ラグビー界“大物二世”の胸中。日本での挑戦を選択したジャック・コーネルセンが背負う覚悟

Career
2025.10.24

スポーツ界における“二世”の物語は、時に大きな葛藤とプレッシャーを伴う。しかし、ラグビー日本代表ジャック・コーネルセンは違った。オーストラリア代表として25キャップを誇る父親の名を背負いながらも「その存在を重く感じたことはない」と語る。週末に母国代表との直接対決を控え、そして2027年の母国開催のワールドカップを見据え、31歳の“ジャパン”戦士が胸に秘める想いを追った。

(文=向風見也、写真=アフロ)

父が活躍した母国代表と対戦する“大物二世”の胸中

大物の二世の心境やいかに。芸能やスポーツの世界で注目されがちなトピックである。その道のトップである父と同じ職業を選んだことでジレンマ、嫌悪感が生じたと明かす当事者の声は少なくない。

だが、この人は違った。

「いつも応援してくれました。その存在を重く感じたこともありません」

ラグビー日本代表のジャック・コーネルセン。父のグレッグ・コーネルセンは、母国のオーストラリア代表で活躍した名手であった。

異国でプロとなった息子は、「人生に影響を与えた人は」と問われて父の話をした。

「ラグビーのことについて、ずっと助けてくれた。日本に来る決断もサポートしてくれた。記憶力が悪いので、何と言われたかは忘れてしまいましたが」

10月25日には東京・国立競技場で、ゆかりのあるオーストラリア代表と自身通算2度目の直接対決を控える。

親へ敬意を抱きながら、過剰には意識しないと述べる。

私はジャパンでプレーするのが大好き。それは、(次の対戦国に)父親がいたからといって変わることはありません」

現在31歳。11歳でラグビーと出会い、自国のクイーンズランド大学では経営を学んでいた。もしラグビー界へ進まなければ「それ(専門)に沿った仕事をやっていたかもしれない」とのことだ。

それでも「いまは好きな職業に就いている。幸せなことです」。2017年までに日本のパナソニックワイルドナイツ(現 埼玉パナソニックワイルドナイツ)のテストを受けてから、自己改革の連続で代表にまで上り詰めた。

「大丈夫だ。こいつの父親が誰だと思っている」

「大丈夫ですか?」

当時のワイルドナイツでヘッドコーチをしていた相馬朋和(現 帝京大学監督)は、指揮を執っていたロビー・ディーンズ監督(現 ワイルドナイツ・エグゼクティブアドバイザー)にこう囁いた。

その頃あった群馬県内の拠点へ最初にやってきたジャックは、強豪国を追う立場の日本で戦うにしてもあまりに細身だったからだ。

実戦練習に混ぜても、走ってくる相手を止めに行くことすらなかった。部下の心配をよそに、指揮官は「大丈夫だ。こいつの父親が誰だと思っている」と譲らない。まもなく相馬は、自らの見立てを改めることとなる。

「次に来た(時間を置いて来日した)時には、よりコンタクトに行くようになって。体も大きくなっていた。短期間で変化を見せてくれたんです」

ワイルドナイツのメンバーになるには筋力アップと守りへの積極性が不可欠だ。先方からそう告げられたジャックは、一時帰国の間にモデルチェンジを図った。

ラグビーで生活をするためのチャンスをつかむべく、必死だったのだろう。事実確認を求められた当事者は、微笑むのみだ。

「正直、その頃の詳しい会話は覚えていないな」

リーグワン全試合フル出場。日本代表でも存在感

確かなのは、2017年に練習生として入団し、2020年までには正規選手どころか頼れる主軸となったことだ。

もともと課題だったタックルは得意になり、空中戦のラインアウトでも読みの鋭さを発揮した。頑丈で、聡明で、時にはゲーム主将を任された。

直近の国内リーグワンでは、レギュラーシーズンおよびプレーオフの全20試合でフル出場。若手主体で臨みがちな3位決定戦にも出た。

主戦場は、グレッグと同じ位置で運動量の請われるフランカー、ナンバーエイトだ。負荷のかかるロックも補う。ずっとフィールドに立っていられる秘訣を、飄々(ひょうひょう)と説く。

「休める時にはしっかり休んでいます。トレーニングの負荷もコントロールしてもらっているので」

日本代表となったのは2021年だ。時のヘッドコーチであるジェイミー・ジョセフに認められた。2023年にはフランスでワールドカップを経験した。

昨年発足のエディー・ジョーンズヘッドコーチ体制へは、今夏より加わった。初年度は家庭の事情で辞退も、満を持して戦列へ戻れば対ウェールズ代表2連戦で動き回った。

仲間の蹴った球を追い、ラインアウトでも「とにかく飛ぶ。フッカー(投入役)にプレッシャーをかける」と果敢に競り、地上戦で体を張った。初戦では約6年ぶりとなるハイパフォーマンスユニオン勢からの白星を得た。

謙虚でタフ。仲間が讃える信頼できる男

37歳にしてなお日本ラグビー界を牽引し続けるリーチ マイケルは、お互い似た役割のコーネルセンの奮闘に刺激を受けた。その様子を伝え聞いた本人は、ただ謙遜する。

「逆です! リーチのほうがワークレートは高い」

たくさん体をぶつける。たくさんフィールドに立つ。その様子を踏まえた、「なぜ、あなたはそんなにタフなのか」という質問には……。

「皆、タフですよ」

その「タフ」な群れにあっても一際「タフ」だと他者に評価されることにも、大喜びすることはない。

「それは、(褒めてくれる)皆が優しいだけです」

195センチ、110キロの体躯と下働きでつかんだ信頼

ラグビー日本代表がこれまでのワールドカップで日本中を沸かせ、世界を驚かす輝きを放ったことはこれまでに2度ある。

2015年のイングランド大会では、それまでに2度優勝の南アフリカ代表を下すなど3勝を挙げた。2019年の日本大会では、初の8強入りで国民の期待に応えた。

15年は五郎丸歩さんがゴールキックで、19年には福岡堅樹さんがスピードを活かしたトライで脚光を浴びてきたのと同時に、海外出身のバイプレーヤーが衝突合戦で渋く光ってきた。

一定の居住年数を満たせばルーツを持たぬ国で代表を目指せるのが、ラグビーのルールなのだ。

19年までにロックとして4大会登場のルーク トンプソンは、関西風のイントネーションで「私は努力の選手ね」。顔をゆがめ、鈍い音を鳴らし、ノーサイドの笛が鳴ったらその場で崩れ落ちた。

トンプソンにとってジャパンで最後のバディといえるジェームス・ムーアは、分厚いヘッドキャップをかぶって2メートル超級の巨漢にも果敢に突き刺さった。歴史的勝利のアイルランド代表戦では両軍最多のタックル数をマークした。

コーネルセンは歴代のレジェンドたちとそう変わらない身長195センチ、体重110キロのサイズで、何より歴代のレジェンドたちと同じように下働きで信頼をつかむ。

今回のキャンペーンに向け宮崎で合宿中の10月13日、誕生日を祝ってもらった。自分と同じくワイルドナイツでの練習生契約を経て代表入りのベン・ガンターから、身内で流行る「お肉で作ったケーキ」を贈られた。

新しい歳の抱負は?

「難しいな」と言いつつも、簡潔に抱負をこう紡いだ。

「改善、進歩していけば、ベストチームにも勝てるようになる。そうしたい」

次回、2027年のワールドカップは、彼の母国オーストラリアで開催される。

<了>

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