個人競技と団体競技の向き・不向き。ラグビー未経験から3年で代表入り、吉田菜美の成長曲線
吉田菜美が14年の柔道経験で培った「重心」や「間合い」が、ラグビーの“プロップ”という特殊なポジションで発揮された。個人競技から団体競技へ。ボールも取れず、ルールも理解できず、毎晩泣きながら練習した1年目。そこからタックルを武器にし、努力で知識と技術を積み上げ、わずか3年で日本代表に到達するまでの道のりには、競技を横断したアスリートならではの強さがあった。また、介護施設で働きながら競技を続ける生活は、ラグビーへの視点にも影響を与えている。初キャップの舞台裏や女子ラグビーの現在地、そして挑戦の先にあるキャリアのゴールについても話を聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=YOKOHAMA TKM)
泣きながら学んだ1年目。ボールも取れないところからのスタート
――ラグビーはボールスポーツという点でも、幼少期から14年続けられた柔道とはまったく違う競技性があります。周囲との距離感はどのように埋めていったのでしょうか。
吉田:本当にゼロからのスタートでした。ラグビーのボールは丸くないので、投げられてもストレートに飛んでこなくて、最初は全然キャッチできなくて……。顔の方向にビュンって飛んでくるのが怖くて、何回も落としていました。ルールも、頭で理解したつもりでも実際に動くとまったく違っていて。みんな優しく声をかけながら教えてくれたので何とかやれていましたが、1年目は本当にうまくいかなすぎて、毎日のように泣きながら練習していました。
――団体競技だからこその“周りに迷惑をかけたくない”という葛藤もあったのでしょうか。
吉田:すごくありました。柔道は負けても責任はすべて自分に返ってきますが、ラグビーは自分のミスで相手ボールになったり、チームが作った流れが一つのミスで変わってしまうこともある。だから、最初は攻撃時に「ボールをキャッチしたくない!」と思って逃げてばかりで(笑)。
――想像するだけでもなかなかハードなスタートですね……。個人競技から団体競技に移る中で、コミュニケーションはスムーズでしたか?
吉田:人見知りではありますけど、もともといじられやすい性格で、周りに溶け込むのは比較的早かったと思います。ただ、プレー中のコミュニケーションは難しくて、「今のプレーどうだった?」と聞かれても「わからない……けど、何がわからないかがわからない」という状態でした。変なプライドは捨てて、「できないものはできない」と素直に伝えて教えてもらうのが一番の近道だと思っていました。
柔道×ラグビー。“低さ・間合い・重心”がプロップで武器に
――柔道で培った重心の低さや1対1の間合いは、プロップのプレーにどう生きていると感じますか。
吉田:プロップはスクラムの一番前で組む専門職で、誰もができるポジションではありません。筋力や体幹の強さ、身体の使い方は柔道で身についたものがすごく生きています。
――柔道の「組み」とラグビーの「スクラム」には共通点も多いですよね。
吉田:はい。同期でバスケ出身の選手はハンドリングがすごく上手なんですが、コンタクトは怖いと言っていました。私は逆で、ハンドリングは全然できなかったけど、体を当てることは柔道でずっとやってきたことなので、怖さがありませんでした。タックル練習の時に自分の強さを発揮できて、思い切りいけたことで、少しずつプレーに関わる回数が増えて感覚をつかんでいった感じです。やってきた競技の違いで、得意な部分がここまで変わるのかと驚きました。

ノートと復習の積み上げ。「最も練習熱心」と言われる理由
――ゼロからスタートしてわずか3年で代表候補入りした背景には、学び方の工夫もあったと思います。特に効果があった学習法は?
吉田:柔道時代から日記を書いていて、練習でうまくいったこと、できなかったことを書き出す習慣がありました。ラグビーでは、ルールやプレーを教わるたびにメモして、家で見直しながら清書して、何度も復習することを続けてきました。
――体づくりの面では、柔道のルーティンを引き継いだものはありますか?
吉田:柔道の時は、練習後に体幹トレーニングやロープの練習を毎日やると決めていました。今も練習後にジムへ行ってウェイトトレーニングを続けています。スタートが遅れている分、何かしらで埋めないと追いつくことはできないよな、という思いがありました。
――吉田選手が「練習熱心な選手」と言われる所以ですね。柔道とラグビーでは、体重管理も異なる点ですよね。
吉田:柔道は78kg級で、少し足りないぐらいでした。今はそれより少し軽いです。スクラムでは重さが有利なので、本当は80kgぐらいが理想ですが、なかなか増やせていないので、そこは今後の課題ですね。
“ウェルカム”だった女子ラグビー界。初キャップの舞台裏
――ラグビー転向当初から苦労も多い中、「いつかは代表に」という思いは変わらず持ち続けていたのですか。
吉田:ありました。最初のイメージでは、3年間必死で取り組んで4年目くらいに候補に名前が挙がるレベルにいければと思っていたんです。でも、2年目くらいから少しずつ認めてもらえるようになり、2024年から合宿に呼んでもらえるようになりました。ケガで参加できない時期もありましたが、今年、ちょうどワールドカップイヤーのタイミングで参加できたのは、運も良かったと思います。
――今年5月の女子アジアラグビー チャンピオンシップでスコッド入りしました。代表入りしたことで、意識はどう変わりましたか?
