰かに言われて食事を制限されている状態が、逆にストレスになる場合もありますよね。理論や知識だけで食事をすることが必ずしも正解ではないということは、長友選手の専属シェフになって特に強く感じているところです」
理論と感情の間を論理的思考で埋める
栄養学の知識は当然必要。加藤も知識や理論は十分に学んでいるし、それがメニューづくりの根拠、大本になっている。だがそれだけでは「アスリートの最高のパフォーマンスを引き出す」「さらなる成長をサポートする」という目標に届かない。
「料理は基本的に理論だと思っていますし、知識や科学的なアプローチが重要なものなんです。でも料理人は、それに加えて感性から生まれる『なぜならば』を大切にしなければいけない。
理論でいけば、このアスリートにはこれが足りていない、こうなりたいという目標があるからこういう食材を当てはめようということになります。でも、いざ『食べる』というシーンになったときには、アスリートのそのときの気分、おなかのすき具合、もっと根本的なところでいえば好き嫌いもあるでしょう。そういう感性や感情の部分を埋めるために料理人は『なぜならば』を論理的に追求していかなければいけないと思っているんです」
栄養学に基づいた理論と、アスリートの感性、感情をひもとく「なぜならば」を追求する論理的思考。その真ん中にあるのが、加藤が求める理想の食事だ。
加藤がこの考えに至ったのは、食事を変えたことによって長友から「心が安定した」と言われたことが大きなきっかけになっている。以前は試合終盤で肉離れや足がつることを恐れてあと一歩が踏み出せないことがあったが、食事を変えたことで体の変化を実感し、自信が芽生え、心が安定したというのだ。
「栄養素のデータとか、エビデンス、理論のところがしっかりしていることがまずは『自分はパフォーマンスを発揮するのにいいものを食べている』という安心につながりますよね。でもここで、嫌いなもの、おいしくないと感じているものを食べなさいといわれてしまうと、感情が満たされないんです。食事は人生における楽しみであって、アスリートであっても栄養のためだけにとるわけではありません。おいしくて見た目にもテンションが上がるものを食べたら、アスリートは食事で『幸せ』を感じることができるのではないかと思っているんです」
実はパフォーマンスに大きく影響する「おいしさ」「食べる喜び」
長友クラスになると、毎日毎食の食事もトレーニングととらえて、おいしさや見た目は度外視で栄養素だけをとっているイメージがある人もいるかもしれないが、加藤が重視しているのは、意外にも「食べる喜び」だった。
「アスリートは毎日の練習、試合の中でできなかったことがあったりするとメンタル的に落ち込むこともあります。そんなときは特においしいものを食べることが重要だったりするんです。そういうときは理論的なものの優先度を下げることもあります。
一方で、うまくいっているときは、それを壊したくないので理論90%くらいでメニューを考えます」
大切なのはアスリートとコミュニケーションを取りながら状態を見極めて、最適な料理、そのときに必要な感情を満たしてくれる料理を提供すること。ここが栄養士や調理師とアスリート専属シェフの大きな違いといえる。
料理人・加藤超也が「食」を追及する理由
加藤がたびたび口にするのが「料理人であること」の矜持だ。
18歳で郷里の青森から上京し、料理とは縁のない一般企業で働いた後に一念発起して料理人になったという加藤はなぜアスリート専属料理人を志し、アスリートの「食べる喜び」に関わっているのか?
そこに至る経緯や長友との出会いについては別原稿で詳しく書いたが、加藤がなぜ料理人を志したのかについては、もっと大きな動機があるような気がしていた。
「父が建築士で、小さい頃から父が設計した家ができていくところを見ていました。ものづくりというところでつながっているのかもしれません」
別のインタビューでも「ものづくり」を共通項に、形に残る仕事をしたいと料理人を志す動機を語っていたが、これについてはもう少し深く聞いてみる必要がある。
加藤が語ったのは、故郷である青森の豊かな自然と、恵まれた食文化、そして自身が経験した“食の原体験”にまつわる話だった。
「私の実家は青森なんですが、野菜もおいしいし魚介類も豊富。食文化という意味ではとても恵まれた環境で育ちました。父も母も自宅で料理をして人をもてなすのが好きな人だったので、その日とれた魚を刺し身にして大勢で食卓を囲むみたいなことが日常だったんです。
いまにして思えばですけど、3兄弟の末っ子だった私は母や父にくっついて、魚をおろす様子とかをじっと見ているような子どもだったんですよね。魚のおろし方は見て覚えたみたいなところはあるかもしれません」
豊富な食材に料理好きの両親、家族だけでなくお客さんも一緒に食卓を囲むにぎやかな時間と環境が、加藤が数ある職業から料理人を選んで再スタートを切った動機につながっているのかもしれない。
アスリートの「幸せ」をつくる食卓
「いま思いだしたんですけど、そういえば兄貴に『つくって』と言われてカレーとか簡単な料理をつくっていましたね。小学校6年とか中1とかそのくらいから、半ばつくらされていたみたいなところもありますが、そういえば小さい頃からよく料理はしていました」
加藤にとって食は、おいしくて、懐かしくて、温かみのある「幸せ」の匂いがするもの。この原体験が、アスリートの体と心、何より食事をする喜び、「幸せ」をサポートする“専属シェフ”という新たな職業をつくり出す端緒になったのではないか。
ベテランの域に達した長友の活躍によって、「長友の食事」と「長友専属シェフ」が大きな注目を集めている。“アスリート専属シェフ”は、これまでになかった職業であり役割だが、今後、栄養士と調理師のエッセンスを持ち、食回りでアスリートのパフォーマンスをアップさせる専属シェフのニーズが高まっていく可能性は高い。
加藤のもとにも、「管理栄養士の資格は持っているが、アスリート専属シェフになるにはどうしたらいいか?」「アスリートを食事面からサポートするためには何を勉強したらいいか」という質問が寄せられるようになった。
「質問に対してどう返信していいのかは、自分でも正直よくわからないんです。だけど、技術や知識、理論の部分は必要不可欠として、やっぱり一番大切なのはコミュニケーション能力かなと思うんですね。アスリートがいまこの瞬間何を求めているのか、何を欲しているのかがわからなければ、そのアスリートのパフォーマンスは絶対に上がらない。理論やデータ数値で完璧な料理を毎食つくって食べてもらっても、コミュニケーションがない一方通行のメニューでは絶対にいい結果にはつながらない。長友選手と出会って、専属シェフとして6年間一緒に過ごしてきて、このことだけは言えますね」
アスリート専属シェフはアスリートのコンディションに深く関わるだけでなく、アスリートの「幸せ」にも一役買い食の可能性を切り開く、まったく新たな職業なのかもしれない。
<了>
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