レスリング・文田健一郎が痛感した、五輪で金を獲る人生と銀の人生。「変わらなかった人生」に誓う雪辱

Career
2024.08.05

オリンピックで獲得するメダルが金メダルか銀メダルか。その「一回の負けの差」はとても大きいと語る文田健一郎。東京五輪でレスリングの男子グレコローマンスタイル60kg級で銀メダルを手にした彼は、自身がそれを身をもって痛感したと話す。迎えたパリ五輪、目指すのはもちろん「自分がオリンピックで金を獲った人生」だ。

(文=布施鋼治、写真=YUTAKA/アフロスポーツ)

東京五輪の感想は「レスリング人気のない国でやる小さな…」

「本当にこれがオリンピックなのか!?」

いまから3年前、東京五輪での出来事だ。千葉・幕張メッセで開催された男子グレコローマンスタイル60kg級に出場した文田健一郎は、初めて足を踏み入れた大舞台に大きな違和感を覚えた。

「(闘っていて)コーチや対戦相手のセコンドの声がガンガン聞こえる。横のマットでの展開で(一方が投げられたときの)バーンという音もハッキリと聞こえてきた」

新型コロナウイルスの影響で、大会は直前になって無観客で開催されることになったため、場内は閑散としていた。いるはずの大観衆はいない。大会前、文田は気丈に振る舞っていたが、内心は「やはりショックだった」と振り返る。

「もうオリンピックといったら、満員の観客の中で大声援を浴びながら試合をして勝ち名乗りを受けるというのが醍醐味だと思っていたので」

文田は2016年のリオデジャネイロ五輪では現在はMMAファイターとして活躍中の太田忍の練習パートナーとして現地入りしており、その前のロンドン五輪も見聞を広めるため観客席で観戦している。4年に1度のスポーツの祭典の空気は二度にわたって肌で感じていたので、東京大会とのギャップを埋めることはできなかった。

「いいたとえなのか、悪いたとえなのかわからないけど、あまりレスリング人気のない国でやる小さな国際大会っぽいなと思いました」

だからといって闘うモチベーションが下がることはなかった。何しろレスリングを始めて以来、ずっと憧れてきた夢の舞台である。気持ちの揺れは皆無に等しかった。

「僕的には全日本選手権だろうと、世界選手権だろうと、気持ちが変わることはない。ただ会場に練習パートナーが入れなかったので、ウォームアップには苦労しましたね」

五輪銀メダルは「どこにあるかはちょっとわからない」

決勝では思わぬ伏兵が立ちはだかった。16名の参加選手中、最も注目度の低かったオルタ・サンチェス(キューバ)。その闘い方は巧妙で、相手の手首を執拗につかんでグレコならではの差し合いを回避し、場外押し出しでポイントをコツコツと稼ぐ。勝つためには手段を選ばない、勝利至上主義の男だった。

クラッチさせてもらえなければ、得意の投げを炸裂させることもできない。結局、文田は一度もクラッチさせてもらえぬまま、サンチェスに敗れ銀メダルに終わった。試合後、文田は涙ながらに決勝を振り返った。

「自分の攻めが通用しなかった。実力不足ですね。相手の研究を上回れなかった」

あれから3年、その銀メダルは文田の自宅のどこかに保管されている。「もう(イベントでメダルを披露するなど)必要な場面もなくなっているので、具体的にどこにあるかはちょっとわからない。ちょっと捜したら、出てくるんじゃないですかね(微笑)」

そもそも、文田はメダルを飾るということにまったく興味がない。世界選手権で獲ったメダルも同じような扱いだという。

「獲った瞬間は大事だけど、その後は過去になるじゃないですか。だったら、ずっと見ていなくてもいい。また次の目標ができるし」

金メダルを目標としていただけに、東京五輪での銀メダルという結果は文田に大きな喪失感をもたらした。すぐに「次のパリで頑張ろう」という流れにはならず、気持ちの整理に時間がかかった。

「東京で金メダルを獲っていたら、また別の形でパリでも金を目指していたと思う」

メダルを獲得したら、何かが大きく変わるのではないか。そんな予感を抱いていたが、目の前の景色が変わることはなかった。

「それが金を獲れなかったせいなのか、(金を)獲った人との違いなのか。自分の中では前者のほうが大きかったですね」

金と銀の差を痛感。「自分の人生が変わらなかった」

オリンピックでは、よく金と金以外のメダルの価値はまったく違うという見方をされる。

文田も金を逸したことで、その差を痛感した。「やっぱり一回も負けていないのと一回負けたのとでは、『どうしてこんなに違うのか』と思いました。やっぱり自分の人生が変わらなかったから、そう思うんですかね」

