いじめを克服した三刀流サーファー・井上鷹「嫌だったけど、伝えて誰かの未来が開くなら」
SNS等を介してのアスリートへの誹謗中傷は後を絶たない。またスポーツ界がこういった問題に対してどのように対応すべきかの答えもなかなか見えてこない。このような問題に対して、幼少期にいじめられた過去を持つプロサーファー井上鷹は「無価値」であると語る。その真意とは? そして井上の人生はサーフィンと出会いどのように変化したのか?
(インタビュー・構成=守本和宏、トップ写真=USA TODAY Sports/ロイター/アフロ、本文写真提供=AthTAG GENKIDAMA AWARD)
「こういった話をするの、ずっと嫌だったんです。でも…」
最前列に野村忠宏、伊達公子、古田敦也、潮田玲子のレジェンドアスリート。その後ろには200人以上の経営者たち。
会場は東京・お台場の貸切られたイベント会場。間違いなく経験豊富なビジネスマンでもビビるこの状況で、小・中学校時代にいじめられた過去を持つ23歳のプロサーファー井上鷹は、10分間のプレゼンテーションを行った。
企業からの支援獲得を目指し、8人のアスリートが自己PRを行うイベントのトップバッターだった。その内容は、自身が「あまり話すの得意じゃなくて、学校行けてなかったとかもあって、大勢の前でしゃべるのは得意じゃないんです」と語るように、決して流暢なトークではなかったかもしれない。
しかし、その懸命さに「頑張って話していらっしゃるのは伝わりましたよ」と伝えると、彼は、「なら良かったです。ありがとうございます」と笑顔を見せた。
宮崎県出身の井上鷹は、15歳からサーフィン競技に取り組み、SUPサーフィンでワールドタイトルを獲得。そこに、現在オリンピックで採用されているショートボード、さらにロングボードも加えた「三刀流プロサーファー」として活躍するサーファーだ。今年4月には、エルサルバドルで開かれたISA(国際サーフィン協会)ロングボード世界選手権に日本代表として参加。アジア勢歴代最高となる銀メダルを持ち帰った。「今しかできないことを実現したい」と話す彼は、いじめに遭った過去を持つ。
「こういった話をするの、ずっと嫌だったんです。でも、話すことで同じ境遇の子どもたちや親御さんから『勇気をもらった』『希望をもらいました』というメッセージをいただくようになりました。僕の活動で誰かの人生が明るい方向に変わるなら、すごくうれしい。伝えることで誰かの未来が開くなら、しがらみにとらわれずに伝えていきたいと思ったんです」と話し、子どもの頃の記憶を聞かせてくれた。
転校をきっかけにいじめに発展。「大人は信用できない、嫌いだった」過去
宮崎県で2000年に生まれた井上が、転校先でいじめに遭ったのは、小学校2年生の時。引っ越した先で大雨が降り、土石流もあって家の中のさまざまなものが流された。その「もともとは自分たちのものだったゴミ」を、泥の下などから集めていたら、小さな村の中で目立ち“よそもののゴミ拾っているよくわかんないやつ”と、学校で言われるようになった。
いじめの中心人物だった子どもの親が地元の有力者だったこともあり、周りも見て見ぬふりだったという。学校側の対応も望んだものではなく、先生に「注意してほしい」と言っても無視されるなど状況は悪化。兄も「学校に行きたくない」と言い出し、学校側と話し合ったが当時の校長から「さよなら」と言われ、学校には行かなくなった。
中学校でも状況は改善されなかった。家族で「そういう学校には行きません」と主張したことで、通学はせず、母が少し立ち寄って教科書を受け取る程度になる。結果的に「中学校は敷地に入ったこともないです。一度も行かずに卒業しました」と言うように、卒業証書も郵送で届けられた。
上記は本人の主張であり、周りにもそれぞれ都合があったかもしれない。ただ、井上が「大人は信用できない、嫌いだった」と感じるようになったのも、自然な流れと言える。
偏見なく評価してもらえる居心地のいい場所
転機が訪れたのは、11歳の夏だ。ビーチクリーン(海岸の掃除)をしていた中で、一つのボディボードを見つける。たまたま使える状態だったためサーフィンを初めたが、最初はボディボードとサーフィンの違いも知らず、腹で乗るボディボードに立って乗ろうとしていた。それを見た大人のサーファーが「それは立って乗るものじゃないよ」と、サーフボードを貸してくれた。
井上は、そこで初めてサーフィンの楽しさを知る。「サーフィンは下が動いて自分も動く、他にあまりない競技特性がある。貸してくださった方に、その楽しさを伝えたら、いらなくなったボードをくださったんです」。その時に井上は、思ったそうだ。
「学校に行けなくて、対応してくれなかった先生もいて、大人は嫌いだったんです。でも、優しい方もいるんだ、『この競技をもっと知ってみたい』と思って、週末はサーフィンをするようになりました」
その後、「いろんな方に声かけていただいて、褒められてうれしかった」という純粋な動機が彼を支える。自分に可能性を見出した井上は、プロの世界があると聞き、「高校3年間、サーフィンを本格的にやらしてほしい」と母に直談判。母は反対はしたが、期限付きで応援してくれることになり、本人は競技にのめり込んでいく。当然、その成長の途上も簡単なものではなかったが、井上にとって、偏見なく評価してもらえる世界は居心地がよかった。
