マラソンサークル出身ランナーの快挙。小林香菜が掴んだ「世界陸上7位」と“走る楽しさ”
9月に行われた世界陸上で、蒸し暑い過酷な条件の中、マラソンでは日本人女子として3大会ぶりの入賞となる7位の成績を残した小林香菜。早稲田大学では体育会ではなくマラソンサークルで走り、総務省志望から一転して実業団へ。異色の経歴を歩み、実業団入りからわずか1年半で世界陸上の大舞台に立った背景には、独自の成長曲線と、走ることへの純粋な喜びがあった。孤独な合宿、過酷な練習、そしてレース当日の心境まで。小林自身の言葉からその軌跡をひも解く。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=森田直樹/アフロスポーツ)
世界陸上7位入賞の実感と舞台裏
――9月の世界陸上では、2時間28分50秒の記録で、日本勢として2019年ドーハ大会以来3大会ぶりの7位入賞を果たされました。改めて大会の感想を聞かせてください。
小林:代表に選んでいただいた時から、強い先輩方がたくさんいらっしゃる中で、「まさか自分が」という思いで、世界陸上の舞台に立てる実感がずっと湧きませんでした。レース練習や合宿を2カ月ほど行ったのですが、ずっと1人で取り組むような感覚でした。もちろん監督、コーチ、トレーナーさんにサポートしていただきながらではありましたが、それまで市民ランナーとしてやってきた自分にとって、指導者がついてくれること自体にまだ慣れていない中で、チーム合宿ではなく個人合宿という環境だったので、孤独を感じる場面も多かったです。
――レース後の「練習を信じて走った」という言葉が印象的でした。蒸し暑い条件下でも粘り切れた要因は何だったのでしょうか。
小林:市民ランナー時代から長く走ることが好きだったので、他の選手に比べてジョギングも自然と長くこなしていて、もともと距離を長く走ることに対する不安はありませんでした。実業団に入ってからは距離走の練習が加わり、さらに距離に対する強さが増して、レースでの粘り強さも身についたと思います。実業団で本格的に練習を始めてまだ1年半なので、どういう練習が結果につながるのか、まだ手探りの部分もありますが、距離への強さが自分のベースにあると感じています。
責任とプレッシャーの中でつかんだ「楽しむ感覚」
――初の世界大会の舞台は楽しめましたか?
小林:正直、練習期間中はあまり楽しめませんでした。環境面で孤独を感じることも多かったですし、代表という立場を意識すればするほど責任感やプレッシャーを感じてしまいました。でも、レース本番では本当に楽しく走ることができました。
――今年1月の大阪国際女子マラソンでは、2時間21分19秒で日本人トップの成績を収め、実業団1年目での快挙により一躍注目を集めました。周囲の期待値が上がったことで、心理的な変化もあったのではないですか?
小林:そうですね。1回のレースで注目度が一気に上がって、「世界陸上の本番で失敗してしまったらどうしよう」という不安はありました。「プレッシャーをどう乗り越えましたか?」と聞かれることも多いのですが、乗り越えた感覚はなくて、大会前も、本番でもずっと感じながら走っていました。合宿中も、1回の練習がうまくいかないだけで気にしてしまうことがありましたが、当日はいい意味で会場の雰囲気に呑まれて、自然と楽しめたと思います。
基礎を積み重ねることが自信に。1日の練習量は30キロ
――実業団入りからわずか1年半で世界の舞台に立ちました。短期間で結果を出せた理由、ご自身の強みはどんな点にあると感じていますか?
小林:強度の高い練習はあまり好きではないのですが、ジョグや動的ストレッチのような、動きを作るための基礎的な反復練習は好きで、苦もなくずっと続けられます。一番大事なのは基礎だと思うので、そこを誰よりも大事にしたいと思っていますし、その積み重ねが自分の強みかもしれません。
――今は毎日どのぐらいの距離を走っているのですか?
小林:だいたい30キロは走っています。マラソンの大会が近いと、さらに距離が増えます。
――かなりの距離ですね!
