なぜ日本人は100m後半で抜かれるのか? 身体の専門家が語る「間違いだらけの走り方」

Training
2019.12.07

「短距離で日本人選手が結果を出せない理由」について革ジャンを着るという動作に例えて話し、聞き手は「そういうことか」とハッとする。

ダルビッシュ有など多くのトップアスリートに体のケアとパフォーマンス向上を任され、治療だけにとどまらず幅広くトレーニングのサポートを行っている植野悟がスポーツにおける体の動作の基本について語った。

(インタビュー・構成=木之下潤、写真=Getty Images)

皆川と二人三脚で得た体の構造と力の関係

過去、メジャーリーガーのダルビッシュ有や松坂大輔などのトップアスリートをフィジカル面でサポートし、現在も女子サッカー・なでしこジャパンの岩渕真奈など多くのトップアスリートの体をケアする植野悟。トーレーナー、コーディネーター、鍼灸師、パフォーマンスコーチ、治療家……スポーツ界で知る人ぞ知る彼の仕事ぶりを一言で言い表すのは難しい。今に至るきっかけはすべて元アルペンスキー日本代表選手の皆川賢太郎との出会いだと語る。二人の間に何があり、日本を代表するアスリートを支える存在にまでなったのか。

アルペンスキー選手の皆川賢太郎さんの専属トレーナーになったことで、現在の治療家としての基礎が築けたと聞きました。

植野:出会ったのは、彼が前十字靭帯を断裂したあとでした。専属トレーナーの募集を知り合いから耳にして面接を受けました。後日、「お願いしたい」と連絡が入り、皆川くんが第一声に発した言葉に驚きました。

「僕の体で失敗して構わないから、次に診る選手を治してほしい。そのために自分についてほしい」

当時彼は24歳で、ちょうどアスリートとして脂が乗ってきていた時期です。でも、当時の医療技術では、前十字靭帯断裂はアスリート生命に関わる大ケガ。少しずつ復帰した事例も挙がっていましたが、まだまだ難しいというのが一般的な考え方でした。

復帰を目指した契約1年目はどんな成績だったんですか?

植野:ずっと負けっぱなし。ただ、シーズンの最終戦、オーストリア選手権のことは生涯忘れられません。斜面変化をターンし切れず、コースアウトしたんです。それを目にした瞬間、僕の心に「このままじゃダメだ。自分が変わらなきゃ」という決意が湧き起こりました。それまでは治療家として感覚的に体をケアする毎日を過ごしていました。でも、それを見たときに「ただ治療していればいい」という感覚を一切捨てようと思いました。

何がどうなったら、どうなるのか?

一から体の構造と力の関係を見直しました。スキーをはじめ、スポーツは全般的に重力と加速と遠心力のバランスを保ちながら動くことが求められます。つまり、この3つの力に対して体がどういう反応をしているかがバランスを保つか崩すかを左右するんです。

スキーを滑るとき、体にかかる重力は普通の速度で80〜100㎏、ターンでも200〜350㎏くらいと言われています。それに対し、それぞれのシチュエーションで「どう動くのが一番いいのか?」を皆川くんと一緒に考え続けました。

当時のカメラは、今のようにスーパースローなんて便利なものはありません。コマ送りをしながらテレビ画面の上にサランラップを貼っては、その上に線を引いて「これがこうなって、こうなったから……」と解析していきました。どう動いているときは良くて、どうなったらダメで、の繰り返しです。

そうやって毎日過ごしていると、ミスなどのトラブルは何も考えずに自分たちがスキーに向き合っていないときに起こるものだと気づきました。だから、皆川くんとは「まず、毎日向き合うことから始めよう」と話し合いました。「失敗し続ける一年でも話し合いを継続した一年はムダではない。でも、調子が良くても話し合いを継続できない一年はムダだ」と。少しずつ自分たちの価値観を変えていきました。

何をキッカケに、重力と加速と遠心力のバランスを保つことに気がついたのですか?

植野:そもそも僕がスキーの経験がなかったことがキッカケです。斜面に立つと、急に立つことすらできなくなりました。傾斜がきつくなると、勝手に加速するし、遠心力も大きくなる。それで僕の中では、「スキーって重心が離れていく感覚があるな」と感じました。「体から重心が一定以上離れると倒れるな」と。だから、重心を離さないように保たないといけないのだと考えました。サッカーのターンも同じです。重心が体から一定以上離れると倒れてしまう。つまり、重心が体から外れすぎないようにどうコントロールするかがバランスを保つのに大事なことです。

