今を生き抜くための秘訣はスポーツにあり? スポーツドクターが明かす“根性論”よりも大切なこと
トップアスリートたちがどんな状況でもしなやかに戦い続けられる秘訣として注目すべきものの一つが、メンタリティ。彼らのように自分自身の心をマネジメントできるようになるには、いったいどのようなスキルが必要なのだろうか? また、新型コロナウイルスによる影響でスポーツができない期間が長く続いた中で、改めて「スポーツの価値」について考えさせられる今。応用スポーツ心理学をベースにさまざまなトップアスリートや企業のメンタルサポートを行うスポーツドクター・辻秀一先生に、今の時代を生き抜くための心づくりのヒントや、スポーツの価値や文化としてのあり方について話を聞いた。
(インタビュー・構成=阿保幸菜[REAL SPORTS編集部])
スポーツ版『パッチ・アダムス』を志して……
――辻先生がスポーツドクターとして活動するようになったきっかけを教えてください。
辻:「スポーツドクター」というと、整形外科医がスポーツ選手のけがを診るというのが一般的なイメージだと思います。僕の場合はもともと慶應義塾大学病院で内科医をやっていて、医師として一人前になった30歳ぐらいの頃に、人の「クオリティ・オブ・ライフ(以下QOL)」をサポートし、「人生と時間の質をどうやって向上するのか」というようなことをテーマにしたドクターをやりたいなと感じたんです。
そのきっかけとなったのが、QOLがテーマとして描かれている『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』という、ロビン・ウイリアムズ主演の映画でした。ただ患者の病状を診るだけという医療に疑問を持っていた時にちょうどこの映画を見て、「QOL=生活の質」ということがすごく刺さりまして。
パッチ・アダムスは実在の医師なんですが、来日された時に講演を聞くことができました。そこで彼が「その質(QOL)を決めているのは全て自分の心持ち次第なんだ」というようなことを語っていたんです。
――そうだったのですね。そのことがスポーツとどのように結びついたのですか?
辻:私も中学から大学まで体育会でバスケットボールをやっていました。これまでスポーツも勉強も、医師になってからは仕事も1日20時間ぐらい働いていて、結果のために「気合いと根性でがんばること」はやってきたんですけど、はたと「質」ということを聞いて衝撃を受けました。そして、質を決めているのは「心」だなと。
パッチ・アダムスは「笑い」で人のQOLをサポートするのですが、私にとってそれに代わるものは何だろうと考えた時に、ふと「スポーツ」がそういう役割を果たすのではないかと思ったんです。スポーツが大好きでしたが、内科医になってスポーツに関わることはないと思っていた中で「スポーツ」と「心」が頭の中でぐるぐる回っていた時に、ちょうどこの映画を見たことで私の人生に大きく影響したのです。
そして漠然と「スポーツ心理学って面白そうだな」と思って、日本スポーツ心理学会というのに行ってみたんですけど、当時は学者が集まる研究論文の発表の場みたいな感じだったので、メンタルトレーニングを含めた応用スポーツ心理学というのをやっている、本場のアメリカに興味を持ちました。アメリカの学会に何度と足しげく通ってさまざまなスポーツ心理学の先生方と話をしてみると、「スポーツ心理学をいかに社会に応用するか」というようなことを熱心にやられている先生がいたんです。
――具体的にはどのようなことですか?
辻:スポーツのわかりやすい点は、「心の状態を整えて、パフォーマンスの質を大事にして結果を出す」という構造です。やる気がないとパフォーマンスの質が悪くなるから負けるし、チームワークが悪いとチームのパフォーマンスの質が悪くなり勝てない。「外したらどうしよう」と思うとPKの質が悪くなるからシュートが外れる。このように、人間の「心」とパフォーマンスの「質」と「結果」の結びつきがわかりやすい人間活動が、スポーツなんです。
そして応用スポーツ心理学の先生方の多くは、「その構造はビジネスも人生も全部一緒なんだ」というようなことをおっしゃっていました。例えば「NBAでこんなチームワークトレーニングをやっていたらうまくいったので、それを応用したトレーニングを銀行の社員向けに行ったら業績がよくなった」とか。私が本当にやりたいのはこういうことだと、そこでやっと腑に落ち、内科医を辞めスポーツドクターとなり今に至ります。
――そうだったんですね。それからどのような形で、スポーツドクターとして活動するようになったのでしょうか?
