パラリンピック開催は“目的”でなく“手段”。超高齢社会の課題に直面する日本はどう変わるべき?

Education
2020.03.14

いよいよ2020年を迎え、東京パラリンピックの開幕が近づいてきた。アスリートたちがこの自国開催の祭典に向けて日々、自らの限界と戦っている中、別の戦いに挑んでいる男がいる。

パラリンピックで日本を変える――。

この言葉をスローガンに設立された日本財団パラリンピックサポートセンターでパラスポーツを通じたダイバーシティ&インクルージョン教育を推進している小澤直氏が目指しているもの。それは、自らが従事するパラリンピックサポートセンターが必要なくなるような世の中になることだという。その真意とは――?

(インタビュー・構成=浜田加奈子[REAL SPORTS編集部]、インタビュー撮影=REAL SPORTS編集部、写真提供=日本財団パラリンピックサポートセンター)

パラリンピック教育は目的ではなく手段

2015年5月、日本財団の支援により設立された日本財団パラリンピックサポートセンター(以下、パラサポ)では現在、ダイバーシティ&インクルージョン(※)社会を目指し、さまざまなプログラムを展開している。パラスポーツの体験やパラアスリートの講話などによって構成される出前授業/企業研修/運動会の「あすチャレ!」シリーズや、学校の先生自らパラリンピック教育ができる教材「I’mPOSSIBLE」の配布など、その活動は多岐にわたる。

東京パラリンピックを目前に控えた今、その注目度はますます高まっており、全国各地の学校や企業から数多くの問い合わせが寄せられているという。これを東京パラリンピックまでの一過性のブームで終わらせないためには、何が必要になるのか? また、東京パラリンピックを機に、日本社会はどう変わっていくべきなのか? パラサポ常務理事、小澤直氏に話を聞いた。
(※性別、年齢、障がい、国籍などの外面の属性や、ライフスタイル、職歴、価値観などの内面の属性にかかわらず、それぞれの個を尊重し、認め合い、良いところを生かすこと)東京パラリンピックの開催が決まってから、日本でも少しずつダイバーシティ&インクルージョンへの注目が高まってきています。しかし大事なことは、これを一過性のブームで終わらせずに、東京パラリンピックが終わってからも継続して日本社会全体がダイバーシティ&インクルージョンに取り組んでいくことだと思います。そのために必要なことは何だと考えていますか?小澤:以前、体育の先生が集まる学会に出席した時、そこでのテーマの一つが、オリンピック・パラリンピック教育についてでした。特にパラリンピック教育については、何をどのように教えればよいのか悩まれている先生や、多忙の中で新たにパラリンピック教育を取り入れる難しさに困惑されている先生も少なくありませんでした。

しかし、2020年度以降の学習指導要領の改訂で「パラリンピック」、「共生社会の実現」が盛り込まれてきますし、子どもの頃にダイバーシティ&インクルージョンの感覚を身につけておくことは、非常に大切だと思いますので、ぜひ前向きに取り組んでいただければと思います。

パラリンピック教育という名前だと4年に1度のイベント事のイメージに感じますが、パラスポーツ教育ではなく、パラリンピック教育となっているのはどのような意図があるのでしょうか?小澤:実は、パラリンピック教育と言っているのは「I’mPOSSIBLE」だけで、それ以外のプログラムについては、パラスポーツを通じたプログラムとなっています。と言いますのも、「パラリンピック」という言葉は自由に使えるわけではなく「I’mPOSSIBLE」は国際パラリンピック委員会(IPC)公認の教材なので、パラリンピック教育と言うことができます。確かに、2020年に東京パラリンピックがあるので、パラリンピック絡みのプログラムを学校や企業が取り入れやすいというのはあるかもしれませんが、一方で“パラリンピック教育”と銘打つことで、パラリンピック競技の中には入っていないパラスポーツ、障がいをどう考えるのかという意見が出ることもあります。例えば、聴覚障がいや精神障がいはパラリンピック競技に入っていません。しかし大切なのは、パラリンピック自体を学ぶことではなく、障がい種別ごとの対応を学ぶことでもありません。あくまでもパラリンピックやパラスポーツを通じて共生社会やダイバーシティ&インクルージョンについて考えることです。パラリンピックはそのムーブメントを起こす上での最大の契機という捉え方です。社会を変えるところに当たっては、あくまでもパラスポーツは“目的”ではなく、“手段”でしかありません。

