「ケガが何かを教えてくれた」鏡優翔が振り返る、更衣室で涙した3カ月後に手にした栄冠への軌跡

Career
2025.05.14

女子レスリング・76kg級でパリ五輪を制し、女子最重量級で日本初の偉業を成し遂げた鏡優翔。しかし当時、鏡の体はボロボロの状態だった。オリンピック3カ月前に負ったヒザの大ケガ、オリンピック初戦での目の負傷。それでも彼女は前を向き、痛みを乗り越え、前人未到の結果を手にした。鏡自身が1年前の心境を改めて振り返り、難しい状況から栄冠までたどり着けた“なぜ?”をひも解く。

(文・本文写真=布施鋼治、トップ写真=ロイター/アフロ)

鏡は溢れる涙を抑えることができなかった

「バキッ」

2024年5月13日、母校である東洋大レスリング部で練習中、鏡優翔の右ヒザが鳴った。

小1からレスリングを始めて以来、ケガをしたことは一度や二度ではない。経験上、その音を耳にしただけで、自分の身に降り掛かったケガが只事ではないことを悟った。

「うわっ、やってしまったな、と」

案の定、すぐにヒザの痛みは増すばかり。歩いて病院に行こうと思ったが、通常歩行ができる状態ではなかった。ケンケンをしながら移動しようと思ったが、上下の振動を与えるだけでも痛い。仕方なくゆっくりと患部に衝撃を与えないように時間をかけて更衣室にたどり着いた。そこで人目がないことを確認すると、感情が一気に爆発した。鏡は溢れる涙を抑えることができなかった。

JISS(国立スポーツ科学センター)で即座に治療を受けると、内則じん帯損傷、全治3カ月の診断を受けた。

「頭の中が真っ白になりました」

それはそうだろう。8月11日、鏡はパリ五輪で女子では最重量級となる76kg級に初めて出場することが決まっていたのだから。そのチューンナップとして5月23日に開幕する全日本選抜選手権にもエントリーしていた。

一日で気持ちが切り替わった理由

5月17日、全日本チームのコーチから全日本選抜欠場とその理由が発表されると、報道陣は「オリンピックまでに間に合うのか?」と色めき立った。コーチは「パリまでには間に合う」という言葉も添えたが、決戦3カ月前のケガだけに、誰も額面通りに受け取ることはできなかった。
それでも、当の鏡の気持ちの切り替えは早かった。

「たぶん一日くらいで切り替わったと思います。理由? それまでもケガは多かったですからね。後悔しようと、悔やもうと、もう絶対戻ることはできない。だったらケガを素直に受け入れて、次のステップに進むしかないじゃないですか」

中学のときにも鏡は前十字じん帯損傷の大ケガを負い全治8カ月の診断を受け入院生活を余儀なくされている。鮮烈な記憶として残っているのは、2021年の全日本選抜にケガを隠して出場したときのことだ。決勝で松雪泰葉に1-3で敗れたあと、鏡は内情を知る知人から受けた一言に胸をつかまれた。

「これは偶然ではなく、必然だから」

パリ直前でケガを負ったときにも、まずこの言葉を思い出したという。

「私がパリで金メダルをとるということを前提に考えたら、このケガが何かを教えてくれたんだと捉えるようにしていました」

鏡にはパリでの金メダル獲得を目指し、レスリングの前田翔吾コーチを中心に、ウエート、心肺機能のトレーナーなど分野ごとにトレーナーが就いていた。中3から高3までJOCエリートアカデミーでレスリングを指導してくれた吉村祥子コーチも現地入りすることが決まっていた。さらにリハビリの専門家を加え、皆が連携して鏡をバックアップする布陣を組んだ。

「パリに間に合わせるために、みんなが一緒になってくれた。なので、すぐ私もやることが決まった感じでした。間に合わせる気だったので、最初からオリンピックに出ないという選択肢はなかったですね」

痛みという“もう一つの敵”との格闘

周囲の手厚いサポートも手伝い、鏡の右ヒザは順調に回復。オリンピック1カ月前にはスパーリングもできるまで回復した。

「7月の後半からは試合にはテーピングをしないで出たいからそれもとって練習しようかという話になりました。テーピングをしていたらそこの箇所を狙われる。自分としても、少しでも邪魔なものはなくしておきたかった」

その結果、パリのマットに立ったとき、鏡の右ヒザには痛みも怖さもなかった。しかし、なんということだろう。ここで勝利の女神は鏡に再び試練を与えた。

オリンピック初戦の試合中、エクアドルの選手からバッティング(頭突き)を受けてしまったのだ。不可抗力とはいえ、鏡は大きなダメージを負っているように見えた。試合中断。結局、その後試合は再開され、鏡は2-0で初陣を飾ったが、痛みが引くことはなかった。

「痛みで目を左右に動かせない。それに(衝撃を受けた)右目だけ涙が出てきました」

続く2回戦も突破すると、準決勝までインターバルが空いた。

選手村まではバスで片道40分もかかるので、とてもたどり着けそうになく、試合会場近くに宿をとっていた練習パートナーのところで体を休めた。

「痛すぎて、ずっと叫んでいました」

過去の経験から「折れているだろう」と予想した。

「折れていなければ、こんな痛みはないはずですからね」

右目の痛みは絶対に対戦相手や審判に、しいてはドクターにも絶対知られたくなかった。ストップがかかったら、パリに向けて頑張ってきた努力がすべて無駄になってしまう。

実は2024年2月、鏡は肋骨を骨折している。以前からケガは多かったが、それが人生初の骨折だった。「それまで人生で一度も骨折したことがないのに、1年のうちに2回も骨折するなんて……。骨は丈夫なはずなのに、まさかのアクシデントでしたね」

