岩渕真奈の好調は「腸腰筋」にあり。身体の専門家が施したトレーニング法とは?

Training
2019.12.14

ダルビッシュ有など多くのアスリートの体のケアとパフォーマンスアップに関わる植野悟は「そもそもアスリートが練習をする、試合をすること自体が歪む行為」だと話す。

ではアスリートはどのようにして歪んだ体をケアし、パフォーマンス向上に努めるべきなのか。

植野がキーワードとして語る「重力に対して“まっすぐ”を感じること」とは?

(インタビュー・構成=木之下潤、写真=Getty Images)

そもそも練習や試合をすること自体が歪む行為

川崎フロンターレなどのJリーガー、岩渕真奈(女子サッカー)、奥原希望(バドミントン)など、競技の枠を超えて多くのトップアスリートの体のケアを行っている治療家の植野悟。元アルペンスキー日本代表選手の皆川賢太郎と二人三脚で向き合った治療の日々が彼の基礎を築き、現在はトップアスリートとともに世界中を飛び回る日々を送る。「ケガをしても絶対に元に戻す」ために彼が気づいたスポーツにおける「全身にかかる力と体の構造の関係」の秘密に迫る。

よくアスリートは体のケアが必要だと言います。でも、「重大なケガがなければ毎日は必要ないのでは?」とも思います。植野さんは、治療家としてどうお考えですか?

植野:私はアスリートが練習をする、試合をすること自体が、そもそも歪む行為だと考えています。選手が競技するときは、自分の武器で勝負しないと勝てませんから自然に得意なところを多く使っているはずなんです。要は、得意なところに負担がかかっているので、どんな選手であっても必然的に歪みは生じてしまうものなんです。でも、そうしないと100%の力を発揮したと言えませんし、その先の課題や改善も見つからないので得意なところを使うのは当たり前のことです。

私の治療は、基本その歪みをその人本来の状態に戻すことです。

例えば、元に戻さずに体を鍛えてしまったらどうなりますか? 歪みに歪みを重ねることになるから、目も当てられない状態になります。これはアスリートだろうが、一般人だろうが、同じことです。

その物差しにしているのが、重力に対して“まっすぐ”を感じてもらうことです。私の考えでは、重力と加速と遠心力のバランスを保ちながら動くことがスポーツには求められます。つまり、この3つの力に対して体がどういう反応をしているかが、バランスを保って素早く動くことを左右しているんです。

重力に対して“まっすぐ”を感じるとは?

植野:例えば、手のひらを上に伸ばしてそのままクルッと回してみてください。歪みのない人はどんなふうに回ると思いますか? 私の解釈では、中指を中心に回っているはずなんです。体の構造を考えると、それが歪みのない回し方です。回っている間に、中指が変に動いている人は手が歪んでいます。

私は中指を伸ばしたまま回すだけでも違和感を感じます。

植野:それは歪みの症状ですね。人間はジッとしているとき、ストレスを感じているところに症状が現れます。その人にとっては歪みがある状態が普通になっていて、それが楽なんです。でも、本来は伸縮機能が正常に働いている状態がノーストレスなので、どこにも違和感なんて感じるはずがありません。歪みがあるときはどこかが無理して伸びているし、どこかが縮んでいるから必ず筋肉に凝りがあるんです。

それが歪みの始まりです。

普段は靴を履いていますよね? あれはバランスをとるために足を自由に動かすことができないので、常にストレスがかかった状態です。どこを基準に歪みを測るかは、手と同じように中指が中心です。勘違いしてほしくないのは、足の中心が母趾球でないこと。最近は、体の動作を考えるときに“母趾球”中心に語っている人がいますが、それは間違っていると思います。

例えば、全力疾走して前に足を着くときに母趾球を強く使ったら膝にロックがかかり、後ろに衝撃が反発します。だから、直線を素早く移動したいなら母趾球を中心に動作をしてはダメなんです。あくまで地面に自然に母趾球が着けば、体は勝手に内旋して次の動作に移るようにできています。そのまま流れるように体全体を動かしたら勝手に足は後ろに上がり、腸腰筋(腰椎と大腿骨を結ぶ筋肉群)が働いて足は自然に動きます。

よく走るときに母趾球が大事だと言いますが、母趾球は意識して使うものではなく、結果的に“使っている”状態が動作としては自然です。伸ばす筋肉よりも縮む筋肉のほうが強いので、体は縮まるようにできています。だから、生まれたての赤ん坊は丸まり、高齢になると腰が曲がったりするんです。