辻:ちょうどJリーグが開幕する頃だったと思いますけど、当時はまだ心理学の話をすると怪しまれてしまったので、何かうまく伝えるためのいい方法はないかと考えていました。そこで当時、『スラムダンク(SLAM DUNK/集英社)』の漫画がものすごく流行っていたんですよ。自分は慶應大学病院を辞めてスポーツドクターの資格を取るため、慶應義塾大学スポーツ医学研究センターで体育会の選手たちをサポートする仕事を始めていた時でした。
ほとんどみんな読んでいたので、この漫画を使ったメンタルトレーニングをやれば、受け入れてもらいやすいんじゃないかなと考え、最初は漫画のシーンをコピーしてそれを心理学的に解説したら、選手たちにすごくウケがよくて。他の大学にもその話が伝わって、自分たちも聞きたいと言われるようになりました。
そこで当時、日本バスケットボール協会のスポーツ医科学委員会をやっていたので、そのつてをたどって(スラムダンクの作者)井上雄彦先生にお話ししたら、「面白いですね。それなら本を書いたほうがいいですよ」と言ってくださって。それで『スラムダンク勝利学』(集英社インターナショナル)という本が誕生しました。これがおかげさまでベストセラーになって、こういうことに関心のある人が世の中にはたくさんいるんだなということがわかり、独立してスポーツ応用心理学を専門として活動することになりました。
脳が「外界」や「行動」に依存しているとそれができなくなった時に行き詰まる
――スポーツ心理学をもとにメンタルマネジメントの専門家となって、具体的にどのようなことをなさっているのですか?
辻:「ジャパンご機嫌プロジェクト」というのと、その実現をサポートするためのスポーツというものが根性論の「体育」という領域ではなく「スポーツは文化だと言える日本づくり」という2つが活動の大きなテーマになっています。
――「ジャパンご機嫌プロジェクト」というのは具体的にどのような取り組みをしているのですか?
辻:心をつくっているのは全部脳なので、脳の習慣によって心持ちが決まるんです。メンタルトレーニングというのは脳トレなんですよ。ご機嫌で生きるための、心理学ではFlow(揺らがず、とらわれず自然体の状態)といわれる心の状態をつくるための脳のトレーニングが「ジャパンご機嫌プロジェクト」の活動の中心となっています。
クライアントの半分はアスリート、半分はビジネスマンです。ビジネスも、スポーツと同じように心があってパフォーマンス、質、そして結果が出るというのはまったく同じですが、へたをするとビジネスマンのほうがアスリートよりも気合いと根性で仕事をしがちです。
企業で一番長くお付き合いしているジャパネットたかたさんは、20年も前から全従業員のメンタルトレーニングをやっています。このコロナ禍の中でも、全員でZoomをつないで600人ぐらいでメンタルトレーニングを行いました。会社のクレドにも「Flowで働く」という項目を入れていただいています。
――「スポーツは文化だと言える日本づくり」については?
辻:例えば今、日本では東京五輪が延期され、甲子園(全国高等学校野球選手権大会)もインターハイ(全国高等学校総合体育大会)も中止となり、スポーツは何のためにやるのか、その原点をみんなが考え直そうとしている風潮があります。
「そもそもスポーツとはいったい何か」と考えると、結果がすべてではないけれど、結果を目指すために何を大事にしていくのかというのが大切になります。スポーツを通じて人として耕され心豊かに生きるための活動が文化。
大会がなくなって落ち込む気持ちはわかりますが、それは目標だけを追いかけているからであって、競技がなくなったわけではない。「Flow DO IT」と呼んでいますが、自分の心を整えながらやるべきことを質高く、機嫌よくやるということの大切さをわかっている人たちは、私がメンタルトレーニングしているプロアスリートもオリンピアンも大学の体育会でも、このコロナ禍でも強くたくましくしなやかに生きています。
やるべきことというのは、変わるんです。なかなかそのライフスキル(日常生活に生じるさまざまな問題や要求に対して、より建設的かつ効果的に対処するために必要な能力)を訓練できている人は少ないので、脳が全部外界あるいは行動に依存しています。ところが、外の出来事は自分ではコントロールできないから、またそれに振り回されてしまうんです。
――なぜ振り回されてしまうのでしょうか?
