「サイコロジスト」は何をする人? 欧州スポーツ界で重要性増し、ビジャレアルが10人採用する指導改革の要的存在の役割
スペイン男子クラブ初の女性監督が生まれたのは2003年。当時大きな注目を浴びたこの任に就いたのは日本人の佐伯夕利子だった。その後、アトレティコ・マドリード女子監督や普及育成部、バレンシアCFで強化執行部を経て、2008年よりビジャレアルCFに在籍。佐伯は生き馬の目を抜く欧州フットボール界で得た経験の数々を日本にもさまざまな形で還元してくれている。そこで本稿では佐伯の著書『本音で向き合う。自分を疑って進む』の抜粋を通して、ビジャレアルの指導改革に携わった日々と、キーマンたちとの対談をもとに、「優秀な指導者とは?」を紐解く。今回はビジャレアルのメソッドダイレクションのスタッフとしてコーチ陣と向き合ってくれた、ベテランのスポーツ心理学者エドゥ・モレジョとの対話からサイコロジストの話をお伝えする。
(文=佐伯夕利子、写真=島沢優子)
選手には創造性が必要。それを生むには…
――2014年から始まったビジャレアルの指導改革に取り組む前に、メソッドダイレクターのセルヒオ・ナバーロとはどんなことを話しましたか?
エドゥ(以下、E):最初に監督の全体像を描いたんだ。従来なら、その姿は「選択をする人」「選ぶ人」「指示する人」「決定する人」とかだよね。言い換えるとチェスの駒を動かすように選手の配置を決めます。ただ、フットボールはチェスじゃない。動かされる駒にそれぞれ意思があり、感情がある。そう考えると、監督が指示命令して一方的に動かすのは土台無理な話です。決定プロセスに、駒である選手が参画することが大事なのではないか。なぜならば、人だからねっていう話を僕たちはした。セルヒオと僕らサイコロジストでね。
――それまでのフットボール界にはなかった考え方ですね。
E:特に育成組織における監督(指導者)は、自分がすべて正解を持っていて、その正解通りに選手に動いてもらうことで報酬を受け取るよね。逆に不正解の行動をした選手に対しては、ダメ出しをしたり、時に怒鳴りつけてきた。言ってみれば、選手に対し実行ボタンを押し、その通りに実行させるようなことを繰り返してきました。
――そうなると選手は?
E:常にパッシブ(受け身)で、参画の意思が尊重されることのないチェスの駒になる傾向があった。それは育成において大きな課題だった。その解決方法をセルヒオたちと話し合った。まず僕らがトライしたのは、指導者一人ひとりのポテンシャルの最大化。ポテンシャルというと選手の生まれつきの才能や素質と受け取られそうだけど、向き合う大人次第で選手のポテンシャルは拡大するのです。
――指導者改革は、言うなればポテンシャル拡大のための環境整備だったと言えますね?
E:そう。ひとつ挙げるとしたら、選手には創造性が必要だよね。それを生むには自由と、安心安全の空間。この二つが不可欠です。それらが提供されているかは最低限の環境条件だと考えます。そのなかで、主体である選手たちが自ら考え、選択する。間違った選択をしたり、間違ったらアクションを起こしながら、ミスを糧にしながら気づいてやり直す。そういったことを積み重ねていく。それが成長のプロセス。したがって指導者は、選手に「ミスや間違った選択をする機会」を提供しなくてはいけない。それなしに選手のポテンシャルの最大化はあり得ません。
――そこに考えが至るまでとても時間がかかりました。
E:そうですね。2、3年かかった。その間、一番効果があったのは映像を使ったものです。自分の姿を俯瞰して映像で見るのはすごく効果があった。それまで優秀とされた指導者は、たくさん勝利し、タイトルを獲っている人で、その人たちが指導者や監督として「勝ち組」みたいなスタンダードな考えがあった。そうではなく、ここで改めて「優秀な指導者とは?」の問いを立てたとき「いや、そこではないよね」という結論に達した。同じ成果にたどり着くために、他にもやり方がある。その異なるやり方を全指導者たちと一緒に体験していくアプローチをしました。
チャレンジし、ミスをして気づく。それは指導者も同じ
――これまでは自分が最も良いと思う選手たち11人を選んで結果を出すことがスタンダードでした。
E:だけど、同じスタンダードを作るために、若手選手を起用したり、普段スタメンに絶対起用しない選手を出したり、フォワードしかできないと決めつけていた選手を他のポジションで起用する。そこから生まれる新たな発見もあることに気づいて欲しかった。そして軸足は常に選手の成長。ここにフォーカスしなくてはならない。指導者は自分がいかに勝つか、いかに優秀な監督になるかではなく「より豊かに選手を育てる」「彼ら(の才能)を最大化する」。それがつまるところ良い指導者なんだ。そこに気づいてほしいというのが、われわれが最初に描いたプランでした。
――私たち、今まで「(私が)彼をフォワードで使わなかったら勝てない」と話していました。要は主語が自分なんです。
E:あらゆることにチャレンジし、ミスをして気づく。それは指導者も同じプロセスを踏めばいい。だから、やりたいことを思いついたら何でもやってみたら? とコーチらに発破をかけた。例えば「この選手、センターバック6年間やってるけど、右のサイドハーフにしてみようか」と思えばやってみればいい。それがチームの試合結果と結びつかなくても構わない。それが広がってチーム力の最大化につながるかもしれない。何もやらなければ何も起こらないんだから。
――セルヒオにも尋ねましたが、エドゥさんはコーチたちに起きたハレーションをどう見ましたか?
