“負け組”元Jリーガーから年収1000万ビジネスマンに 「今だから言える」若者たちへ伝えたいこと

Career
2021.01.31

元Jリーガーのある人物がメディアプラットフォーム『note』に書いた「元プロサッカー選手がサッカーを辞めて思うこと」という記事がSNSを中心に話題となった。それもサッカー選手やアスリートだけでなく、ビジネスパーソンたちからも「一般社会にも通ずることだ」などと大きな反響を呼んでいる。高卒でプロサッカー選手になってからの3年間は「全否定」だったと語ってくれた「元J」氏は現在、外資系企業で年収1000万を稼ぐビジネスマンとなった。彼がこれまでの経験を通じて身に付けてきたこと、そして今だから言える、若手サッカー選手に伝えたいこととは――?

(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、写真=Getty Images) 

『元プロサッカー選手がサッカーを辞めて思うこと』を発信して感じたこと

――初めて元Jさんがnoteに投稿した『元プロサッカー選手がサッカーを辞めて思うこと』(※元Jさんのnote記事はこちら)という記事がSNS上で大反響を呼んでいましたが、どんな気持ちでしたか?

元J:あんなに多くの人に読んでもらえるとは思っていなかったので、まず驚きました。一番うれしかったのが、サッカー界やアスリート以外にも「自分の仕事にも関連する話だった」というようなコメント付きで引用投稿をしたり、コメントをしてくれた人が多かったことです。僕は20代前半の若手サッカー選手というピンポイントに向けて書いたので、その人たちに読んでもらえたらいいなと思っていたんですけど、それ以上の方々が自らに置き換えて考えてくれたので、うれしかったですね。

――確かに、スポーツをやっている人だけでなく「現状の自分に置き換えて読んだ」という方の反響がとても多かったですよね。

元J:アスリートだけでなくどんな世界の人たちも、シビアな競争の中にいるのだなと感じました。

――noteの最初の文章はどのぐらい時間をかけて書いたんですか?

元J:もともとサッカー選手時代につけていたサッカーノートに書いてあったことをベースにしているんです。「久しぶりにサッカーノートでも読み返してみよう」と思って見たら、「けっこう俺、心に刺さること書いてるな」と思って。でも、自分の経験だからそう思うのか、他人も共感してくれることなのか試してみようということでnoteに書いてみたんですけど。なので、サッカーノートに書かれていたことを少し改編して、1~2時間ぐらいで書きました。

――当時のサッカーノートがベースになっているのですね。素晴らしい文章でした。こういった体験者が発信するメッセージがサッカーをやっている人を始め、多くの人に広がっていったらうれしいですね。

元J:そう言っていただけるとうれしいです。

――元Jさんは実際にどんなサッカー人生を送っていたのですか?

元J:(高校卒業後)18歳の時にとあるJリーグチームに入って3年間プレーして、引退しました。その後はサッカーと関係ない業界に就職をして転職を何回か繰り返して、今はとある外資系企業で働いています。

――高校時代はどれぐらいのレベルの選手でしたか?

元J:「ポテンシャルのある、いち若手プレーヤー」ぐらいだったと思います。ピカイチだったわけでもなく、3年生の時にたまたま運よく(Jリーグクラブに)声を掛けてもらったという感じです。

――実際プロになることが決まった時、周囲の反応は?

元J:すごく喜んでくれました。地元では、まだ何も手にしていないのに何かを成し遂げたかのような扱いをしていただいて。今思えば、それで勘違いしてしまったというのもあるかもしれません。各年代で1人や2人プロに行くのは当たり前というような強豪校なら「これで勘違いするなよ」とか言ってくれる人もいたのかもしれないですけど。僕のところは地方の小さな学校で、あまり周りにそういう人もいなかったので、ちょっと調子に乗ってしまいましたね。

――最近は大学に進学してからJリーガーになった選手の活躍も増えてきましたよね。

元J:やっぱりサッカー界も成熟してきて、サッカーの能力以外に人間性であったり、練習に向かう姿勢とか、そういうのがちゃんとないと生き残れない世界になりつつあるんじゃないかと思っていて。そうなると、大学で4年間過ごしてある程度大人になってからプロの世界に行くというのは、心が成熟した状態で挑戦できるので、それが彼らが成功している要因の一つなのかなと感じます。

――その一方で、昨今の日本サッカー界の課題として、Jクラブにおける教育の部分がサッカー先進国と比べるとまだ足りていないのではないか? というような意見もあります。

元J:やはり欧米と比べると、日本は指導者層がスポーツやサッカーを学問として学んできているというより、選手を引退後そのまま指導者になるというケースが主流かなと。いわゆる勘と経験みたいな部分による指導が多いと思うので、その辺りが産業として成熟してプレー面以外も体系的に網羅して学んでいった人が指導者で出てきたりすると変わってくるのかなと思いますね。

結果よりも「どれだけ自分を100%出せたか」にフォーカスする

――これまで地元でもてはやされてきて、実際にプロに入ったらいきなり違う世界が待っていたわけですよね。当時は試合に絡むどころか全くチームにも入っていけない状態というのは、どんな気持ちでしたか?

