現役格闘家・青木真也のもう一つの顔“経営者”に迫る「大きなビジネスがしたいというより…」

Career
2021.02.02

1年3カ月ぶりとなるONE Championship本戦、1階級上のウェルター級でタイトル戦の経験もあるジェームズ・ナカシマを相手に、わずか162秒の一本勝ち。圧巻の強さを見せつけた。
格闘家としてその力が健在であることを誇示してみせた一方で、男にはもう一つの顔がある。株式会社青木ファミリー 代表取締役社長という肩書を持つ、経営者としての顔だ。なぜ青木真也は現役の格闘家でありながら、会社経営を始めたのだろうか?

(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、写真提供=ONE Championship)

「37歳という年齢で、先が無いなとなった時に…」

――青木選手は2019年10月、株式会社青木ファミリー(※)を設立しましたが、この背景にあったものは何だったのでしょうか?
(※青木選手のこれまでの経験を生かして、人間の感情を揺さぶるコンテンツの企画・制作を手掛ける。日本における格闘技・スポーツを文化として成長させ、格闘技・スポーツを文化として担える人材を育成することで、社会を活性化していくことを理念としている)

青木:37歳という年齢になって、割と先が無いなとなった時に――、僕がよく使う例えで、プロレスラー武藤敬司が(長年の膝の酷使から)ムーンサルトプレスを跳べなくなったんですが、「跳べなくなってからがプロレスは面白くなった」「プロレスラーとしての腕を見せられる」と。僕も同じようなことを思っていて、競技力が右肩上がりにならなくなった時に、今ある限られたものの中でいかに物事をつくっていけるかを考えると、やっぱり主義主張や思想、信念を打ち出すしかないんだよな、というところにたどり着いたんです。何百万人に見てほしいとか、メジャーになりたいとかはまったくなくて。

――今回のインタビューでも、「最近の格闘技界は数字やPVに追われて、消費スピードが速く、大量生産・大量消費のような世界になっているが、こういう時代だからこそ自分を使った物語、見る人が感情移入するようなものを見せたい」と話していました(※)が、そういうことをやりたくて会社を設立したんですか?(※詳細は次回掲載インタビューで)

青木:僕の場合は、ずっとそういう考えでやってきたので、じゃあ試合するとなったら、試合をどう捉えて、どう考えて、どういうコピーで、どういうプロモーションをやっていけば、どんな人たちに響いてどのくらい見てもらえるか、といったことがだいたい分かるようになってきました。ただ決して他の選手もみんな分かっているわけではない。であれば、そうしたことをやれるチームがあるといいなと思ってつくったのが今の会社です。

「何か大きなビジネスをしてやるぞという感じではない」

――すごいメンバーが集まったと思いました。

青木:選手である僕の他に、広告関連で三浦崇宏(The Breakthrough Company GO代表取締役 PR/クリエイティブディレクター)、放映関係でABEMAの北野雄司さん(格闘ch ゼネラルプロデューサー)、あとはさいたま杏クリニックの鬼澤信之院長の4人。この会社でマネジメント、広告、放映、メディカルを網羅しているので、もし選手に何か困ったことがあったとしても、とりあえず生き延びられるよねと思って。何か大きなビジネスをしてやるぞというよりも、よろずや感はありますけどね。自分がいいと思ってつくったものを一定の層にしっかり届けて、成り立たせていきたいなと。本来の芸事の姿に立ち戻っている感じです。

――このメンバーとこれまでのノウハウがあれば、マネジメントする選手ができた時に、その選手の物語も一緒につくって見せていくことができそうです。

青木:マネジメントっていかに高く売るかという商売になりがちだと思うんですけど、でも僕らの場合はそうじゃないから。みんなで何をつくろうか、どうすれば社会と握り合うことができるかを考えていくので、誰と一緒にやるかというのはなかなか難しいんですけど。ただ高い金額をもらってどこどこに出てきてくださいというよりも、“さてどういうブランドをつくろうか”、“どういう個人商店をやろうか”、みたいなところから始めるので、一口にマネジメントといってもまた全然違うと思いますが、そういったところが面白いなって思います。

「コロナ禍になって、“人間”が見えたのはすごく面白かった」

――会社を立ち上げて約半年後にコロナ禍が来たわけですが、経営に影響はありましたか?

青木:いや、それが実はあまりコロナ禍の影響はなかったんです。僕たちの会社はみんなその場その場で起こったことを楽しんじゃうんですよね。コロナ禍も実は僕は割と楽しんでいました。

――楽しんでいたというのは具体的にはどういうことですか?

青木:やっぱり“人間”が見えましたよね。仕事をしていく中で、“この人はこういうスタンスなんだ”とか。言い方は悪いかもしれないけど、“この人は結局会社員タイプなんだな”とか、“じゃあおまえは結局どうしたいと思ってるんだよ”みたいなことを感じたり。なので、“人間”が見えたのはすごく面白かったと思います。

――会社を設立したことで、青木選手は経営者になったということですよね?

青木:経営者になるんですよね、一応は(笑)。どうしても格闘技とか、スポーツ界って丼勘定のイメージがあるじゃないですか。でもそういうところもちゃんとやってますよ(笑)。フリーの時から自分でやっていたので、会社を設立したからといって自分自身の何が変わったというわけではないんですけど、マネジメントする選手にとっては楽になるんじゃないかなと思います。

――会社をつくったことで、格闘家としての青木選手にはどんな影響がありましたか?

青木:“左右されなくなった”、というのはすごくあると思います。会社って、僕とは別の、“僕以外”じゃないですか。例えば会社の収入が減ったとしても、実は僕個人にはあまり直接は関係ないという理屈にもなるので、自分の目の前にあることをコツコツやれるようになったというのは、確実に強みになっていますね。

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<了>

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PROFILE
青木真也(あおき・しんや)
1983年5月9日生まれ、静岡県出身。小学生時代に柔道を始め、全日本ジュニア強化選手に選抜される。早稲田大学在学中に総合格闘技に転身。修斗、PRIDE、DREAM等のリングで活躍し、修斗世界ミドル級王座、DREAMライト級王座を獲得した。2012年からアジア最大の格闘技団体ONE Championshipに参戦、2度の世界ライト級王座を戴冠している。2014年からは総合格闘技と並行してプロレスにも参戦。日本格闘技界屈指の寝業師で、関節・締め技により数々の強敵からタップを奪ってきた。2019年に株式会社青木ファミリーを設立し、代表取締役社長に就任。格闘家の枠を超えた活動を行っている。

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