もう少し具体的なイメージを教えてください。

植野:イメージしているのは、コマです。キレイに回って安定しているときは、外に向かって均等に遠心力がかかっています。でも、遠心力が不均等になり始めると、一気にグラグラと揺れ始めます。遠心力が保たれているときには、同時に中心に対して求心力も均等に加わっています。バランスを保つという意味では、重力と加速と遠心力の構造は人間もコマも変わりません。

ただ何が違うかといえば、物体の形状です。

人間には関節があり、頭や足、手や胴体などのパーツが存在するため、さまざまな動きの中で体全体のバランスを保つためには、その時々で重心を動かさなければ体の中に収めることができないのではないか、と。

一般的には、重心を固定させるような言われ方をしています。

植野:中心は動かないですが、重心は動きますし、時には体から離れます。たぶん、みなさんは重心を一箇所に安定させてとどめようとするから、まっすぐ走るときに股関節を重視する傾向にあります。この理論は、どれだけ股関節を安定させて上手に動かせるかが速く走る良し悪しになっています。つまり、速く走るカギを握るのは、その股関節を動かす筋肉“腸腰筋(腰椎と大腿骨を結ぶ筋肉群)”の大きさです。

だとすると、日本の選手は海外の選手には勝てないんです。なぜなら欧米人の腸腰筋は日本人の1.5~2倍、黒人の腸腰筋は2~3倍あると言われているからです。

例えば、100m最速を競い合ってきたウサイン・ボルトやジャスティン・ガトリンの走りを観察すると、彼らが走っているときは体がクネクネと動いています。ようするに、あれは重心が体の中を動いているわけです。右足が地面に着いているときと左足が地面に着いているときと、重心が同じ場所にとどまるわけがないんですよね…。

でも、日本の多くの選手は重心を一箇所にとどめるものだと勘違いしているから思うようにスピードが出ないのだと思います。よく重心は軸に例えられますが、仮に軸を中心に保たなければならないとするなら、100mの選手はエネルギーを前に使わなければいけないのに、中心に保とうと左右のブレを真ん中に抑えようとする力も使っていることになります。これは、かなり力をロスしていますよね。こう解釈すると、日本の選手が100mの後半にスピードが伸びず、海外の選手に追い抜かれている理由が説明できます。

短距離で日本の選手が結果を残せないわけ

確かに、重心を一箇所にとどめた状態でまっすぐ走り続けるのは、逆に体にブレーキがかかるように感じます。

植野:人間は関節が組み合わさって複雑な動きをしているのに、重心を一つにとどめようとするのは無理があります。きっと、そうしようとしてきたからケガにつながっていたのだと思います。人間が体を動かすときには各パーツがリンクし合い、私のイメージでは重心が球体の中に収まるようにバランスをとって動いています。

例えば、革ジャンを着ると動きにくいですよね?

革ジャンを重心を一つに抑えるための道具だととらえると、動きにくい箇所が出てきます。そうなると人間本来のパフォーマンスが抑制されることになるので、100%の力は発揮できません。原理としては、走るときに重心を真ん中の一箇所にとどめようとすることは革ジャンで体の動きを抑制することと同じです。

日本の陸上選手を見ると、このような抑制した走り方をしている選手が多いです。私の目には、ストップモーションに映っています。

日本の選手は胸を張り続けて走っているイメージです。

植野:日本の選手で理想的な走りをしているのは、サニブラウン・アブデルハキーム選手です。彼はウサイン・ボルトやジャスティン・ガトリンのように加重位置(力を加え続けれる位置)の状態で走っています。一見、彼らの走りは左右に揺れているようですが、あれはスタート時だけです。スピードに乗ってくると徐々に揺れが収まり、どんどん安定して重心が一箇所に集まっていきます。

これがコマの原理です。

私が思うに日本の陸上関係者は100mを語るとき、スタートからトップスピード、そしてラストまでを一つの理論で話をしています。最近よく聞くのは、歩幅。大きく足を前にスライドするのがいいと、「速く走るには足を大きく前に出さなければいけない」と解説者はコメントしています。

100mを速く走る原理はそもそもスタート、加速、速度の維持と段階によって体の使い方が違うので、最初から最後まで前に足を大きく出し続けたら逆効果になる場合が多いです。例えば、スタート段階で歩幅を大きく出し続けたら地面に足を着いた瞬間にその反動で力は後ろにかかります。これはストップの原理です。

人間の体はバランスを保つようにできているので、足を大きく踏み出したらその分もう一方の足は大きく下がります。そうやって体自身が自然にバランスを保っているんです。人間は走っているときにパワーポジションの状態から足を引けば、ギュッと体が前に出るようにできています。

例えば、100mのスタート時はどういうふうに体がバランスをとっているんですか?