元J:ひと言でいうと「全否定」。何より自分が自分を否定しているというか。選手としての価値は試合に出ることだけだと思っていたので、その価値が全くゼロの状態というのを毎日突き付けられながら、日々の練習でもちょっとのミスで「おい! お前もうやらなくていいよ」とかいろいろ言われるわけです。自己評価が全くのゼロ、他者評価もゼロというダブルパンチで相当つらかったですね。今思っても人生で一番つらかったぐらい。

――監督やコーチから、練習環境の改善を図ろうという働きかけはなかったのですか?

元J:してくれていたとは思うんですけど、すべての環境が整っているクラブではなかったので、監督やコーチとしても、次の試合をレギュラーメンバーでどう戦っていくかというところにリソースを注ぐのは当たり前なので。23人中の23番目ぐらいの選手に対して何かケアをするというところまではなかったですね。

――「もうサッカーを辞めよう」と考え始めたのはいつ頃から?

元J:3シーズン目がスタートした冬に「今年の夏までにある程度の結果が出なかったら、もう辞めよう」と決めて1年臨みましたが、結局思うような結果が得られなくて、その夏に決断しました。

――自分が苦しい時期、周りの友人たちが普通に大学生活を楽しんでいる姿を見て、自分とのギャップみたいなものを感じたことも?

元J:ありましたね。やっぱり甘かったというか未熟だったんですけど、周りの大学生を見て「自分も遊びたいな」という気持ちになったり。今思えばオフの日も、ちゃんと自分の改善点を洗い出したりすればよかったんですけど、日々のうっぷんを晴らすように友達と会って遊んだりしていました。

――元Jさんのように、高校や大学を出てプロになってから、なかなかチャンスや結果に恵まれず苦しんでいる人も少なくないと思います。そういう状況の人たちに向けて今、どんなことを伝えたいですか?

元J:まず1つは「今は考えられないかもしれないけど、サッカー以外にもいろいろ面白い道はあるよ」ということ。僕自身、今は全然サッカーとは関係ない仕事をしていて、そこそこ楽しくやれているので、そういった道もあるというのを頭の片隅にでも置いておいてもらいたいです。

もう1つは、noteの記事にも書いた「結果と過程の考え方」。僕も本当に気持ちが分かるんですけど、苦しんでいる人は1つの結果にすごく振り回されるんです。「この試合に出られなかった」とか、「紅白戦でメンバー外になった」とか、そういったところを価値基準にして自分で自分を責めてしまう。殻に閉じこもって大胆なこともできず、余計負のスパイラルにはまってしまうんですけど、結果は自分がコントロールできないところで動いたりもするので。

僕もたまたま当時のチームの副キャプテンが声をかけてくれてチームに溶け込むきっかけを作ってくれてから、たまたまコミュニケーションがうまくいったおかげで状況が少し上向いたということもありました。「結果より、どれだけ自分を100%出せたかというところを指標にすれば生き方がちょっと楽になるよ」ということを伝えたいです。

――ピッチ外でのコミュニケーションがきっかけで状況が好転していった中でも、辞めることを選んだのですね。

元J:一応、1年契約延長の打診はされていたんです。結果が出たわけではなかったんですけど、練習とかでは徐々に認められ始めて。でも辞退して辞めました。

――悩まなかったですか?

元J:「決めたことだから」と、スパッと辞めました。最後の半年間のちょっとした成功もおそらく「辞める」と吹っ切れたところがあったから「あと半年だ」と思って何とか頑張れましたけど、それが今後続くかどうかは分からない。「正直もうしんどいな」と。

「元Jリーガー」という過去を隠していた、社会人デビューの頃

――引退後はすぐ就職せずに大学に編入した理由は?

元J:引退後はサッカー関連の仕事に就く人が多いと思いますけど、僕はサッカーから離れたいなというのもあって。全く違う世界へ行くためには大学卒業の資格がないと選択肢が広がらないなと思い、大学へ行くことにしました。経済学部だったんですけど、大学の勉強はやっているうちに興味が出てきて、大変だったというよりは、楽しく新鮮な気持ちでやっていました。

――アスリート、特にトップレベルまで行った人は他のビジネスの分野でも可能性があるといいますけれど、実際に社会に出てみてどう感じますか?