現代社会は障がい者と健常者が接する機会が少ない

先ほどの話にもあったように、“目的”を理解しないと“手段”としてやっていることの本質も見えなくなってしまいます。そういった意味では、そもそもなぜ、ダイバーシティ&インクルージョン社会を推進することが重要なのかを理解することが大事だと思います。小澤:社会は健常者だけで成り立っている社会ではないですし、障がい者や外国人もいて、子どもから高齢者までいろいろな人がいて、文化だったりジェンダーだったりが集積しているのが社会です。だから、多様な個性を尊重し、あらゆる人たちが活躍できる、前向きに過ごせる社会をつくっていくために、みんなで考え取り組んでいくことが重要です。その際に特に重要なのは、必ず当事者、つまり障がい者の方だったり外国人の方と一緒に考えることです。なぜなら、答えは当事者が持っているからです。これを自分目線だったりマジョリティの視点だけで進めようとすると、わかったつもりで誤った対応をしてしまうことがよくありますので注意が必要です。実際、パラサポで何かに取り組む際は、必ず障がい者の方をプロジェクトメンバーに入れるようにしていますし、そこから気付かされることは多々あります。ダイバーシティ&インクルージョンの社会になっても「別に自分には何もメリットがない」という意見も必ず出てくると思います。小澤:本来、ダイバーシティ&インクルージョンの社会を目指すにあたってメリット、デメリットで考えるべきはなく、お互いの人権や尊厳を大切にするという基本原理であることを認識する必要があると思います。合理性だったりメリット、デメリットの考え方が著しく偏重してしまうと、本来の目的を見失ってしまうことがあります。なぜダイバーシティ&インクルージョンの社会を実現する必要があるのかということをしっかり理解する必要があり、あくまでもメリット、デメリットはそれを実現するための手段でしかないことを認識しなくてはいけません。
障がいに限らず、例えばベビーカーを使い始めたことでそれまで気が付かなかった、駅や施設の導線の不便さに気付くようになることもあります。これは自分事なのか他人事なのかによって生まれてくる差なのかなと感じます。人はいつでもいわゆるマイノリティ側になる可能性があると思います。小澤:そうなった時に初めてわかりますよね。パラリンピックの世界に入ると健常者がマイノリティになる逆転現象が起きます。そうなった時の感じ方は全然違って、普段の社会の中での障がい者の感覚に近いものを感じることになります。

日常では、健常者の人たちが疑問に感じたり、考えたりすることがあまりないのが現実だと思います。それは、日本社会が障がい者と健常者が分断されている、あるいは交わるような構造になっていないのが一番大きな問題だと感じます。健常者の人たちは障がい者の人たちが何に困っているかもわからない、何を考えているかもわからない可能性もあります。ここ(パラサポ)は障がい者の方が多くいて健常者の人と接することが普通になっているので、ダイバーシティ&インクルージョンの縮図といえるかもしれません。
障がい者の方と接する機会がないと、障がい者の方が困っている場面に出会った時にどのように行動していいかわからないから行動に移せないというのがあると思います。なので、接する、知る機会を作ることが大事だと思います。小澤:知るよりもとにかく当事者の声を生で実際に聞いてみるというのが一番の近道かと思います。それを小さい頃に経験しておくと、誤った固定観念や偏見を持ちづらくなります。今の大人は小さい頃から障がい者との接点ってほとんどなかったと思います。そうすると障がい者の方が困っている場面でも「声をかけていいのかな?」と考えてしまいます。例えば、今の小学校では外国出身や2世、3世といった子が結構いたりするので、子どもたち同士は慣れていることも多いのですが、親の方が慣れていないため、あれこれと誤った考え方を子どもに伝えてしまうことがあります。ですので、小さい頃から障がい者の方と接する機会を作ることで子どもたちの認識が変わり、色眼鏡で見ることもなくなると思います。子どもの認識が変わることによって親の方にも波及する考え方も当然あると思います。しかし、NIMBY(※)と呼ばれる人たちが自分たちの住んでいるところに障がい者施設を建てないでほしいと言うように、子どものことになると過敏になってしまい、子どもを障がい者から遠ざけたいという考え方をする人もいらっしゃると思います。子どもにより多く接しているのは家族なので、そうした親の考え方に引っ張られてしまう可能性もあるのではないかとも感じてしまいます。
(※“Not In My Back Yard”の略語。「施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民や、その態度を指す言葉)
小澤:障がい者のことについて知っていてそのような判断をしているのか、知らないで判断しているのかでは大きな違いだと思います。よく知らないのにもかかわらず、イメージだけでネガティブな固定観念を持ってしまい子どもたちに伝えているとしたら、それは改善しなくてはいけないと思います。子どもに与える親の考えや言葉の影響は非常に大きいですから。