小林:自分ではそういう意識はなかったのですが、周りに聞くと多いようです(笑)。
――チームの練習もハードだと思いますが、毎日それだけの距離を走り続けられる原動力は何ですか?
小林:いつも「楽しい」と感じながら走っているわけではないですが、川沿いのように人や車が少ない場所をのんびり走るのは好きです。そういうジョグの時間は、部屋でぼんやりする時よりも無心になれて、気持ちがリセットされるんです。
世界陸上から1カ月。プリンセス駅伝で示した安定感
――10月19日のプリンセス駅伝ではチームの5区(10.4キロメートル)を担当し、6人を抜いて14位でアンカーに託しました。チームは10位で、16位以内に与えられるクイーンズ駅伝出場権を獲得しましたが、世界陸上から短期間でのレースにどう臨んだのですか?
小林:プリンセス駅伝までのスパンが短すぎて、練習も立ち上げの途中という状態でした。調子を聞かれても、練習を再開したばかりだったので自分でもわからないくらいでしたが、だからこそむしろ「できなくてもしょうがない」と割り切って臨むことができました。普段から、あまり高すぎる目標は立てない方がいい意味でリラックスして臨めますし、今回は「チームとしてクイーンズ駅伝に進めれば」という気持ちで走りました。5区は単独走の区間なので、自分の強みを出せると考えていました。
――結果は区間2位のタイムでした。手応えはいかがでしたか?
小林:こんな短いスパンでレースを迎えるのは初めてでしたが、意外と走れるものだなと感じました。走っていていつもよりも体が重い感覚はありましたが、経験としてプラスになりましたし、世界陸上から1カ月でも、10キロの距離なら対応できるという自信にもつながりました。とはいえ、やっぱり区間賞は取りたかったです。昨年までは「単独走が得意」と自分で口にできるほどの自信はなかったのですが、世界陸上を経て、その強みを実感できました。駅伝では流れがあるので難しい部分もありますが、後方からでも流れを変えられるような走りを目指して、1年後はさらに上を目指したいと思います。
――世界陸上からの流れの中で、小林選手ご自身への応援の声も増えたのではないですか?
小林:そうですね。「大塚製薬がんばれ!」という声に加えて、「小林さん」や「香菜ちゃん」と呼んでもらえることが増えました。個人として応援してもらえている実感があってうれしかったです。世界陸上の後には、「ありがとう」と声をかけてくださる方がいて、思わず振り返ってしまいました。自分の方こそ応援してもらった感謝を伝えたいのに、そう言ってもらえるのは本当にうれしかったです。
【連載中編】官僚志望から実業団ランナーへ。世界陸上7位・小林香菜が「走る道」を選んだ理由
【連載後編】異色のランナー小林香菜が直談判で掴んだ未来。実業団で進化遂げ、目指すロス五輪の舞台
<了>
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[PROFILE]
小林香菜(こばやし・かな)
2001年4月4日生まれ、群馬県出身。陸上長距離選手。大塚製薬陸上競技部所属。中学時代は水泳部から陸上部に転部し、3年時に女子3000メートルでジュニア五輪出場。早稲田大学本庄高等学院を経て、早稲田大学法学部に進学。大学では体育会陸上部ではなく、ランニングサークル「早稲田ホノルルマラソン完走会」と登山サークル「山小屋研究会」に所属し、日常的に走ることを楽しみながら競技力を磨いた。マラソン初挑戦となった2021年の富士山マラソンで3時間29分12秒。そこから着実に成長を重ね、2025年1月の大阪国際女子マラソンで自己ベストの2時間21分19秒を記録して日本人トップの2位となった。9月の世界陸上東京大会では女子マラソンで2時間28分50秒をマークし7位入賞。日本勢としては2019年ドーハ大会以来3大会ぶりの入賞を果たした。10月19日のプリンセス駅伝ではチームの5区(10.4キロメートル)を担当し、区間2位の34分28秒を記録。6人抜きでチームのクイーンズ駅伝出場権獲得に大きく貢献した。11月23日に開催される女子駅伝日本一決定戦「クイーンズ駅伝」に出場予定。
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