名将ハリルホジッチも苦悩したラマダンの罠。アルジェリア代表が直面した「サッカーか宗教か?」問題

Opinion
2024.06.14

独裁政治による衝突、ピッチ外での暴動、宗教テロ、民族対立……。いまなお様々な争いや暴力と常に隣り合わせのなか、それでもアフリカの地でサッカーは愛され続けている。われわれにとって信じがたい非日常がはびこるこの大地で、サッカーが担う重要な役割とは? 本稿では、自身も赤道ギニアの代表選手として活躍し、現在はサッカージャーナリストとして活動する著者が書き上げた書籍『不屈の魂 アフリカとサッカー』の抜粋を通して、アフリカにおいて単なるスポーツの枠に収まらないサッカーの存在意義をひも解く。今回はアルジェリア代表が直面した「サッカーか宗教か?」問題について。

(文=アルベルト・エジョゴ=ウォノ、訳=江間慎一郎/山路琢也、写真=ロイター/アフロ)

実の母に魔術をかけられたアデバヨール

誰も問題にしようとしないが、アフリカ文化には紛れもなく4本の柱がある。

第一の柱は家族だ。これは他のいかなる問題よりも高く位置づけられる。血のつながりは集団内で不変・不滅のつながりを形成し、誰がどのような逆境に陥っても、それを克服すべく手助けをする。

第二の柱は、議論するまでもなく、伝統だ。民族の慣習に敬意を持って接すれば、その文化遺産を永続させることができるし、とりわけ民族の起源に日々思いを馳せることにもなる。

第三の重要な柱は宗教だ。「ヨーロッパ人は聖書を手に我らが大地にやってきた。気がついた時には、我々は聖書を読み、ヨーロッパ人は我らが大地を好きにしていた」とは、1964年から1978年にかけてケニアの初代大統領を務めたジョモ・ケニヤッタが、非植民地化の時代の只中に反帝国主義行動に向けた講演会で怒りを込めて放った言葉だ。

そしてアフリカ大陸を支える第四の柱は、もっと近代的なものだが、それはサッカーだ。サッカーは国民をひとつにまとめ、共通の目的のために戦わせることができる。つまり、アフリカ人に対して偉大なる力を及ぼしているのだ。

さて、このうちの2つの柱、宗教とサッカーはしっかりと混ざり合ってきた。宗教といえば、第一義として、ひとつの共同体にもっとも深く根づいている信仰のことを指しており、その共同体には様々な伝統がある。「ユユ」は口語体で黒魔術やアフリカ呪術を指し、アフリカ大陸の広域で、人々の日々の生活様式の中に根づいている。例えば、ザイールが1974年のワールドカップに出場した際、国のあらゆる所から呪術師や呪術医が合流し、代表チームから悪霊を祓った。大会での結果が悪かったことを考えれば、お祓いはあまりうまくいったとは言えない。

もうひとつの宗教との強い結びつきを示す例が、トーゴのエマニュエル・アデバヨールだ。このストライカーはトッテナム時代に不調だった時、「自分が不調なのは魔術で呪われていて、個人的に大変な目にあっているからだ」と弁明した。トーゴのスターは、家族が自分に魔術をかけているから良い結果を出せないのだとはっきり語った。アデバヨールが大っぴらに告白したことによれば、彼は幼少の頃歩くことができなかったため、母親は相当な苦労をしたが、今は息子が活躍できないよう魔術の儀式をしているということだった。これほどユユの存在感をよく示す例はない。

ハリルホジッチに課せられた困難な課題

預言者マホメットの教え、コーランの精読が、祈りと規律を重んじるイスラム法によって求められる教育の基本だ。サッカーにとっても他人事ではない。特にデリケートなのがラマダンだ。信者は犯した罪を清めるため、イスラム暦の9月は日の出から日没まで断食をしなければならない。重要な大会がラマダンの時期と重なった場合、どうするかの二者択一は国家の問題だ。

アルジェリアではそれをよくわかっている。アルジェリア代表は2010年のワールドカップ・南アフリカ大会に出場した。歴史的ライバルのひとつ、エジプトを最終予選リーグのプレーオフで下しての出場だ。その1-0での勝利に国じゅうが歓喜した。“砂漠のキツネ(アルジェリア代表の愛称)”は北アフリカからは唯一の出場国だったので、ワールドカップ開催期間中はアルジェリアが北アフリカ代表の旗を掲げていたことになる。

