バレーボール界に一石投じたエド・クラインの指導美学。「自由か、コントロールされた状態かの二択ではなく、常にその間」
旭川市を拠点とするヴォレアス北海道は、“世界基準”をキーワードに、地域創生や最速でのトップリーグ昇格など、バレーボール界に歴史を刻んできた。理論や戦略に長けた指導でチームを牽引してきたエド・クラインHC(ヘッドコーチ)は、一方で勝敗だけではないスポーツの価値を重視し、さまざまなアクションや提言を行ってきた。日本に不足しているユース年代の指導や、「スポーツを楽しむ」ための指導、スポーツメディアの報道のあり方まで、幅広いテーマで話を聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=ヴォレアス北海道)
勝敗だけでなく「成長し続ける」ことに価値がある
――ヴォレアス北海道は、北海道の食材を生かした健康的な食文化の啓蒙や、SDGsの目標を達成するための環境活動などに取り組み、Vリーグが掲げる“地域密着”も体現しています。クラブのビジョンについてはどのように捉えていますか?
クライン:池田憲士郎代表とは、クラブ設立時からビジョンを共有してきました。スポーツを通じてさまざまな世代のモチベーションを高めていけたらと思っていますし、エンターテインメントとしての価値を作れるように、マーケティング面でも日々取り組んでいます。
私自身は、日本のスポーツにおいて、欧州に比べて遅れている部分があると捉えています。池田代表も同じ考えを持っていて、健康的な生活習慣や、海外から新しい知識を取り入れることについても話しました。選手たちはただバレーボールをプレーするだけでなく、「健康的なアスリートとは何か」という面で、若い世代のお手本にならなければいけないと思います。欧州サッカー界では、若い世代から健康的な食生活を意識していますし、プロのカテゴリーでは99%の選手がタバコやお酒をやめています。シーズン中にパーティや飲み会をせず、健康的な睡眠のスケジュールを立てて遂行しています。ヴォレアスの選手たちにも、バレーボールの部分だけではなく、そうした面で若い世代の手本になれるようにしよう、と強調しています。クラブが事業として食品を販売しているのも、目的は同じです。
――事業面でも競技面でも、ビジョンが共通しているのですね。
クライン:私自身、キャリアの中で、優勝やタイトルを経験した時はもちろんハッピーでしたし、自信もつきました。でも、それは数日経つと消えて、また次のシーズンになります。でも、選手やスタッフを育て、環境を良くしていくことには終わりがありません。勝敗だけしか考えていないクラブは、私にとっては退屈です。
SVリーグの全10チームが勝敗だけを判断軸にしているとしたら、9チームがチャンピオンになれません。でも、その9チームにとってシーズンが無駄になるかといえば、そうはならないはずです。勝敗にかかわらず、すべての試合が学ぶ機会になるからです。昨シーズン、ヴォレアスは多くの敗戦を経験しましたが、毎回学んでいました。努力し、学び、成長し続けることによって、結果にかかわらず経験は価値のあるものになります。 チームの予算が大きくなれば、結果は自然についてくると思います。それまでは、選手たちにスポーツは勝ち負けではなく、自分を一番いい状態に成長させていくことが大切なことだとしっかり理解してほしいと思っています。

日本に不足しているユース年代のトレーニング設計
――クライン監督は欧州のクラブでの豊富な指導実績を持ち、これまでさまざまなアクションや提言もしていますが、日本の選手が海外のトッププレーヤーと互角に戦うために、フィジカル面ではどのような取り組みが必要だと考えていますか?
クライン:代表やSVリーグのチームにはハイレベルなコーチがいるので、何も問題はないと思いますが、ユースのカテゴリーでは基本的なフィジカルトレーニングが足りていないと思います。日本ではユース年代はクラブではなく学校の部活でバレーボールをしていて、学校の先生がコーチをしています。ですから、ケガ予防やパフォーマンスを向上させるためのストレングス&コンディショニングについて、ほとんど知識を持たない先生も少なくないと思います。
ヨーロッパではストレングス&コンディショニングの取り組みをより早く始めるので、17歳で自身のポテンシャルの80パーセントぐらいまで到達して、チャンピオンズリーグでプレーしている選手もいます。重いウエイトを上げるだけではなく、13、14歳ぐらいから体のバランスを整えることに取り組み、体の可動域を広げ、強度を整えて関節を強化します。そして16、17歳ぐらいからウエイトに取り組みます。
日本で以前、大学を卒業した22歳の選手に話を聞いた時に、「人生で1回ぐらいしかバーベルを上げたことがない」と言っていたのには驚きました。22歳であれば、体の強さをしっかり維持してほしいですし、ケガ予防の観点でも非常に大事な部分です。
――そんなに差があるのですね。ケガ予防の観点からは、どのようなことが不足していると思いますか?
