レスリング・パリ五輪選手輩出の育英大学はなぜ強い? 「勝手に底上げされて全体が伸びる」集団のつくり方

Education
2024.03.04

2018年創立の新設校・育英大学のレスリング部が大きな注目を集めている。東日本大学女子リーグ戦で2年連続優勝。櫻井つぐみと元木咲良というパリ五輪出場選手を2人も抱えている。「ウチにはもともとスーパーはいない」と話す同大学レスリング部の柳川美麿(よしまろ)監督は、どのような視点で選手を見極め、どのようなアプローチで接して、強い“個”と“集団”をつくり上げたのか?

(取材・文・撮影=布施鋼治)

今夏パリ五輪の舞台に立つ2選手を擁する育英大学

群馬県高崎市にある育英大学は2つのスポーツで脚光を浴びている。箱根駅伝では関東学生連合チームの一員として同大のランナーが走った年もあるので、ご記憶の方もいるだろう。もう1つはレスリングで、女子フリースタイル57kg級の櫻井つぐみと同62kg級の元木咲良が、今夏パリ五輪の舞台に立つ。

櫻井は2021年(55kg級)と2022年&2023年(ともに57kg級)の世界王者。一方、元木は昨年国内の二大選手権といわれる全日本選抜選手権と全日本選手権を連破し、その勢いで昨年の世界選手権では準優勝に輝きオリンピック出場切符を手にした。

櫻井や元木だけではない。女子68kg級で最後まで日本代表を争った石井亜海も育英大の学生だ。また非五輪階級ながら女子55kg級の全日本王者で、パリ五輪出場を目指す男子フリースタイル65kg級の清岡幸大郎の実妹・清岡もえは今後オリンピック階級に転向し、2028年のロサンゼルス五輪を目指す。

団体としての実力もホンモノで、今年1月14日の東日本大学女子リーグ戦では古豪の日本体育大にも競り勝ち2年連続優勝を果たした。

女子だけではない。女子より部員数は多い男子でも育英大出身でグレコローマンスタイル72kg級の原田真吾が昨年初めて同大出身の男子レスラーとして初めて世界選手権に出場し5位に入賞した。

「ウチにはもともとスーパーはいない。だから…」

育英大は2018年に創立したばかりの新設校で、他の強豪校に比べると歴史はほとんどないに等しい。いったい何が急成長の要因なのだろうか。同大レスリング部の柳川美麿(よしまろ)監督は「ウチにはもともとスーパーはいない」と話す。スーパーとはキッズ時代から活躍しているスーパーエリートを指す。

「インターハイで優勝しているのは石井だけじゃないですかね。あとは2位、3位の選手ばかり。元木なんてインターハイで1回戦負けしていますからね」

言葉を選ばなければ、無名の選手ばかり集まってきたことになる。柳川は「ウチはスカウトするにしてもゼロベース(実績なし)。そんなところに選手は普通来ませんよ」と説明する。

「だから来てくれた選手をどう強くするかを考える」

元木はインターハイで初戦敗退して落ち込んでいるときに、柳川監督から「君は1回戦で負けたけど、すごく伸びしろがあるよ」と声をかけられた。「いまは53kg級だけど、今後は57kg級にしたほうが可能性はあると思う」。そんなアドバイスに引き寄せられるように、元木は育英大に一度お試しで練習に行く。そのことが彼女の人生を大きく変えた。

「自分は大学でも厳しい環境でないと絶対に強くなれないと思っていた。育英は先生も一生懸命面倒をみてくれるし、選手同士も厳しくやってたので、自分もここでやってみたいと思いました」

「勝手に底上げされて全体が伸びる」集団のつくり方

大学の中には自主性を重んじるところもあるが、育英大はちょっと趣が異なる。元木は「その点、ここは高校みたい」と漏らす。

「高校より自主性はあるけど、あまり高校と変わらない。でもそこが自分には良かったのかなと思います」

もちろん、高校生を見定める基準は「強いかどうか」という単純な物差しではない。「真面目にレスリングに取り組むかどうか」が一番の採用基準だという。柳川監督は「入学した時点では別にレスリングは強くなくてもいい」と断言する。

