東大出身者で初のJリーガー・久木田紳吾 究極の「文武両道」の中で養った“聞く力”とは?

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2020.09.11

プロサッカー選手になりたい――。幼い頃からボールを蹴ってきた人であれば、一度は思い描いた夢だろう。しかし、現実は厳しい。サッカーのプロ選手になるのは、確率的には日本最難関・東京大学に入るよりも難しいといわれる。その狭き門をくぐり抜けた選手の経歴は多種多様。エリートコースを歩んできた者もいれば、下から這い上がってきた者も少なくない。その中で勉強とサッカーを両立させ、異色のキャリアを歩む人物がいる。昨季限りで現役を退いた久木田紳吾氏だ。幼い頃から文武両道を貫き、東大出身者として初のJリーガーとなった。なぜ、久木田氏は両方を極められたのか。その学生時代を振り返りながら、勉強とスポーツの相関性について話を聞いた。

(インタビュー・構成=松尾祐希、写真=THESPA)

勉強は好きではない。それでも学力を維持する方法

久木田がサッカーに出会ったのは小学校3年生の時。地元の熊本YMCAでキャリアをスタートさせ、サイドバックを中心にFWとしてもプレーした。当時を振り返り、「指導者の言う事を真面目に聞く、ただの良い子」だったという。ただ、県選抜に選ばれるような実力はなく、うまくなりたい一心で夢中でボールを追いかけた。

一言でいえば、どこにでもいるサッカー少年。一方で勉強を疎かにするようなことはなかったという。

「目立ちたい。親や先生から褒められたい。良い点を取りたい。良い成績を残したい。誰にでもあるような欲求かもしれないけど、そのために勉強を頑張る。授業では積極的に手を挙げる子で、そういうことをしていたら自然と良い成績を残していましたね」

子どもの頃に誰もが抱く感情が久木田少年を机に向かわせる。特に予習や復習をしていたわけではないが、宿題と学校の授業をきちんとこなすことで安定した成績を残していった。

中学校に入っても文武両道のスタンスは変わらない。サッカーは引き続きYMCA熊本でプレー。ポジションはボランチとなり、中学2年生では初めて県選抜に選出された。頭角を現していくと、上を目指したいという欲が出てくる。しかし、簡単に物事は運ばない。サッカーを始めて6年目にして挫折を味わってしまう。

「上のレベルでやりたいと思っていた中で、やっとの思いで県選抜に選ばれてうれしかったんです。だけど、県選抜でジュビロカップという大会に参加したのですが、とにかくレベルが高かった。ボランチで出たけど、まったく通用しなくて……。東京都選抜にFC東京U-15でプレーしていた吉本一謙(現清水エスパルス)がいたんです。U-15日本代表にも選ばれているだけあって、技術的にもフィジカル的にもレベルが違いましたね。日本のレベルは高いと感じて地元に帰ったのを覚えています。この経験は大きかったですね」

初めて知った全国のレベル。この経験をきっかけにプロサッカー選手になる気持ちは急速に萎んでいった。

サッカーで挫折を味わった一方で、勉強への取り組みは変わらなかった。宿題と授業だけでコツコツと積み重ね、県内トップクラスの高校を狙うだけの実力を蓄えていく。

ただ、ここで疑問が生じる。なぜ授業だけで学力を維持できたのだろうか。ポイントは集中力にあった。

「授業を聞いていない、授業中に寝ている。そういうことをせずに授業を『絶対に聞いてやるぞ』という思いで取り組めば、成績は絶対に上がるんです。これを言うと、『頭が良いからできる』という人もいますけど、僕の考えは違います。全部授業を聞いて、わからないことは先生に聞く。そうすれば、ある程度は授業についていけるはずなんです」

