「産後復帰は計画通りにはいかない」ママ選手に焦らず寄り添った専門家が至った選択とは?
女子ハンドボール選手・高木エレナは、一昨年に出産後、JISS(国立スポーツ科学センター)と連携した「産後復帰プロジェクト」を経て、昨年に現役復帰を果たした。彼女の所属する三重バイオレットアイリスのフィジカル管理を務め、復帰までのプロセスを支えた「チーム三重」の一人が佐久間雅久だ。焦らずに寄り添うアプローチを心掛けながら、佐久間はどのようなプランを立て、具体的にどういう段階を踏んでトレーニングを行ったのか?
(インタビュー・構成=木之下潤、写真提供=MARK THREE DESIGN)
【高木エレナ選手インタビューはこちら】「出産が選手としてプラスになっている」ママアスリート・高木エレナが産後復帰できた理由
高木エレナの産後復帰を支えたトレーナーのプラン
――高木エレナ選手にお聞きした出産からチーム合流までの経緯は次のような流れでした。
【出産からチーム合流までの経緯】
▼2018年12月
息子を出産。
↓
▼2019年4月
自宅や病院で軽運動スタート。
↓
▼2019年5月
JISSとチーム三重で話し合い。
↓
体を動かす基礎の基礎づくりを行う。ただし、子育てをしながらなので、トレーニング実施は不定期的な状況。
↓
▼2019年7月
軽負荷での持久系、瞬発系、リアクション系のトレーニングを導入。
↓
▼2019年8月
息子がずりばいを始め、トレーニングができない。預け先を探して落ち着くのに1カ月ほどかかる。
↓
▼2019年9月
チームに合流して週3回の定期的な練習が可能に。
――佐久間さんはトレーナーとしてクラブとの関係性もあり、高木エレナ選手の産後復帰に関する相談が届いたのだと理解しています。そのあたりの経緯を教えてもらえますか?
佐久間:当初、この産後復帰プロジェクトはJISS(国立スポーツ科学センター)とクラブとの間で進められていました。もちろん私はクラブと契約関係にあるため、これまでもチームから代表選手が選出された時にコンディションなど体のことに関してJISSとはやりとりをしたことがありました。特に2018シーズンまで監督を務めていた櫛田(亮介)さんが、ハンドボール女子日本代表のコーチに就任されてからは当然JISSとつながっていらっしゃるので、いろいろと連絡が取り合える状態にありました。
高木選手は2018年12月に出産をしましたが、その時には「子育てを最優先にしながら時間が作れたタイミングで連絡してくれたらいいから」と、本人にはそう伝えていました。そこで、2019年3月中旬くらいに「体を動かせる時間が作れそうだ」と連絡を受けたので、一度病院に来るように伝えました。
4月中旬くらいに彼女が来院した際、体の状態をチェックし、1カ月間くらいはストレッチやスクワットなど自分の体の重みを利用して曲げたり伸ばしたり、上げたり下げたりするような運動や、エアロバイクをこいで体力をつける運動をしてもらいました。いわゆる、「運動する体の基礎づくり」という前段階の位置づけです。
私の中では、5~6月までの2カ月間くらいで基礎体力、基礎筋力、基礎持久力という3つの側面で「まずは、基本的なものを取り戻す期間だ」と捉え、基礎トレーニングという形で本人に地味な運動に取り組んでもらいました。そこから7月は軽負荷での持久系、瞬発系、リアクション系のトレーニングも導入して地道に続けていましたが、8月の1カ月間は子育ての事情でトレーニングがほぼできませんでした。でも、子どもを預ける環境ができたので、9月からは少しずつ負荷を高めたトレーニングを実施しました。
――具体的にはどのようなトレーニングをしたのですか?
佐久間:例えば、30分間走り続けたり、指示を出したことに対してリアクションして体を動かし続けたり、筋力を高めるためにウエイトトレーニングをしたり。ただし9月も「基礎トレーニングの延長」という感じです。普段は70〜80kgのウエイトトレーニングをしていますが、いきなりこの重さで負荷をかけることは難しいので20〜30kgくらいの重りから徐々に体を適応させていくように準備期間をつくり、筋力という面でも一つずつ段階を踏んでいきました。
そういうことを1カ月間続けた結果、ようやくダッシュやジャンプなどの基本的な動作をフルパワーで行う基礎的なサイクルができそうだな、と。2019年4月の段階では、「産後の体の変化がどう変化していくか」がわからなかったですし、私にも経験値がない状態です。ただ、アスリートのケガからの復帰過程はいくつも経験しているため、基準段階で「これくらいは必要だ」という逆算から目処をつけていました。
産後の女性の体は、骨盤周辺の靭帯が緩んでしまっています。それは産道を広げるために起こる女性特有の体の変化です。その緩んだ骨盤はある程度元に戻るのに個人差があることも調べていました。だから、3月の段階で体をチェックした時に「どこが緩んでいて、どこが安定していて……」ということを確認する必要がありましたし、その後のトレーニング過程の中でも定期的に体のチェックをしながら進めることは、彼女との間で話し合いをしていました。産後の貧血データを取るなど、体内の変化も把握することが重要でしたから、体組成の変化を含めて高木選手の体と向き合っていきました。
私も事前にすべてを調べ切れるわけではありませんから、いろんなことを想定してスタートしました。櫛田さんや梶原(晃)監督とも話をしましたが、「彼女にとってより良い形で準備していくのがいい」というのは、私たちクラブスタッフ全員が共通理解として持っていました。その中で、クラブがJISSと掛け合いながら「女性アスリート支援」という形でサポートを受けることになったようです。JISSとしても首都圏で女性アスリート支援はしたことがあるけど、地方では経験がない。今後のことを思うと地方に「産後復帰」の事例をつくっていけば、その情報を有意義に活用することができると考えていたようで、高木選手はそれにマッチしたのだと思います。2019年5月9日に、JISSの専門家と三重県の専門家が集まって「産後復帰」に関する話し合いが行われ、そこに私も参加したという流れです。
――なるほど。その話し合いではJISS側から産後復帰プログラムのひな形のようなものを共有されたんですか?