日本社会が変わる過渡期の今、東京オリンピック・パラリンピックをうまく使う

2020年東京オリンピック・パラリンピックは開催地が東京のため、あすチャレ!やパラリンピック教育についても東京、東京近辺地域の方からの依頼が多いでしょうか?小澤:東京はオリンピック・パラリンピックの影響が強いですが、地方もオリンピック・パラリンピック関係なく認識は少なからず高まってきています。例えば、日本は超高齢社会に入っていて若い人たちで高齢者を支えないといけない、支える人たちがさらに減っていけば外国人を受け入れていかないといけない、外国人が増えれば彼らが住みやすい環境をつくっていかなかればいけないなど全部連鎖していて、これは地方でも直面している喫緊の課題です。課題感があるとみんな動き出します。日本社会は障がい、性別、文化、世代などに関連する課題解決に迫られており、ちょうど変わっていかざるを得ない過渡期に来ていると言っていいと思います。実際、2020年東京オリンピック・パラリンピックを契機に多くの企業や自治体、学校などが共生社会やダイバーシティ&インクルージョン、あるいはSDGsについて考えるようになっており、パラサポが2019年度に行ったダイバーシティ&インクルージョンプログラムは約900回にもなりました。ただし、これでもニーズに応えきれているとはいえない状況ですので、今後も引き続き講師育成や新規プログラムの開発に取り組んでいきます。あすチャレ!などの活動を行って何か気付きなどはありましたか?小澤:スポーツの力、パラスポーツの力は想像以上に大きいということですね。これまでダイバーシティ&インクルージョン、共生社会の取り組みを行う際、最も難しかったのが人々の巻き込み、社会の巻き込みでした。特に障がい者のことについて関心の低い人たちの巻き込みが難しく、直接的なアプローチを試みてもうまくいかないのですが、“スポーツ”を起点にしたとたん一気に視界が開け、多くの人たちと接点を持つことができるようになりました。例えば、企業や自治体で行う運動会をパラスポーツで行ってみたり、講演や研修をパラアスリートが行ったりすることで、いろいろな人にリーチできるようになったのです。スポーツやパラスポーツは、ダイバーシティ&インクルージョンやさまざまな課題と人々をくっつける強力な『接着剤』だと確信しています。今パラサポ側がさまざまなプログラムを用意していますが、そこで気付きを得た人が自分たちでまた何か次のアクションを起こすのが全国的に広がるといいですよね。小澤:そうですね。多分パラサポのような団体や、パラリンピック教育プログラムが無い状態、必要なくなった時がダイバーシティ&インクルージョン社会が実現した状態だと思います。
その状態になっていくために必要なことは何でしょうか?小澤:障がい者のことでいえば、交ぜる、インクルージョンするということだと思います。まずはダイバーシティを理解し、インクルージョンに持っていくという考え方もあるかと思いますが、正直、ダイバーシティを本当に理解するためにはそれに直面したり体験しない限りわからないと思います。そういった意味でも、まずは交ぜることによってダイバーシティに直面させることが何よりも近道ではないかなと思います。これは、適当に言っているわけではなく、自分の経験に基づいて言っているのですが、日本財団でも長年、障がい者の問題にも携わってきた中で、正直、わかっているようでわかっていなかったというのが、パラサポで多くの障がい者の方と一緒に仕事をしたり会話を交わすことで気付きました。恐らく、職場や学校、社会の中に障がい者の方が普通にいるような状態になれば、何をすればいいのか、どういう考え方でいればいいのか自然と身につくと思います。まだまだこれからのところもありますが、子どもを中心に少しずつポジティブな変化があると未来につながっていくのではないかと感じますね。小澤:子どもたちの吸収力はすごいので、頭の柔らかいうちにダイバーシティ&インクルージョンの感覚を身につけてもらい、逆に親や大人たちの固定観念を崩していってもらえるといいですね。

<了>

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PROFILE
小澤直(おざわ・なお)
1974年生まれ。早稲田大学野球部でプレーした後、アメリカマイナーリーグでインターン。オハイオ大学大学院でスポーツビジネスを学び、メジャーリーグでのインターンを経て2002年日本財団入会。2015年公益財団法人日本財団パラリンピックサポートセンター常務理事。

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