「日本の重量級は世界で勝てない」レスリング界の常識を壊す男、吉田アラシ。21歳の逸材の現在地
重量級での不振が続く日本のレスリング界に、突如“新星”が現れた。今年9月のシニア世界選手権で銅メダルを獲得し、続く10月のU23世界選手権では優勝。日本重量級の歴史を塗り替えつつある21歳――吉田アラシだ。押し負けない。組み負けない。スタミナでも引かない。関係者は口を揃えてこう言う。「2028年ロサンゼルス五輪で、40年ぶりにメダルを狙える存在だ」と。日本の“弱点”とされてきた重量級で、いま何が起きているのか。
(インタビュー・文・撮影=布施鋼治)
「金メダルも夢ではない」日本の重量級に突如現れた逸材
「日本の重量級は世界で勝てない」
“日本の御家芸”として知られるレスリングだが、そう言われて久しい。仕方あるまい。個人的には90kg以上が重量級だと解釈しているが、メダルを量産する軽・中量級に比べると、その成績はサッパリなのだ。
1980年のモスクワ五輪ではのちにプロレスに転向する90kg級の谷津嘉章が「日本初の重量級金メダリスト」になることを期待されていたが、西側の出場ボイコットのあおりを食い、モスクワの地を踏むことはなかった。
谷津が“幻のオリンピック金メダリスト”と呼ばれる所以はここにある。重量級のメダル獲得は1984年のロサンゼルスと1988年ソウルの両オリンピックの男子フリースタイル90kg級で銀メダルを獲得した太田章までさかのぼらなければならない。
そもそもオリンピックの選考基準が国代表ではなく、世界選手権で5位以内、あるいは世界(もしくは地域)最終予選で上位に入らなければ出場できなくなってから、日本の重量級がオリンピックに出ることすら途絶えてしまった。その記録は2008年の北京五輪に男子グレコローマン96kg級で出場した加藤賢三で止まっている。
みんな頑張ってはいるものの、世界選手権レベルの大会になると上位に食い込めない。爪痕を残すのはアジア規模の大会が精一杯という現実を何度目の当たりにしてきたことか。日本の重量級に明るい未来はないのか。そう思っていると、救世主が現れた。男子フリースタイル97kg級で、今年9月のシニアの世界選手権では3位に食い込み、10月のU23世界選手権で優勝を果たした吉田アラシである。
関係者は「2028年のロサンゼルス五輪では40年ぶりに重量級でメダルを狙える逸材」と相好を崩す。しかも、アラシは頑張って何とかメダルに届くかどうかというレベルではなく、周囲に「金メダルも夢ではない」と思わせるだけの地力をつけている。

“痛快”な試合で五輪メダリストと互角以上の攻防
筆者は前述したU23世界選手権もシニアの世界選手権も現地で取材する機会に恵まれたが、アラシの試合を一言で表現するならば、“痛快”としかいいようがなかった。
いつもなら、日本の選手は押し合ったり差し合ったりしているうちに次第に分が悪くなり、場外に押し出されたりテイクダウンを許す。グランドの展開になっても、日本の選手は下になるケースが多かった。どんな展開になっても、欧米の選手にはフィジカルでかなわない。そんな印象を持たざるをえなかった。過去に日本代表が絡んだ重量級の試合を見ながら、何度失意のため息をもらしたことか。
しかし、アラシは違う。欧米の選手と押し合ったり、差し合ったりしても、最終的に有利なポジションを得る。そして、ほとんど決まって最初にバテるのは相手のほうなのだ。少なくともアラシの試合に関していえば、冒頭で記した「日本の重量級は世界で勝てない」という言葉は当てはまらない。
例えば、今年9月、クロアチアの首都ザグレブで行われた世界選手権の3回戦ではパリ五輪同級で銀メダルを獲得しているギビ・マチャラシビリ(ジョージア)を6-2を撃破。その勢いで挑んだ準決勝では2016年のリオデジャネイロ五輪の金メダリストであるカイル・スナイダー(米国)と対戦したが、1-9で敗れた。
スコア以上の接戦に思えたが、今年2月にアルバニアで開催の国際大会ではそのスナイダーからもアラシは勝利を奪っている。オリンピックのメダリストと互角以上の攻防を繰り広げているのだから、世界から注目されるのも当然だろう。