とはいえ、その後プライベートでは大きな変化があった。翌年7月に結婚し、子宝にも恵まれたのだ。自ら家族を持つことで、オリンピックに対する意識は大きく変わった。

「新しい家族ができて、オリンピックは自分だけの目標ではなくなった。改めて本当の頂点というものをしっかりと獲りにいかなければならないと思いました」

気持ちを切り換えて臨んだ2022年の世界選手権では、プライドを傷つけられる試合に立て続けに遭遇した。準決勝でぶつかったエドモンド・ナザリアン(ブルガリア)は必要以上に腰を引くことで、文田と四つに組見合うことを徹底して拒んできたのだ。組み合わなければ、上半身だけで勝負を競うグレコローマンならではのダイナミックな投げ技は生まれない。

衝撃は続く。3位決定戦でぶつかったムラド・マンマドフ(アゼルバイジャン)も、文田に投げられることが回避したかったのだろう。確証があるわけではないが、組み合った感触として上半身に何かしらを塗っている可能性を捨て切れなかった。

それでも、マンマドフを退け3位に入賞した文田は「ルールを制する者が一番強い」と人目も憚らず号泣した。

いまでも文田はナザリアンのスタンスと試合結果に納得していない。

「自分の中では負けている感じはしないのに、判定では負けというのが悔しかった」

勝負に勝って試合に負けるということか。この大会をきっかけに、文田は心を鬼してファイトスタイルを変えようと試みた。きれいに投げて勝つのではなく、僅差のポイントでもいい。とにかく勝利を。そういうふうに気持ちを改めようとしたのだ。

「どんどん固いレスリングになっていったのは、いまの流れに沿った結果です。そのほうが勝ちやすい。東京五輪までの僕は投げにこだわっていた。投げだけがグレコの魅力だと思っていた。でもそのスタイルが通用しないんだったら、もう投げにこだわる必要はない」

敗れてもなお「ずっと闘っていたい」美しい闘い

迎えた翌2023年の世界選手権。勝ちに徹したレスリングで予選を制した文田は決勝でも同様のスタイルで勝負を決めようと心に決めていた。しかし、もう一方のブロックから勝ち上がってきた前年の世界王者ジョラマン・シャルシェンベコフ(キルギス)は、かつての文田のようにガッチリと組み合ってきた。投げで競い合う気満々ではないか。

予想外の展開に文田は先制点を奪われた。「過去に一度やったことのある選手だけど、そのときはそんな感じではなかった。だからこの選手も固めてくるんだろうなと予想していました。そうしたら4点とっても組み合ってお互いに技を掛け合おうとしている。楽しくて仕方ありませんでした」

結局、文田は一度もポイントで上回ることなくシャルシェンベコフに敗れた。全力で攻め合っていたので体はきつかったが、敗れてもなお「ずっと闘っていたい」というレスラーズハイに陥っていた。

「なんか学生時代の同期とお互い何も隠さずに全力で『絶対自分の技でポイントを奪ってやる』という感じでスパーリングしているような心境でしたね。そういう中で出てくる技はホンモノだし、美しい」

では、パリではどうなるのか。一昨年のナザリアンのようにへっぴり腰での勝負を挑んでくる選手もいるかもしれない。その一方でシャルシェンベコフのようにガッチリと組み合ったうえでの正々堂々とした勝負を挑んでくる者もいるかもしれない。

文田は臨機応変に対応しようとしている。「固めてきた相手に自分の投げ技で勝とうとは思っていない。逆に闘っていく中で必要な場面になったら投げます。なんかこだわらないレスリングができそうです」。

文田は感じている。自分がオリンピックで金を獲った人生と獲らないそれの瀬戸際に立たされていることを。もちろん選択を希望しているのは前者だ。「いまのところは獲っていないほうの人生じゃないですか。でも、パリで獲った人生に変わることを期待しています。そうなることで、たぶん自分が自分を見る目が一番変わると想像しています」

芸術の都に、アーティスティックな文田の反り投げはよく似合う。

<了>

「もう生きていてもしょうがない」。レスリング成國大志、世界一を決めた優勝後に流した涙の真意

前代未聞の事件はなぜ起きたのか? レスリング世界選手権を揺るがした“ペットボトル投げ入れ事件”

レスリング界で疑惑の“ヌルヌル問題”。疑わしきは罰せず? 由々しき事態はなぜ横行するのか?

「いつもやめたかったし、いつも逃げ出したかった」登坂絵莉、悩まされ続けた苦難を告白

79歳・八田忠朗が続けるレスリング指導と社会貢献「レスリングの基礎があれば、他の格闘技に転向しても強い」

この記事をシェア

LATEST

最新の記事

RECOMMENDED

おすすめの記事