「アスリートである前に一人の女性」水上のマーメイドの知られざる素顔と第二の人生
いよいよ今年開催される東京五輪で注目競技の一つ、「アーティスティックスイミング」。2018年に「シンクロナイズドスイミング」から名称が変更となってから初のオリンピックを迎える。「マーメイドジャパン」(日本代表)の愛称で知られる彼女たちには、水上で魅せる芸術的なその演技から華々しいイメージを持つ人も多いのではないだろうか? しかし、その素顔はあまり知られていない。水上のマーメイドたちは、いったい何を考え、何に悩み、そして何を目指しているのか――?
オリンピックやワールドカップでメダルを獲得するなどアーティスティックスイミング最前線で活躍し、現役引退後、第二の人生を歩んでいる三井梨紗子さんと宮崎夏実さんに胸のうちを語ってもらった。
(インタビュー・構成=阿保幸菜[REAL SPORT編集部]、撮影=軍記ひろし、写真提供=三井梨紗子、宮崎夏実)(写真右:宮崎夏実、写真左:三井梨紗子)
元日本代表選手の2人が歩んできた、アーティスティックスイミング人生
お二人がアーティスティックスイミングを始めたきっかけは何ですか?
宮崎:私は小学6年生の時に始めたのですが、始める時期が他の子より遅かったので、当時は他の選手たちと比べてレベルが段違いで、落ちこぼれみたいな感じでした。
何歳ぐらいから始める人が多いのですか?
三井:小学校の中学年か、低学年から始める子が多いですね。
宮崎:中学2年生の時に三井さんとデュエットを組んだ時に、二人で初めて全国大会優勝を果たしたんですよね。それから、高校生でナショナルジュニア日本代表、ナショナルBチームに入り、大学2年生の時にナショナルAチームへ。翌年に(FINAシンクロナイズドスイミング)ワールドカップとアジア競技大会で銀メダルを取り、大学4年生で引退しました。
その後、ラスベガスのショー「Le Reve(ル・レーブ)」のパフォーマーに転身したのですね。
宮崎:はい。引退した後、大学に通いながらシンクロナイズドスイミング(現:アーティスティックスイミング)を教えにマルタへ行き、その後友達と夏休みにラスベガスへ行った際の夏休みに、友達とラスベガスへ遊びに行ったら、たまたまル・レーブからオファーをいただいたんです。そのままオーディションを受けて、社長から「すぐ来てほしい」と言われたので、大学へ相談しました。卒業論文の提出ができたら行っていいと言われたので、卒業論文を提出した翌日にラスベガスへ飛びました。すぐにトレーニングを始めて2週間後からショーに出始め、今4年ぐらいになります。
すごい……!
宮崎:数年前から、今もアジア人は私一人だけなのですが、ル・レーブは「ベスト・オブ・ラスベガス」という賞を10年間受賞しているほど、シルク・ドゥ・ソレイユと同規模くらいの大きなショーなんです。
その中で、アジア代表として活躍しているということですよね。
宮崎:日本人の代表として見られているという自覚はいつも持っていますね。
現役選手を引退した後も、「日本代表」としての意識を持ちながら世界の舞台で戦っているのですね。三井さんはいかがですか?
三井:私は小学3年生からアーティスティックスイミングを始めて、5年生の時にエリート教育オーディションという、未来のオリンピック選手を育てるプロジェクトにギリギリ合格して、中学生の時に全国大会(JOCジュニアオリンピックカップ)で初優勝しました。中学時代からナショナルジュニア日本代表に入っていましたが、高校2年生で初めてナショナルAチームに入れていただいて、大学1年生の2012年ロンドンオリンピックで5位、2015年の世界水泳選手権で銅メダル、2016年リオデジャネイロオリンピック(銅メダル)まで現役を続けていました。現役を引退した今は、日本大学の大学院で指導者の研究をしています。現在お仕事は、どのようなことをしているのですか?
三井:指導者として、国内クラブのコーチと、大学で一般体育などを教える授業を持たせてもらっています。現役を引退した選手でも、大学へ教員として入ることで競技を続けられる場を設けたり、実際の授業にアーティスティックスイミングを取り入れて、競技を身近に感じてもらえるような仕組みを作っていけたらいいなと。
それぞれの道を経て「国内外へアーティスティックスイミングを広めるために」
今は二人でアーティスティックスイミングを広めるための活動を始めたそうですが、そのきっかけは?