辻:心を整えるために自分の行動をとるというメンタルヘルス的なやり方を「ストレスコーピング」といいます。ルーティーンもその一つかもしれません。ところが、外は新型コロナウイルス、行動はステイホームというように、外界を変えられず行動もとれなくなった時にそのやり方をしていると行き詰まります。そこでちゃんとご機嫌の価値を重んじて、自分で自分の心を整えるライフスキルを持っていればいいのですが。
外へ外へ行く脳ばかりが訓練されているので、目標と夢を追うことの重要性はみんな叩き込まれているんです。これは悪いわけではなく、人間の認知的な脳の特徴なんですけど、そうすると目標が奪われた時にもろくも崩れてしまうんです。なので、内側を見ることや自分はどうありたいのかを考えるというような非認知脳のトレーニングが重要なんです。
――新型コロナウイルスの影響から相談も増えましたか?
辻:はい。ストレスマネジメントやメンタルトレーニングに関心のある企業や、海外で活躍する有名アスリートなどからも問い合わせをいただいています。
このコロナ禍の中では、脳のトレーニングに加え、健康の3要素である「栄養」「休養」「運動」をしっかりと考え直して、われわれ一人ひとりが自分自身の健康をマネジメントできることが一番重要です。「病は気から」と言いますよね。そして英語では病気のことを「disease」と言いますが、「ease」というのは「穏やか」という意味。心が穏やかでなければ人間は病気になるということが、日本でも欧米でもみんなわかっているんです。
実際に、いまだに医学が改善できていない大きな病気は、がん・動脈硬化・認知症・感染症ですが、機嫌の悪さはこのすべてに悪影響を及ぼします。ということは、「機嫌よく生きる」ことは、人間として健康を保つと同時にあらゆるパフォーマンスの質をよくしていくことにつながる。このことを、スポーツを介して社会やビジネス界に発信し、さらに日本スポーツ界自体がそれを理解して競技力を上げ、スポーツの本質や文化性について気づいてほしいと願って活動をしています。
スポーツは、文化として人間を耕し心豊かにしていく人間活動
――そのような想いのもと、「一般社団法人Di-Sports研究所(=Di-spo)」を始めようと思ったきっかけというのは?
辻:この仕事を長年やっている中で、「機嫌よく生きる」ということが即座に素直に大事だと思える人は2割程度しかおらず、その共通点をずっと考え続けているんですけど、今のところ見出せていません。
ただ、脳科学的な観点からの仮説でいうと、子どもの頃の成育歴で「機嫌よくいるほうがいい」ということを体験として有している人たちなのです。その体験・体感が脳に記憶されているのです。しかし、その後の学校教育では結果や評価、比較など、認知的な脳の訓練だけを受けていきます。そして子どもが学校から家に帰ると、だいたいお母さんは「今日は何があったの?」「何をしたの?」「どうなったの?」「どういう意味なの?」ってこの4つしか声かけをしないんです。それで認知的に、外界、結果、行動、意味づけを私たちは訓練されているのです。
そんな生活の中でも私がパッチ・アダムスで気づけたような腑に落ちる経験があるはずなのですが、なぜか2割の人しか気づかない。実際にトレーニングをしようと思っても、語学と一緒で時間をかけないとなかなか非認知的な脳は身につかないんです。
そこでまず、仮説をもとに子どもたちに向けて、ご機嫌でいることの体験・体感を感じてもらうために何かできないかと思い、「ごきげん先生」をやろうと考えました。さらに子どもたちにインパクトを残したほうがいいと考えて、ご機嫌の大事さを理解しているトップアスリートたちに声をかけたら賛同してくれたんです。
――ご機嫌の大事さを伝えるためになぜスポーツがいいのか、もう少し具体的に教えていただけますか?
辻:今の社会において、人間は認知という脳が暴走してさまざまな不機嫌をつくり出しているんです。それは個人的な不機嫌もそうだし、環境問題や経済格差問題などのさまざまな社会問題も含めて。その状態だと、健康にも悪影響を及ぼしたり、戦争が起きたり、映画じゃないですけどAIが暴走して僕らはやっつけられてしまう時が来るかもしれません。
何が言いたいかというと、「果たしてこのままでいいんだろうか?」という思いがあります。その中で、心の状態を大事にして人間らしく生きていくということがこれから生き残っていくために極めて重要だと、私は確信しています。私はスポーツドクターなので、もしかしたらスポーツが、このような社会を脱却して人間らしく生きていくための非認知的なライフスキルを育むことを、最も学ぶことのできる文化の一つなのではないかなと思っています。スポーツは、文化として人間を耕し心豊かにしていく人間活動だと、私は信じて疑っていません。
――そのお話をして、アスリートの方たちはどのような反応でしたか?