ただしアルジェリアは、この大会で何かすごいことをやりそうだという雰囲気が全くなかった。グループリーグの3試合のうち、イングランド戦だけがかろうじて0-0の引き分けで、他の2試合は敗北した。地元出身の監督ラバー・サーダヌに率いられたアルジェリア代表は、1ゴールも決められず大会を後にした。そのため、アフリカの人々に、アフリカサッカーの真の王者エジプトこそが出場するべきだったという印象を残した。これに危機感を覚えたアルジェリアサッカー連盟は、新しい監督を探した。

ヴァイッド・ハリルホジッチは傷心を抱いていた。このボスニア人のサッカー指導者は、アフリカ予選負けなしでコートジボワールを2010年のワールドカップへと導いた。しかし、ワールドカップの数か月前に行われたアフリカネーションズカップ(CAN)では良い結果が残せず敗退したため解任されてしまった。重要な大会を目前にしてこのような決断をするとは普通ありえないが、アフリカ大陸の国ではありがちな奇抜な動きだ。

コートジボワールとの関係が苦々しい形で破綻したハリルホジッチは、アルジェリアからの招聘を受諾した。しかし始まりは状況がねじれてうまくいかなかった。彼の新しい生徒たちは2012年のCANへの出場を果たせず、翌2013年の大会には出場したものの、予選リーグ敗退となった。なかなか壁を破れなかったが、アルジェリア人は監督に対して辛抱強かった。

アルジェリアの新チームは、さらなる高みを十分に目指せそうな陣容だった。しかしそのためには、異質集団が結束することが必要不可欠だ。フォワードのヒラル・スダニやイスラム・スリマニのような帰属意識が強いアルジェリア生まれの選手がいれば、才能があるヤシン・ブラヒミやソフィアン・フェグリのように、出自はアルジェリアだがフランス生まれの選手もいる。度重なる失意を味わってきたチームにバランスをもたらすことは、ハリルホジッチにとって困難な課題だ。

アフリカではよくあるホーム寄りの判定だ

2014年のワールドカップ・ブラジル大会に向けたアフリカ予選は非常に変則的だった。2次予選で40チームを4チームずつの10組に分け、各組1位の10チームが3次予選に進出。その10チームを2チームずつ5組に分けてホーム・アンド・アウェーで対戦を行い、勝者の5チームがワールドカップに出場することとした。

アフリカ2次予選では難なくルワンダ、ベナン、マリを退けた“砂漠のキツネ”だが、当時もっとも体制が整っていたチームのひとつ、ブルキナファソと肉弾戦の真っ向勝負を覚悟しなければならなかった。2013年のCANで準優勝したこのチームは高い身体能力を誇り、攻撃的なスタイルを確立していた。

アウェーの第1戦、アルジェリアは相手に1点取られるたびに立ち直って点を取り返した。満員のスタジアムの電光掲示板には2-2の文字が煌々(こうこう)と輝いており、引き分けのまま試合は終了するかと思われた。しかし、残り時間1分というところで、審判はブルキナファソにPKを与えた。アフリカではよくあるホーム寄りの判定だ。アルジェリアはペナルティエリアに放り込まれたボールを、センターバックのエサイード・ベルカレムがライン上で肩に当ててインターセプトした。ところがザンビア人のシカズウェ主審は故意のハンドをしたとして、PKを宣言した。誰もが目を疑うような判定だった。アルジェリアの第1戦は2-3でブルキナファソが勝利した。

3次予選の第2戦は、地中海に面したアルジェリア北部の都市ブリダで行われた。第1戦から1か月が経過していた。ワールドカップ初出場に王手をかけたブルキナファソは、それを確実にするため次の試合では死に物狂いで戦おうとしていた。ホームで3得点を挙げたとはいえ2失点が大きく響いている。大会規定ではアウェーのゴール数が重要視されるからだ。あとのないアルジェリア側は、もちろんこの4週間のすべてを勝利に向けて費やしてきた。