宮崎:2019年の4月に、私はラスベガス、三井さんはマルタでアーティスティックスイミングを教えていた時に、たまたま電話で「アーティスティックスイミングって広まらないよね」「いつまで経っても“シンクロ”だよね」という話をしていて。日本のシンクロって実は、世界の中でも技術がすごく高いんです。それを国内だけでとどめておくのはもったいないんじゃないかなって。日本には、まだまだコーチや練習できる環境が少ないのですが、その中で自分たちが練習方法や演技のコツを、まずはSNSを通して、日本だけでなく世界の人たちに見てもらって、アーティスティックスイミングをやっている人たちの助けになれたらいいなと思い、このプロジェクトを始めました。
具体的には、どういった活動をしているのですか?
三井:今は、自分たちにできることを模索しながら、「まずはやってみよう!」という段階です。それぞれに海外で指導していた際に、日本では当たり前のようなことも海外ではそうではないことを知って、国内外へ発信しようと考えました。じゃあ何ができるのかと考えた時に、まずは自分たちが泳いで、選手やコーチにはもちろん、一般の方にも「アーティスティックスイミングには、こんな技があるんだ」とか、「面白いな」と興味を持ってもらえたらいいなと思い、Instagramで発信を始めました。
SNSは気軽に始められるのもいいですよね。
宮崎:外国人の方にもわかりやすいように英語で発信しており、選手だけでなくコーチの方々にも見ていただきたいと思っています。実際に自分たちがプールで技を行い、水中ではどのようにやっているのか動画に撮って伝えています。コーチは基本的に水上からしか指導ができないので、コーチが細部まで教えてあげられたらもっとスムーズに選手へ伝えられるし、選手も水中映像を目で見て実践できるので。
海外では、子どもたちもみんなスマートフォンでSNSをよく見ています。ハッシュタグで自分の知りたい技などを検索してもらえるので、YouTubeもやっていますが、やっぱりInstagramのほうが反響が大きいですね。
三井:今はそれがメインですが、今年は東京五輪があるのでイベントにお声がけいただく機会も多く、宮崎さんが帰国した際に一緒にイベントへ出て、実際に競技の雰囲気を味わってもらったりもしています。アーティスティックスイミングを見てもらう機会ってなかなか少ないと思うので。
アーティスティックスイミングに名称変更して初のオリンピック大会となる東京五輪が開催される今年は、競技に注目してもらう上で絶好のタイミングですね。今後は、この活動をどのように展開しようと考えていますか?
宮崎:おそらく東京五輪後に、多くの日本人アスリートが引退するのではないかと思います。というのもやっぱり、そこをゴールにやっている人が多いと思うので。私たちはラッキーなことに、引退後、私はアメリカで仕事をもらえたし、三井さんはテレビの解説や講演会をしながら大学でコーチングの勉強をされていて、それぞれ受け皿がありましたが、そうでない人のほうが実際は多いのが事実です。私たちアスリートは、みんなが勉強していた時間を全て競技に費やしてきたので、社会勉強をする時間がゼロに等しい中、引退後にいきなり社会に放り出されます。そこで、何をしたらいいかわからない選手もたくさんいるはず。そういった人たちのセカンドキャリアをサポートしたいという想いもあり、今できることからコツコツと始めました。
現役引退後も、自分のやりたいことを続けられる環境づくりを
今、アーティスティックスイミング界ではどんな課題があるのでしょうか?
三井:アーティスティックスイミングをやるためには深いプールが必要なんですけど、そもそも練習できるプールが少ないので、練習もままならないのが現状です。認知度が上がれば、いろいろな施設から声をかけてもらえる可能性も増えると思うのですが、今はなかなか閉鎖的な業界なので、例えばフィギュアスケートのように、もっと認知が広がるといいなと願っています。
日本は技術としてはすごく良いものを持っているにもかかわらず、できる環境が限られるというのは、もったいないですね。
三井:そうなんですよ。引退後も続けたいと思っている子がいたとしても、できる環境がないと続けられません。自分たちの活動を通して競技を見てもらう機会を増やして、認知度が上がるように、まずは仕組み作りから始めなくてはと思っています。
アーティスティックスイミングの選手たちは、引退後はどういう道に進む方が多いのですか?
