
ザギトワが大人になる過程を見せ続けてほしい。短命すぎる女子フィギュアの残酷な現実
アリーナ・ザギトワは、わずか15歳にして平昌五輪の金メダリストに輝いた。あの栄冠からわずか2年、その進退に注目が集まっている。12月に開催されたISUグランプリファイナルではシニア1年目の“ロシア3人娘”が表彰台を独占し、ザギトワは最下位に終わった。女子フィギュア界は若い選手の台頭、世代交代の速度をさらに加速させており、彼女が苦悩の中にいるのは確かだろう。だが、それでも願う。あなたのスケートを見続けていたいと――。
(文=沢田聡子、写真=Getty Images)
平昌五輪・金メダリストのプライドと意志の強さ
2019年世界選手権、女子シングル・フリー。『カルメン』を大きなミスなく滑り終えた2018年平昌五輪女王アリーナ・ザギトワは、最後のポーズを崩すと顔を覆った。さいたまスーパーアリーナの高い天井を見上げたその目には、涙が光っていたようだった。
15歳でオリンピックの金メダリストとなって迎えた翌シーズン、ザギトワは苦しい戦いを強いられていた。ディフェンディングチャンピオンとして臨んだグランプリファイナルではシニア1年目の紀平梨花にタイトルを奪われ2位、ロシア選手権では共にエテリ・トゥトベリーゼ コーチの下で練習するジュニア世代の後輩3人に後れを取り、5位に終わっている。それでもシーズン最後の一番大事な大舞台で、ショート・フリーとも1位の完全優勝を成し遂げた姿には、五輪金メダリストのプライドが感じられた。
2014年ソチ五輪で女子シングルを制したのはロシアの17歳、アデリナ・ソトニコワだったが、その後現役選手としてはほとんど活動しないまま今に至っている。2010年バンクーバー五輪で19歳の金メダリストとなった韓国のキム・ヨナも、その後2012年7月に現役復帰を発表するまで選手としては休養していた。特に、成長に伴う体型の変化によってジャンプに影響が出ることが多い女子シングルにおいては、五輪女王となった後も戦い続けるモチベーションを保つのが難しいことは容易に想像できる。
2019年世界選手権のメダリスト会見で「今日はとても幸せです」と話したザギトワは、「既にオリンピックチャンピオンであり、そして若干16歳で世界チャンピオンになって、将来何を目標にしていこうと思いますか?」と問われ、次のように答えている。
「私は将来の予定はあまり立てないんですね。1分後、そして明日起こり得ることは分からない。私は今日、この日を生きている人間です。ただ、戦い続けることは間違いないです」
また「苦労した今季『ザギトワの時代は終わりだ』という声が聞こえてくる中で、そのノイズをどうやって遮断したのか、どう対処したか?」という質問にも淡々と応じた。
「私は、勝利も失敗も割とすぐ忘れる人間なので、ただ今シーズンの目標を立てて、その目標に向かって進んでいっただけです」
将来ではなく現在に集中し、ひたすら前進してきたと話したザギトワだが、実は昨季思うような演技ができない中で、一時は世界選手権に出場したくないという意向を示したとも伝えられている。五輪という最高の舞台で頂点に立った翌シーズン、不調を乗り越えて世界選手権で優勝したザギトワの意志の強さと努力は大いにたたえられるべきだろう。
「みんなが幸せになるような演技をしたい」
世界女王となって迎えた今季、本格的なシーズン開幕前の10月初旬に行われたジャパンオープンの記者会見で、ザギトワは「女子は背が伸びていく時に、ジャンプが難しくなる時期がある。それをどうやって乗り越え、今の好調な状態に持ってきたのか?」という質問を受け、率直な答えを返している。
「ご存じだと思いますが、前のシーズンに比べて身長が結構伸びました。もちろんそのせいで技術的な面で多少問題が出てくるようになりました。体の感覚が分からなかったり、自分の手や足がどこなのか分からなくなってしまったりして……。今シーズンはそれを直すため、コーチの皆さまと努力して自分の技術をいろいろと修正していただきながら集中して練習しています」