どこか体が痛いということは何かが動いていない証拠だし、どこかが機能していません。私たち治療家はそこを見つけ出し、機能するように揉んだり鍼(はり)を刺したりして元に戻すのが仕事です。でも、そこから「どこまで体に介入していいか」はアスリート次第です。違和感がある時点ですでに筋肉に凝りがありますし、今は痛みがないかもしれませんが、それが原因でケガを起こす可能性があります。

そうなる前に処置を施す必要があるため、私たちもある程度は介入せざるを得ません。私の治療は悪い状態のときほど選手の痛みや凝り、違和感を取り除いているため、実感があるのですが、だんだん治ってくると何も感じなくなるので「ん?」と思う選手が多いです。

だからこそ毎日ケアする必要があるわけですね。

植野:どの治療家にも自分なりの基準があるかはわかりません。ただ、少なくとも筋肉をケアしているとは思うので、ケガの原因となる凝りや違和感は解消しているはずです。私が治療していると、アスリートは気持ちよさそうに寝ている選手も多いです。体を元に戻しているから楽になってリラックスできるんでしょうね。血圧も下がっていると思いますから。

数値を出しているのですか?

植野:私は心拍数と呼吸数を測っています。治療前と治療後では数値が違いますよ。海外遠征に行って連戦を重ねても、治療をしながらだと数値は安定していますので、きちんと効果は出ています。

得意部分ではなく、基礎力で勝負できる体づくり

植野さんの治療は、基本的に練習して歪んだ体を元に戻すことを繰り返されています。もちろん、その時々の状態を見ての話です。

植野:考え方としてはその通りです。でも、選手は「練習で鍛えて、治療で元に引き戻して、また翌日練習で鍛えて」を繰り返しているので、体のベースは確実に向上しています。基礎レベルが螺旋状に上がっていくイメージです。治療はその日の選手の状態によりますが、端からの見た目は同じように受け取られても違いがわからないから仕方ないです。

私は、こちらから鍛えるところを指定するような体づくりの“コーディネート”をしていませんから。

短期間で部分的に鍛えていっても選手のパフォーマンスは安定しないし、そのせいで得意だったものが消えてしまう可能性があります。得意なものが消えてしまうと、勝てなくなる恐れがありますし、そうなることで選手は自信をなくすことだってありえます。

そして、私が鍛える箇所を指定しない理由は、もう一つあります。それは体を鍛えることは得意なところを使って動いているからです。結果として、それは得意なところを伸ばすだけであって、その周辺を含めた土台がアップしているわけではありません。やはり体の土台となる基礎力を高めるためには、スポーツに求められる重力と加速と遠心力のバランスを保ちながら動くことを、毎日のトレーニングを通じて積み上げていくしかありません。

その基準となるのが、重力に対して“まっすぐ”を感じる力だということですね?

植野:まさに。その基礎力をつくる上で基準となるのが、“まっすぐ”を理解することです。勘違いしてほしくないのは「まっすぐを理解する=まっすぐに立つ」ことではないことです。人間には関節があり、頭や足、手や胴体などのパーツが存在するため、体全体のバランスを保ちながらさまざまな動きをするためには、その時々で重心を動かさなければバランスを崩してしまいます。

つまり、パーツごとに“まっすぐ”を知ることが重要です。「“まっすぐ”を感じる=重心を感じる」ことができれば、バランスを保ちながら最高のパフォーマンスを発揮できます。だから、まずはそれぞれのパーツで重心を覚えてもらいます。

岩渕真奈の好調を支えるトレーニング

なるほど。具体的に知りたいです。例えば、植野さんが治療しているアスリートに女子サッカー代表の岩渕真奈選手がいますよね。最近は非常に調子がいいですが、どのように体づくりをコーディネートされているのですか?

植野:彼女は、丸太を片足で踏んでバランスをとることから始めました。はじめはグラついていて、“まっすぐ”踏むことが理解できなかったんです。足に力を入れてもバランスは取れません。どこに力を入れると安定して止まれるかわかります? それは腸腰筋です。そこに力を入れて踏まないとまっすぐは立てません。

岩渕選手は勘がいいので、しばらくトレーニングしたら片足で丸太の上に立てるようになりました。次に丸太の上に板を置き、その上でバランスをとる練習をしました。それって横軸ですよね? 先ほどの練習は縦軸のバランスをとり、次が横軸の感覚を養うトレーニングです。これが“まっすぐ”に立つ感覚です。縦軸の振り子と横軸の振り子を体で感じながら、次にジャンプをしてもらいました。

これはバランスをとりながら次の動作へと出力するトレーニングです。

「まっすぐをどう運ぶか(どこに運ぶか)」というイメージです。簡単に言えば、自分という球体を前に運ぶだけ。まずはそういう空間をイメージしてもらいます。一度できるようになったら自転車と同じで一生できるようになります。そうやって“まっすぐ”を感じながら動きの中で自分を操作することを覚えていってもらいます。