宮崎:コーチが多いですね。あと、やっぱり海外ではショー文化が栄えているので、アーティスティックスイミングの選手がウェディングや企業のパーティーなどに呼ばれて、ちょっとしたパフォーマンスをする機会が多くあるんです。日本ではあまり見かけませんが、日本でも広がればいいなぁと思って。
環境が少ない中でも、やっぱり引退後もアーティスティックスイミングに関わり続けたいという方が多いのですね。
三井:多いと思います。でも、やっぱりなかなか環境がないので、一般企業に入ったり就職し直したりする子も多いのですが、やめたあとに何をしたらいいのか迷いがちです。セカンドキャリアを歩みながらも、自分のやりたいことを続けられるような環境づくりもしていきたいです。
成長の糧は「自分原因論」と「行動力」
宮崎さんは、ル・レーブのどのようなところに引かれて入ったのですか?
宮崎:実は私、当時はショーの世界に全く興味がなかったんです。でも入ってからは、この仕事に就けたことを本当に誇りに感じています。今の自分にとってル・レーブが第二のファミリーのような存在なんです。なので、入ってからこのショーの魅力に引かれていきました。
もともと海外には興味があったのですか?
宮崎:興味はありましたけど、日本でも就職先が決まっていたので、当時は海外で仕事をしようとは思っていなかったです。
英語は得意だったのですか?
宮崎:実は、英語が本当に苦手で……当初は「Yes」、「No」、「I’m Natsumi」しか言えませんでした(苦笑)。でも逆に、日本人がいたらどうしても甘えが出てしまうと思うので、日本人がいない環境に身を置けたのは良かったです。
チームで演技をするにはコミュニケーションがすごく重要だと思いますが、どうやっていたのですか?
宮崎:まずは、英語に触れるために外に出て、カフェなどでいろいろな人の会話を盗み聞きしていました。最初は全くわからなかったけど、だんだん言い回しがわかるようになってきて。英語の読み書きは学校でもたくさん勉強するので、日本人はけっこう得意だと思うんですよ。でも、なかなかしゃべることができないので、とにかく人の会話を聞いたり、職場でいろいろな人に話しかけて英会話力を身に付けていましたね。
宮崎さんは、行動力がいろいろな方面に生きているのですね。
三井:宮崎さんは選手の時から本当にストイックで。他の子たちよりも少し遅く競技を始めて、最初は体もすごく細かったんですけど、とにかく(技術が)伸びるスピードがすごく速くて、いつか抜かされてしまうんじゃないかと危機感を感じるような選手でした。それがまさにアメリカでも生きていて。人は自分を守るために楽な道を選びたくなりますが、どんどん自分から立ち向かっていく行動力は、人一倍あると感じています。
宮崎:うまくいかないのは自分ができないせいだと思うので、それをなくしていきたい、という考え方です。でも、いわゆる“落ちこぼれ”の私の隣に、いつも全国でエリートに選ばれる三井さんがいたからというのも大きいです。「こんなに良い見本が隣にいるならば、彼女の真似をすればいいんだ」と、まずは彼女に追いつくことが一番の近道だと思ったので、そのおかげでここまでやってこれました。
素直に自分の足りない部分を認めて、卑下するのではなく、目標に追いつくための努力をするというのが、なかなかできることではないですよね。
三井:うん、すごいですよね。
宮崎:そんな……(笑)。ありがとうございます。
異国の地で、アジア人が自分だけという環境の中で、言語の他に壁を感じたことなどはありますか?
宮崎:仕事以外のシーンでも、やっぱりアメリカに行くと「アジア人」というレッテルがまず貼られます。今後もし日本人や他国のアジア人が、ル・レーブやアメリカでの生活に興味を持った時に、「アジア人だから、来てもらいたい」と言ってもらえるような印象を与えるのが、自分の役目だと思っています。「夏実がこうだったから、アジア人はもっとこうなるだろう」とプラスに捉えてもらえるような振る舞いを意識しています。
日本、そしてアジア代表という意識や責任感が、すごく強いのですね。
宮崎:やっぱり、自分のせいで道を閉ざしてはいけないと思うので、後に続く人たちのために私がちゃんとしていないといけないな、と思っています。
日本では、アスリートである前に女性であることを重要視されにくい
セクシーなテーマ性のあるル・レーブですが、日本だと「セクシー = エロティック」みたいなイメージになりがちですよね。女性らしさってすごく素敵なことだと思うのですが、海外ではどのように捉えられているのですか?
