柔道14年のキャリアを経てラグビーへ。競技横断アスリート・吉田菜美が拓いた新しい道
14年間続けた柔道から女子ラグビーへ――。まったくの未経験からわずか3年で日本代表「サクラフィフティーン」に名を連ねた吉田菜美。その背景には、勝ち負けの世界に身を置き続けてきたアスリートとしての葛藤と、競技への情熱を失いかけたコロナ禍での停滞、そして偶然の出会いから新しい競技へ踏み出した決断があった。柔道のピークと限界、進路の迷い、家族への引退報告。そこから第二の競技人生へと舵を切った吉田に競技転向のきっかけについて話を聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=YOKOHAMA TKM)
兄の背中を追った柔道。“負けず嫌い”が原動力に
――小さい頃はどんなふうにスポーツに親しんで、柔道を始めたのですか?
吉田:兄が柔道をやっていた影響で、家で柔道の番組を見ることが多かったんです。小学校2年生の時に「私もやってみたい」と思って柔道場に連れて行ってもらったのがきっかけでした。そこから自然とのめり込んでいったみたいです。
――小学2年生から高校・大学まで14年間続けられた原動力はどこにあったのですか?
吉田:スポーツをやる以上、結果を求めたいという思いが小さい頃からありました。負けず嫌いな性格も大きかったと思います。柔道は個人競技なので、1対1で負けたら悔しいし、「自分がもっと強くなれば勝てるかもしれない」という気持ちがずっとあって、常に勝利を目指す思いが強かったですね。
――高校時代には全国高校柔道大会(インターハイ)78kg級でベスト4。大学でも上位大会に出場しています。特に記憶に残っている試合は?
吉田:高校時代のインターハイのベスト4が一番の成績でした。トーナメント発表の時点で、「準々決勝は勝ててもベスト8までだろう」と言われていて。準々決勝の相手が、同い年で、練習試合や公式戦で何度も対戦して1回も勝ったことがない選手だったんです。でも、その試合で、私が強みにしていた寝技がうまくはまって勝つことができたのは今でも覚えています。
――寝技はもともと得意だったのですか?
吉田: 通っていた八千代高校が寝技に力を入れていて、私の代は県内でも常にトップ争いをしていました。高校は県外に出る選択肢はなく、自宅から通える中で一番強いチームでやりたいと思って八千代高校を選びました。最初は寝技が得意ではなかったのですが、高校で集中的に取り組んだことで自然と強みになっていきました。
大学3年、突然の停滞。「試合がない」1年間で見えた限界
――大学では進路を考える時期に、柔道を続ける道についてどんなイメージを持っていたのですか。
吉田: 続けるからにはオリンピックのような大きな舞台を目指したいという目標はありました。ただ、大学3年は進路を決める大事な年で、そこで良い結果を出せれば実業団チームから声がかかる、という“暗黙の了解”のようなものがあって。私自身も「この企業に声をかけてもらえたら行きたい」という話を家族としていました。
――順調に柔道のキャリアを積まれてきた中で、競技を続けるかどうか考えるきっかけになった出来事はあったのでしょうか。
吉田:ちょうどそのタイミングで世の中がコロナ禍になってしまい、1年間ほとんど試合がない状態が続きました。試合がないとモチベーションが保てなくて、「何のために練習しているんだろう」と思うようになってしまったんです。4年生になる頃には、このまま柔道を続けるのはどうなんだろうと迷い始めました。
――「進路をアピールする場」も失われたわけですよね。
吉田:そうですね。私は「学生最後の個人戦で勝てたら柔道を続けよう」と思っていました。でも、その大会はケガもあって結果が出ませんでした。最終的には本命の実業団の監督から声をかけていただき、結果が伴わなくても「来てほしい」と言っていただけたのですが、私自身が柔道を続けるモチベーションを保てず……。続けてもオリンピックに届くイメージも描けなかったので、限界を感じてしまいました。
ラグビーとの偶然の出会い。「一度見に来ませんか?」の誘い
――そんなタイミングで、ラグビーと出会ったのですね。
吉田:大学の先輩で、バスケットボールからラグビーに転向した選手がいて、現在のチーム(YOKOHAMA TKM)に所属しているんです。私の同期にもバスケからラグビーに転向する選手がいて、その選手を見にくるついでに、TKMのスタッフの方が柔道場にも来てくださったことがありました。その時に初めてラグビーという競技に興味を持ちました。
――最初にラグビーを見た時の印象は?