元J:僕の場合は知的好奇心が強いタイプだったので、新しい学問にものめりこめたのかもしれないですけど、サッカー一本でやってきた人全員がサッカー以外のことにも好奇心があるかといわれたら、そうではないタイプもいるかもしれないので、ひとくくりにできないと思いますね。アスリートは1つのことを究めるということに関してはピカイチだと思うので、いったんハマれば次の分野のスペシャリストになるのも早いかなというのはあります。

――大学を出た後は、どんな企業へ就職したんですか?

元J:営業の会社でした。(プロサッカー選手の)競争から逃げておいて言うのもあれなんですけど、数字で判断される点や競争があるという辺りがサッカーと似ていて、自分の努力次第で駆け上がっていけるというようなイメージがあって。人よりも(社会人として)出遅れたぶん、結果を出せば早く上に上り詰められるような業界じゃないと頑張れないかなと思い、営業の世界に行きました。

――やっぱり当時はプロサッカー選手としての3年間を「そのおかげで出遅れてしまった」という感覚があったんですね。

元J:そうですね。サッカー以外の世界については基礎も何も全くないまま、周りと比べてもそう感じていたので。

――その会社ではJリーガーだったことは明かしていたのですか?

元J:最初は人に言うのが嫌で黙っていました。でもだんだん「昔のことだから今の自分ではない」みたいな感覚になっていって、お客さんに言うと喜んでくれたので、途中からは営業トークの最初のつかみとして使ったりしていました。

――最初は隠したくなってしまうものなんですね。

元J:はい。周りの人たちは「すごい」と言ってくれたりしますけど、自分としては明確に失敗だったと思っているので。失敗のことを偉そうに自分から言うことがすごく恥ずかしくて嫌で。でも、自分がどう感じているかよりも相手がどう感じるかのほうが大事かなと思って、相手が「すごい」と言ってくれるんだったらもう言っちゃおうと。

――自身としては、営業の仕事は向いていたと思いますか?

元J:どうなんでしょう。でも、もともとコミュニケーションを取るのが苦手だったので、それがサッカーを通じてちょっと改善して、営業を通じてまたちょっと改善してというふうに、徐々に慣れていったという感覚です。結果としてもそれなりに、ある程度いい数字が出せていたので評価もされてきました。

セカンドキャリアで年収1000万稼ぐために必要なメンタリティ

――数社転職を重ねる中で、年収は変化していきましたか?

元J:年収は上がっていって、今は大体1000万円ぐらいですかね。

――元Jさんは現在30代とのことですが、スポーツ選手、特にJリーガーのセカンドキャリアで年収1000万円超えられる人は本当に少ないと思います。やはり現役の時は活躍してキラキラしている選手でも、引退すると一気に難しくなってしまう。キャリアで成功するためにはどんなことが必要だと思いますか?

元J:自分の経験でしかいえませんが、二十歳の時点で「自分は人生をかけた勝負に負けた」「僕の人生はここで終わった」というような意識があって。その後の人生はおまけでボーナスステージみたいな感覚で過ごしているので、やりたいことにチャレンジすることも怖くないし、人がやりたがらないこともできたり、苦しいこともハードワークもできるし、嫌な上司に当たっても全然「こういうものだよな」と思えるし。それで成功した時はラッキーというような感覚で心をラクにしているので、そういったメンタリティが一番大きいかなと思います。

例えばビジネスでいい話が来たとして、その話に乗るか乗らないかというところで、もともと一流選手だったプライドがあれば「ここで失敗したら今まで積み上げてきたものが全部失われるんじゃないか」と考えるかもしれません。一方、僕の場合は「もともと失敗した人生なんだから、今さら失敗しても同じじゃん」というメンタルで臨めるというのがいいのかもしれません。

――社会人になってから手応えを感じるようになったのはどれぐらいの時期ですか?

