「出産が選手としてプラスになっている」ママアスリート・高木エレナが産後復帰できた理由
女性アスリートにとって「妊娠・出産」は引退に直結するケースが多い。そんな中、出産後、JISS(国立スポーツ科学センター)と連携した「産後復帰プロジェクト」を経て、現役に復帰した選手がいる。日本ハンドボールリーグ・三重バイオレットアイリスでプレーする高木エレナだ。一度は「引退するべきじゃないのか」と考えた彼女は、どのようにして気持ちが移り変わり、地方では初となる復帰に向けたプロジェクトに向き合ったのか?
(インタビュー・構成=木之下潤、写真提供=MARK THREE DESIGN)
産後復帰プロジェクトが立ち上がった経緯
――最初に、産後復帰プロジェクトが立ち上がった経緯を簡単に教えてもらえますか?
高木:2017-18シーズン、私は引退を考えてプレーしていました。終了後、少し時間が経って妊娠したことが判明して、本来なら引退して子育てするのが一般的だと思うのですが、私の中では「今はつらいけど、少し休んでみたら気持ちが変わるかも」と感じるところがありました。クラブの監督には、妊娠前に選手としての心境を素直に伝えていました。そうしたら「どういう形でもいいから残ってくれないか」という言葉をかけてくれて。その後に妊娠したことがわかって、自分の中では「来年はチームのサポート役として支えていこう」という気持ちに切り替わりました。
もちろん夫にも相談しました。彼は「競技復帰も無理ならやめたらいい。でも、続けられると思ったら選手を続行したら」と言ってくれました。前向きな言葉をかけてくれたので「ダメならやめたらいい」といい意味で割り切れて、1年間スパッと競技から離れました。たまにランニングくらいのことはしていましたが、だんだんお腹が大きくなってきて、自分自身も「無理しても胎児によくないな」と思ったので、仕事場にも少し早めに産休をもらって子どもを産むことに専念しました。
そして、みなさんのおかげで無事に2018年の12月に子どもを出産することができました。
私の心境は「現役続行の心が固まっていた」ので、クラブの監督にその意志を伝えました。ただ「どう競技復帰したらわからないし、どういうふうにチームの勝利に貢献していけばいいのかがわからない」ことも率直に伝えました。クラブにとっても「産後復帰」は初めてのケースです。そうしたらクラブのスタッフがさまざまな人に相談してくれて、JISS(国立スポーツ科学センター)が関わることになりました。
本当なら、私が東京に行ってJISSのスタッフのもとで体のチェックを受けたり、復帰に向けたトレーニングを考えたり、一緒に「産後復帰プログラム」を作っていくつもりでしたが、三重と東京とを行き来しながら活動をすることは難しいという結論に至りました。当然、その時も夫に相談しましたが、「東京に行って産後復帰プログラムをこなしていく必要があるのかな」と言っていて、「負担も大きいし、だったら三重にいるクラブのトレーナーとトレーニングしたほうがいいんじゃないの」とアドバイスをくれて。
そこでクラブに話をしたら「地域の力で産後復帰することに意味があるのではないか」ということになり、クラブを中心に地域の専門家と産後復帰プログラムを遂行していくことになりました。その後、JISSのスタッフが三重まで来てくれて、クラブのトレーナーと栄養士、産婦人科の先生など一緒に現状の情報交換をし、私の体のチェックなどをしてくれました。
それが2019年5月くらいのことです。
その時に今後のトレーニングの方向性や実際の方法などを、JISSとクラブとで共有しました。なので、基本的に復帰に向けたトレーニングについては所属クラブを中心とした「チーム三重」で行いました。もちろん何かあれば、「クラブのトレーナーとJISSのスタッフとで連絡を取り合いながら」という流れです。JISSは専門的な観点からの意見が必要な場合にサポートをいただいた感じです。
引退を踏みとどまった選手としての気持ちの変化
――お話を聞くと、選手としてのフェーズが分かれています。時系列でいうとシーズン後の続行か引退かの決断、心を休める意味を含めた妊娠期間、そして、出産後の心境の変化。まず、「なぜ現役か引退かを迷っていたのか」を確認させてもらえますか?