「結果的に、世界で初の三刀流プロサーファーとなり、アジア記録を次々と塗り替える成績を残せるようになりました。日本の業界でも先輩・後輩のいじめのようなものがエスカレートして、やめたくなった時もありました。でも、海外では世界チャンピオンなどから褒められ、成績関係なく実力を評価していただいた。それがすごくうれしくて、人生のターニングポイントになったんです。アスリートの影響力を、そこで感じました」 「ロサンゼルス五輪でサーフィンのロングボード種目が追加されたら、そこで金メダルを取りたい。追加されなかったとしても、世界一を取ったり、アジア記録を更新し続けることで、影響力を生かしてさまざまな方に希望などを届けられたらと思っています」
生きるのが嫌だったら、別の世界があることを知ってほしい
世界を舞台に戦うアスリートは、全員抜きんでた存在だ。SNS全盛の今、目立った存在は善悪関係なく叩かれ、社会的な“いじめのような現象”に悩むアスリートも多い。長い時間、いじめと向き合ってきた井上は、その匿名での批判は、“無価値”だと言う。
「僕も少しずつ名前を知られることが増えて、結構ひどいのも経験しています。でも、SNSの批判って、あまり気にしなくていいのかなって。面と向かって言われるのも経験してるし、ケガをさせられたこともありますが、それに比べたらオンラインのいじめって“どうでもいい”って感じる。だから、皆さんあまり深く考えなくていいのかなって思いますね。匿名で好き放題言う人たちのことなんて、考えなくていい。それでも考えちゃうと思うので、そこが難しいですけどね。価値がないって言ったら変ですけど、そんな感じ」
そしてまた、スポーツに限らずいじめに悩む子どもたちに向けて、どんな言葉を伝えたいか。その乗り越え方について、ヒントを求めた。
「いじめの内容にもよると思いますが、一旦違うことをやってみる。全く別のことをやってみてほしいですね。特に子どものうちなら、知らないことのほうが多い。生き方も、僕みたいに学校に行けなかったけど表舞台に出た人もいる。スポーツもいろいろ種類があるし、何か嫌だったらとにかく別の世界を知ってほしいかな。引きこもりたい気持ちはわかりますが、あえて違うところに行く。それには、親の協力も必要だし、親や周りの先生に正直に伝えて、違うことに触れる機会を作ってもらうのが一番いいと思います」 自身も、サーフィンに出会って「没頭していくと、あまり周りの反応が気にならなくなった。嫌なことも忘れられた」という井上の言葉には、それだけの重みがあった。
「あまり皆さん選ばない1番を…」。自ら1番を選んだ理由
大人を嫌い、人前で話すことも苦手だった井上は、この9月、「AthTAG GENKIDAMA AWARD 2024」に登壇した。「おカネを理由に夢を諦めさせない」をテーマにしたこのイベントで、海外渡航などの活動応援費を獲得するためだ。優勝者に与えられる200万円を目指し、彼は経営者など200人以上を前に、堂々と自己PRをした。そのプレゼンテーションはうまい・下手でなく、その場に立った勇気、それを得た過程を評価するべきだと感じた。
実は、プレゼンテーションでトップバッターを選んだ理由を、彼はこう説明する。
「くじ引きで1番を引いたので、どの順番でも選べたんです。でも、このアワードに登壇するって話を知人にした時、『1番じゃないほうがいいね』『他の方のプレゼンを聞いた上でやったほうがいいよ』って言われたんです。でも、皆さん一生懸命頑張ってこられた人たちで、それを見て付け焼刃で何かやっても絶対勝てない。それなら、自分を表現するため、あまり皆さん選ばない1番を選んだほうが逆にいいかなと思ったんです」
「メンターの方が作って下さったスライドを操作するのも忘れて、30%くらいしかお伝えできなかった気もします。賞は逃しましたが、発表後に皆さんからいただいた、ご意見ご感想によれば僕の想いは届いたようだったので、出て良かったなと思っています」
まじめに大学まで行って、いじめも受けず育った人々が、社会人になって23歳で、経営者200人を前に自分が話す順番を選べるとしたとき。一番を選ぶのは、何%ぐらいだろう。その勇気と決断力を、何%の人が持てるのだろうか。それを考えると、思うのだ。きっと人は、どんなに暗い時期があろうとも、いつからでも何者にでも変わることができるのだ、と。
<了>
[PROFILE]
井上鷹(いのうえ・たか)
2000年11月25日生まれ、宮崎県出身。SUP・ロング・ショートサーフィンの「三刀流プロサーファー」として活動。小学校時代は転校し、いじめを受け引きこもりがちだったが、サーフィンに出会いプロを目指すことを決意。15歳から競技に取り組み、SUPサーフィンでワールドタイトル獲得。海外でも高い評価を得ている。
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