岩渕選手もそうでしたが、私は治療家なので基本的にケガした選手と出会うことが多いです。だから、「ケガを再発させないためにどうすればいいか?」を考えています。アスリートは常にケガと隣り合わせですが、選手はいつも自分の武器で勝負しているから武器に関連したものを伸ばす傾向にあります。

しかし、得意なものを伸ばしているだけで、結果的に基礎力の数値はそのままです。受け皿(土台)が大きくなっているわけはありません。そのままだと、ケガを再発する可能性が高いんです。だから、私の考え方は「必要以上に武器を使わず、いかに基礎力を高めてこれまでの100%と同じ力を出すことができるか」がベースです。そうすればケガのリスクが減ります。

もちろんアスリートは勝負がかかれば無理をしない選択をするはずがないことは理解しています。だからこそ基礎力をアップさせたら、それに自分の武器が加わるため、これまで以上の結果を出せる可能性が高まるわけです。当然、武器を使って無理をするわけですからケガをすることもあります。

私は、選手に必ず「ケガしても絶対に元に戻すから安心してプレーして」と伝えています。

その言葉はすごいですね。どのように治療されるんですか?

植野:基本はほぐすことです。人間の体は骨から皮膚まで8層くらいあります。ひと昔前に筋膜が流行りましたが、私は皮膚運動を重視しています。例えば、筋トレしてどんなに筋肉を大きくしても皮膚が動かなかったら体は自由に動きません。だから、私の治療は最初は皮膚運動だけです。手の甲と掌の間に“赤白肉際(せきはくにくさい)”という層があり、伸筋と屈筋が重なり合っている部分があります。そこをソフトにほぐしていきます。

なぜそこか?

赤白肉際がどういう状態にあるかといえば、手のひらの屈筋の上に、手の甲の伸筋が被さっていてラッピングされている感じです。手は日頃から動かしているから自由度が高いのですが、足は使っていないから凝り固まっていて機能していません。うちの治療院には川崎フロンターレの選手も来ますが、彼らにも「足の自由を解放する」ことを実感してもらっています。足を自由に解放してあげると、まず立ったときの地面を踏む感覚が違ってくるので、動く出力が明らかに上がります。

5分くらいほぐせば十分です。

それで足先で重心を感じてもらい、「これが全身に広がったときの感覚を想像できる?」と聞いてみます。足先から膝下、膝上、お尻へと足をトータル治療し、一度その場に立ってもらうと重力の感じ方が変わります。治療前よりグッと地面を踏んで力が上に伝わってくる流れを感じられるようになるんです。足は特に体を支えていてストレスが大きいからわかりやすい。私は鍼灸師なので、症状がひどい場合は鍼を打ちます。

なるほど。選手によっては電気治療もしていますよね?

植野:電気治療は接触刺激で、鍼は物理刺激。問題があるところに直接刺激を入れるから鍼のほうが電気より深部にまで刺激が入ります。どうして鍼のほうが効果があると思いますか? それは直接患部に物理刺激が加わるため、間質液がそこに流れ込むんです。擦り傷が治るときに透明の液体が出てくるのわかります? あの間質液の中にはケガを治すいろんな物質が入っていて、それがケガや痛みを治したり、疲労などの不純物を取り除いたりしているわけです。

鍼はそこに物理刺激を加えることで、痛みや疲労を取り除く物資に「ここに集まりなさい」と号令をかけているんです。ただ繊細な技術が必要で、一度防御反応が出てしまうと筋肉が硬直するので鍼が入りにくくなります。だから、ソフトタッチで治療することを心がけています。そもそも選手にとって体を触られる行為自体がストレスですから。

<了>

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PROFILE
植野悟(うえの・さとる)
1972年生まれ、大阪府出身。コーディネーター(鍼灸師)。1994年より鍼灸師として仕事をスタートさせ、整形外科で勤務。同時に往診専門で鍼灸院を開業。2002年、皆川賢太郎選手の誘いを受けて整形外科を辞めて専属トレーナーに。2005〜2010年、アルペンスキー日本代表トレーナー(トリノ・バンクーバー五輪帯同)。同時期、関西大学サッカー部トレーナー。2011〜2012年、ダルビッシュ有選手専属トレーナー。2013〜2017年、松坂大輔選手専属トレーナー。2019年、奥原希望選手(バドミントン)専属トレーナー。また現在は川崎フロンターレ、名古屋グランパス、ヴィッセル神戸に所属するJリーガーや、登坂絵莉選手(レスリング)、土井杏南選手(陸上)、渡部香生選手(水泳)など男女や競技の枠を超え、治療だけにとどまらず幅広くトレーニングのサポートを行っている。

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