高木:2017年8月に結婚をして、ずっと「子どもがほしい」と思っていました。実際、2017-18シーズンは「ここまではやろう」と心に決めて挑んだので、終わった時に「もういいかな」という気持ちになったんです。競技に対する活力が湧いてこなくてホッとした気持ちでした。
だから、「引退するべきじゃないのか」と。
――その後、子どもができた時に気持ちの転換点があったわけですよね。その時の心境は?
高木:実は、結婚した時に「お母さんになってもハンドボールを続けたい」という気持ちを持っていました。だから、決意のシーズンを終えたあとに現役か引退かをすごく悩んだんです。ちょうどその時に妊娠していることがわかって。それで「1年間休んでみて、出産後に競技をやってみよう」と思ったら現役続行の道を選ぼうかなと思いました。だから、自分の中でもブレイク期間を作ってみようと考えました。
――1年休んでみて、気持ちの確認をしたかった、と。
高木:そうですね。
――当時クラブの監督だった櫛田亮介監督(現ハンドボール女子日本代表コーチ)に引退か現役続行かを迷っている相談をした時は妊娠の事実は伝えたんですか?
高木:相談した時点では、まだ私も妊娠の事実に気づいていなかったので、純粋に選手として相談しました。その時はちょうど監督交代のタイミングだったので、相談したのは現監督の梶原晃さんです。そういう事情もあったので、クラブからは「サポート役でもいいから残ってほしい」とお願いされました。
――高木さん自身はどういう形を望んでいたのですか?
高木:私自身の思いは「後進のゴールキーパーを育てきれなかったので、そこは何とかしたい」という思いがありました。チームも代表選手が抜けたりしながら残った選手でシーズンを戦うことが増えていたので、そこでも力になれたらいいな、と。
――最終的に、肩書きはどういう形になったのですか?
高木:ゴールキーパーコーチです。ゴールキーパーの育成がメインになります。ただクラブに相談した直後に妊娠が判明し、その上でコーチ活動をすることになったので、正直つわりがひどかったりして大変でした。頻繁に練習に行くことはできなかったので、ゴールキーパーの後輩をメインに、他の選手たちとも会話をしてサポートするような感じでした。
――妊娠についてはどのタイミングで公表したのですか?
高木:最初に監督とキャプテンに相談してから、あらためてチームメイトには妊娠の事実を話しました。クラブは4月からシーズンがスタートするので、そのタイミングで公表しました。
――その時はどんな雰囲気だったのですか?
高木:初めての経験だったので、あまりにドキドキしすぎて泣きながらみんなに話をしたんです。「妊娠して、選手としてはプレーできないけど、チームに関わっていきたい」と伝えたら、みんな笑顔で「おめでとう」と喜んでくれました。とても歓迎してもらえて、私の中での不安が吹き飛びました。妊娠中もお腹を触って「動いた?」とか、「今どのくらいの大きさなんですか?」とか、女性なのですごく興味を持ってくれて気にかけてくれました。
もちろん今も、子どものことと私のことを気にしてくれています。
出産がアスリートとしてプラスに働いたことは何か
――高木さん自身も出産がプラスになっているわけですね。
高木:はい、間違いありません。
――チームのサポート期間ですが、つわりなど体の変化があったと思います。
高木:つわりがひどかったんです。初めの頃はどうもありませんでしたが、一度、会社の方と焼肉を食べに行ったのですが、夜に何だか気持ち悪くなって「あたったのかな」と。でも、次の日も続いたので「あれ、もしかして」と思っていたらつわりでした。それから4カ月くらいどこに行っても気持ち悪いし、私の場合は食べづわりといった感じで「食べないと気持ち悪い」状態でしたから、ずっと食べ続けていました。
体重が一気に増えて、産婦人科の先生にも「しっかり体重を管理してね」と言われたくらいです。5カ月目あたりからは安定してジョギングをしたり、軽い運動はしたりしていたのですが、8カ月目くらいから随分お腹が大きくなってきたので、そこからは運動をやめました。そのあたりから胃が圧迫されてきて気持ち悪さが出始め、またつわりが続きました。最終的には、妊娠前に比べると体重が十数kg増えてしまいました。
――でも、落ち着いていた3カ月くらいは体を動かしつつ、チームのサポートをされていたわけですね。高木さんの中では、ゴールキーパーコーチとして後進の指導をどのように考えられたのですか?