久木田は決して勉強好きではない。しかし、常に全力で学び、学力を維持してきた。そうしたスタンスが後の人生に大きく関わってくるのだが、それはまだ先の話である。

サッカー強豪校を選ばないという選択

迎えた高校受験。サッカー強豪校に進学する選択肢もあったが、県内トップの熊本高校を志望した。当時を振り返り、久木田はこう話す。

「シンプルにサッカー選手になれる自信がなく、大津高校のような強豪校に行けば、自分が埋もれるかもしれないと感じていました。そう思っている時点でそこは選ぶべきではない。本田圭佑選手みたいに絶対に這い上がって、プロになってやるという想いもなかったので熊本高校を選んだんです」

自身の進むべき道を冷静に判断し、県内随一の進学校へ入学した久木田。文武両道は変わらなかったが、学習スタイルは徐々に変化していった。授業の難易度が一気に上がったからだ。

「高校入学後は予習と復習をしないとついていけなくなりました。勉強のレベルが上がり、予習、復習は毎日1時間半ぐらいはやるようになりました。特に大変だったのは理系科目。数学や物理などは予習と復習が必要でしたね。国語などの暗記系科目はやらなくても大丈夫でしたが、理数系の科目は公式の意味を理解していないと授業についていけなかったんです。なので、理系は予習、文系は復習をメインに取り組んでいました」

1日のスケジュールも中学時代から大きく変わった。おおよそ6時半に起床し、授業を受ける。放課後は17時半から19時まで部活動に参加。帰宅後は食事と入浴を済ませ、22時から23時半までは勉強に励んだ。

よりハードになった勉強面。一方でサッカーへの情熱は衰えず、プロへの想いが薄れたとしても興味を失うことはなかった。熊本高校では1年次からレギュラーとして活躍。強豪校ではなかったことも久木田をよりサッカーに惹き込んだ。

「サッカーをやっている時間はとにかく楽しかった。中学校まではレベルが高く、自分に与えられているタスクをこなすことで試合に出られていましたが、進学高でプレーしたことで県選抜に入っていた自分が割と自由にプレーできるようになったんです。よりサッカーが楽しくなりましたね」

高校サッカーに区切りをつけて受験モードにシフト

充実した日々を送り、青春時代を謳歌していた久木田。熊本高校に入学して1年半が経った頃、転機が訪れる。2年生の夏に東京大学のオープンキャンパスに誘われたのだ。

「熊本高校の先生から東大のオープンキャンパスに誘われたんです。『今の成績であれば、頑張れば行けるよ』と言われ、東京に足を運びました。田舎から都会に行くと、すごく刺激的で魅力でした。あと東大は3年生から専門分野に分かれる制度があり、理系に行っても文系に切り替えられるんです。当時の自分はやりたいことがなかったので、2年間の猶予が羨ましくていいなと感じました。例えば、高校時代に将来の目標を決められる人って少ないですよね。目標がないと、学部の選択が難しくなります。そうすると、得意な分野に進むしかない。選択肢が狭まるので、自分にとってこの制度は魅力的だったんです」

自分の未来に触れた一夏の経験。これが久木田の目標を定めるきっかけになった。以降は志望校を東大に定め、往来の勉強方法で準備を進めていった。

迎えた最終学年、6月のインターハイ(全国高等学校総合体育大会)県予選限りでサッカー部を引退。準々決勝でルーテル学院に敗れたが、高校サッカーに悔いはなかった。以降は受験モードにシフト。独学で勉強を続け、東大の教養学部理科二類に現役で合格を果たした。

東大からプロサッカー選手になった初めての選手

高2の夏に決めた目標を果たし、久木田は東京で新たな生活をスタートさせる。東大の門をたたいた一方で、サッカー部への入部以外はまだ次の目標を決めていない。希望と夢を抱き、入学式に足を運んだ。これが人生のターニングポイントになる。