宮崎:私もル・レーブに入って初めて知ったのですが、アメリカでは「sexy」って、美しいとか魅力的とか、ポジティブな意味で使われるんです。ショーでは毎日のように、テーマに沿っていろいろな男性とキスをするんですよ。「キスは、その物語をつくる一部」だと言われ、ル・レーブに入る時に参加するワークショップでは、「男性はライオンに、女性はヘビになってください」というお題が出されます。指定された動物の動きをして、曲が止まった時に目が合った人とパートナーになります。そこで初対面の人と恋人役として、「曲が止まるまでボディータッチをしながら愛を確かめ合ってください」って言われるんです。このワークショップを、最初の2週間ぐらい続けます。
それはなかなかすごいですね……(苦笑)。
宮崎:でも、続けていくうちにだんだん、恥ずかしさやバリアが全部取っ払われていくんです。ショーのストーリーテーマが「愛」なんですね。ル・レーブってフランス語で「夢」という意味なんですけど、男女が恋に落ちて、結婚するまでを夢で描いたストーリーになっていて。だから私たちもショーの中で、愛を確かめ合うように体や呼吸、視線を使ってそれを伝えて、お客さんに五感で感じ取ってもらうことがテーマになります。そういう意味で、エロティックとは違ったニュアンスになります。
三井:面白そう。日本にはないところだよね。アーティスティックスイミングってまさに見せるスポーツじゃないですか。それなのに、音楽がかかって「自由に曲を表現してください」と言われたら、ポージングはできても演技ができる子とできない子に分かれます。「シンクロナイズドスイミング」から「アーティスティックスイミング」に名称が変わったのも、大きな意味があると思います。シンクロは「同調」という意味なので、当時は動きを合わせることに力を入れて練習していました。しかしアーティスティックスイミングとなれば、合っていることは当たり前で、さらにレベルアップした「表現力」がこれから必要になっていくと思います。日本では、同調性や技術力は非常に高いのですが、これからの時代はさらに、パフォーマンスの表現力がすごく大事なポイントとなるのに、学んだり練習できる環境が少ない。宮崎さんのように、海外に出てそのことに気付いた人が、日本で啓蒙していくというのは、すごく良い活動だと思っているんです。
確かに、「アーティスティックスイミング」という名前の意味を考えるとそういうことですよね。女性アスリートの価値観の違いを感じたことはありますか?
宮崎:私たちは、アスリートである以前に女性なんですね。私も現役選手時代、生理の時に倒れてしまうほど重い生理痛がありましたが、当時はそれが普通だと思っていたし、合宿に入ってしまうと練習しかしないので体脂肪も減って、生理が半年間止まるということも普通にありました。当時は「生理が止まってラッキー」って思っていたんですけど、アメリカでは「すぐに婦人科へ行きなさい」と言われました。なぜそんなにシリアスに考えるんだろうと思ったら、「あなたはアスリートである前に女性なんだから、自分自身の将来のために体を大事にしなさい」と言われて、ピルの処方を受けました。そのおかげで生理痛も生理不順も改善され、気になっていた肌荒れも少なくなったし、アスリートとしてだけではなく女性としてのバランスが整ったのです。
日本では、そのようなアドバイスはされないのですか?
宮崎:日本では言われたことがありませんでした。アスリートである前に、一人の女性としての人生において体の大切さを、もっと日本でもコーチや選手たちはもちろん、一般の人たちにも知ってもらいたいなと思います。
東京五輪後の、アーティスティックスイミングの未来に向けて
三井さんは、現役を引退して、指導者の研究をするために大学院に通うことにしたとのことでしたが、なぜそのタイミングだったのですか?
三井:リオが終わったあとに、これ以上競技を続けてその先へ向かっていきたいのか、新しいことを始めるかを考えた時に、競技以外のことを本当に何も知らない自分がすごく恥ずかしく感じて。もっといろいろな世界を知りたいという好奇心もありました。本来ならば、4年後に控えている東京五輪へ向けて競技を続ける人のほうが多いと思うんですけど、自分はここでひと区切りつけて、新しいことに挑戦しようと。そのまま、なあなあな気持ちで選手を続けられるほど甘い環境ではないし、周りの人に対しても申し訳ないですし。
今は日本大学の大学院で指導者の研究をしていますが、指導者の関わり方というのは、選手がすごく影響を受ける部分。もちろん競技における指導は大事なんですけど、その先の人生を見据えた指導というものをもっと広げていきたいです。今後はアーティスティックスイミングの普及に加えて、指導者の育成に携わりたいと思っているので、その部分を学んでいるところです。
なるほど。今後の展望については、お二人はどのように考えているのですか?