辻:まずは理事の廣瀬(俊朗)くんと、石垣(元庸)くん、北原(亘)くんが賛同してくれました。そして理事会でもう一人の理事、五十嵐(雅彦)くんも含めて5人で何度も議論をして、たくさんの子どもに伝えていけるように、少しでも敷居の低い形で伝えられる方法はないかと話していたら「もっと話すことが大事だよね」という案が出て。日本の学校って、受け身でただ授業を聞いて板書するだけですよね。脳科学的にも、アウトプットすることによってインプットの価値が高まるということがあるので、これをスポーツに取り入れて考えてみるのもいいよねと。
そこで、誰でもできるようなスポーツプログラムの中で、応援を手話でしたりハイタッチをするなどのルールを設けてあげれば、「対話」を一つのスポーツとして捉えられて、みんなでご機嫌体験をつくることができるということになり、まず私がプログラムを考えました。
理事のみんなはそれぞれセカンドキャリアでも成功しているので、そういう意味でも「スポーツの価値」をもっと多面的に伝えられるのではないかと思っています。さらに、われわれの活動を子どもだけでなく大人や企業向けにも展開してさまざまなことができるのではないかなと。
そうして、「ご機嫌の価値」「対話の価値」「スポーツの価値」の3つを高めるための存在として、昨年「一般社団法人Di-Sports研究所」としてスタートしました。
――具体的にはどのような活動をしているのですか?
辻:小学生向けに、ごきげんを対話にて体感してもらう「ごきげん授業」をやるというのがメイン事業です。最終的には全国の子どもたちへ向けて展開するのが夢です。2つ目は、われわれの活動を広めていくために、それぞれのアスリートたちの切り口によるトークショーを行っています。3つ目は、アスリートたちは意外と他競技との交流が少ないので、メンタルトレーニングの勉強会をしながら交流できる場を作って、Di-spoには現在すごく上質な18人のアスリートがそろっていますが、この輪がどんどん大きくなっていけばいいなと考えています。そうすれば、トークショーの内容もより膨らみますし、「ごきげん授業」を年間何百回やることになっても対応できるようになると願っています。
――Di-spoの活動が広まって、機嫌よく生きるスキルとスポーツの価値向上がもたらされたらいいなと感じる一方で、先生のおっしゃるように、まだまだ日本では「根性論」というか古い考えが根深くあると思うのですが、その理由は何だと思いますか?
辻:日本スポーツの概念の基盤になっているのは、やっぱり野球。甲子園至上主義ですし、プロ野球自体が日本スポーツの最高峰にいながら、スポーツの価値や文化性を、アスリートも経営側も一切持っていないんです。一方でJリーグ初代チェアマンの川淵(三郎)さんは「スポーツは文化だ」という、ヨーロッパ型の価値観で、地域に根差したスポーツクラブの展開を実現しました。
ヨーロッパの場合は、学校の体育よりも地域クラブでスポーツをやりますが、日本の場合は体育至上主義。高校生までトーナメントで試合をやるのは世界中で日本だけなんですよ。負けたら終わり。これが日本人は大好きなんです。(甲子園で)負けて泣いて砂を集める姿が美徳と感じてしまう。
でも、本来子どもにとってのスポーツのあり方は、やっぱり「元気」「感動」「仲間」「成長」という4つが原点だと思っています。実際、優勝校以外はすべて負けます。だから、誰もが勝利を目指すことはできるけれど、勝つことがすべてというのは論理上おかしい。今の日本スポーツの環境をつくってきた世代の人たちは、『巨人の星』や『あしたのジョー』(講談社)などの漫画を見て育っています。『巨人の星』では、目標を目指して努力しても、星飛雄馬は家庭も体もボロボロで、幸せになっていないんですよ。でも、その姿が美徳でありスポーツの魅力だというふうに捉えてしまいがち。だからメディアも、アスリートの苦労やスランプを報道しますよね。本当は、その大変さをいかに楽しみながらできるかいうことが重要で、そのように取り組む中で心を育んでいくものです。
<了>
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PROFILE
辻秀一(つじ・しゅういち)
1961年生まれ、東京都出身。北海道大学医学部卒後、慶應義塾大学で内科研修を積む。“人生の質(QOL)”のサポートを志し、慶大スポーツ医学研究センターを経て株式会社エミネクロスを設立。応用スポーツ心理学をベースとして講演会や産業医、メンタリトレーニングやスポーツコンサルティング、執筆やメディア出演など多岐に渡り活動している。志は『スポーツは文化だと言える日本づくり』と『JAPANご機嫌プロジェクト』。2019年に「一般社団法人Di-Sports研究所」を設立。37万部突破の『スラムダンク勝利学(集英社インターナショナル)』をはじめ著書多数。
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