「だから僕は県大会で1回戦で負けるような子でも成績表の評定が5.0だったらとりますね。どんなに強くても取り組む姿勢が悪かったり、勉強ができなかったらとらない」

すでに全日本学生選手権53kg級で優勝している下野佑実や55kg級の椛本怜那も高い評定が決め手となり、レスリング部に入部したという。柳川監督は「そういう選手がたくさんいると、集団として練習に取り組む姿勢は良くなる」と話す。

「やっぱり練習は集団なので、それが崩れるとやりづらい。全体的に取り組む姿勢が悪くなると、トップも下も強くならない」

毎日一緒に練習していると目標となる方向が一緒になってくるので、柳川は気持ちが一つになることを重要視する。

「そうなると、レスリングに取り組む姿勢だけではなく、勉強もしっかり頑張るようになる。レスリングに関してもっといえば、取り組む姿勢のいい子が中心となって集団を作るようになれば、勝手に底上げされて全体が伸びる。反対に一人だけが強くても、その子にやる気がなくて集団の足を引っ張ったら、いい子も悪い方向に引っ張られてしまう」

お洒落で楽しいキャンパスライフの対岸にある日常

レスリング部の朝は早い。午前6時半からの練習をするためには準備もあるので、最低でもその20分前には道場に到着していないといけない。櫻井は「けっこう私はギリギリまで寝ている」と舌を出した。

「5時50分か55分まで寝ています。だから起きてすぐ道場に来るようにしています。夜は11時には寝るようにしているけど、日によっては遅くなるときもあるので朝はけっこうきつい。昼寝をしたりしないと体がもたないですね」

選手同様、指導者も朝5時台には起床する。柳川監督は「われわれ指導者が怠けるとダメ」と自らにムチを打つ。

「部員たちに対して指導者も見本になるような生活をしないといけない。酒もタバコも嗜む指導者が部員たちにそれをやめろとは言えないじゃないですか」

朝練習が終わると、部員たちは授業を受けに行く。

「ウチの学生は県庁や教員採用試験に受かったりしているので、みなそれなりに勉強していると思う」(柳川監督)

16時半からは午後の練習が始まる。練習前にお邪魔すると、櫻井が話していた通り、早めに道場に来た部員たちは両端に男女分かれて昼寝を決め込んでいた。練習時間は2時間だが、それが終わると自主練習を1時間ほどやるので終了は20時近くなる。寮に戻ったら食事をとり、予習復習をしなければならないので、余暇の時間は捻り出すしかない。

だからこそ柳川監督は高校生に声をかけるとき必ずこう言っている。

「ウチは日本一練習がきつくて、レスリング以外にやりたいことは制限される。髪の毛を茶髪にしたいとか、女の子としてやりたいことがあれば他の大学に行ったほうがいい」

すべてはレスリングのために。

お洒落で楽しいキャンパスライフの対岸に、育英大レスリング部の日常がある。

【連載後編はこちら】「五輪には興味がない」「夢を後押しするのが夢」櫻井つぐみら五輪戦士育てた指導者・柳川美麿の指導哲学

<了>

「もう生きていてもしょうがない」。レスリング成國大志、世界一を決めた優勝後に流した涙の真意

前代未聞の事件はなぜ起きたのか? レスリング世界選手権を揺るがした“ペットボトル投げ入れ事件”

レスリング界で疑惑の“ヌルヌル問題”。疑わしきは罰せず? 由々しき事態はなぜ横行するのか?

79歳・八田忠朗が続けるレスリング指導と社会貢献「レスリングの基礎があれば、他の格闘技に転向しても強い」

この記事をシェア

LATEST

最新の記事

RECOMMENDED

おすすめの記事