それは当時の東大准教授・福島智(現教授)が式典で述べた言葉だった。「日本はややもすると前例を重視する文化が支配的ですが、前例がなければ自分が前例になる。先のことがわからなくても思いきってチャレンジする。こうした冒険心が人生には必要でしょうし、そうでないとおもしろくないと思います」。この言葉で久木田は目指すべき道に気づかされた。東大からプロサッカー選手になった者はいない。だったら、自分が前例を作ってやろう――。

「誰も挑戦したことのないことに、挑戦することに価値がある」

幼い頃に描いたサッカー選手になる夢。いつしか諦めていたが、こうして自分の目指す道が決まった。

再び始まった文武両道の日々。しかし、今までとは違う。本気でサッカー選手を目指しながら、日本最難関の大学で勉強にも励まなければならない。目標をかなえるために逆算し、自分のやるべきことを1つずつクリアしていった。

東京都社会人サッカーリーグに参加する東京大学運動会ア式蹴球部に籍を置きながら、プロを目指して走り始めた。そこで基準にしたのが高校時代に対戦したルーテル学院。三原雅俊(柏レイソル)ら5名がプロに進んだチームのレベルを指標にし、フィジカルトレーニングを中心に自分の身体を一から鍛え上げた。また、2年次の冬には知り合いのツテを辿り、鹿島アントラーズの練習に参加。この経験がプロで戦う自分をより具体的にイメージさせ、大きな自信となった。

サッカーに励む中で、勉強も今まで同様に怠らず、休み時間や授業の空き時間をうまく使いながら取り組んだ。3年次に都市デザインなどを学ぶ工学部都市工学科に進むと、より一層机に向かう時間が増える。時期によって異なったが、研究が立て込むと学校に泊り込む場合もあったという。

勉学に励みながら、サッカー選手になる上でも重要な時期を迎えていた。スカウトの目に留まらないといけなかったからだ。しかし、声を掛けてもらえず、自分で動くことを決断する。ルートがなかったため、東大のOBでもある代理人に相談。自身のプレー動画集を各クラブに送ることを提案され、そこから複数のチームに自作のDVDを郵送していった。

地道な取り組みの中で興味を示してもらったJ2ファジアーノ岡山の練習に参加。最初は1週間の予定だったものの、当時の影山雅永監督(現U-18、U-19日本代表監督)から「あと1週間見たい」という打診を受けるなどプロ入りへの道は簡単ではなかった。しかし、この追試でポジティブな評価を獲得。練習参加してから1週間後に正式なオファーをもらい、入学時に掲げた目標をついにかなえた。

こうして久木田は、東大出身者として初のJリーガーとなった。

文武両道を貫いたからこそ今の自分がある

プロの世界には9年間籍を置いた。ルーキーイヤーはFWだったが、持ち前の戦術理解度の高さを生かし、ウイングバック、サイドバック、そしてキャリア後半は主にセンターバックを務めた。2度の大ケガに見舞われるなど、決して順風満帆のサッカー人生だったとはいえない。しかし、プロ通算195試合に出場し、全力で駆け抜けた。もう悔いはない――。久木田は昨季限りでプロの世界から身を引き、4月からSAPジャパン株式会社で新たなスタートを切った。

サッカーと勉強。一見すると相関性はなさそうだが、久木田は文武両道を貫いたからこそ今の自分があると思っている。

「勉強を好きでやっている子はあまりいません。僕も好きでやっていたわけではなく、良い点を取りたいという思いでやっていました。僕も受験期が辛かったように、勉強では目標のために嫌なことを我慢してやる力が必要でした。そこがスポーツに生きましたね。スポーツもプロになると、自分のやりたくないトレーニングやリハビリをずっとやらないといけない。目標を持ってやる、やり抜く力。これは勉強を頑張って大学受験で合格を勝ち取ることに通じていて、その成功体験がサッカーでも生きました。周りは『頭が良いからサッカーもうまくいくんでしょう』と言います。でも、僕は関係ないと思っています。サッカーは瞬時に判断しないといけないですし、小さい頃から身につけてきた判断力が感覚的な部分として重要です。試合後にビデオを見て、『こうすればよかった』とは考えられますが、それが実際にサッカーでできるかというとそれは別の話なんです。なので、勉強とサッカーの相関性は、課題を見分けて改善する力と解決のために計画的に取り組む部分ではないでしょうか。そこはすごく生きましたね」