佐久間:そこは選手によって競技特性や体の状態が違うので、向こうからひな形のような資料を共有されたことはありません。復帰目標の時期設定によっても計画は変わりますから。ただサポートするチーム三重として、出産後のアスリートが「どのような支援体制を受けて復帰をしたのか」「どのような運動機能評価をして段階を踏んでいったのか」を教えていただきました。そこはわれわれにとって経験がなかったことでしたので。過去、JISSのプログラムを使って復帰した選手の中にも、半年くらいで復帰した選手もいたようですし、産後復帰プログラムについては選手によるところだと最初からJISSとも共通認識がありました。
運動する体の基礎づくりをした具体的内容とは?
――では、実際の「産後復帰プログラム」は佐久間さんが考えた大まかな計画と高木選手の状態とをすり合わせながらその都度調整して進めたわけですね。
佐久間:まず、「産後復帰」は選手の生活環境に合わせて、体と心の状態を見ながら進めることが前提条件です。それを崩してまでトレーニングをすることは、私の中では選択肢にありませんでした。だから、高木選手には「12月の試合復帰はあくまで目標。その上で5~11月の復帰計画を立てたけど、全然これ通りに進む必要はない」と伝えました。「1、2カ月ずれ込んだって問題ない」と丁寧に説明しました。
クラブ側からも「彼女の取り組む意識や意思を大事にしたい」という話はありました。12月の試合復帰は予定としてイメージしながらも、フレキシブルに対応することはチームスタッフと私たちトレーナーの中では共通理解ができていました。
――産後3カ月目の4月に、高木選手の体のチェックをした時、どんな状態でしたか?
佐久間:4月中旬くらいに来院した時、元の競技体重が66~67kgだったのに対して、72kgの状態でした。産後、脂肪の量が増え、筋肉の量が減っている状態ですね。第一印象としては「お腹回り、骨盤回りが丸いな」と。妊娠前の頃に比べると脂肪が増えていて、実際に触診をしたり、動作チェックをしたりすると動作筋肉の弾力性が低下していました。
――いわゆる、子どもを生むための体だと。
佐久間:ええ。出産後は体重が増える人もいますし、産後疲れによって痩せてしまう人もいます。彼女の場合は妊娠中に体重が増えるパターンで、お医者さんにも「ちょっと体重が増えているので注意しましょうね」と言われたみたいです。4月の段階では、産後70kgを超えた状態で3カ月を過ごし、基礎代謝も悪くなっていました。
単純に寝転がって足を上げたり下ろしたりする動作も、何とかがんばって足を上げなければいけないような状態でしたから。基本的には、お腹回りの筋肉を締めた状態でその動作をするとスムーズに足は上がります。でも、お腹回りの筋肉が緩んだ状態だったり、体幹部分の筋肉が不安定な状態だったりすると足をグッと動かすときに腰が反ってしまい、足の力だけで上げようとするのでしんどいんです。これが続くと、腰痛を引き起こしたりします。4月中旬に初めて来院したときは、そういうことすら正しくできないような状態だったのが率直な感想です。
――どこから手をつけようと考えられたのですか?
佐久間:私も病院でケガや病気をされた方、また高齢者の方を診ていますので、「どう復帰させようか」というイメージはできます。お腹回りを安定させて自分の腕や足を上げ下げできる、正しい姿勢を保って椅子の座り立ちをする。まず、高木選手もそういう日常生活の中での動作が正しくできるように、腕や足を正しく使えるようになるところから取り組むことが大事だなと思いました。
――体に正しい姿勢や動きを思い起こさせるようなことですかね?