元J:小さな手応えみたいなものは1年目とかにもありましたが、ビジネス界で何とかやっていけるなと思うようになったのは本当にここ数年、引退してから7~8年ですね。

――Twitterで「サッカーでも仕事でも、最初の小さな成功さえしてしまえば、あとは放っておいても勝手に頑張れる」ということを発信されていましたが、かなり真理だなと感じていました。

元J:そうですね。「ずっとサッカーだけをやってきた自分がビジネス界で頭使ってキレイにやろうとしたってどうせうまくいかないんだから、やれるだけのことをやって、うまくいけばラッキー」みたいな感覚で、小さな成功をつかみながら他の人よりアグレッシブにやっていきました。当然、浮き沈みはありますけど、根本にはサッカーで培ってきた経験があります。

――結果的にはサッカーでの経験が、その後のキャリアに生きているんですね。

元J:そうですね。「失敗を恐れなくなった」ということと、サッカー選手時代に結果を見て苦しい思いをしたので、「評価ではなく自分が本当に100%頑張れたかどうかを基準に頑張る」という自分の指針みたいなものができたこと、それを続けられたことというのがサッカー経験から生きています。

――本もよく読まれるそうですが、サッカー選手を辞めてから本を読むようになったのですか?

元J:サッカーをやっている時から、もともと本を読むのは好きでした。社会でも、サッカーで培った自分の指針みたいなものと、外の世界の新しい知識を組み合わせるような感じで戦わないと、たぶん普通のエリートには勝てないのでインプットすることは大事だと思います。自分がこれまでのサッカー人生で得たことを何かしら生かしていく必要は絶対にあるはずです。

コミュ力ゼロだった自分が「コミュニケーション力を武器に変えた」方法

――サッカーはチームスポーツですが、そこで培ったコミュニケーション能力というのも社会で武器になるのでは?

元J:そうですね。

――「ベンチ(あるいは、ベンチ外)の選手が元気なチームは、強い」というツイートも拝見しましたが、あれは本当に“あるある”というか、サッカーだけでなく一般社会にも置き換えられますよね。

元J:実際に「一般社会でもある」といろいろな方たちがコメントをくれました。確かにそうだと思います。例えば、強いチームの監督はインタビューの際にベンチの選手やスタンドで見ているベンチ外の選手について言及したりすることが多い。ベンチ外の選手はそれを見て「俺らのこともちゃんと見てくれているんだ」というふうになって、日々の練習の質も上がり、スタメン側の人間の能力もさらに上がっていく。そういう循環があるのではないかなと。

自分がベンチ外の立場だったので、身をもって分かるんです。選手からしたらピッチで戦う11人というのがチームですけど、クラブ、監督の視点で考えると全選手含めた23人、あるいはそれ以上のクラブのメンバー全員がチームの総合力なので。

――元Jさんのような立場だったからこそ気付いた、チームの雰囲気づくりを良くするための方法はありますか?

元J:実は僕、今もなんですけど本当にコミュニケーションが苦手なので、「こうやったらいいんじゃないか」というのが自分の中にあって。まず1つは「自分から話しかける」こと。相手から何か言われて返すより、自分から言ったほうがコミュニケーションの主導権を握れるんです。だから、コミュニケーションが苦手な人ほど自分から話しかけるべきです。もう1つは「コミュニケーションの量を増やす」こと。量を増やすことで1回のコミュニケーションあたりのコストがすごく下がるんです。なので、「この人苦手だな」という人にほど自分からたくさん話しかけると自然と円滑に回るようになります。

――コミュニケーションが苦手だと思っている人は多いと思いますが、すごく簡単にできますし効果的な方法ですね。

元J:めちゃくちゃ効果的ですね。それで最近、コミュニケーションがうまい人に見られたりもします。サッカー選手の頃は本当に全然しゃべれないし、人から批判をされるばかりでしたから。

これらのことを“あの頃”知っていたら…「もう一度サッカー人生を試してみたい」

――もう一度高校生の時から人生をやり直せるとしたら、どういう道を進みたいですか?

元J:サッカーはもう一度試してみたいです。コミュニケーションの部分を第一に改善したいですし、当時は自分の現在地を見つめるということができていなかったので、「現状何ができていないから試合に出られなくて、監督は何を不満に思っていて、どこに可能性があって、自分の持っている能力とどう掛け合わせれば試合に出られるのか?」ということを考えて、足りない部分を強化するために練習に励むということをやりたい。

当時は筋トレも本当に嫌いで。試合に出られない存在で何を言っているんだという話ですけど(苦笑)。誰かに言われて渋々やるのではなく、自分で決めてやるんだったら全然苦になっていなかったと思うので、自分自身で決めた方向に向かって努力していたらどれぐらいいけたのか、試してみたいです。

――今後はどのような展望を考えているのですか?

元J:サッカーを頑張っている10代後半から20代前半の人が少しでも心が楽になればいいなと思って発信をし始めたので、そこはぶらさずに。それらの人たちに、どうにかサッカーであったり次のキャリアだったりを少しでも成功に導けるような活動ができればいいなと思っています。

<了>

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