クライン:大学のカテゴリーで肩や膝、腰のケガをしている選手たちが、痛み止めだけを使って解決しているケースをよく見ます。痛み止めは解決策にはなりません。大切なことは、体のバランスの中で歪みが生じている部分を治すことです。これは強調したいのですが、毎日スポーツをすることは、体にとって健康的なことではないです。我々の体は毎日100回ジャンプするように設計されていないし、肩はボールを200回たたくためにデザインされていません。しかし、現在のスポーツ科学では、どうやったらケガを防げるかは解明されています。その知識が、まだ日本には浸透していないと思います。 もしも中学生、高校生、大学生と体のバランスが悪い状態で過ごして、そこからヴォレアスに入って私のところに来た場合、ダメージがありすぎて治せなくなっているケースがほとんどです。ですから若い年代からのケガ予防が重要だと思いますし、できれば毎日20分間は予防のためのトレーニングをやる必要があると思います。それをやることで、長期的な体の健康が保証されます。これは貯金と似ていて早い段階でケガ予防を始めれば、ケガなくキャリアを終えることができます。食事も睡眠もケガ予防も、とにかく早く始めることが重要だと思います。
「楽しむ」を促すコーチングの美学
――日本の「まじめにやろうぜ」という空気があまり好きではないと発言されていたことがあります。それは部活で始めた競技が生涯スポーツになりづらい部分や、観客動員の伸び悩みにもつながっているように思いますが、どのような形が理想でしょうか。
クライン:日本人の「まじめにやろう」「指導者や先輩の言うことに従おう」という文化については、私なりにいろいろと文献を読んで学び、中国から来たという説もいくつかの文献で目にしました。孔子が中国の社会で年下が年上を敬うルールを設定して、それが文化として日本に流れ込んだ形です。それは役に立つ時もありますが、「ルールに従いすぎる」ということは、自然体の部分を阻害してしまいます。
一番大事なことは、創造性のある選手たちが新しい手段を使ってプレーし、新しいものを生み出すことです。何が言いたいかというと、あまりにも多くのルールを持つことは、個性を生かすことを阻害してしまいます。指導者によっては、ルールを守らせることで選手の表現を止めてしまう人もいます。例えば、フランス人は自由を好むので、そういうやり方をすると絶対にうまくいかないのではないでしょうか(笑)。
――自由な表現を促しながら、チームをまとめるのは大変そうです。
クライン:もちろん、完全に自由を与えるべきではないと思います。一定の制約を与えることによって、チームを一つの方向に向ける必要はあると思いますから。ただ、ルールでコントロールしすぎて、選手が自分の表現をできなくなってしまった場合は、落ち込んだり、最終的に競技をやめるケースも出てくると思います。これはスポーツに限らず、どの業界にも言えることだと思います。
コーチングの美学としては、一定の制約を与えつつ、選手が自分自身の表現ができる範囲を保つことが重要です。「自由か、コントロールされた状態か」の二択ではなく、常にその間だと思います。例えば、若い選手ならよりコントロールするほうに尺度が近づくと思いますし、経験のある選手には、より自由を与えることになると思います。
――その指導の原点には「楽しみながら成長する」という目的があるのですね。
クライン:スポーツはもともと楽しむためのゲームとして作られたものです。ですから、まず「楽しんで遊ぶ」ということが重要だと思いますし、特に小さい子どもたちに関してはそれが何より重要だと思います。大人も直感的に楽しんでいると思いますが、お金を稼いだり、勝敗や名誉を考えるので「まじめにやろう」が強く出てきてしまうと思います。私自身はそういう環境でも楽しむことが、高いレベルでプレーする唯一の方法だと思います。

コーチは常に指導をアップデートする習慣を
――トレーニングの準備や映像の整理や分析などかなりお忙しいと思いますが、指導の知識やメソッドをアップデートする時間はどのぐらいあるのですか?