植野:スタートから加速までの流れは、コマの原理と同じです。

人は速く走ろうとしてトップスピードに乗れば、真ん中で安定してきます。最初は左右に揺れるけど、どんどんスピードが上がるほど体がまっすぐに立っていって上体の揺れも収まっていきます。これが速く走る動きの原理です。はじめからまっすぐに立って足を前に出そうとするのではなく、加速していくとある程度の範囲でどんどん足が大きく前に出て、体が立ってくるんです。

日本の選手がスタートダッシュが速いのは、身体的な理由ですね。つまり、海外の選手より歩幅が短いから必然的に最初は速い。

植野:加速してから不必要に足を前に大きく踏み出すのは、明らかに減速状態です。海外の選手の足の長さで細かく足を刻むのも運動機能として合ってはいません。当然、日本の選手は足が短くて回転力があるから当然速くなります。さらに足の回転という意味では、速度を維持するために重要なことです。なのに、スタートと同じように、後半の速度維持のタイミングで大きく前に足を踏み出せば、上体は後ろに下がるため、無駄な消費をしていることになります。回転率はもちろん上がりません。すでにトップスピードに乗っているのだからそれを維持するために足の回転力を意識したほうがスピードダウンもしないと思います。スピードに乗ってから次の動作を速くするためには、力強く地面を蹴るのではなく、その足の力をいかに抜くかのほうが回転率は高まります。

重力に対してまっすぐを感じることが基本

話を聞いていると、植野さんは治療家ですが、体の動作のコーディネーターのようにも感じます。

植野:私の治療には、明確な基準があります。ただ痛いところを取り除くだけなら、自分の存在が選手にとってプラスになりません。皆川くんをはじめ、松坂(大輔)さん、ダルビッシュ(有)さんなどトップアスリートに帯同させていただきましたが、どのスポーツであっても私の基準は変わりません。

それは、重力に対していかに“まっすぐ”を感じられるかどうかです。だから、私は足指から治療しています。そこが変えられたら9割の人は体全体で重心を感じることができるようになります。

どうして足指なんですか?

植野:それは足が唯一地面と接地し、重力を感じている部位だからです。それが理解できれば脳を変えられます。

何をチェックするんですか?

植野:立っているときの体の癖です。例えば、何秒後に足を入れ替えたとか……。

それが無意識に出している体の信号、つまり“癖”だと?

植野:右足で立っている人は右足の重力は理解しているけど、左足の重力は理解できていません。そのときにどれだけの振り幅がふれるのかを調べていきます。

なるほど。

植野:ここまで重心は体の中を動くものだと伝えました。つまり、体を形成するそれぞれのパーツが重心を感じながらその時々で体全体のバランスを取ることができなければ、最高のパフォーマンスを発揮することはできません。

重心を感じながらバランスを保つことができなければどうなりますか?

誤作動につながります。スポーツでは、ケガにつながる重大な事故です。どのスポーツも試合中は基本的に止まることなく動き続けています。私がいう「重力に対してまっすぐ」とは、ただ単にまっすぐ立つことだけではありません。私のまっすぐの定義は体を動かしている最中にずっとバランスが取れている状態なので、例えばスキーの高速ターンを切り取ればその状態で倒れることなくバランスが取れていれば、それがそのシーンのまっすぐだということです。

これは100mのスタート、加速、加速の維持でも同じです。スタート時は左右にぶれるから当然まっすぐはその時々で違うし、加速してトップスピードになれば左右のブレはなくなるからまっすぐは立っている状態に近いものです。でも、選手を真横から見たら前に進んでいるわけですから、前重心の状態になっているのは当たり前のことです。

スポーツは動くものなので、棒立ちした見た目のまっすぐで議論してほしくないのが、私の意見です。

⇒後編はこちら

<了>

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PROFILE
植野悟(うえの・さとる)
1972年生まれ、大阪府出身。コーディネーター(鍼灸師)。1994年より鍼灸師として仕事をスタートさせ、整形外科で勤務。同時に往診専門で鍼灸院を開業。2002年、皆川賢太郎選手の誘いを受けて整形外科を辞めて専属トレーナーに。2005〜2010年、アルペンスキー日本代表トレーナー(トリノ・バンクーバー五輪帯同)。同時期、関西大学サッカー部トレーナー。2011〜2012年、ダルビッシュ有選手専属トレーナー。2013〜2017年、松坂大輔選手専属トレーナー。2019年、奥原希望(バドミントン)選手専属トレーナー。また現在は川崎フロンターレ、名古屋グランパス、ヴィッセル神戸に所属するJリーガーや、登坂絵莉選手(レスリング)、土井杏南選手(陸上)、渡部香生子選手(水泳)など男女や競技の枠を超え、治療だけにとどまらず幅広くトレーニングのサポートを行っている。

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