吉田:正直、ルールをまったく知らなかったので「何が起きているのかわからない」という感じでした。ただ、競技人口が柔道よりも少ない分、代表を目指すチャンスがあるかもしれないと思えたんです。もちろん、ゼロから挑戦するリスクもありましたが、柔道を続けるか迷っていた時期だったので、「一度練習を見に来ませんか?」と言われて練習に行ったのが最初のきっかけでした。
――14年間続けてきた柔道をやめると決めた時、ご家族にはどう伝えたのですか。
吉田:学生最後の大会を母が見に来てくれていて、試合が終わった直後に「今日負けたから、もうやめるね」と伝えました。母は驚いて、「本当にやめるの?」と泣いていました。
柔道を離れ、ラグビーへ。“一人で背負わない”競技の魅力
――ラグビーに転向して4年目ですが、改めて当時を振り返って、競技を転向した決断についてどう感じますか。
吉田:個人競技のしんどさを感じていた時期だったので、転向して良かったと思います。チームで戦うラグビーの楽しさを今は強く感じています。
――未経験から代表に入るまでの3年間は覚えることも多かったと思います。特に大変だったことは?
吉田:まずはルールを覚えることでした。本当にゼロからだったので、合流してすぐの合宿では何もわからず……。夜になると先輩や同期が集まってくれて、プレーやペナルティの種類を教えてくれました。チームメートは遅くても大学から始めて4年以上やってきた選手ばかりで、基本的に皆経験者です。そんな中で、寮でも最初の3カ月は毎日のように先輩や同期に付き合ってもらい、勉強していました。
――柔道の“礼”の文化と、ラグビーの“リスペクト”精神など、プレー以外で共通点や違いを感じる部分はありますか?
吉田:柔道にも礼の文化はありますが、1対1なので力の差がはっきり結果に出ます。ラグビーは一人では勝てませんし、試合後に両チームが笑顔で挨拶する文化があるのも大きな違いです。団体競技ならではのリスペクトだと思います。
――試合前のプレッシャーの感じ方は、柔道と比べて変わりましたか?
吉田:すごく変わりました。柔道は1対1の勝ち負けが明確なので、試合前はいつも「やりたくない」と思うほど緊張していました。勝てればうれしいのですが、私の場合はプレッシャーが強すぎて「苦しい」気持ちの方が勝つこともあったんです。
ラグビーも最初は緊張しますが、一つ失敗しても「みんなで取り返せる」と思えるし、得意・不得意を補い合えるので、自分が得意なタックルでみんなを助けよう、という気持ちで、試合前の緊張も楽しめるようになりました。
――お話を聞いていると、個人競技よりも団体競技の方が向いているように感じます。
吉田:両方を経験してみて、本当にそうだと思います(笑)。
――柔道からラグビーに転向してから、ケガの面で気をつけていることはありますか。
吉田:柔道の頃からケガは多かったので、今も痛い部分はあります。その分、練習や試合後のケアや、弱いところを支える筋力づくりは日々意識しながら続けています。
<了>

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[PROFILE]
吉田菜美(よしだ・なみ)
1999年4月13日生まれ、千葉県出身。女子ラグビー選手。YOKOHAMA TKM所属。ポジションはプロップ(PR)。小学2年生から大学まで14年間柔道に取り組み、八千代高校では78kg級で全国高校柔道大会ベスト4に進出。寝技を武器とし、山梨学院大学でも全日本学生大会や関東選手権に出場するなど活躍した。大学卒業後の2022年、ラグビー未経験ながらYOKOHAMA TKMに加入。柔道で培った重心の低さや一瞬の間合い、接近戦での強さを生かし、フォワードのプロップとして急成長。地道な努力でスキルを磨き、2025年のアジア女子選手権で女子日本代表「サクラフィフティーン」に初選出。同年5月のカザフスタン戦で初キャップを獲得した。医療法人横浜未来ヘルスケアシステムの介護施設に勤務しながら競技を続けており、2029年のラグビーワールドカップでの代表入りを目指している。
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