痛みという“もう一つの敵”と格闘しながら、鏡は前を向いていた。

「もし本当に折れていたら、自分が優勝したときにめっちゃいい逸話になる」

そう自分に言い聞かせ、気持ちを切り替えた。

「疲れすぎていて(微笑)。疲れが痛みに勝ちました」

勝ち上がるにつれ、対戦相手の鏡の得意技であるタックル対策は上がっていくように思えた。世界のベスト16が4年に一度の栄光を争うのだから、それも当然か。

それでも続く2回戦、準決勝も、鏡はワンチャンスをモノにする試合運びで勝利を得た。

トルコの選手との準決勝では途中までポイントをリードされていたが、インターバル中に鏡はセコンドの前田コーチにこんなことを呟いた

「大丈夫です。左右に振っていきます」

なぜ冷静でいられたのか?

「第1ピリオドで対戦相手のクセが見えたんですよ。第2ピリオドになったら、そのスキを狙おうと思いました。最近教えることが多くてわかってきたんですけど、私、結構相手の反応とか動きが読めているんです」

案の定、第2ピリオドになると、トルコの選手は鏡のフェイントに反応したので、鏡は重心のかかったもう一方の足にタックルを仕掛け逆転に成功した。

決勝は翌12日。鏡の試合はレスリング種目の最終試合にライナップされていた。アドレナリンが切れたのだろう。選手村に戻ると、右目の痛みはぶり返した。

「ずっと冷やしていました。(同じく最終日に組まれた決勝まで駒を進めた)清岡幸大郎も目を腫らしていたじゃないですか。ほかの選手は(自分の試合が終わっているので)遊びに行って帰ってこないし。幸大郎と2人で氷のうを患部に当てていましたね(笑)」

鏡を見ると想像していたより腫れていなかったので、試合をすることは大丈夫だと思った。それでも痛みが引くことはなかったが、眠ることはできたという。

なぜ眠ることができた?

「疲れすぎていて(微笑)。疲れが痛みに勝ちました」

史上初、最重量級でのオリンピック金メダル

もう一方のブロックから決勝まで勝ち上がってきたのは、ケネディアレクシス・ブレーデス。

1回戦でまるでプロレスのような豪快なジャーマン・スープレックスを決め、世界中で話題となったアメリカの選手だ。身長は180cmと、鏡より13 cmも高い。同じ階級とはいえ、組み技で闘う格闘技では身長やリーチの差は大きなアドバンテージになる。組み合わせが決まった時点で、「鏡が不利」という声も耳に届いた。

それでも、ブレーデスを攻略する自信があった。鏡の目にアメリカ期待のホープは典型的な外国人レスラーに映ったからだ。

「経験上、外国の選手は2ピリオド目からめっちゃ(体力や集中力が)落ちる。今まで闘った外国人で後半落ちなかった選手はほぼいないと言っていいくらい。だから(決勝も)落ちるタイミングを待っていました」

第1ピリオドが終わった時点で1-1とイーブンながら、ルール上あとからポイントをとったブレーデスがリードしていた。

予想通り、第2ピリオドになると、ブレーデスの重心は浮いてきた。だったら自分からじわじわと圧をかけ、相手が押し返してきた瞬間がチャンス。鏡はそのスキを狙っていた。

「だから決勝でも自分が焦っているシーンは一つもなかったと思います」

残り時間が1分半を過ぎ、鏡はチャンスをつかみ会心の両足タックルへ。この一撃で決勝点ともいえる2ポイントを奪った。しかし、その裏では第三者は知り得ない知られざる闘いが繰り広げられていた。

「私がタックルにいったとき、相手は片腕を差して投げを狙おうとしているので、私の体はねじれているんですよ」

それでも、返されなかった要因は?

「ケガをしているときに上半身を徹底的に鍛えていた賜物だったと思います」

日本レスリング史上初めてオリンピックで最重量級の金メダルを獲得したことは快挙以外のなにものでもないが、筆者は思う。数々の試練を乗り越えた鏡のガッツにこそ最大の価値があるのではないか、と。

勝利が確定した瞬間、鏡は「勝ったぁ」と放心状態になったような面持ちで叫んだ。

帰国後、レントゲン写真を撮ると、右目は眼窩底骨折していることが判明した。

<了>

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[PROFILE]
鏡優翔(かがみ・ゆうか)
2001年9月14日生まれ、山形県出身。女子レスリング選手。小学1年生のころからレスリングを始め、小学3年から6年にかけて全国大会4連覇。中学3年時に上京し、JOCエリートアカデミーへ入校。帝京高校に進学後、インターハイ3連覇。2020年に東洋大学へ進学し、全日本レスリング選手権大会で2連覇を達成。世界の舞台でも2022年の世界選手権で3位入賞を果たし、翌2023年に初優勝。迎えた2024年のパリ五輪では、日本初の快挙となる女子最重量級でオリンピック金メダルを獲得。

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