E:クラブが言ってるから、上面だけでやっておこう、わかってるふりをしておこうみたいな指導者もやっぱりいたと思うよ。けれども君の場合、ほぼなかったね。新しい概念に取り組んでみようという姿勢が見えた。自分たちの映像もしくは音声を撮って持ってきなさいと言えば、率先して「私、撮るわ」とすぐにやった。自分のビデオなどを持ち込んで「一緒に見よう!」とみんなのミーティングの材料にしたよね。最後まで出さない人だっていたのに(笑)。常に前向きに取り組んでいて感心しました。
――そうだった? 開き直るのが早かったのかな(笑)。
E:指導者の進化、変容という面から見ると、ユリコは一番わかりやすい好例だったと思う。なぜかというと、君がいつも話すように、君は日本人として日本の文化の中で育った。いわゆる「武道的な精神」とともに。何につけても、師匠や先生がいて、その人に教えを請う。その主従関係があなたの中にすごく根強くありました。それを学び崩して、新たな育ちとは何かを追求したよね。
――ああ、だからセルヒオに「改革のキーマンだった」て言われたのかな。日本的な教えを請うっていうような種類の関係性というものが、私の中で学習としてやっぱり身についてしまっていた。それで自分も教えなきゃ、ってなる。監督としての責任感が強く、何とかして勝たせなきゃと思うからこそ選手を抑圧するような振る舞いをしていたんだと思う。
E:それを打ち壊すことで、違うかたちの選手と監督の関係性が築けることに早くに気づけたよね。選手の成長に伴走してあげようっていう姿勢がすごく見えました。
ビジャレアルが10人、バルサが7人抱えるサイコロジスト
――ところで、(2023年9月現在)ビルバオでセルヒオとともに指導環境の改革に着手していますね。
E:つい先日のミーティングでうちの指導者たちに「選手は今季リーグ戦で何位になったか? なんていうのは5年後には忘れてるよ。君たちの実績や成果ではなく、君たちの存在そのものを思い出すものなんだ」と話したよ。選手に「このコーチに成長をサポートしてもらった」っていう感情をもたらすか。それが指導者としての価値でもあります。
――サイコロジストの役割が大きくなっていることを実感しています。他のクラブでも雇用は進んでいるのかな?
E:そう思いますね。存在感やその重要性は間違いなく増している。数としても増えたと思うな。スペインではフットボール界のみならず、スポーツ界全体で「サイコロジストは何をする人なのか」っていうのが明確に理解されるようになってきました。
――それっていつからなのかな?
E:2021年の東京オリンピック以降かな。パンデミック中にメンタルヘルスがさまざまな角度からニュースになり、同時にアスリートたちがメンタルの問題を自ら告白することが増えました。メンタルの不具合で一時療養したり、オリンピック欠場を決めた選手もいた。しかもそれがSNSの発達もあって世界中に拡散されました。それまでは足腰のけがは明かせても、こころの不調を言いづらかった。容易に理解されなかったのに。
――コロナと、1年遅れで開催された東京オリンピックが、皮肉にも追い風になったんだね。
E:そうです。2022W杯カタール大会で、ルイス・エンリケ監督の横に座っていたのがサイコロジストでした。その存在が視覚化されたことは、僕らの業界ではすごくありがたかった。
――ビジャレアルやビルバオ以外でサイコロジストを置いているチームはあるの?