佐久間:はい。そこからスタートすることが大事です。そして、週3回は体を動かす時間をつくること。つまり、アスリート本人の中での「運動の習慣化」です。実際、トレーニングとはいっても、まだ運動する体の基礎をつくる段階なので、まずお腹に力を入れられるようになるために頭を上げて腹筋動作をするなど、お腹に力を入れることと緩めることを繰り返す簡単なメニューです。他にも、寝転んだ状態で足を「上げる・下ろす」、座ってお腹に力を入れた状態で「立つ・座る」を繰り返したり。体幹に刺激を入れた状態での「四肢動作」を行いました。
それが安定してできるようになったら、スクワットの動作で上半身の重みをしっかり下半身で支えることに移りました。少し負荷をつけてゴムチューブを活用し、太ももに巻いて軽い抵抗下の中で足を「開く・閉じる」を繰り返したり。本当に自重からゴムチューブくらいまでの負荷なので、アスリートのトレーニングメニューとして判断すると軽いですが、1から体づくりをしていくイメージをしていたので最初はこのくらいがちょうどいいと考えていました。週2~3回、病院に来てもらって、「これはしんどい」「これは楽」「どこも痛くない」と確認しながら運動の習慣化を図っていきました。
――アスリートは上半身と下半身を連動させることが重要だと思います。そこに関わる骨盤回り、体幹回り、お尻回りという幹となる部分を整え、力を発揮するような環境づくりをする。そして、そこから派生する動力のつながりを観察する。そういうニュアンスですか?
佐久間:そうですね。体の軸をつくるためには「骨盤回り」「お尻回り」「体幹回り」の筋肉が安定しないと動力の機能性が正常に働かないので、ハンドボールでいえば「走る」「跳ぶ」「リアクションする」という競技特性に必要な正しいアクションができないと思っています。
産後復帰で重要なのは選手に寄り添うこと
――3カ月くらいかけて高木選手の「運動の習慣」「基礎づくり」をしていく中で、一人のアスリートとして彼女を見た感想はどうだったのでしょうか?
佐久間:競技トレーニングの準備に取り組んだ3カ月間は、体を整える期間で少しずつ負荷を変えましたし、プログラムの内容もその都度調整しました。本人が取り組める時間や体調、子育て環境によって「先週はできたけど、今週はできなかった」「次に進むつもりだったけど、もう1週間続けようか」「この2週間はきっちり詰めた練習ができたからレベルを上げようか」という対応を、私の中でずっとやっていました。現実として「本当は週4日やりたかったけど、週1日しかできませんでした」と高木選手が子育てしながらトレーニングに時間を割く大変さを間近に見ていたので、焦らずに選手のライフスタイルに合わせた取り組みをすることが大切だと実感しました。
産後復帰は、やはり私たちトレーナーが望むようなトレーニングリズムはつくりにくい環境下にあります。「これをやったからここにたどり着いた」という一般的な考え方では、お互いにストレスばかりがたまります。それよりは本人が心身にストレスを感じない中でのトレーニングが大切だと思います。そういう環境下で段階的なプログラムになるように微調整を繰り返し、結果としてトレーニングがうまくできたので、「走る」「踏ん張る」といった次の段階に進めそうだなと思えたのが、正直な感想です。
「これをこういうふうにやったからこれが見えた」という計画的なトレーニングリズムはつくれなかったので、「結果的にトータル3カ月間の中で競技トレーニングに向けた基礎づくりをした」というのが率直なところです。
――トレーニングを「やれない」事態が発生するので、日頃アスリートを診ているような感覚では判断できませんね。
佐久間:まさに。8月になって、彼女の子どもがハイハイし始めた頃はトレーニングに集中できるような環境ではありませんでした。だから、高木選手はクラブなどに相談し、三重県がやっている「ファミリーサポートセンター」というサービスを利用して息子を預けることができるようになりました。そこで、ようやく定期的にトレーニングができる環境ができたんです。
そこからは、私たちトレーナーも「これをやったら次ここまでいける」「この結果だからレベルアップしよう」と産後復帰プログラムのプランが立てやすくなりました。やはり5〜7月の3カ月間は彼女の生活リズムを最優先させてトレーニングをしたいと思っていたので、スケジュール自体は延びても縮められてもいいから「絶対これをしよう」と課題を与えるようなアプローチは控えていました。
もちろん私の中ではデータ面でもきちんと細かい評価はしていました。それでも、この期間に「ここができていないからこうしよう」みたいな言い方を高木選手にしてしまうと、「初めて経験する子育てのストレスもあるからよくないな」と思っていたので、私はこのような取り組み方を選択しました。産後復帰プログラムとして、最初は時間がかかっても復帰に近づけば自然に週4、5回とトレーニングを積む段階がくるわけなので、そこに至る過程は彼女のペースに合わせて進めていこうというのは、高木選手をサポートする「チーム三重」の中では最初から決めていました。
【後編はこちら】ママ選手が復帰後、過去最高の数値? 産後復帰トレで専門家が再認識した「休息」の重要性
<了>
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PROFILE
佐久間雅久(さくま・まさひさ)
1973年生まれ、三重県出身。理学療法士・日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー。鈴鹿回生病院リハビリテーション課所属。2018年より女子日本ハンドボールリーグに所属する「三重バイオレットアイリス」のフィジカルを管理する。いなべ総合学園高校野球部、四日市工業高校野球部などジャンルやカテゴリーを問わず、さまざまなアスリートのトレーナーを務め、メディカルサポートも行っている。
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