高木:クラブとしてはずっとプレーオフ(リーグ戦上位チームによる順位決定トーナメント)に出場していたので、誰かが抜けて(チーム力が落ちて)その権利を逃す状況は作りたくありませんでした。同じ仲間としてレベルアップをしてほしいという思いがあったのと同時に、私自身も「現役復帰する」という気持ちになった時に「このままじゃダメだ」と選手として危機感を持つ状況にしたかった。もちろん練習に行ける時もそうじゃない時もありましたが、試合のビデオを見て「こうしたほうがいいんじゃない?」とLINEでメッセージを送ったり。ずっとアドバイスは送っていました。
――8カ月目くらいからはお腹が大きくなって大変だったと思います。その段階での心理状態を知りたいです。アスリート心理がまだ働くのか、お母さん心理が占めるのか。
高木:私自身は妊娠してから、やはりお母さん心理のほうが大きくなりました。みんなからも「妊娠して優しくなったね」と言われましたから。お母さん的な要素というか、「体を守らないと」と。
――それを経験したことで、何か競技にプラスに働いたことはありますか?
高木:子育てしているので、チームメイトに話をする時も「この子はどういうことを考えているのかな?」と聞いたり、相手との話し方は変わってきました。これまではグチをこぼしている選手がいたら「なんでそういうことを言っているの?」と自分もイライラしたりしていましたが、逆に「こういうことで悩んでいるんだな。自分が解決してあげようかな」と思うようになりました。第三者から物事を見られるようになったというか。
ネガティブな状況にとらわれないようになった
――少し俯瞰して見えるようになった。
高木:はい、なりました。
――それが現役のゴールキーパーとして試合に出ている時に影響していることはありますか?
高木:チームの全体練習に復帰した頃は、みんなに「少し闘争心がなくなったね」と言われていました。そこは場数を踏む中で解決したというか、アスリート心理に変わっていきました。技術の部分では「まだまだだな」と感じることはありますが、以前の自分にとらわれないようになりました。いい意味で気持ちの中で割り切りができるようになりました。
育児はうまくいかないことがたくさんあるので、そこだけにとらわれたら精神的に参ってしまいますから。練習中から「今できることを突き詰めていく」ことに集中できるようになりました。もちろん先のことには目を向けてやっていきますが、ずっとそこを見続けていてもできないことにとらわれてしまうので、今できることをやっていこうという感じで、メンタル面では変化したような気がします。
――自分をコントロールできるようになった感じですね。
高木:それはありますね。
――例えば、監督やコーチに客観的にそういうことを言われたことはありますか?
高木:もともとチームとコミュニケーションをとるほうだったのですが、この前ある選手に話をしたんです。それを近くで見ていた監督が「妊娠前に比べて、選手に語りかけるように話をするようになった」と言っていました。その選手もきちんと話を聞いてくれるタイプだったのですが、監督の目には「その子のことを思って伝えてくれているな」と映ったみたいです。
――でも、こうやってお話をすると、産後復帰した選手でなければわからない経験ですし、とても興味深いです。シーズンが終わりましたが、来シーズンはどうするつもりですか?
高木:今シーズンもきちんとプレーオフの出場権を獲得しましたが、新型コロナ(ウイルス)の影響でそのままシーズンが終わってしまいました。ただ自分の中では技術面もメンタル面も少しずつ上がってきているのを実感していたので、子育てしながら現役続行にチャレンジするつもりです。
4月から所属している会社にも仕事復帰をさせてもらうので、「選手とママと社会人と大変な状況かな」とは思っていますが、三足のわらじを履いてプレーを続けていきます。夫にも「無理なら無理だし、がんばれるところまでやってみたら」と優しい言葉をもらっているので、がんばれるところまでがんばっていきたいなと考えています。
<了>
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PROFILE
高木エレナ(たかぎ・えれな)
1991年生まれ、福島県出身。三重バイオレットアイリス所属。日本体育大学進学後、2009年にU-20日本代表に選出。翌年には関東学生ハンドボール・秋季リーグで優秀新人賞を受賞し、女子ジュニア世界選手権(U-20)の日本代表に選ばれる。2011年に春季リーグで優秀選手賞、2012年に春季リーグで特別賞を受賞。2013年に日本ハンドボールリーグの三重バイオレットアイリスに入団。同年5月にU-22東アジア選手権の日本代表に選出される。2016年には日本代表に初選出。2017年8月に結婚を発表し、「高木エレナ」に登録名を変更。2018-19シーズンは産休のため、GKコーチに就任。昨シーズンはあらためて選手に復帰。
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