E:他クラブでは、例えばバルサは確か7人いたかな。レアル・マドリードは5人くらい。短い時間で流動するけれど、そのくらいの規模感です。恐らく、大きなクラブはどこも最低でもひとりは存在するでしょう。とはいえ、ビジャレアルのように10人以上配置しているクラブは珍しい。ビルバオはいま7人採用してくれている。つまるところ人件費が必要なので、必要性を感じていてもすぐに増やせないのが現状でしょうね。そこで貢献が認められれば増えていくと思います。
――そういえば、聞いてみたかったの。最初に歴史をみんなで学んだよね。どう見えていた?
E:あれはクレイジーだったね(笑)。ここでのクレイジーの意味は、まったく意味のないことを遂行したというクレージーではなく、普通やらないことをやったねってこと。セルヒオと僕らは、歴史や哲学に紐づいていると確信がありました。そうは言っても、フットボールと一見関係なさそうな学問でしょう。コーチたちがそこで得た学びを実践に落とし込めるかどうかは未知数だった。壮大なトライでした。
――いや、ナイス・トライでした。
E:人間は、その学びを限定的にしてしまうと、成長の幅が小さくなってしまうと思うんだ。学びの領域を広げることが大切だよね。だから、みんなには「高速道路を走るつもりでアクセルをふかせ」ってよく言います。狭い小道に限定して学びというものを閉じてしまっていたら、指導者も選手も学びは深まらない。へえ、こんな本読んでるんだとか、こんな映画観たんだ、こんな人と話したの? っていうのがいい。ユリコもそうしてるよね。ナイス・トライです。
【第1回連載】名門ビジャレアル、歴史の勉強から始まった「指導改革」。育成型クラブがぶち壊した“古くからの指導”
【第2回連載】サッカー界に悪い指導者など存在しない。「4-3-3の話は卒業しよう」から始まったビジャレアルの指導改革
【第4回連載】高圧的に怒鳴る、命令する指導者は時代遅れ? ビジャレアルが取り組む、新時代の民主的チーム作りと選手育成法
【第5回連載】佐伯夕利子がビジャレアルの指導改革で気づいた“自分を疑う力”。選手が「何を感じ、何を求めているのか」
(本記事は竹書房刊の書籍『本音で向き合う。自分を疑って進む』から一部転載)
<了>
指導者の言いなりサッカーに未来はあるのか?「ミスしたから交代」なんて言語道断。育成年代において重要な子供との向き合い方
「プレーモデルに選手を当てはめるのは間違い」レバンテが語るスペインの育成事情
育成型クラブが求める選手の基準は? 将来性ある子供達を集め、プロに育て上げる大宮アカデミーの育成方法
[PROFILE]
佐伯夕利子(さえき・ゆりこ)
1973年10月6日、イラン・テヘラン生まれ。2003年スペイン男子3部リーグ所属のプエルタ・ボニータで女性初の監督就任。04年アトレティコ・マドリード女子監督や普及育成副部長等を務めた。07年バレンシアCFでトップチームを司る強化執行部のセクレタリーに就任。「ニューズウィーク日本版」で、「世界が認めた日本人女性100人」にノミネートされる。08年ビジャレアルCFと契約、男子U-19コーチやレディーストップチーム監督を歴任、12年女子部統括責任者に。18〜22 年Jリーグ特任理事、常勤理事、WEリーグ理事等を務める。24年からはスポーツハラスメントZERO協会理事に就任。スペインサッカー協会ナショナルライセンスレベル3、UEFA Pro ライセンス。
[PROFILE]
エドゥ・モレジョ
1977年生まれ。2004年よりスポーツサイコロジストの職に従事。20年のキャリアを持ち、フットボール界のスポーツ心理学者の第一人者でもある。08年からビジャレアルに在籍。サイコロジストグループのリーダーを務めた。24年2月現在もセルヒオ・ナバーロとともにラ・リーガ所属のアスレティック・ビルバオで指導環境の改革に取り組む。
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