スタジアムは試合開始7時間前から満員だった。試合は緊迫感にあふれていた。そして均衡を破ったのはアルジェリアのディフェンダーで主将でもあるマジード・ブーゲッラだった。相手ゴールエリア内でこぼれ球を拾うとシュートを決めて1-0とした。アルジェリアが史上4度目のワールドカップ出場を決めると、全国に設置されたパブリックビューイング会場はアルジェリア国民の歓喜の渦に包まれた。

窮地に立つ母国アルジェリアを救うのは…

2014年のワールドカップ・ブラジル大会出場にあたり、アルジェリア代表が一番に心していたのが、4年前の南アフリカ大会での0勝2敗1分けの不甲斐ない成績を繰り返さないことだ。

ハリルホジッチは、汚名返上の機会に恵まれることはそうそうあるものではないとわかっていた。ワールドカップで戦うにあたり、監督は今や全国民から信頼を置かれていた。だが、初戦は負けるべくして負けた。アルジェリアはフェグリのシュートで先制したが、ベルギーの攻撃に手を焼き、フェライニとメルテンスにゴールを決められた。第2戦は韓国に4-2で圧勝した。この試合でアルジェリア代表は、最高の才能を持った2人のサッカー選手が共作した素晴らしい芸術作品を披露した。フェグリとブラヒミの見事な連係プレーから魔法のようなゴールが生まれたのだ。

グループリーグの第3戦は、ロシアを相手にどちらがベスト16に進出するかを決める試合となった。カペッロ監督率いるロシアは最初からアクセル全開で猛攻を仕かけ、ライス・エンボリが守るゴールをしつこく狙った。そして誰よりも高く飛んだココリンがヘディングシュートを決めてロシアが先制した。ハリルホジッチとその若者たちは窮地に陥った。

アルジェリアには偉大な選手が何人かいたが、そのうちの1人は他の誰よりも国民から愛されていた。この生粋のアルジェリア人の点取り屋は、相手ペナルティエリア内に侵入すればジャッカルとなって、祖国の誇りを守るためならば体を危険にさらすようなプレーも厭わない。公式試合でアルジェリア国歌が演奏されると、アルジェ出身のスリマニはいつも声を限りに歌う。窮地に立つ母国アルジェリアを救うのは、この男以外にありえなかった。スリマニは1点リードされたままで後半に入ると、セットプレーからのボールを打点の高いヘディングでロシアゴールに押し込み同点とした。“砂漠のキツネ”は勝ち点を4に伸ばしてグループリーグを通過した。

すべてが順調に進んでいるように見えた。サッカーの代表チームが史上初の決勝トーナメント進出を果たしたことに国民は満足していた。すべての事柄が順調に整っているように思われたが、ドイツとの歴史的な試合を2日後に控え調整を重ねていたアルジェリアのサッカー代表チームにとっては、頭の痛い問題が内在していた。試合の日がラマダンの期間の初めと重なったのだ[訳注:2014年のラマダンは6月28日~7月28日。アルジェリア・ドイツ戦は6月30日]。

ドイツ戦前にラマダンを行うのか、それとも延期するのか

ハリルホジッチは自分もイスラム教の信奉者だったので、この繊細な問題への対処方法はよく心得ていた。しかし例によって激烈なアルジェリアのマスコミが動き出し、サッカー選手も厳格にイスラムの教えを守るよう要求した。もっとも保守的なグループは、サッカー選手はあらゆることよりも優先してラマダンを実践すべきだと要求し、国内に議論を引き起こした。

問題が大きくなり始めたが、その要求に根拠はなかった。というのも、コーランは「断食は健康状態がよく、出身国にいる場合には行わなければならない」と明確に述べているからだ。これこそが問題を解く鍵となった。仕事のためにせよ、公式任務のためにせよ、イスラム教信者が国外にいる時は、ラマダンを実践するか数日延長するかは個人の判断に委ねられるのだ。

したがって、ドイツ戦に先だってラマダンを行うのか、それとも延期をするのか、その決断はアルジェリア代表の各選手によるものとなった。

他の代表チームの中には、ラマダンの断食について自分の決断をすでに公にしていた選手もいた。出自がトルコにあるドイツ人のメスト・エジルやセネガル出身のフランス人であるバカリ・サニャは、コーランの言葉を拠り所に、宗教的義務の開始をチームが敗退するか、もしくはワールドカップの期間が終了するまで延期することに決めた。一方、アルジェリアの偉大なる主将であるブーゲッラは検討するとして判断を保留にした。絶食は大きな問題ではなかったが何時間も水分補給ができないのはリスクが高かった。