クライン:オフシーズンは自分の知識をアップデートして次のシーズンにつなげるための期間と捉えているので、1日に5、6時間は指導の勉強に費やします。シーズン中はあまり時間がないのですが、それでも1、2時間は確保して知識を保てるようにしています。
――他の競技からも学ぶのですか?
クライン:サッカーやバスケットボール、野球のように、お金が集まる業界にはレベルの高いエキスパートが揃っているので、そうした分野から学ぶことは多くあります。メンタルも、テクノロジーや分析の分野も、1年間学びをやめたらかなり遅れをとってしまいます。
私自分がヴォレアスで長い期間コーチとして活動し続けられているのは、常にチームに新しいものを持ってくる習慣をつけているからだと思います。また、新しいものを持ってくるだけでなく、基本的な部分のクオリティを満たすことも重要で、いろいろな国のコーチ陣との意見交換も大切にしています。
――どのように意見交換をしているのですか?
クライン:英語が話せれば、現地に行かずともオンラインでたくさんのことが学べるので、いい時代だと思います。質の高いストレングス&コンディショニングのセミナーがありますし、そういうものを学ぶことでよりいい準備ができる。インターネットがなかった時代は、各国の指導者がそれぞれのやり方でやっていたので、知識がつながっていませんでした。今は学ぶ習慣さえあれば、どこにいても情報を得ることができます。
スポーツ文化を育てるメディアのあり方
――スポーツメディアの報道も海外とは異なる面があると思いますが、スポーツ文化を成熟させていくためにどのようなことが必要だと思いますか?
クライン:日本の一般的な報道では、その選手がどうプレーするかよりも、選手の服装とか髪型などの見た目に注意が向けられることが多いと感じます。欧州では、真のスポーツファンは競技を愛しているのでそういうことはあまり気にしないですし、現場のスタッフレベルの知識を持ってブログを書いたり、ポッドキャストをやっている人もいます。
彼らはバレーボール選手としていかに優れているかを見ていて、わかりやすいアタックの得点だけでなく、難しい状況でリバウンドを取れるか、セッターがどういう考えを持っているか、ミドルブロッカーがボールに触らなくても毎回ブロックに行って役割を果たしているかどうか、という細かいところまで見ています。
――報道する側も、その需要を理解して伝えているわけですね。
クライン:NFLのコーチは、コーチとしての給料よりも、コメンテーターとして出演した時のほうがお金をもらえるそうです。というのも、そのスポーツが好きなファンが知りたいのは、誰がパスや得点をしたかということよりも、「現場のエキスパートがどういう分析をしているか」ということだからです。
スポーツに限らず、例えば音楽でも、本当に好きな人は、アーティストの見た目より、音楽を聴いて、感じることを大切にしていますよね。スポーツを浅いところで見ているのか、より深く見ているかの違いが、スポーツ文化の発展にもつながっていくのではないかと思います。
【前編はこちら】エド・クラインHCがヴォレアス北海道に植え付けた最短昇格への道。SVリーグは「世界でもトップ3のリーグになる」
<了>
バレーボール最速昇格成し遂げた“SVリーグの異端児”。旭川初のプロスポーツチーム・ヴォレアス北海道の挑戦
【後編はこちら】スポーツ界の課題と向き合い、世界一を目指すヴォレアス北海道。「試合会場でジャンクフードを食べるのは不健全」
バレーボール界の変革担う“よそ者”大河正明の挑戦。「『アタックNo.1』と『スラムダンク』の時代の差がそのまま出ている」
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[PROFILE]
エド・クライン
1981年生まれ、クロアチア出身。ヴォレアス北海道ヘッドコーチ。母国クロアチアとスロベニアで指揮を執った後、2016年にヴォレアス北海道の創設時に監督として就任。2023年4月に最速でのトップリーグ昇格を果たした。データやスタッツを駆使し、他競技も参考にして脳科学的なトレーニングを取り入れるなど、理論的な指導でチームをアップデートし続けている。
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