文武両道の中で養った“聞く力”

勉強で培った解決する力や努力する力。これがサッカーでも生きた。また、文武両道の中で養った“聞く力”もプロの世界で生きた。

それを象徴するのが2015年の出来事だ。当時、岡山に所属していた久木田は岩政大樹とチームメイトになった。鹿島の練習に参加した時以来の再会だが、特段に親しかったわけではない。しかし、久木田はDF転向1年目でわからないことだらけだったため、自分で感じた疑問は幾度となく、元日本代表センターバックにぶつけていった。

「僕はわからないことがあれば、昔から自分でどんどん聞いていく性格。なので、DFだからというよりは、もともとの自分の性質で聞いていましたね」

 久木田が疑問をぶつける先は岩政だけではなかった。

「ファジアーノ時代には岩政さんの他に元日本代表の加地(亮)さんもいて、加地さんにも相当お世話になりました。加地さんにはディフェンスの仕方というより、ボールのつなぎ方やボールを失わないための方法などをたくさんアドバイスいただきました。3-4-3システムで3バックの真ん中が岩政さん、4ハーフの右サイドが加地さんだったので3バックの右にいた僕は2人に挟まれていたんです。加地さんにはプライベートでもかわいがっていただきプロとしての振る舞いも学びました」

百戦錬磨の先輩たちにも臆さずに聞きに行ったのも幼い頃に養った“聞く力”があったからこそ。久木田は言う。

「質問する上で工夫していた意識はありません。でも、きちんと理解できるようになりたい、DFとして良いポジショニングが理解できるようになりたい。このような内的動機がしっかりあったので、自分で考えて聞きに行っていたんです。その経験を踏まえて言うと、丸投げで質問する子どもは意志が弱いと思うんです。良い点数を取れるようにしたい、サッカーがうまくなりたい。意思があれば、もっと違った聞き方になると思うんです。やらないといけないからとか、そういう理由で質問する人は丸投げになりがちですよね」

東大出身初のJリーガー。誰もなし得ていない偉業を成し遂げた裏には強い意志と、サッカーと勉強で培った学習能力があった。

現在は新たなチャレンジをスタートさせているが、第二の人生でも今まで培ってきた能力は生かされている。

「サッカーはやり切りました。SAPで働くようになり、サラリーマンの面白さを知れました。ビジネスやテクノロジーの分野は本当に面白い。SAPにもスポーツのソリューションがあるので、日本全体の成長に貢献できている実感があります」

スポーツ界からIT業界へ。サッカーと勉強で学んだ学習能力は一生の財産だ。今はSAPに貢献することしか考えていないが、「もう一度戻るのも選択肢の一つ」でフットボールの世界に帰ってくる可能性もある。もし、戻ってくるのであれば、新たな分野で学んだことは役に立つ。久木田はそう信じている。

人生に無駄なものはない。どんな経験でもすべてがつながっている。久木田にとって勉強とスポーツは自分を形成する上でどちらも欠かせないものだった。

<了>

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PROFILE
久木田紳吾(くきた・しんご)
1988年9月24日生まれ、熊本県出身。小学3年生からサッカーを始め、熊本高校卒業後、東京大学に進学。大学では東京大学運動会ア式蹴球部に所属し、4年時には主将を務める。卒業後の2011年、ファジアーノ岡山へ入団。東大出身者として初のJリーガーとなる。以降、2012年に1年間の松本山雅FCへの期限付き移籍を経て、2017年まで岡山に所属。2018年から2年間ザスパクサツ群馬でプレーしたのち、2019年に引退。2020年4月にSAPジャパンに入社。

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