宮崎:今のショーの仕事が大好きなので、体が続く限りやっていきたいと思っています。それからもっと自分のパフォーマンスを磨きたいので、最近はポールダンスの世界大会にも出ています。また、SNSを始めてから、各国のクラブからコーチのオファーをいただいているのですが、どこかに所属するよりも、より多くの人たちにアーティスティックスイミングを知ってもらいたいし、さまざまな人の手助けをしたいので、単発のワークショップという形で世界各地のクラブでコーチのお仕事もできたらいいなと思います。日本に帰ってきた時は、三井さんと一緒に国内で競技の普及のための活動を行っていきたいです。
素晴らしいですね。海外で経験したことを、さらに日本の子どもたちにも教えていけたらいいですよね。
宮崎:そうですね。
三井:これからは、ラスベガスのショーみたいなものを日本でやったり、日本でのアーティスティックスイミングの普及に一番力を入れていきたいと思っています。その中で自分ができることとして、今学んでいることを生かして、今年の東京五輪に合わせてアーティスティックスイミングの知名度を高めるための発信などを、どんどんしていきたいです。
お二人それぞれ違う道で活躍しているからこそ、それぞれの強みを合わせたら本当に最強というか、すごく良いコンビネーションですね。
三井:現役時代から、お互い身長も持ち味も違うんですけど、デュエットを組んだりすると、すごく高め合える相方でした。そういう意味でも、この先もデュエットとして、一緒にお互いを高め合える存在でいられたらいいなと思います。
素敵な関係性ですね。プライベートでも仲良しなのですか?
宮崎:そうですね。15年以上一緒にいるので、お互いに考えていることもわかるし。彼女の活躍を見ると刺激を受けるので、彼女がいるから私も頑張れています。
三井:そうですね。頻繁に連絡を取らなくても、会ったらいつも一緒にいたような気分になるし、この先もずっと、いろんな面で助け合っていくんだろうなと感じます。
宮崎:ベストパートナーです。
東京五輪でアーティスティックスイミングを初めて見るという方もいると思いますが、どのようなところに注目してもらいたいですか?
三井:アーティスティックスイミングに名称が変わって初めてのオリンピック大会になるので、「なぜ名称が変わったのか」というのを感じてもらいたいですね。これまでのような同調性だけでなく、表現面でもレベルが上がると思うので、「この演技は何を表現しているのかな?」とか、そういう部分も見どころだと思います。
宮崎:オリンピック大会を自国で生で見られるのは、人生で一度あるかないかのレアな体験だと思うので、スポーツやアスリートの存在を身近に感じてもらうことで、スポーツ人口がもっともっと増えたらいいなと思います。
<了>
【LE RÊVE – THE DREAMとは】
元シルクドゥソレイユの演出家フランコ・ドラゴーヌ氏が手掛けた世界トップレベルのショー「LE RÊVE – THE DREAM(ル・レーブ ザ・ドリーム)」。 LE RÊVE – THE DREAM(ル・レーブ ザ・ドリーム)が、水中円形劇場の中で繰り広げられる大迫力のアクロバティックが、幻想的な世界を作り上げます。「ル・レーブ」は、ラスベガスで異例の10年連続「ベストプロダクションショー」に選出されています。
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PROFILE
三井梨紗子(みつい・りさこ)
1993年生まれ、東京都出身。9歳でシンクロナイズドスイミングを始め、わずか2年でエリート教育メンバーに選抜。高校2年生で日本代表に初選出され、2012年ロンドンオリンピック日本代表で5位入賞。2014年アジア大会2位。2015年世界水泳選手権では名将、井村雅代コーチのもと、乾友紀子選手とデュエット・テクニカルルーティン、チームのフリールーティンで銅メダルを獲得。日本大学文理学部体育学科を卒業後、2016年にミキハウスへ入社し、同年のリオデジャネイロオリンピックで乾選手とのデュエット、チームともに銅メダルを獲得。同年9月に現役を引退し、現在は日本大学大学院博士後期課程で勉学に励みながら、コーチ・講演活動・解説のほか、日本オリンピック委員会広報部会員として幅広く活動している。
宮崎夏実(みやざき・なつみ)
1993年生まれ、東京都出身。小学6年生からシンクロナイズドスイミングを始め、中学2年生の時に全国大会優勝。帝京高校在学中にナショナルジュニア日本代表およびナショナルBチーム日本代表に選出。日本大学文理学部体育学科に在学中の2014年、アジア大会とワールドカップで銀メダルを獲得し、現役を引退。大学卒業前に、友人とのラスベガス旅行の際にたまたま Le Reve(ル・レーブ)のオーディションを受けることになり、その場で入団が決定。2016年にラスベガスへ移住し、現在は ル・レーブ唯一のアジア人メンバーとして活躍中。
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