時間の経過とともにラマダンの断食騒動は大きくなり、ハリルホジッチの苛立ちを助長させた。アルジェリア史上もっとも重要な試合を前にした記者会見でボスニア人監督は爆発した。その場で声を荒げてはっきりさせておかねばならなかった。「私はラマダンの話をするためにここにいるのではない。これまでに監督を務めたことのある代表チームにもイスラム教徒はいたし、私自身もイスラム教徒だ。だからこの件をどう扱うかよくわかっている。他人の助言などはいらない。ラマダンは信仰の問題だ。つまり個人の問題ということになる。各自が自分にとって良かれと思うようにすればよいのだ」と論じた。

“砂漠のキツネ”の名誉ある敗退

ラマダンが惹起(じゃっき)した問題で“砂漠のキツネ”は揺れていたが、ベスト16でドイツと戦わなければならなかった。ドイツに対しては、喉が焼けて乾くほど復讐心に燃えていた。というのも、1982年に両代表チームの間で起きた出来事は、いまだ鮮明に記憶されているからだ。

その年、アルジェリアはワールドカップに初出場した。アフリカサッカーの歴史的な試合となる初戦の相手が西ドイツだった。スペインで開催されたその大会で、西ドイツ代表は、シューマッハ、シュティーリケ、ブライトナー、ルンメニゲといった、世界に知られたスター選手を擁していた。それでも、アルジェリア代表の絶対的英雄である偉大なラバー・マジェールを中心としたチームは、国の期待を胸に西ドイツを打ち破り、今日でも歴史的大勝利のひとつとして記憶される大金星を挙げた。

しかし当時は、グループリーグ最終節は同日同時刻開催ではなく、アルジェリアの最終戦が行われた翌日に、西ドイツ対オーストリア戦が組まれていた。それがアルジェリアにとっては、気に入らなかった。アルジェリアはチリに勝利することになるが、その後に行われる西ドイツ・オーストリア戦は試合前から結果がわかっている「出来レース」となる可能性があったからだ。西ドイツが1-0で勝利すれば、西ドイツとオーストリアの両国が決勝トーナメントに進出することができる。案の定、その通りになった。試合開始早々に西ドイツはルベッシュが得点すると、厚顔無恥にも以降は試合時間をつぶすだけのサッカーを見せ、スタジアムに詰めかけていた4万人以上のサッカーファンの怒りをかった。この試合は「ヒホンの恥」として知られることになる。

ラマダンと復讐。これら2つの大きな食材がこの2014年のアルジェリア対ドイツ戦に辛味を加えた。この勝負は最初から最後まで素晴らしかったということは認めねばならない。攻守が目まぐるしく交代する試合展開のまま前後半の90分が過ぎた。両チームとも爆発寸前の感情をうちに秘めながらゴールを狙ったが得点につながらなかった。ところが延長に入るとドイツはシュールレが1点目、エジルが2点目を挙げた。アルジェリアはついに屈した。しかし、すべてのサッカーファンからアルジェリア代表は称賛を受けた、名誉ある敗退だった。

アルジェリア代表選手のうち、誰が厳格な断食を実践し、誰が自分の都合に合わせた実践をしたのかはわかっていない。同様に、キリスト教を信奉する選手が大会期間中にミサに行ったかどうかもわからない。わかっていることは、あの大一番の前に、代表チームのエネルギーを消耗させたアルジェリア人がいるということだ。優秀なスポーツ選手のパフォーマンスに与える影響は、控えめな断食と、世論との対立による消耗とどちらが大きいのか。この疑問は依然として宙に浮いている。

(本記事は東洋館出版社刊の書籍『不屈の魂 アフリカとサッカー』から一部転載)

<了>

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[PROFILE]
アルベルト・エジョゴ=ウォノ
1984年、スペイン・バルセロナ生まれ。地元CEサバデルのカンテラで育ち、2003年にトップチームデビュー。同年、父親の母国である赤道ギニアの代表にも選ばれる。2014年に引退し、その後はテレビ番組や雑誌のコメンテーター、アナリストとして活躍。現在は、DAZN、Radio Marcaの試合解説者などを務める。

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