吉田:日の丸を背負う経験はやはり特別で、「ここまでこられたんだ」という実感と、恥じないプレーをしなければいけないなと気が引き締まる思いでした。ワールドカップに向けたスコッドに加えて、新戦力が数名呼ばれた状況でしたが、合宿では周りのレベルが本当に高くて、一つひとつのプレーの精度が違い、その中でプレーできることにワクワクしました。
――5月15日のカザフスタン戦(90-0で勝利)で初キャップを獲得しました。どのような思いでしたか?
吉田:ファーストキャップをもらえたことはすごくうれしかったです。ただ、カザフスタン戦は主力選手が先発で、私は点差が開いた状況でリザーブからの出場でした。スタートから出るのとはプレッシャーも違うからこそ、もっと頑張らなければいけないと強く感じられた試合でもありました。
――吉田選手のように、他競技出身アスリートの存在は、女子ラグビー界にとっても異色の存在だと思います。他競技からの“受け入れの壁”についてはどう感じますか?
吉田:女子ラグビーは本当に受け入れてもらいやすく、ウェルカムな空気があって、他競技出身でも入りやすいです。社会人から始めても努力次第で代表を目指せるということを、私自身がプレーを通じて示すことができたらいいなと思っていますし、まずはラグビーの面白さを多くの人に知ってもらいたいですね。
介護職とラグビーの両立。支える経験が競技観を変えた
――吉田菜美選手はYOKOHAMA TKMの母体である医療法人 横浜未来ヘルスケアシステムの介護老人保健施設「ヒューマンライフケア横浜」に勤務しているそうですが、働きながら競技を続ける生活にはどんな意義がありますか。
吉田:利用者の方が「今日も練習あるの?」とか「試合頑張ってね」と声をかけてくれるんです。共通の話題が増えて、利用者の方の笑顔が見られるのがうれしくて仕事が大変でも頑張ろうと思えますし、ラグビーの原動力にもなっています。
――介護の現場で、柔道・ラグビー経験が生きている場面はありますか。
吉田:お年寄りを抱えたり移動を支えたりする時、体力的な負担を感じにくいのは、スポーツを続けてきたからだと思います。
――高齢者の方と接する上で大切にしているのはどんなことですか?
吉田:耳が遠いことを気にして会話を控えようとしてしまう方もいるので、耳元でゆっくり話すようにしています。さまざまな利用者の方がいるので、相手の立場に寄り添って接することを意識しています。
30歳、4年後のワールドカップへ
――競技の転向を迷う人や若いアスリートに、どんなメッセージを伝えたいですか。
吉田:個人競技と団体競技の向き不向きは、やってみないとわからない部分もあると思います。一人で何事も突き詰められる人は、黙々とストイックに向き合う個人競技が向いている印象がありますし、「誰かのためにプレーしたい」という思いが強い人は団体競技の方が楽しく取り組めるのではないかなと思います。私自身は柔道とラグビーを両方経験した上で、団体競技の楽しさを実感しています。
――今後のキャリアの展望を教えてください。
吉田:ラグビーに転向した時の目標は代表に入ることでした。今はワールドカップという大きな目標があります。4年後、30歳で迎える大会が最後になるかもしれませんが、そこに向けて、日々全力で取り組んでいきたいです。
【連載前編】柔道14年のキャリアを経てラグビーへ。競技横断アスリート・吉田菜美が拓いた新しい道
<了>
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[PROFILE]
吉田菜美(よしだ・なみ)
1999年4月13日生まれ、千葉県出身。女子ラグビー選手。YOKOHAMA TKM所属。ポジションはプロップ(PR)。小学2年生から大学まで14年間柔道に取り組み、八千代高校では78kg級で全国高校柔道大会ベスト4に進出。寝技を武器とし、山梨学院大学でも全日本学生大会や関東選手権に出場するなど活躍した。大学卒業後の2022年、ラグビー未経験ながらYOKOHAMA TKMに加入。柔道で培った重心の低さや一瞬の間合い、接近戦での強さを生かし、フォワードのプロップとして急成長。地道な努力でスキルを磨き、2025年のアジア女子選手権で女子日本代表「サクラフィフティーン」に初選出。同年5月のカザフスタン戦で初キャップを獲得した。医療法人横浜未来ヘルスケアシステムの介護施設に勤務しながら競技を続けており、2029年のラグビーワールドカップでの代表入りを目指している。
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