またジャパンオープンでは、トゥトベリーゼ コーチの門下生でザギトワの後輩にあたるアレクサンドラ・トゥルソワが4回転を4本着氷させ、見る者に衝撃を与えている。記者会見ではザギトワに対し「今シーズンはどういう演技を見せたいか。また隣に4回転をたくさん跳ぶ選手がいるが、そのトゥルソワたちとは違ったかたちで、どんなところを見せたいと思っているか?」という質問がされた。ザギトワは「今シーズンはまずクリーンな滑りを見せていきたい」と答え、言葉を継いだ。
「もちろん難易度の高いジャンプ、あるいはスピンを加えることによって、よりよい演技を見せていきたいと思います。4回転のジャンプに関してはもちろんモチベーションになりますが、私は単純にスケートをこれからも楽しんでいきたい」
グランプリシリーズが始まると、ルッツを含む数種類の4回転を跳ぶトゥルソワに加え、4回転ルッツを持つアンナ・シェルバコワ、トリプルアクセルと完成度の高い演技が武器のアリョーナ・コストルナヤら、ザギトワと同門の後輩3人が次々と優勝。結局シリーズ6戦すべてで、表彰台の一番高いところにはエテリチームが擁するシニア1年目の“3人娘”の誰かが立つ、という状況になった。
一方、ザギトワはフランス杯でコストルナヤに次ぐ2位に入っている。そしてコストルナヤがグランプリ2度目の優勝を果たしたシリーズ最終戦・NHK杯では、4位と出遅れたショートからフリーで見事に巻き返し、総合3位になった。
「もちろんショートプログラムの後、私はとても落ち込みました。けれどもコーチの皆さんが私にとても温かい言葉をかけてくれたので、気持ちを落ち着けて今日(のフリーに)取り組むことができました。そして一つのエレメントからもう一つのエレメントへと、落ち着いて滑ることができたと思います」
「(NHK杯の成績により出場を決めたグランプリファイナルでの)私の目標は美しく綺麗に滑ること、最大限のものを出すこと、そして観客を喜ばせること。もちろん、観客の皆さんは誰も私たちが苦しむ様子を見たいとは思いません。なので、みんなが幸せになるような演技をしたいと思っています」(NHK杯メダリスト記者会見でのザギトワの発言)
自らの武器を磨き続け、さらなる円熟味を増す演技
グランプリファイナルのショート、2位発進となったザギトワの演技は“観客を喜ばせる”ものだった。恋に破れた女性を演じて余韻を残すプログラムには、加点がつく後半にジャンプを固めて跳んでいた平昌五輪当時にはなかった深い味わいがあった。しかし、エジプトの女王・クレオパトラをテーマにしたフリーでは、残念ながら観客が見たくなかったザギトワの苦しむ姿が出現してしまう。ダブルアクセルの転倒以外にも、代名詞ともいえる3回転ルッツ―3回転ループを含む複数のジャンプについた回転不足など、ジャンプでのほころびが目立つ演技となってしまった。ザギトワの総合6位、つまり最下位という成績は、ジャンプに関しては体が成長し切っていない若い選手が有利になりがちな女子シングルの残酷さを突きつけるものだった。
グランプリファイナルを終え、母国ロシアの国営テレビで選手としての活動休止について言及したザギトワだが、自身のインスタグラムでは活動休止・引退を否定。その後、モスクワで行われるアイスショー『眠れる森の美女』についての会見でのコメントでは、活動休止については触れないと話した上で、トレーニングを続けていることを明かしている。
ザギトワは、平昌で五輪女王という最高の栄誉を得た後も弛まず進み続け、今に至るまで真摯にスケートと向き合ってきた。4回転やトリプルアクセルを跳ぶ若手と一緒に日々練習しているザギトワには、今季向き合う困難が誰よりもはっきりと見えていたに違いない。それでも、誇りを持って自らの武器である3回転ルッツ―3回転ループを跳び続けるザギトワの演技には、人生経験を積んだことによる深みが出てきている。円熟味を増すザギトワを、まだ競技会で見たい、応援したいという人はロシアや日本のみならず、きっと世界中にいるはずだ。
五輪女王として臨んだ昨季の苦しさに耐え、世界選手権を制したことだけでもザギトワは偉大だといえる。トリプルアクセルや4回転が必須となりつつある今の女子シングルだが、そんな中でも彼女には少女から大人になっていく過程をスケートで見せ続けてほしいと願うのは、ザギトワにとって酷な要求なのだろうか。
<了>
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