世界が注目した瞬間。大化けを予感させた大会
世界選手権でのスナイダー戦でアラシはアバラ骨を骨折したが、翌日は痛みをこらえて3位決定戦に出場したうえでの銅メダル獲得だった。
「(世界選手権での)スナイダーは強かった。最後の最後にバックをとられるかどうかというところで折れてしまったみたい。もっと言うと、スナイダー戦の前から違和感は感じていたけど、この試合でとどめを刺された感じでしたね(微笑)」
ちょっとやそっとのケガでは表情にも出さないし、泣き言も言わない。アラシは五輪メダリストになるための必要最低条件を備えているといえるのではないだろうか。
日本大学の齊藤将士監督はアラシをキッズレスラー時代から知っており、大学1年のときから化ける片鱗を感じていたという。
「大学1年のときのインカレ(全日本学生レスリング選手権)はヒザの手術明けで2位だったんですよ。そのときは練習量の差で負けていた。試合前は僕はケガ明けでどこまで動けるのかと話をしていたくらい。でも、その後出る大会は優勝し続けたので、『オヤッ?』と思うようになりました」
そうした中、齋藤監督はアラシの大化けを予感する大会に遭遇した。2023年4月、カザフスタンで開催されたアジア選手権・男子フリースタイル92kg級での優勝だ。
アラシにとっては初の国際大会出場となったが、決勝では同い年で地元カザフスタンの選手との対戦になったが、序盤から攻勢に出て11-4のスコアで快勝した。
「自分も現役時代の最高位はアジア選手権での優勝だったので、その時点で超されるなと思いました(苦笑)。いや、冗談ですよ、冗談。どんどん踏み台にして上がっていってほしいと思いました」(齋藤監督)
このとき、アラシは19歳3カ月。それまで日本人レスラーの優勝は19歳5カ月が最も若かったので、アラシは最年少での優勝記録を更新した格好だ。その後今年の世界選手権で3位、続けてU23世界選手権で優勝したときも、アラシは最年少記録を更新している。
前者はオリンピックと世界選手権を通じ日本最重量のメダリスト、後者は男子ではU17やU20などすべてのカテゴリーを合わせ日本歴代1位となる重量級での金メダル獲得だった。
アラシ自身は3位に終わった世界選手権に最も大きな価値を感じている。
「世界選手権でのテーマは自分の(世界での)立ち位置を見つけること。目標は優勝でしたけど、一回勝っているスナイダー選手に負けてしまい、自分が優勝にはまだ届かない位置にいることはわかりました。これから(反省材料を踏まえ)練習していきたい」

必ずマットに誰か家族がいる。ありふれた練習光景
12月上旬、東京都世田谷区にある日大レスリング道場を訊ねると、黙々と準備運動に励むアラシの姿を見つけた。
アラシは6人兄弟の四男。道場では同大1年の双子の五男アリヤと長女ロヤも一緒だ。途中からは同大出身で、この家族の次男で全日本選抜選手権優勝の実績を持つ兄のケイワンも顔を出した。
練習でも必ず誰か兄弟がいるのは、アラシにとっていつものありふれた光景だ。というのも、三男以外は今もみなマットに上がり続けているレスリング一家なのだ。
父はイラン人で、母は日本人。父のジャボ・エスファンジャーニさんは千葉で市川コシティクラブというキッズ向けのレスリングクラブを主宰する。兄たちの背中を追いかけるように、アラシがレスリングを始めたのは3歳のときだった。
「最初は松戸のクラブでやっていました。小3か小4のとき、父が自分のクラブを作ったので、兄弟揃って移籍した感じですね」
現在ジャボさんは日大の外部コーチを務めているので、毎週金曜になると日大の道場に顔を出す。
「そのとき、お母さんが作ったイラン料理を持ってきてくれたりします。僕はクビデが好きですね」
クビデとは羊や牛の肉を串に刺して焼くイラン風のバーベキューを指す。アラシは補足することも忘れなかった。
「クビデだけだと栄養に偏りがあるので、ゴルメ・サブジも食べるようにしています」
ゴルメ・サブジとはイランの国民食ともいえる野菜がタップリ入った煮込み料理だ。
もっとも、吉田家の子どもたちはみな日本で生まれ育った。U23世界選手権で優勝した直後、「日本に帰国したら、まず何を食べたい?」と聞くと、アラシは即答した。
「おいしいお寿司が食べたいですね。回転寿司なら、ちょっと高いところがいい」
その口調は日本の食文化を愛する日本人そのものだった。まだアラシは父の祖国に足を踏み入れたことがない。
<了>
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